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推理小説

推理小説(すいりしょうせつ)は、小説のジャンルのひとつ。主として殺人・盗難・誘拐・詐欺など、なんらかの事件・犯罪の発生と、その合理的な解決へ向けての経過を描くもの。小説以外にも漫画や映画、ゲームなどさまざまなメディアに展開されるミステリというジャンルの元になった。「推理小説」という名称は、木々高太郎が雄鶏社にて科学小説を含む広義のミステリ叢書を監修した際、江戸川乱歩や水谷準に提案されて命名したものと伝えられる。このほか探偵小説(たんていしょうせつ)、ミステリー小説(みすてりーしょうせつ)、サスペンス小説(さすぺんすしょうせつ)という呼び名もあるが、前者の名称は「偵」の字が当用漢字制限を受けたために用いられなくなった。犯罪小説と重なる部分もあるが、完全に同義という訳ではない。世界初の推理小説は、一般的にはエドガー・アラン・ポーの短編小説「モルグ街の殺人」(1841年)であるといわれる。しかし、チャールズ・ディケンズもポーに先立ち、同年1月から連載を開始した半推理・半犯罪小説の『バーナビー・ラッジ』(1841年)を書いているほか、100年ほど前に書かれたヴォルテールの『ザディグ』(1747年)の一編『王妃の犬と国王の馬』も推理に重きが置かれている。さらには『カンタベリー物語』、『デカメロン』、聖書外典『ダニエル書補遺』の『ベルと竜』などにも推理小説のような話が収録されており、どこに端を発するかという議論は尽きない。ただ、確実に言えるのは、1830年代のイギリスに警察制度が整い、犯罪に対する新しい感覚が生まれたということである。この頃一世を風靡したニューゲート小説は、ニューゲート監獄の発行した犯罪の記録を元に書かれた犯罪小説であり、後の近代推理小説が生まれる基盤を作ったと言える。権利と義務の体系が整い、司法制度や基本的人権がある程度確立した社会であることも、推理小説に欠かせない要素であろう。推理小説というジャンルにとって警察組織の存在は大きい。法を手に犯罪者を捕らえる新しい形のヒーローが誕生したからである。その裏側には、急速に都市化が進むイギリスで、一般市民が都市の暗黒部に対し抱く不安が高まっていた、という歴史的事実がある。そして都市化に伴うストレスのはけ口として、「殺人事件」という素材の非日常性が必要とされていたという見方もある。推理小説が誕生した後、様々なアイデアが生み出されてきた。そして下記に挙げられるようなミステリにおける「基礎・応用などの土台」が作られたのである。また、科学・医学が進歩するにつれて、それらの知識を用いたトリックなどが次々と考え出された。また、ミステリの手法は小説にとどまらず、映画・ドラマ・舞台・漫画・ゲームなど多様なメディアに波及してきた。最古の例の探偵小説:『千夜一夜物語』の「3つの林檎の物語」 (The Three Apples) である。古代発行公案小説文書。1841年、アメリカのエドガー・アラン・ポーが発表した短編「モルグ街の殺人」が推理小説の始まりだとされる。1866年、エミール・ガボリオは仏訳されたポーの作品群に影響を受け、世界最初の長編推理小説「ルルージュ事件」を発表。イギリスではウィルキー・コリンズが、1868年に英語で書かれた初の長編推理小説といわれる「月長石」を発表している。1878年、アンナ・キャサリン・グリーンは、処女長編「リーヴェンワース事件」を出版、世界で初めて長編推理小説を書いた女性と言われている。また、ヴァイオレット・ストレンジというフィクションにおける「世界初の女探偵」(世界初の女刑事はバロネス・オルツィが創造したレディ・モリー)が活躍する短編集でも知られる。キャロライン・ウェルズは処女長編「手がかり」を皮切りに、フレミング・ストーンという「シリーズものキャラクター探偵」が登場する長編ミステリを70作も出版し、「同一作家による長編への最多登場の探偵」となった(法廷ものではE・S・ガードナーのペリー・メイスン弁護士が82長編で最多)。また、ジョン・ラッセル・コリエルは、ニコラス・カーター名義で1886年に「探偵ニック・カーター」が登場する作品を、ニューヨーク・ウィークリー誌で発表。その後、多くの作家がニコラス・カーターのハウスネームでシリーズを書き続けた。100年以上続く探偵ニックものは、その大半が長編である。同様に、英国でも1893年にハリー・ブリスが探偵「セクストン・ブレイク」の冒険を描く「失踪した百万長者」を発表。ブレイクものは異なった作者により、複数の名義で70年以上書き続けられたが、こちらはニックものとは対照的に短編がほとんどである(アプルビー警部を創作したマイケル・イネスが書いた短編もある)。1879年、アーサー・コナン・ドイルは、処女作の短編「ササッサ谷の怪」(ホームズものではないノンシリーズ作品)をチェンバーズ・ジャーナル誌10月号で発表。1887年には、「名探偵」の代表とも言えるシャーロック・ホームズの長編第1作「緋色の研究」を、ワードロック社のピートン誌クリスマス号にて発表。ホームズものは、1927年の短編「ショスコム荘」まで書き続けられた。ホームズもの作品は長編より短編が圧倒的に多く、同時代には、アーサー・モリスン、アーネスト・ブラマ、ジャック・フットレル、メルヴィル・デイヴィスン・ポースト、オーガスト・ダーレス、ギルバート・キース・チェスタトンなどが独自のキャラクター探偵の活躍する短編を発表し、彼らの創造した探偵は「ホームズのライヴァルたち」とも呼ばれることがある。一方、フランスのモーリス・ルブランが1905年、短編「アルセーヌ・ルパンの逮捕」で探偵とは逆の立場に属する主人公である「怪盗もの」の執筆をはじめ、30年に渡って怪盗ルパンは長短編に登場することとなった。そしてパトリシア・ハイスミスは、名探偵ではなく「犯人」をシリーズ・キャラクターに起用し、完全犯罪をたくらむ殺人犯リプリー青年が毎回主人公の「太陽がいっぱい」からはじまる長編5作を発表し、映画化もされている。また、多作で知られるエドガー・ウォーレスは、「正義の四人」を筆頭に、探偵・刑事と殺人者・悪漢の両陣営で十指に余るシリーズ・キャラクターを創造した。犯人の側から犯罪を描写する「倒叙」ものは、オースティン・フリーマンの短編集「歌う白骨」が有名だが、毎話ごとに当然ながら犯人が変わっており(探偵は毎回同じソーンダイク博士。また殺人犯が逃亡したり、未遂に終わる、被害者側が許すなど、犯人が罰せられない作品もあるのが本作品集の特徴)、フリーマン・ウィルス・クロフツの短編集『殺人者はへまをする』やロイ・ヴィカーズの「迷宮課」シリーズを経て、現代のレビンソンとリンク共作の『刑事コロンボ』に至るミステリの定番ジャンルのひとつになっている。「被害者」を主人公に起用したミステリとしては、グラント・アレンの「アフリカの百万長者」が挙げられる。短編中心だった推理小説の世界は、1913年にE・C・ベントリーが、長編「トレント最後の事件」でミステリに恋愛要素を盛り込んだ趣向の作品を発表すると、多くの作家により長編推理小説の名作が次々と発表され、のちに「黄金時代」と呼ばれる長編全盛期を迎えた。アガサ・クリスティの『オリエント急行の殺人』における旅客列車の車両内、『そして誰もいなくなった』の孤島、『大空の死』の旅客機といった「クローズド・サークル(閉ざされた空間)もの」、ヴァン・ダインの『僧正殺人事件』の「見立て殺人」、エラリー・クイーンの『Xの悲劇』から始まる「ダイイング・メッセージ(死に際の伝言)」、ディクスン・カーが得意とする『三つの棺』に代表される「密室もの」および、『深夜の密使』から書き始められた一連の、過去を舞台にした「歴史ミステリ」など様々なジャンルの長編推理小説が発表され、「本格」「フーダニット(犯人当て)」「パズラー」等と称される傑作群が続いた。「本格」に対して、「変格」といわれる作品の一つが、パット・マガーの「被害者を捜せ!」等の、犯人はわかっていて被害者・探偵・目撃者などを推理させるといった、推理小説の枠にとどまらないユニークな形式(変格推理)の長編作品である。マガーは女スパイを主人公にした「セレナ・ミード」ものも著名で映画にもなっている。さらに、トリックや謎解きよりも主人公や登場人物の心理描写に重点を置く「サスペンス」の作品をコーネル・ウールリッチが多数発表。代表作がウィリアム・アイリッシュ名義の長編「幻の女」で、冒頭の書き出しも有名である。短編「裏窓」は映画の原作に採用された。パトリック・クェンティンのウェッブ主導の初期作品は本格色が強かったが、コンビのうちホイーラー中心の後期はサスペンス色が濃くなった。フランスではボワロー=ナルスジャックやカトリーヌ・アルレーなどが「サスペンス」ものを多く発表している。1928年、ダシール・ハメットが名無しの探偵コンティネンタル・オプの最初の長編「デイン家の呪い」とそれに続き「赤い収穫」を発表。従来の推理小説とは一線を画す「酒、暴力、アクション、恋愛」といった要素の多い「ハードボイルド」と呼ばれる、主としてアメリカの大都会を舞台にした私立探偵ものの嚆矢とされる。ハメットは1930年、もう一人「マルタの鷹」で初登場するサム・スペードも創造した。日本では明治以前から捕物帳等の勧善懲悪をテーマとした物語が存在し、探偵小説の下地となった。文明開化以降、探偵という概念が西洋から輸入され、探偵小説が書かれるようになる。黒岩涙香が明治22年(1889年)に発表した「無惨」(別題「三筋の髪、探偵小説」)が、日本人初の創作推理小説と言われる。涙香は1896年にも「六人の死骸」と題する作品を執筆している。1917年、岡本綺堂は、アーサー・コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」に影響を受けて「半七捕物帳」のシリーズを開始。探偵小説の要素を盛り込んだ新たな「捕物帳もの」のさきがけとなる。ほかに、野村胡堂の1931年からはじまる「銭形平次」シリーズは、後年、たびたび映画やテレビドラマ化されている。日本において探偵という職業を大衆に認知させ、探偵小説・推理小説の知名度を上げたうちの一人に、江戸川乱歩がいる。江戸川乱歩は大正・昭和期、推理小説の黎明期において明智小五郎や少年探偵団が活躍する一連のシリーズで名を挙げ、現在も江戸川乱歩賞にその名を残している。1947年、江戸川乱歩が探偵作家クラブを設立(このクラブは現在日本推理作家協会という形で残っている)。1935年、日本の探偵小説における三大奇書と呼ばれるうちの二作(「ドグラ・マグラ」「黒死館殺人事件」)が出版された。1965年には、三大奇書の最後の一作「虚無への供物」が出版された。時代や作風などに差があるものの、坂口安吾の「不連続殺人事件」や竹本健治「匣の中の失楽」も三大奇書と絡めて語られる事がある。第二次世界大戦中は探偵小説が禁圧され出版できない状況だったが、戦後、横溝正史による本格推理長編小説により再興したと言われる。高木彬光は神津恭介を探偵役とする「刺青殺人事件」他の本格ものを中心に「連合艦隊ついに勝つ」「邪馬台国の秘密」など歴史・SFとも融合したミステリ、「検事 霧島三郎」の法廷もの、「黄金の鍵」から始まる安楽椅子探偵ものと多岐にわたる作品群を発表した。1957年には、仁木悦子が自身と同名ヒロインが登場する長編「猫は知っていた」でデビュー、「日本のクリスティー」と呼ばれた。また、夏樹静子はクイーンの悲劇四部作のオマージュともいえる「Wの悲劇」が話題となり、薬師丸ひろ子主演で映画化もされた。SFや伝奇小説の分野でも多作で知られる栗本薫は、評論では「中島梓」名義を使い分け、クイーンとロスを思わせる中島梓と栗本薫の1人2役対談が、『平凡パンチ』誌上で企画された。推理小説の分野では、作者と同名だが男性の栗本薫が主人公の「ぼくらの時代」はじめ、多くのシリーズとキャラクターを創造した。1960年代以降、推理小説は松本清張の「社会派」、西村京太郎の「トラベルミステリ」、森村誠一の「ビジネス・企業もの」「歴史ミステリ」など様々なサブジャンルに分かれていき、そのほか、ハードボイルド、日常の謎などをテーマや作風とする作家も現れた。80年代末から世紀末にかけ、1987年にデビューした綾辻行人を嚆矢とした、有栖川有栖・二階堂黎人らの海外のクイーンやカーを再現したような「本格」というジャンルに特化した作家群が次々に出現。彼らは「新本格派」または「日本の新本格派」とも呼ばれることがある。70年代後半に各出版社がジュニア向け文庫を立ち上げると、山浦弘靖のトランプ絡みの題名が続く「星子シリーズ」、「仮題・中学殺人事件」にはじまる辻真先の、「読者」「作者」「編集者」など本来は犯人たりえない人物を扱うシリーズなどジュヴナイルのミステリが刊行された。1980年代から推理小説の漫画化も行われた。1992年には金田一少年の事件簿が好評を博し、推理漫画が一つのジャンルとして定着した。2002年に「クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い」でデビューした西尾維新は、文芸ものの新書「講談社ノベルス」から発行されているが、ライトノベルとして分類され、また自身もそのようにとらえる場合もある。「掟上今日子の備忘録」など多くの作品が漫画化・テレビドラマ化されている。下記の分類は、互いに相反するものとは限らず、一つの作品が複数の項目に当てはまることがある。推理小説のなかではもっとも一般的でかつ古典的なジャンルである。事件の手がかりをすべてフェアな形で作品中で示し、それと同じ情報をもとに登場人物(広義の探偵)が真相を導き出す形のもの。第二次世界大戦前の日本では、「本格」以外のものは「変格」というジャンルに分類された。なお、本格という呼び方は日本独自のもので、欧米ではフーダニットやパズラーと称される(後述)。本格であるためには、解決の論理性だけではなく手がかりが全て示されること、地の文に虚偽を書かないことが要求される(わざと決定的な事実を明示せず曖昧に表現したり、登場人物の視点から登場人物自身の誤解を記述するのは問題がない)。たとえば、ある作品では列車に乗り合わせた子供の性別が問題になるが、題名にも地の文にも「男の子」「女の子」といった記述は一切なく、伏線として子供の振るまい(特定の玩具に興味を示す)が記述されている。作家はそれが伏線であることを隠蔽する努力も怠っていない。ただし、現代の視点では、ポーの『モルグ街の殺人』には若干アンフェアな記述がある他、アガサ・クリスティの『アクロイド殺し』はフェアかアンフェアかについて、有識者の間で議論を醸した。エラリー・クイーンの国名シリーズや東野圭吾の『どちらかが彼女を殺した』、『私が彼を殺した』のように「ここまでの部分で、推理に必要な手がかりは全て晒した。さあ犯人(もしくは真相等)を推理してみよ」という「読者への挑戦状」が明示的に含まれる作品もある。密室殺人を始めとした不可能犯罪を扱った作品の多くはこのジャンルに含まれる。「ハードボイルド」と言う言葉そのものは、非常に多面的な意味合いを持つ言葉なのだが、「推理小説」の一ジャンルとして使われる場合には、登場人物(主人公も含めて)の内面描写をあまり行わず、簡潔で客観的な描写を主体とした作品を指す。ダシール・ハメットの作品を嚆矢とする。特徴的なのは、それまでの「推理小説」の主人公は、自ら行動を起こすことはあまりなく、提供されるわずかな手がかりを元に、内面的な思索を深めて事件を解決する、まさに「推理」に重点を置く傾向が強かったのに対して、「ハードボイルド」の主人公は概ね行動的で、自ら率先して捜査を行い、その結果を積み上げて解決に至る傾向にある。そのため、それ以前の「推理小説」と比較して、現実の犯罪捜査に近い。これは、ハメット自身が探偵の経験があり、それを作品に生かしたからだと言われている。私立探偵や、それに類似する職業が主人公に選ばれることが多いためPI(私立探偵)小説と呼ばれることもあるが、必ずしも同じものではない。レイモンド・チャンドラーの作品が有名。私立探偵や刑事が主人公であっても、ハードボイルドのように非情さを前面に出さない作品のこと。E・S・ガードナーの一部の作品など。ハードボイルドの反義語で暴力的表現や非日常性を極力排除した作品。主人公が警察官や私立探偵ではない、素人探偵であるのも大きな特徴。代表作はアガサ・クリスティのミス・マープルシリーズなど。狭義には女性向けの「気楽に読める」内容のコメディミステリをいう。犯罪者の内面に目を向け、殺人に至る過程を描いたもの。倒叙から派生した。フランシス・アイルズ(アントニー・バークリー)『殺意』、ジム・トンプスン『内なる殺人者』など。法廷が舞台のもの。検事や弁護士が主人公となって、被告人の犯行を立証したり、逆に無実を証明して真犯人を暴きだしたりする過程が描かれる。必ずしも法廷が主要な舞台となるとは限らないため、リーガル・サスペンスとも呼ばれる。E・S・ガードナーが書いたペリー・メイスンシリーズ、和久峻三の『赤かぶ検事奮戦記』シリーズ、ゲームの『逆転裁判』シリーズなど。警察官が主人公であるもの。謎解きそのものより警察の捜査活動の描写に重点が置かれる。警察組織内部の情勢や暗部を題材としたものもある。必ずしも推理小説であるとは限らない。エド・マクベインの87分署シリーズなど。過去の時代を舞台としたもの。まれに史実上の人物が探偵役をつとめる。日本では特に江戸時代を舞台にした「名奉行もの(お白州もの)」や「捕物帳」といったジャンルがある。「捕物帳」は岡本綺堂の『半七捕物帳』を嚆矢とし、緊密な構成をもった本格物から江戸風俗の描写に力を入れたものまで幅広い。歴史ミステリと特に区別なく使用されることがしばしばある。歴史上の謎に、現代の探偵役が資料などを元に取り組むもの。史実における謎を真面目に取り扱った作品も存在するが、多くはフィクションとしての面白さを狙った奇抜な回答が用意されることになる。純粋に歴史上の謎のみを解決することは少なく、ほとんどの作品では探偵役と同時代の犯罪事件の解決も付随している。ジョセフィン・テイの『時の娘』が有名。恐怖を主題としたものを指すが、恐怖の様相を捜査や論理的な推理によって暴き出せば推理小説になりうる。殊にモダンホラーやサイコホラーといった、人間性や異常心理への恐怖を扱ったホラー作品では作例が多い。スパイと政府の緊迫した関係を描くもの。エスピオナージュともいう。現実的な国際謀略を描いたものから、荒唐無稽なアクションまで多彩な作品が書かれており、前者の代表例はジョン・ル・カレのスマイリー・シリーズ、ロバート・ラドラムのボーン三部作、トム・クランシーのジャック・ライアン・シリーズ、フレデリック・フォーサイスのドキュメント・スリラー。後者の代表例としてはイアン・フレミングのジェームズ・ボンド・シリーズが有名。推理小説とも怪奇小説ともつかない奇妙なもの。推理作家でない作家が書くことが多い。ロアルド・ダールの短編が有名。一般に、社会性のある題材を扱い、作品世界のリアリティを重んじる作風を指す。事件そのものに加え、事件の背景を綿密に描くのが特徴。日本では1960年代から長らく主流が続いた。松本清張の作品がその代表とされる。1990年代以降は高村薫がこの代表である。字義としては「新たな本格」であり、ミステリ史上いくつかの使用例があるが、日本では特に、1980年代後半から90年代にかけてデビューした一部の若手作家による作品群を指すことが多い。綾辻行人、有栖川有栖、法月綸太郎等がこの代表である。各作家による差異はあるが、一般に古典的ミステリに倣った作風を特徴とする。ただし「新本格」という用語にはこれ以前にも別の用例があり、またミステリの拡散状況もあって、現在では歴史的な用語に近くなっている。小説という形式自体の暗黙の前提や偏見を利用したトリック(→トリック (推理小説)#叙述トリック)。下記メタミステリとの関係が深い。日本では折原一が好んで用いている。推理小説の形式自体を題材にした、あるいは利用した推理小説。曖昧に使われているが、広くいえば言語の自己言及性そのものに謎を見出す作品。小説中にAとBの2つの部分が交互に現れ、Aに現れる登場人物がBを、Bに現れる登場人物がAを執筆しているという合わせ鏡的プロットや、作中作を利用した再帰的構造の一番奥の部分が、全体の枠組みに言及する循環構造プロット、「読者が犯人」「著者が犯人」「出版者が犯人」など商品としての書物自体を含んだプロットなどが挙げられる。メタフィクション参照。本格作品(前述)の〈手がかりをすべて作中に示す〉ことが作中でどのように保証されるかを問題にしたプロット(「本格」としての解決の後、それが実は作中作であって、後日談があって、新たな捜査の進展があって、意外な真相がさらに明らかにされる、など)も含まれ、この種の推理小説自体の枠組みに対し疑念を呈する作品を「アンチ・ミステリー」(反推理小説)と呼ぶことがある。法律に触れるような犯罪ではなく、日常生活の中でふと目にした不思議な現象などについて、その理由・真相を探るもの。代表的な作家に北村薫、加納朋子等がいる。主人公もしくはそれに近い人物に、思春期・青年期を迎えた人物を配したミステリー。多くは小説の進行に伴って、主人公及びその周辺の人物の成長が描かれる。学園ミステリーの多くを包含する。古典的な代表作に赤川次郎の『セーラー服と機関銃』、小峰元『アルキメデスは手を汚さない』、栗本薫『ぼくらの時代』等があり、2000年代以降の書き手では米澤穂信、辻村深月などが著名である。米澤穂信の「〈小市民〉シリーズ」、「〈古典部〉シリーズ」のようなコミカルな「日常の謎」系の作品から桜庭一樹の『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』のように陰惨なテーマを扱ったもの、ごく普通の少女だった主人公が如何に推理力を育てたかを描く松岡圭祐の『万能鑑定士Qの事件簿』シリーズまで、作風は幅広く存在している。広義には、有名な観光地を舞台にするなど、探偵役が何らかの形で観光に関わる作品を指す。旅先の情景や風土といった旅行記的な要素も人気の一因で、テレビドラマや映画など、映像化に適したジャンルでもあり、その面での傑作も多い。日本では特に西村京太郎の多作によって、人気ジャンルの一つになっている。狭義には、鉄道や航空機などの交通手段を用い、その運行予定表の裏をかいたアリバイ工作の登場する作品。「時刻表トリック」「時刻表もの」などとも言う。日本では鉄道を始め、公共輸送機関の定時性が極めて高く、国民の間で広く利用されていることが、このジャンルの成立と人気を支えている(逆に、公共輸送機関があまり利用されず、その定時性も低い欧米ではあまり普及していない)。松本清張は社会派とされるが、代表作のひとつ、「点と線」は、時刻表ミステリの先駆的作品といえる。日本における分類の1つで、リアリズムを意図的に無視したトリックなど結末の「バカバカしさを重視するミステリー」と、結末を知って「そんなバカな!!と驚くようなミステリー」の二つを意味が混在している。前者の意味での代表作は蘇部健一の『六枚のとんかつ』など。読むと嫌な気分になるミステリー、後味の悪いミステリーのこと。代表的な作家に湊かなえ、沼田まほかる、真梨幸子、秋吉理香子、歌野晶午らがいる。イヤミスという言葉を最初に使ったのは、霜月蒼とされ、『本の雑誌』2007年1月号で「このイヤミスに震えろ!」というタイトルの連載がスタートしている。犯人を捜したり推理する人物を指す用語。推理小説には、いわゆる「名探偵」が登場して事件を解決することが多いが、専業の探偵の登場しない推理小説も多い。このため、警察官や検事、弁護士なども含めて、推理小説における謎を解決する人物の総称として「探偵役」と表記する場合もある。特にその探偵役が主婦や学生などの場合は、(いわゆる「日常の謎」派の探偵をのぞき)「素人探偵」と呼ぶことがある。探偵役の助手や相棒、物語の語り部となる人物を指す用語。語源は『シャーロック・ホームズシリーズ』において、探偵役のシャーロック・ホームズの相棒であり語り部でもあるジョン・H・ワトスンから。シャーロック・ホームズシリーズが商業的に成功した理由の一つとして、ホームズの奇抜な行動や核心となる手がかりをワトスンの視点で描写することにより、ホームズが推理を披露するまで読者の興味を引きつけたままに出来たことがあげられる。この形式はシャーロック・ホームズシリーズ以後、多くの推理小説で踏襲されたため「ワトスンと同等の役割」から「ワトスン役」と呼ばれることとなった。探偵役と違い必須の役回りではないため、ワトスン役が存在しない作品も多い。一方で、シリーズ作品の中には普段ワトスン役の人物が探偵役となるエピソードや、探偵役が主人公でワトスン役は毎回別人、逆にワトスン役が主人公で探偵役が毎回別人など、変則的な設定の作品も存在する。事件の解明に必要な要素である犯人、犯行方法、動機のうち、どれの解明を重視するかによる分類。この3つの分類は、推理小説の興味の対象が、単なる犯人当てからトリックの面白さへと移り変わり、そして社会派へつながる動機重視に変わっていく、という推理小説の発展史と重なる。これらは相反する要素ではなく、二つもしくは全てを追求する作品もある。特に「密室もの」では、密室を構成するトリックの解明と犯行に及んだ人物の推理を平行して行う作品が多い。なんらかの事情で外界とは隔絶された状況下で事件が起こるストーリー。過去の代表例から「嵐の孤島もの」「吹雪の山荘もの」などとも呼ばれる。アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』が代表作。孤立した環境下ということで現実的な警察機関の介入、科学的捜査を排し、また容疑者の幅を作中の登場人物に限定できることから、より純粋に「犯人当て」の面白味を描ける利点があり、本格派(上述)志向の作者や読者から好まれる傾向がある。一方で探偵役やワトスン役も含めて、登場人物はみな、警察機関の保護を頼れないまま殺人犯(かもしれない人物)と過ごすことになり、そうした心理サスペンスを盛り込んだ作品も多い。「犯人が自分の犯行に気付いた相手をやむをえず殺害することになる」などの理由付けによって、連続殺人事件へ発展する場合が多い。その場合、犯行が進むにつれ、生存者が減少し、その中に犯人がいる(はずである)こともサスペンスを呼ぶ。逆に言えば犯人にとっては「容疑者が限定される状況」で犯行を繰り広げるということであるため、なぜわざわざそうした危険を冒すのかという批判もあるが、それにいかに「合理的な動機」を与えるかもこのジャンルの醍醐味といえる。ストーリーによっては途中で殺害された人間の中に自殺した犯人がいて、その後の犯行は機械的なブービートラップなどにより行われた、といったものもある。“誰が犯人なのか”も醍醐味の一つであるが、クローズド・サークル最大の特徴は大きな恐怖やスリル感であるために、それを如実に表すことのできる映画やテレビドラマなどの映像作品でも多用される。また、「素人探偵が警察を差し置いて犯人探しに取り組む」ことの理由付けが容易であることもあってか、「金田一少年の事件簿」や「名探偵コナン」など、少年探偵の活躍するコミック作品にも多く見られる。事件そのものの推理よりも暗号やパズルなどの謎解きに重点が置かれるもの。論理クイズ(ロジックパズル)をそのまま小説にしたような作品も多い。そのため、舞台設定や状況は謎解きのオマケで重要な要素ではなく、謎を成立させるために非現実的なことがしばしばある(たとえば、1人は必ず嘘をつき、もう1人は必ず真実を話す双子など)。アイザック・アシモフの『ユニオンクラブ奇談』シリーズが代表的である。なお、英語圏での分類である「パズラー(Puzzler)」「パズル・ストーリー(Puzzle Story)」は、ここでいうパズル・ミステリではなく、日本語での分類に則せば「本格」に近い(しばしば同一のものと見なされる)。通常の推理小説では、まず犯行の結果のみが描かれ、探偵役の捜査によって犯人と犯行(トリック)を明らかにしていく。しかし倒叙形式では、初めに犯人を主軸に描写がなされ、読者は犯人と犯行過程がわかった上で物語が展開される。その上で、探偵役がどのようにして犯行を見抜くのか(犯人はどこから足が付くのか)、どのようにして犯人を追い詰めるのか(探偵と犯人のやり取り)が物語の主旨となる。また、先に犯人にスポットが当たることにより、一般的に尺が短くなりがちな動機の描写において、何故、犯行に至ったのかという点を強く描写することが可能である。さらに映像作品では「大物俳優に犯人役を演じさせたくても、下手をすれば配役だけで犯人がわかってしまう」、連続ドラマでは「俳優の演技に影響しないようにするために、(真相が明らかになる)最終回まで犯人が誰かを俳優達に明らかにしないことで、犯人とされた登場人物の役の俳優の演技が最終回とそれ以前とで矛盾が生じる」というジレンマを解決できる。英語では"inverted detective story"(逆さまの推理小説の意)と呼ばれる。倒叙のうち、犯人は示されるがそのトリックや動機などが後まで明かされないものを「半倒叙」と呼ぶことがある。オースティン・フリーマンの短編集『歌う白骨』でこの手法が初めて用いられた。ただし、ポーも倒叙ミステリとしても読める『黒猫』や『告げ口心臓』を著しているなど、推理小説そのものの歴史と同様に、その最初をどこに置くかについては、諸説ある。1920年代から1930年代に全盛期を迎え、なかでもフランシス・アイルズ(アントニー・バークリー)の『殺意』、F・W・クロフツの『クロイドン発12時30分』、リチャード・ハルの『伯母殺人事件』は倒叙三大名作と呼ばれた。テレビドラマ作品では『刑事コロンボシリーズ』や『古畑任三郎シリーズ』などがある。探偵が事件現場に赴くことなく、情報として与えられた手がかりのみで事件を解決する作品を安楽椅子探偵(アームチェア・ディテクティブ)という。構造的にメロドラマ要素を描く必要がなく、論理的推理に特化することができるため、推理小説の極北とも言われるが、厳密にデータのみで勝負している作品は少ない。バロネス・オルツィの「隅の老人」シリーズ、アイザック・アシモフの「黒後家蜘蛛の会」シリーズ、レックス・スタウトの「ネロウルフ」シリーズなどが代表作。1つの事件に対して、何通りもの解決が並立的に与えられる趣向。どんでん返しの一種。代表作として、アントニー・バークリー『毒入りチョコレート事件』などがある。通常は複数の探偵によって異なる解決が与えられるが、三津田信三『刀城言耶シリーズ』などのように、単独の探偵による場合もある。魔術師や超能力者が存在する状況、死者が甦る状況、宇宙の果てを航行する宇宙船の中、人類と異なる思考体系の知性体との共同社会など、現実世界ではありえない状況・環境を許容する世界観の中で発生した事件について、その世界観の下で論理的な捜査と考察を行えば推理小説になりうる。ロボットの殺人を禁じたロボット工学三原則を逆手に取ったアシモフの『鋼鉄都市』や、同じ一日を9回繰り返してしまうという特異体質の持ち主である少年が主人公の「七回死んだ男」や「神麻嗣子の超能力事件簿」シリーズなどで著名の西澤保彦の諸作がSFミステリの好例である。ファンタジーミステリとしては、密室で魔法使いが殺されたという事件を扱ったランドル・ギャレットの『魔術師が多すぎる』、国内作家としては、『ソード・ワールド短編集』の、マジックアイテムを用いた殺人事件を「嘘看破」の呪文を駆使して捜査する山本弘の「死者は弁明せず」「ゴーレムは証言せず」、ドワーフの自称名探偵が事件に首を突っ込む高井信の「迷探偵デュダ」シリーズ等がある。読者の不安感を煽るもの。スパイ小説も広くはここに含まれる。必ずしも推理小説であるとは限らない。ウィリアム・アイリッシュ『幻の女』など。サスペンスよりも恐怖感を煽るもの。ホラー小説も広くはここに含まれる。サスペンス同様必ずしも推理小説とは限らない。日本ではかつて英語の“Detective Novel”、“Detective Fiction”の訳語として探偵小説が用いられていたが、第二次大戦後、「偵」の字が当用漢字に入れられなかったため、「探てい小説」と混ぜ書きで書くことになった。しかし、これを「みっともない」として「推理小説」という言葉が作られ、一般的になった。1946年に雄鳥社が「推理小説叢書」を発刊した時に、その監修者の木々高太郎が命名したという説もある。「偵」の字は1954年の当用漢字補正案で当用漢字に入れられたが、既に「推理小説」という言葉が広まっており、「探偵小説」に戻されることはなかった。「探偵小説」は、ジャンル名としては廃れていったものの、ロマン的な響きを持つため、未だ愛用している者も多い。または「名探偵」による推理と解決が中心であった時期の作品に限定して使う事もある。また、「ミステリー小説」(あるいは「ミステリ小説」)、もしくは単に「ミステリー(ミステリ)」とも呼ばれる。推理小説を著す作家は、推理作家、ミステリ作家などと呼ばれる。推理小説を専業にする作家と、他のジャンルの小説をも同時に手がける作家との2つに大きく分けられる。近年では、作家本人は推理小説を書いている意識がないのにもかかわらず、読者や評論家から推理作家に分類される場合があるなど、書き手と読み手との意識のずれもみられる。著名な作家については推理作家一覧を参照のこと。海外における推理小説の賞あるいは推理作家団体が主催する賞については、「推理小説の賞#日本以外」もしくは「推理作家#推理作家の団体」を参照

出典:wikipedia

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