尾西線(びさいせん)は、愛知県弥富市の弥富駅から愛知県一宮市の玉ノ井駅までを結ぶ名古屋鉄道(名鉄)の鉄道路線。濃尾平野の西部を縦貫している。佐屋駅 - 津島駅間は名古屋方面へ直通する列車が多数あるものの、全体的には地域輸送中心の路線であり、名鉄で最も古い路線である。運賃計算区分はC(運賃計算に用いる距離は営業キロの1.25倍)。すべての駅でmanacaなどの交通系ICカード全国相互利用サービス対応カードが使用できる。なお、『鉄道要覧』による起点は弥富駅だが、列車運行および旅客案内、列車番号の設定においては、津島駅から弥富駅・玉ノ井駅へ向かう列車が下り、弥富駅・玉ノ井駅から津島駅へ向かう列車が上りとなっている。弥富駅 - 玉ノ井駅間のもの。玉ノ井 - 木曽川港間(1944年休止、1959年廃止)の休止時点のもの。名鉄尾西線の前身は尾西鉄道である。当時、日本各地で鉄道が輸送機関として地位を確立しつつあった明治20年代半ば頃に草津駅を起点とする私鉄、関西鉄道(現在の関西本線)は、四日市駅 - 桑名駅間を1894年7月5日に開業したのに続き、桑名駅 - 名古屋駅間の延長を計画していた。計画されたルートは弥富駅 - 名古屋駅間を結ぶ最短ルートと弥富駅 - 津島経由し名古屋駅を結ぶルートの2案だった。津島などでは関西鉄道の誘致運動が起こったが、結局、津島経由ルートはなくなり、最短ルートを採用した。その後、織物関係の原料・製品輸送や津島神社の参拝客誘致が計画され、関西鉄道の弥富駅 - 東海道本線の尾張一宮駅を結ぶ鉄道として、尾西鉄道が計画された。開業に向け、1894年2月26日に海西郡宝地村神戸(かんど)新田(現在の弥富市神戸)の大地主14人が軽便鉄道(軌間762mmのナローゲージを使用した鉄道)として国に出願。その後、他の路線の乗り入れを理由に軌間1,067mmに修正し直し、1896年6月尾西鉄道株式会社を海東郡津島町(現在の津島市)に本社を置いて設立し建設工事を開始した。初代社長は津島紡績会社社長兼津島銀行監査役の青樹英二であった。当初、蒸気機関車の煙突から吐き出される火の粉を嫌って線路の測量に反対されることもあったが工事は進み、1897年にはアメリカのブルックス社から蒸気機関車を購入。1898年に開業し、1914年に全通した(尾西鉄道の創業期、社長は地元の大地主が務め、株主の9割が地元の住民という地域色の強い会社だったという)。また、尾西鉄道時代に使用されていた機関車として11・12号蒸気機関車や、EL1形電気機関車などがあり、1911年(明治44年)に鉄道院から尾西鉄道に払い下げられ、1957年(昭和32年)まで使用されていた蒸気機関車12号が、現在でも博物館明治村の「なごや」駅と「とうきゃう」駅の間を連日走行している。かつて路線は玉ノ井駅から先、木曽川河畔の木曽川橋駅まで延びていた。なお、一ノ宮駅(その後、新一宮駅に改称、現在の名鉄一宮駅) - 木曽川橋駅間は木曽川線と称していた時期がある。名岐鉄道名岐線(現在の名鉄名古屋本線)の新一宮から岐阜までが1935年に開通し、同線が全通する以前は名古屋と岐阜を結ぶ路線でもあった。当時は、名古屋側のターミナルであった柳橋駅から新一宮駅までと木曽川線を直通する急行が運転され、この乗客は終点の木曽川橋駅から木曽川対岸の笠松駅(現在の駅より南にあった。笠松駅の項目も参照)までを徒歩(のちにバス)で移動し、そこから再び鉄道で岐阜方面へと向かう、という方式がとられていた。名鉄では1960年代から1970年代にかけて広見線、小牧線、三河線など支線の部分複線化を手がけており、当線も佐屋駅 - 森上駅間がこの時期に複線化された。なお、弥富駅 - 佐屋駅間の愛知県道40号名古屋蟹江弥富線や国道155号をまたぐ高架橋は複線に対応できるようになっており、2006年に廃止された弥富口駅も複線ホームが準備されていたが、具体的な計画がなく現在に至っている。運行系統は、平日朝にそれぞれ数本ある名鉄一宮駅 - 津島駅 - 須ヶ口方面の直通列車をのぞき、弥富駅 - 津島駅間、津島駅 - 名鉄一宮駅間、名鉄一宮駅 - 玉ノ井駅間の3区間に分かれている。弥富・津島 - 玉ノ井方面間の直通運転は行ってはいないものの津島駅8:21発の普通一宮行き4両の前2両は名鉄一宮到着後玉ノ井行きに充てられている(名鉄一宮駅止まり扱いのため乗客は名鉄一宮駅で一度降ろされる)。正式名称ではないが、地元では名鉄一宮駅 - 玉ノ井駅間を玉ノ井線と呼ぶことがある。奥町 - 玉ノ井間が休止中だった時期には奥町線とも呼ばれた。全ての列車が津島線に直通運転しており、佐屋駅 - 津島駅間には優等列車(特急・急行・準急)も運行されているが線内は全列車が各駅に停車する。平日の日中を除いた基本的な運転サイクルは津島線と同じで、列車は以下の順に佐屋駅と豊明駅・吉良吉田駅との間を行き来している。1時間あたり弥富駅 - 佐屋駅間は普通のみ2本、佐屋駅 - 津島駅間は準急と普通が合計6本運行され、休日夜間には吉良吉田発弥富行き、朝には弥富発吉良吉田行きも運行している。後者は弥富駅を普通として発車し佐屋駅から準急に変わる。平日の昼間は豊明駅発着の列車が運転されず、上下線とも普通列車が毎時4本ずつ運行されている。特急は2008年12月27日のダイヤ改正で設定され、平日の夕方に佐屋行きのみ4本運転される(折り返しは名古屋方面へ回送)。普通のみで毎時4本運行され、平日の一部列車をのぞいてワンマン運転を行っており、名鉄一宮駅では特急岐阜行きの接続を受ける。単線区間では交換可能な3駅(森上・萩原・苅安賀)のいずれでも列車交換を行っており、これ以上の増発は困難である。津島駅 - 名鉄一宮間の折返し運行が基本で、弥富方面や名古屋方面(津島駅経由、名鉄一宮経由)へ直通する列車はかつてそれぞれ設定されたことがあるが、現在は津島駅経由で名古屋方面へ向かう列車が平日3本残るのみである(全て津島駅で弥富発の列車と併結する)。津島線経由で名古屋方面に向かう列車は過去何度か定期運転されていた。津島駅高架化に伴う1968年5月改正で設定された新名古屋駅 - 玉ノ井間の特急、森上駅までの複線化が完成した1974年3月改正で再度設定された新名古屋駅 - 森上駅間の特急などである。いずれも後の改正で急行以下に格下げされ、それも更なる改正で消滅した。名鉄一宮駅(旧・新一宮駅)経由で名古屋方面へ向かう列車が設定されたのは新一宮駅尾西線ホーム(森上方面)高架化に合わせて実施された1994年11月のダイヤ改正の時であり、この時「豊川稲荷発、新岐阜・森上行き」3822列車と「森上発、鳴海行き」717列車(いずれも尾西線内の列車番号)の2本が登場したが、3822列車は1997年4月改正で、711列車(717列車の後継、で廃止直前は神宮前行きになっていた)は2007年6月改正で消滅した。なお、尾張津島天王祭の際には森上行きの列車が2本臨時運行される。森上・津島方面への直通運転は行ってはおらず、区間内折り返し運転の普通のみで毎時2本(一部3本)運行され、平日朝の一部列車をのぞいてワンマン運転を行っている。名鉄一宮駅では玉ノ井行きは中部国際空港発の特急から、一宮行きは中部国際空港行きの特急に、それぞれ数分で接続している。1970年代には玉ノ井発津島経由刈谷経由吉良吉田行きという列車も運行されていた。愛知県の統計によれば一日平均、2010年度で17,411人(1キロ当たり563人)の利用があった。全駅が愛知県に所在。移転・再開した駅をのぞく。廃止区間の駅は後節を参照。玉ノ井駅 - 里小牧駅 - 木曽川橋駅 - 木曽川港駅(貨物駅)かつてはこの区間の代替バスが存在したが、廃止されている。2007年に開設の一宮市木曽川町・北方町地域のコミュニティバスの一部区間が、この廃止区間に運行されている。東海地震に関する警戒宣言が発令された場合、尾西線では地震防災対策強化地域にあたる森上駅 - 弥富駅間で列車の運行が休止されることになっている。
出典:wikipedia
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