伊勢平野(いせへいや、Ise Plain)は、濃尾平野の南西から三重県の南東部に至る、伊勢湾に沿った堆積平野である。三重県の人口の大半がここに集中し、四日市、津、伊勢などの都市が集まる。南北約100km、東西約20kmほどの細長く、弧を描くように広がる平野。北に養老山地・濃尾平野、西に鈴鹿山脈・布引山地、東に伊勢湾があり、海と山にはさまれている。南縁には中央構造線が通っている。木曽三川や鈴鹿川、櫛田川、宮川などの河川が流れ、いくつかの三角州を形成する。最大の三角州は津市香良洲町である。海岸線は単調で緩やかな弧を成し、志摩半島以南の複雑なリアス式海岸とは対照的である。伊勢平野は海岸平野として誕生し、洪積台地を形成した後、間欠的に地盤の隆起を引き起こし、上記の河川が堆積作用により平野面積を拡張してきた。海水準変動の作用も受けており、伊勢平野の形成後も水没することがあった。また逆に、海面低下で伊勢湾が陸地化することもあった。古生代から新生代第四紀まで幅広く分布する。古・中生代の地層は直接確認されていないが、伊勢湾対岸の愛知県内陸部で発見されていることから、伊勢平野の地下深部の基盤岩を成していると考えられている。北部は美濃帯(丹波-美濃帯)、中南部は領家帯に属する。中央構造線以南は三波川帯である。伊勢平野の大半部は新生代のものである。台地は主に第三紀鮮新世の奄芸層群(あげそうぐん)からなり、段丘や扇状地は第四紀完新世、海岸線や南部は第四紀更新世と、標高が低くなるにつれて新しい地層となっている。また中新世の地層も泥岩・砂岩を主体とした千種層(菰野町)・一志層群(津市久居西部-松阪市)などが不整合で基盤岩と接する。一般には温和な気候である。年平均気温は14~16℃、年間降水量1700mm程度で積雪は少ないが、北部(北勢)は比較的降雪がある。詳しい数値は三重県#気候を参照。※上記の市町全域が伊勢平野に属するとは限らない。江戸時代までは、畿内と東国を結ぶ東海道や伊勢参宮街道などの幹線道路が通っており、沿道には桑名宿などの宿場や城下町が成立して発達した。三井家のように、後に日本経済を代表する名門もこの地から輩出された。明治時代以降は、東海道本線や名神高速道路などの交通の大動脈は岐阜県-滋賀県へ移ったが、一方で第二次世界大戦以前から東洋紡績の前身の三重紡績が1888年(明治21年)に創設されたことを契機に、津市以北を中心に紡績や重化学工業が発達した。これは、戦後の四日市石油化学コンビナートの礎となった。津市は、伊勢平野の中央に位置する藤堂高虎が初代藩主を務めた津藩の城下町で、明治時代には三重県最大の都市であり、県庁が置かれた。伊勢平野南端の伊勢市(旧称・宇治山田市)は、国家神道の下で伊勢神宮が頂点とされ、国から重視された。こうして伊勢平野は三重県の政治・経済・文化の中心として位置付けられていった。農業では稲作を主体とするが、京阪神や名古屋に近く温暖であることから蔬菜の促成栽培も盛んである。水産業では伝統的に桑名のハマグリが有名であり、漁港が点在する。海岸線が単調であるため、掘り込み港も見られる。桑名市は木曽三川をはさんで隣り合う愛知県、特に名古屋市とのつながりが強く、ベッドタウンの性格も有している。また、京阪神や名古屋に近いという利点を生かし、ナガシマスパーランドやなばなの里があり、鈴鹿市には鈴鹿サーキットモートピアといった観光施設や遊園地が立地する。中南部は、名古屋方面の他、京阪神との結びつきも強い。これには近鉄大阪線や名阪国道などの交通網が発達したことによる。Kvjlkhgi, on
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