石川県(いしかわけん)は、日本の都道府県の一つ。本州の中央部、日本海側の北陸地方に位置する。 県域は令制国 の加賀国と能登国 に当たる。県庁所在地は金沢市。東西約100km、南北約200kmと南北に細長い形状をしている。県南部の加賀地方は西側に日本海の直線的な海岸線が続き、東側に両白山地の山々が連なる。南東部には県内で最高峰の白山 (2,702m) がそびえる。県北部の能登地方は日本海に向かって北東方向に突き出た半島(能登半島)となっている。このため県全体の海岸線の総延長は約580kmに及ぶ。これはJR東海道本線の東京駅・神戸駅間 (589.5km) に相当する距離である。気候は日本海側気候型である。西寄りの風が日本海を流れる対馬暖流の上で水蒸気を蓄えて雲となり、両白山地に当たって降水をもたらすことが多い。都道府県別の年間降水量は5番目に多い。特に冬は北西からの季節風が続くため降水量が多く、山間部は豪雪地帯となっている。降雪時に雷鳴を伴うことが多く、この現象は鰤(ブリ)が獲れる時期と重なることからブリ起こしと呼ばれている。県民人口は約116万人である。都市別では金沢市が最多の約46万人と約40%を占める。次いで多いのは白山市と小松市のそれぞれ約11万人であり、金沢市を中心に県南部の加賀地方に人口が偏在している。金沢市の人口は、北陸地方では新潟市に次いで2番目(北陸3県に限れば1番目)であり、北陸経済の中心地の一つとなっている。2005年(平成17年)の従業者数約60万人のうち約65%が第三次産業に、約30%が第二次産業に従事している。特徴としては、第二次産業の中では製造業の割合が高く、また製造業の中でも従業者の過半数が一般機械や電気機械などの機械関連で働いていることが挙げられる。1人当たりの生産用機械器具製造業出荷額では全国1位となっている。江戸時代に加賀国、能登国、越中国を領地としていた加賀藩は学問や文芸を奨励したことから、城下町の金沢を中心にして伝統文化が興隆し、今に受け継がれている。金沢市では能楽の加賀宝生、織物の染色技法である加賀友禅、蒔絵を施した金沢漆器、茶道具に用いられる大樋焼などが伝わる。その他、輪島市の輪島塗、加賀地方の九谷焼など芸術性の高い伝統技術が継承されている。人口当たりで見た日本美術展覧会(日展)や日本伝統工芸展の入選者数は全国1位となっている。また、全国47都道府県で唯一、太平洋戦争で空襲を受けていない。石川県を訪れる観光客は2010年(平成22年)で約2,150万人と見られ、このうち約820万人が金沢市周辺、約680万人が能登地方、約660万人が(金沢市周辺を除く)加賀地方を訪れたとされる。主要観光地で利用者数が多いのは、金沢市では兼六園、金沢城公園、金沢21世紀美術館、能登地方では輪島市の輪島朝市、七尾市の和倉温泉、能登食祭市場、羽咋市の気多大社、同市と宝達志水町に跨る千里浜、加賀地方では加賀市の山代温泉、山中温泉、片山津温泉、小松市の粟津温泉、木場潟公園、白山市の白山比咩神社などである。石川県の名称は加賀地方にあった石川郡に由来し、さらに石川郡との命名は本県最大の河川手取川の古名である「石川」に由来する。1872年(明治5年)、金沢県庁が石川郡美川町(現・白山市)に移転した際、その郡名により石川県と改名された。翌年、県庁が再び金沢に移転した後も県名はそのままで現在に至っている。なお、金沢も市制施行前である当時は石川郡に属していたため、県庁所在地と県名に不整合はなかったといえる。日本の本州中央部の日本海側にある。全国8地方区分では中部地方に当たり、日本海側の北陸地方に位置している。県域は、東西100.9km、南北198.4km、面積4,185.66km²を有し、海岸線の総延長は581.0kmに及ぶ。南北に細長く、中央部がくびれた砂時計や、アルファベットのFのような形状をしている。西側、北側、北東側は日本海に面しており、南西側は福井県に、東側は富山県に、南東側は岐阜県に隣接している。なお、日本の領海を確定するために設定されている基線は輪島市舳倉島北東端から(富山県を経ず)新潟県佐渡市ネイ島西端まで直線基線が引かれている。石川県の地形は、県北部の能登地方と県南部の加賀地方とで対照的な特徴を有している。能登地方は日本海に向かって北東方向に突き出た半島(能登半島)である。第三紀に形成された火山岩や堆積岩からなる丘陵状の山地が広がっている。一級河川はなく、町野川、大海川などの二級河川が54水系指定されている。半島沖の海底は舳倉島付近まで大陸棚が続いており、その先も白山瀬や大和堆などの中深度海域が見られる。半島北部は、概ね標高300m以下の低山地と丘陵地帯が連なる準平原で、全体として富山湾側に下降する背斜構造をしている。このため北西側の外浦(そとうら)は急峻な海食崖が形成され、海岸段丘が発達しているのに対して、南東側の内浦(うちうら)は沈降性の入り組んだ海岸線をしている。また、内浦の最深部に能登島があり、七尾湾が島を取り囲んでいる。半島中央部には、眉丈山南麓の断層が落ち込んで形成された帯状の低地帯(邑知潟地溝帯)が半島を横切っている。半島南部は宝達山を中心とする低い山地(宝達丘陵)が南北に連なり、西側の海岸線は長い砂浜海岸(千里浜)となっている。加賀地方は南東部に白山(2,702m)を最高峰とする山地帯(両白山地)が発達し、北西に流れる河川によって形成された沖積平野(加賀平野、金沢平野)が南北に広がっている。白山は中国山地を経て九州北部に延びる白山火山帯に属しており、一帯には火山岩や凝灰岩が分布している。加賀地方の中央部を流れる手取川は白山を水源に日本海に注ぐ、長さ72km、流域面積809km²の一級河川で、石川県最大の川である。流域の90%が山地であり、平均勾配が約27分の1という日本有数の急流河川である。上流部は川の浸食作用で渓谷となり、中流部には河岸段丘が発達している。下流域は白山市鶴来地区(旧・鶴来町)を扇頂とし、中心角120度、半径12~13kmの扇状地(手取川扇状地)を形成している。梯川は加賀地方南西部の白山山系大日山連峰の鈴ヶ岳を源流とする一級河川で、長さ42km、流域面積は271.2km²である。加賀地方北部に当たる金沢市内を流れる犀川と浅野川はいずれも二級河川である。流域には河岸段丘が発達している。加賀地方の海岸部は単調な砂浜海岸であり、北部には内灘砂丘がある。また、海沿いの平野部に木場潟、柴山潟、河北潟などの潟湖が点在している。国立公園が1か所(白山国立公園)、国定公園が2か所(能登半島国定公園、越前加賀海岸国定公園)、県立自然公園が5か所(山中・大日山県立自然公園、獅子吼・手取県立自然公園、碁石ケ峰県立自然公園、白山一里野県立自然公園、医王山県立自然公園)存在する。白山国立公園は白山を中心とした両白山地の主要な山々を指定区域とする国立公園である。石川県、富山県、福井県、岐阜県の4県にまたがる。原生地域が区域の80%以上を占め、特にブナの原生林を広域に保有している。また、森林限界を越える高山帯としては日本最西端に当たるため、西限・南限とする貴重な動植物がみられる。能登半島国定公園は能登半島の海岸一帯を主体とする国定公園である。石川県と富山県に跨る。能登金剛や禄剛崎など外浦の勇壮な海食景観と七尾湾や能登島など内浦の柔和な沈水景観の対比が特徴とされる。越前加賀海岸国定公園は加賀市から福井県敦賀市まで続く海岸一帯の国定公園である。石川県内では柴山潟や雁、鴨の飛来地である片野鴨池が含まれている。片野鴨池はラムサール条約の登録湿地となっている。石川県の気候は比較的日照時間の短い日本海側気候型である。その特徴は冬に顕著で、北西からの季節風によって気温が低く雪の降る日が多くなる。地元でブリ起こしと呼ばれる冬の雷の発生数は日本で一番多い。降雪と雷が同時に起こることは世界的にも珍しく、ノルウェー西海岸やアメリカの五大湖から東海岸にかけて見られる程度であるとされる。発達した低気圧が日本海を通過するときに南東からの強い風が両白山地を越えてフェーン現象を起こすことがある。また、同じ中部地方でも太平洋側の東海地方に比べて梅雨が顕著ではないという特徴がある。能登地方中部から加賀地方にかけての平野部の気候は比較的温和だが、能登地方北部では年平均気温がやや低く、加賀地方山間部は気温が低く多雨豪雪であるといった地域差が見られる。能登地方は日本海に大きく突き出しているため寒暖の季節風の影響を受けやすい。北陸地方の他の都市に比べ、夏はやや涼しく、冬は雪も少なめである。年平均気温は13~14°Cだが、能登地方北部はやや低めである。年降水量は1,700~2,100mm、年日照時間は1,500~1,700時間、最深積雪の平均は20~60cmである。加賀地方の平野部は比較的温和で年平均気温は13~15°Cである。年降水量は2,100~3,100mm、年日照時間は1,400~1,700時間、最深積雪の平均は40~50cmである。金沢市で年間200cmを超える降雪を観測した年は、1960年代8回、1970年代6回、1980年代9回、1990年代0回、2000年代3回となっており、1990年代以降減少が顕著である。冬の日照時間が極端に少ないのが特徴で、夏は月平均約180時間に対し、冬は月平均約70時間である。加賀地方の山間部(標高500m以上)は最深積雪の平均が220cmと平野部の4倍以上になる豪雪地帯である。白山市白峰地区(旧・白峰村)では最深積雪480cmの記録がある。この地域が大雪となるのはシベリアからの乾いた冷たい季節風が日本海を流れる対馬暖流の上を通る時に水蒸気を蓄え雲となり、両白山地にぶつかって斜面を上昇すると断熱膨張によって冷やされ雪となるためである。県北部を能登地方、県南部を加賀地方という。それぞれ令制国の能登国、加賀国の範囲に相当する。石川県庁の出先機関では4地域または5地域に区分されることがある。たとえば、保健福祉センターでは「能登北部、能登中部、石川中央、南加賀」の4区分、農林総合事務所と土木総合事務所では「奥能登、中能登、県央、石川、南加賀」の5区分である。気象庁の天気予報では県域を北から南へ「能登北部、能登南部、加賀北部、加賀南部」と4区分される。市町別では11市5郡8町となっている。石川県では、町は「まち」と読むが、鳳珠郡能登町および羽咋郡宝達志水町は「ちょう」と読む。石川県内の市町では、一部の小字地番にイロハや甲乙丙などを組み合わせたものが使用されている(白山市の旧松任市区域および野々市市を除く)。これは明治時代に行われた土地区画整理事業の名残で、石川県の多くの地域では現在も使用されている。このため住居表示制度の導入割合は隣県の富山県や福井県より低い。域内推計人口 : 人(全県比:%)()石川県庁の出先機関の圏域名である県央は金沢市、かほく市、河北郡の区域、石川は白山市、野々市市の区域(石川中央はこれらを加えた区域)、南加賀は小松市、加賀市、能美市、能美郡の区域を指す。加賀地方には平成の大合併前に4市4郡13町5村あったが、2004年(平成16年)3月1日に河北郡3町(高松町、七塚町、宇ノ気町)がかほく市に、2005年(平成17年)2月1日 に 松任市と石川郡2町5村(美川町、鶴来町、河内村、吉野谷村、鳥越村、尾口村、白峰村)が白山市に、同日 能美郡3町(根上町、寺井町、辰口町)が能美市に、同年10月1日 加賀市と江沼郡1町(山中町)が加賀市(これにより江沼郡は消滅)となり、また2011年(平成23年)11月11日に野々市町が単独市制で野々市市に移行(これにより石川県の県名の由来となる石川郡が消滅)した。このほか、市町間で行政サービスを共同で行うため次の一部事務組合が設立されている。域内推計人口 : 人(全県比:%)()石川県庁の出先機関の圏域名である能登中部・中能登は七尾市、羽咋市、羽咋郡、鹿島郡の圏域、能登北部・奥能登は輪島市、珠洲市、鳳珠郡の圏域を指す。能登地方には平成の大合併前に4市4郡14町1村あったが、2004年(平成16年)10月1日に七尾市と鹿島郡3町(田鶴浜町、中島町、能登島町)が七尾市に、2005年(平成17年)3月1日に羽咋郡2町(志雄町、押水町)が宝達志水町に、同日鹿島郡3町(鳥屋町、鹿島町、鹿西町)が中能登町に、同日鳳至郡1町1村(能都町、柳田村)と珠洲郡1町(内浦町)が鳳珠郡能登町(これにより鳳至郡と珠洲郡は消滅)に、同年9月1日に羽咋郡2町(志賀町、富来町)が志賀町、2006年(平成18年)2月1日に輪島市と鳳珠郡1町(門前町)が輪島市となった。このほか、市町間で行政サービスを共同で行うため次の一部事務組合が設立されている。県内で発見された旧石器時代の遺跡は能美市の灯台笹遺跡など極めて少ない。縄文時代の遺跡では草創・早期の遺跡は少なく、中期と晩期にピークがある。能登町の真脇遺跡は縄文時代の前期から晩期まで約4,000年続く長期定住遺跡である。縄文時代後期から晩期の遺跡としては金沢市のチカモリ遺跡、野々市市の御経塚遺跡がある。1980年(昭和55年)チカモリ遺跡からクリの巨木を縦に半分に割り円形に並べた環状木柱列が見つかった。環状木柱列はその後真脇遺跡でも発見されている。環状木柱列の用途・機能は「儀礼の場」や「特殊な建物」など様々な考えがあり不明である。羽咋市の吉崎・次場遺跡は北陸地方でも規模が大きい弥生時代の遺跡で近畿、東北、山陰などとの交流が認められる。能美市には60数基の古墳が点在する能美古墳群がある。その中心に位置する和田山・末寺山古墳群からは武器・武具など大量の副葬品が出土している。また、同じ能美古墳群の一角にある秋常山1号墳は全長約140mの前方後円墳である。中能登町の雨の宮古墳群には北陸最大級の前方後方墳である雨の宮1号墳がある。また、七尾市の能登島にある須曽蝦夷穴古墳はドーム型の墓室を持ち朝鮮半島の古墳にも通じるものとされる。県域は飛鳥時代には越国あるいは三越分割後の越前国に含まれていた。奈良時代に入り、718年に羽咋・能登・鳳至・珠洲の4郡を割いて能登国が立てられた。能登国は741年越中国に併合され、この頃大伴家持が越中国の国司として赴任している。757年には越中国から分離し、再び能登国が立てられた。平安時代初期の823年になって越前国から加賀・江沼2郡を割いて加賀国が立てられた。これは令制上最後の立国である。七尾市にある能登国分寺跡は、能登地方を支配した能登臣(のとのおみ)一族が白鳳時代に建てた寺院を843年に国分寺としたものである。法起寺式伽藍配置を持ち、約400年にわたり能登の仏教の場として栄えたとされる。奈良時代から平安時代には、能登半島には渤海の使節がたびたび到着し交易が行われていた。志賀町の福浦港では渤海使が船の修理や宿泊をしたと伝えられており、平安時代初めに渤海使接待のため能登国に建てられた能登客院はこの地にあったと考えられている。野々市市の末松廃寺跡は加賀地方北部に本拠を置く有力氏族道君(みちのきみ)が7世紀後半に創ったとされる寺院である。法起寺式伽藍配置をしており、屋根瓦の一部は能美市辰口地区(旧・辰口町)で焼かれたものであることが分かっている。奈良・平安時代、北陸地方には東大寺、西大寺などの荘園が多くあった。白山市から金沢市に跨る東大寺領横江荘もそうした荘園の一つである。平安時代に修験道が活発になると白山を山岳信仰の対象とする白山信仰が広まり、山頂への登山道(禅定道)の起点の一つとなった白山比咩神社は信仰の拠点となった。平安時代末期の治承・寿永の乱(源平合戦)では、源義仲(木曾義仲)が倶利伽羅峠の戦い(津幡町)で数で圧倒する平家の義仲追討軍を破り、さらに篠原の戦い(加賀市)で逃げる平家を追撃し、京都に進んだとされる。鎌倉時代、新たに設けられた守護は加賀国、能登国とも比企氏、北条氏、室町時代に入ると加賀国は斯波氏、冨樫氏、能登国は吉見氏、畠山氏であった。加賀国では、応仁の乱のころ浄土真宗が広まり、やがて農民らによる加賀一向一揆が守護の富樫政親を破り、武士の支配を脱却した統治が約100年にわたって行われた。これが、加賀地方が「百姓の持ちたる国」と呼ばれた所以である。本願寺は金沢の台地上に尾山御坊(金沢御坊)を作り、ここを拠点にして支配した。本願寺と敵対する織田信長は、柴田勝家らを派遣してここを平定し、能登国を前田利家に、加賀国を佐久間盛政に与えた。織田信長の死後、豊臣秀吉が実権を握ると、前田利家は加賀国も領して、尾山御坊跡の尾山城(金沢城)に入り城下町の建設を始めた。能登国では、正長年間(1428 - 1429年)頃に初代当主畠山満慶が七尾城を築城し、畠山氏の領国支配の拠点となる。7代目当主畠山義総の時代に最盛期を迎えるが、義総の死後は畠山七人衆が実権を握り、大名権力を傀儡化する。1560年(永禄3年)、9代当主畠山義綱が実権を取り戻すが、1566年(永禄9年)に永禄九年の政変で能登国から追放される。1577年(天正5年)、上杉謙信が能登国へ侵攻し七尾城の戦いが起こり、畠山氏は滅亡する。前田利家の長男前田利長は関ヶ原の戦いでは徳川家康の東軍につき、戦後越中国を与えられた。利長は江戸幕府の幕藩体制のもと加賀国、能登国、越中国の3国を治める加賀藩の藩主となった。加賀藩前田家は外様大名でありながら大名の中で最大石高である約120万石を領した。第三代藩主前田利常は、江戸幕府二代将軍徳川秀忠の娘・珠姫を娶った徳川の大名として大坂の陣を戦い、戦後の大坂城改修の普請では通常の大名の負担分より多い負担を敢えてするなど、外様大名として取り潰しを避けることに意を用いたとされる。利常は1639年に家督を長男前田光高に譲り、次男の前田利次に富山藩を、三男の前田利治に大聖寺藩を分封した。しかし、1645年に光高が急死し、第五代代藩主となった光高の長男前田綱紀がまだ幼かったため、利常が後見人として藩政を補佐した。利常が綱紀を後見した時代には、貧農の救済、年貢納入の徹底などを目的とした改作法と呼ばれる農政改革が実施された。これは、農民の借金を帳消しにした上で、農具、種籾の購入資金や当座の食料を貸し付けて農業生産性を高めるとともに、各地の有力豪農などから選任した十村(とむら)に農民の監督や徴税を委ねるものである。改作法は所期した成果を挙げ、藩政の安定に寄与した。この頃から加賀藩は蔵米を日本海から関門海峡、瀬戸内海を通り大坂まで運ぶ船輸送を始め、後の西廻海運の基となった。なお、1659年に白山が噴火(最も新しい噴火)。1668年と1671年には手取川の洪水で多数の死者が出ている。加賀藩は、産業の振興に力を入れ、学問や文芸を奨励したことから、城下町の金沢を中心として今に続く伝統文化が興隆した。金沢城内に設けた御細工所は初め武器・武具の修理等を行う組織であったが、利常は茶の湯道具や掛幅など美術工芸品の製作・修理をさせ、綱紀は塗物・蒔絵細工、象嵌細工など20を越える職種を扱わせた。綱紀は学問の奨励のため木下順庵、室鳩巣、稲生若水といった学者の招聘につとめた。綱紀が収集した古今東西の図書は尊経閣文庫として受け継がれている。綱紀は能楽の宝生流を取り入れ加賀宝生と呼ばれ栄えた。兼六園は綱紀による蓮池庭と御殿の建設が始まりとされ、現在の姿が完成するのは江戸時代後期である。輪島塗は江戸時代に輪島で下地塗りの漆に混ぜる珪藻土が見つかったことで堅牢な漆器となり、日用食器として盛んに生産されるようになった。北前船が寄港する輪島港の海運の利を活かして全国に販路を広げた。また江戸時代後期には沈金や蒔絵の技法が加わり美術工芸品としても発展した。大聖寺藩では江戸時代初めに殖産興業の一環として鉱山開発に取り組み九谷村(現・加賀市)で磁鉱が発見されたことから窯を築き色絵磁器(九谷焼)の製造が始まった。一旦廃窯されるが九谷焼は加賀藩により再興され、明治期には海外への輸出品となった。江戸時代後期、加賀藩は1792年に藩校の文学校明倫堂と武学校経武館を文武ごとに別けて設立した。明倫堂では儒学のほか易学、医学、本草学、暦学、算学などを、経武館では馬術、剣術などを教えた。また幕末には洋式兵学校の壮猶館や航海、測量の実習のための軍艦所を作り、ヨーロッパから洋式艦船を購入するなど海防に力を注いだ。1869年(明治2年)版籍奉還で加賀藩は金沢藩となり、14代藩主前田慶寧は金沢藩知事に任命された。しかし、1871年(明治4年)7月14日には廃藩置県が行われ、金沢藩域は金沢県(第1次)、大聖寺藩域は大聖寺県となった。同年11月20日に両県を廃止し、旧金沢県より射水郡以外の越中国新川郡、婦負郡、礪波郡を分けて新川県(当時は新川郡魚津が県庁所在地)を設置、能登国と越中国射水郡に七尾県を、加賀地方に金沢県(第2次)を置いた。明けて1872年(明治5年)2月2日、金沢県庁を石川郡美川町(現・白山市美川南町)に移し、この郡名より石川県と改称した。現在の県名はこれに由来する。なお、石川は古くから氾濫を繰り返し、石ころ河原だった手取川の別名という説がある。県庁の移設は、旧加賀藩の影響力を弱めるための時の政府の方策等諸説あるが、公式には金沢では県域の北に寄りすぎであるためという理由であった。なお、金沢市も市制施行前は石川郡に属していた。同年9月25日に射水郡を除く七尾県を石川県に併合(射水郡は新川県に併合)、11月に足羽県より白山麓18か村を併合し、現在の石川県と同じ県域となった。これにより、先の県庁移転の根拠が消滅し、翌1873年(明治6年)に再び県庁は金沢に移転したが、県名はその後も石川県のままとされた。その後、1876年(明治9年)、当時の新川県(現在の富山県にほぼ相当)と敦賀県(現在の福井県にほぼ相当)の嶺北地域を編入し、富山と福井に支庁を置いた(現在の石川県と区別する意味で「大石川県」と呼ぶことがある)。しかし、1881年(明治14年)に福井県が、1883年(明治16年)に富山県がそれぞれ分離して現在の県域となる。1874年(明治7年)、旧金沢藩士長谷川準也(後の金沢市長)らにより金沢製糸場が創設された。官営模範工場の富岡製糸場に倣ったもので、県下の殖産興業の先駆けとなった。1887年(明治20年)4月、金沢に旧制第四高等中学校(現・金沢大学の前身)が設置された。また1898年(明治31年)10月、金沢城内に旧陸軍第九師団司令部が設けられた。これにより金沢は北陸地域での学問的、軍事的な拠点として発展していく。鉄道は、1897年(明治30年)9月、北陸線が福井駅から小松駅まで延伸。翌1898年(明治31年)4月に金沢駅まで、同年11月に高岡駅まで延伸された。また同年4月には七尾鉄道が津幡仮停車場(現・本津幡駅付近)から矢田新駅(後の七尾港駅)まで開通し、1907年(明治40年)国有化された。1925年(大正14年)和倉駅まで延伸し、1935年(昭和10年)までに輪島駅まで開業した。金沢製糸場の施工にあたった津田吉之助の子津田米次郎は織機の機械化に取り組み、1900年(明治33年)日本初の力織機を発明した。当時、羽二重生産で出遅れていた金沢はこの力織機による工場制大量生産で大正期にかけて生産量を伸ばした。同年、金沢では電気の送電が開始され、翌1901年(明治34年)に市内電話が開通。1908年(明治41年)にはガスの供給が始まっている。1918年(大正7年)富山県魚津で発生した米騒動は石川県でも高浜町・堀松村(いずれも現・志賀町)から金沢市、宇出津町(現・能登町)、松任町(現・白山市)、穴水町へと波及した。翌1919年(大正8年)に金沢で市内電車が運転を始めるとこれを契機に都市化が進み、カフェ・映画などの大衆文化が広がった。1925年(大正14年)内灘村(現・内灘町)に開園した粟崎遊園にも人気が集まった。金沢では1930年(昭和5年)に犀川を水源とする末浄水場が完成して水道が通水し、同年ラジオ放送が始まった。1896年(明治29年)および1934年(昭和9年)には手取川で大洪水があり、多数の死者が発生した。特に1934年(昭和9年)の災害は上流で大規模な土砂崩れ(別当崩れ)が発生するなど上流から河口まで流域の全域にわたって被害が発生し、死者97人、行方不明者15人に上る未曾有の大災害であった。石川県は戦争中空襲などによって焦土となることを免れたため(全国で唯一、太平洋戦争での空襲が無かった県である)、戦後も様々な社会資本を引き続き使用することができた。1947年(昭和22年)の第2回国民体育大会が石川県を中心として開催されたのは一つの例である。これは各都道府県持ち回りとなる最初の大会となった。戦後、アメリカ軍が内灘村(現・内灘町)で接収した砲弾試射場に対する反対運動(内灘闘争)が起こり、1952年(昭和27年)から翌年にかけて激しさを増した。その後1957年(昭和32年)に撤収されたため事態は次第に収束していった。旧海軍の小松飛行場は戦後アメリカ軍に接収されていたが、1955年(昭和30年)に不定期の大阪便が就航した。1958年(昭和33年)にアメリカ軍の接収が解除されると航空自衛隊が駐屯。1961年(昭和36年)に航空自衛隊小松基地が開庁し、正式に自衛隊と民間航空との共用飛行場となった。1957年(昭和32年)NHK がテレビ放送を開始。翌年、民間放送の北陸放送もテレビ放送を始めた。1962年(昭和37年)からはテレビカラー放送が始まった。同年12月末から翌1963年(昭和38年)2月初めにかけて北陸地方を中心に広い範囲で降雪が続いた。最深積雪は金沢で181cmを記録。交通障害、通信障害、停電のほか家屋の倒壊も相次いだ(三八豪雪)。1963年(昭和38年)北陸本線福井駅・金沢駅間が電化。翌年金沢駅・富山駅間も電化される。国鉄能登線は1959年(昭和34年)に穴水駅から鵜川駅まで開業し、1964年(昭和39年)までに蛸島駅まで全線開通した。一方、1967年(昭和42年)金沢の市内電車が廃止された。1972年(昭和47年)県内初の高速道路となる北陸自動車道金沢西IC・小松IC間が開通。その後1978年(昭和53年)までに県内の北陸自動車道は全線が開通した。能登方面は、1973年(昭和48年)能登海浜道路高松IC・柳田IC間が開通し、1982年(昭和57年)までに粟崎IC・此木IC(現・穴水IC)間の能登有料道路全線が開通している。なお1977年(昭和52年)に尾口村(現・白山市)と岐阜県白川村を結ぶ白山スーパー林道が開通した。1980年(昭和55年)には治水、都市用水の供給、発電を目的とした手取川ダムが完成。水道用水として北は七尾市能登島から南は加賀市まで県内給水人口の7割以上を賄う。また1993年(平成5年)志賀町で 志賀原子力発電所(北陸電力)が営業運転を開始した。一方で2003年(平成15年)には珠洲市で建設計画のあった珠洲原子力発電所(北陸電力・中部電力・関西電力)の計画凍結が発表された。昭和末期以降、能登地方の交通体系は鉄道中心から道路・空港に大きく変わった。1988年(昭和63年)JR能登線が廃止され、第三セクター鉄道ののと鉄道に引き継がれた(のと鉄道能登線)。1991年(平成3年)にはJR七尾線津幡駅・和倉温泉駅間が電化される一方、和倉温泉駅・輪島駅間がのと鉄道に経営移管された(のと鉄道七尾線)。2001年(平成13年)のと鉄道七尾線穴水駅・輪島駅間が、2005年(平成17年)のと鉄道能登線が廃止されている。2003年(平成15年)石川県で2番目となる能登空港が開港。能登空港には石川県の出先機関が入るほか、隣接地に日本航空学園が誘致された。また道の駅としても登録されている。能越自動車道は能登有料道路と共用する徳田大津JCT・穴水IC間に続き、1998年(平成10年)田鶴浜IC・徳田大津JCT間が供用を開始。2006年(平成18年)(平成19年)に穴水IC・能登空港IC間(穴水道路)が開通した。2007年(平成19年)3月25日 能登半島沖を震源とするマグニチュード6.9の地震(能登半島地震)が発生。最大震度は輪島市、七尾市、穴水町で震度6強。死者1人、重軽傷者338人のほか、2,426棟の住家が全半壊し、能登有料道路の一部が大規模に崩落するなどの被害が出た。2008年(平成20年)7月28日 未明からの降雨により浅野川が55年ぶりに氾濫し、金沢市内で2,000棟を超える家屋の被害が出た。浅野川流域の最大3時間雨量は金沢地方気象台の過去最大雨量を記録し、約200年に一度の豪雨となった。2009年(平成21年) 金沢市がユネスコ・創造都市ネットワークのクラフト分野に登録された。また同年能登地方北部の伝統的な祭礼奥能登のあえのことがユネスコの無形文化遺産代表一覧表に記載され、2011年(平成23年)には能登の里山里海が国連食糧農業機関 (FAO) の世界農業遺産に認定された。石川県の人口は、2011年(平成23年)11月1日現在で1,166,177人となっている。このうち能登地方が207,673人、加賀地方が958,504人と82%が加賀地方に集中している。市町別では、金沢市が462,897人と最も多く、県人口の40%を占めている。次いで、白山市110,109人、小松市108,107人、加賀市70,830人、七尾市56,989人、野々市町(現・野々市市)53,066人などとなっている。2010年(平成22年)の高齢化率は23.7%で、全国の23.1%を上回っている。地域別に見ると加賀地方が21.5%であるのに対し、能登地方は29.6%と高くなっている。市町別では野々市町(現・野々市市)の15.0%が最も低く、珠洲市の41.8%が最も高い。平均寿命は2005年(平成17年)で男性79.3歳、女性86.5歳となっており、それぞれ全国(男性78.8歳、女性85.6歳)よりも長い。合計特殊出生率は2010年(平成22年)で1.44人と、全国の1.39人を上回っている。2008年(平成20年)の県内総生産は4兆6,114億円(名目)で、国内総生産に対する割合は0.93%となっている。一人当たり県民所得は281万8千円で、一人当たり国民所得(275万4千円)を2.3%上回っている。2005年(平成17年)の就業者数は596,324人であり、このうち第一次産業は23,237人 (3.9%)、第二次産業は176,786人 (29.6%)、第三次産業は389,749人 (65.4%) となっている。戦後間もない1950年(昭和25年)には第一次産業に52.6%が従事しており、産業構造は大きく変化している。石川県の産業構造は、第二次産業の中でも製造業の割合が高く、また製造業の中でも従業者の過半数が一般機械や電気機械などの機械関連で働いていることが特徴である。1人当たりの生産用機械器具製造業出荷額では全国1位となっている。農業産出額は2008年(平成20年)で583億円であり、1985年(昭和60年)の1,087億円の54%に相当する水準まで減少している。作付面積では2004年(平成16年)で水稲72%、野菜9%、豆類5%、果樹3%となっており、稲作が中心である。米の品種別ではコシヒカリが70%強を占めている。野菜では販売額の16%を占めるスイカが最も多く、次いでダイコンの13%となっている。果樹ではナシが販売額の50%を占め、ブドウの24%が次に多い。乳牛、肉牛、豚、採卵鶏の飼育頭数は減少傾向にあるが、農家1戸当たりでみると乳牛は全国4番目、豚は全国6番目に多い。地域の特徴を活かした農産物のブランド化が図られている。加賀野菜は金沢地区で戦前から栽培されていると認められた野菜である。金時草、加賀太きゅうり、加賀れんこん、源助だいこん、打木赤皮甘栗かぼちゃなど15品目が認定されている。能登野菜は能登地方の風土を活かして生産された伝統野菜、特産野菜のことで中島菜、沢野ごぼう、金糸瓜など13品目が認定されている。果樹では、石川県農業総合研究センターが開発した新種のブドウがルビーロマンと命名され、高級ブドウとして販売されている。県内で飼育された黒毛和種の肉牛のうち品質の高いものは能登牛と認定する制度が設けられている。林業産出額は2008年(平成20年)で28.6億円となっており、1985年(昭和60年)の69.2億円の41%まで減少している。このうち木材生産は16.5億円、特用林産物は12.1億円である。一方で木材供給量に占める県産材の割合は1975年(昭和50年)の18%から、2009年(平成21年)の39%に上昇している。樹種別原木の生産量では、2009年(平成21年)でスギが全生産量の84%を占め、次いで能登ヒバ8%、マツ4%となっている。なお能登ヒバは能登地方で産出されるアテ(ヒノキアスナロの地方名)のブランド名である。2009年(平成21年)の特用林産物の生産量は生シイタケが853トンと最も多く、次いでエノキタケ208トン、ナメコ169トンなどとなっている。1975年(昭和50年)に約2,000トンを生産した木炭は113トンにまで減少している。海面漁業・養殖業の生産は、2005年(平成17年)で60,306トン、219億円である。これは本州日本海側の12府県では生産量で3番目、生産金額で1番目に多い。2010年(平成22年)の魚種別の漁獲量ではカタクチイワシが最も多く、次いでスルメイカ、ブリ、マアジ、ハタハタ、カレイ、ズワイガニ(ベニズワイガニを含む)、サワラ、マダラなどが多い。2008年(平成20年)のブリの漁獲量は都道府県別で最多である。海面養殖業の生産量は2005年(平成17年)で2,560トンとなっており、七尾湾でのカキ養殖がほとんどを占めている。内水面漁業では、アユが主だが、渓流でヤマメ、イワナ、カジカ、湖沼でコイ、フナが生産されている。また、水産加工品の生産量は、2009年(平成21年)でかまぼこ類が13,942トン、生鮮冷凍水産物が6,136トン、水産物つくだ煮類が1,267トンなどとなっている。水産物のブランド化に向けた取組も見られる。毎年11月から2月にかけて能登半島沿岸域の定置網で水揚げされる7kg以上のブリは天然能登寒ブリとして出荷される。また、石川県で水揚げされる雄のズワイガニのうち品質が良いものは加能ガニとされ、専用のタグが取り付けられる。なお、石川県ではメスのズワイガニは香箱ガニと呼ばれている。石川県漁業協同組合が定める「石川の四季のさかな」は、春はカレイ、サヨリ、夏はイカ、秋はアマエビ、冬はブリ、ズワイガニ、香箱ガニである。石川県の製造品出荷額等は2010年(平成22年)で2兆3,558億円となっている。同年以前20年間で最高だった2007年(平成19年)の2兆8,743億円に比べると18%減少している。産業別では電子部品が5,112億円と22%を占めて一番多い。次いで生産用機械が4,307億円 (18%)、情報通信機器1,931億円 (8%)、繊維1,806億円 (8%)、食料品1,340億円 (6%) などとなっている。市町別にみると、小松市が4,874億円で最も多く、白山市4,118億円、金沢市3,585億円、能美市2,197億円、川北町2,096億円など加賀地方に集中している。建設機械では小松市を創業地とするコマツがある。建設機械の国内シェアで1位、世界シェアではキャタピラーに次いで2位を誇る。市内にはコマツの工場やその関連企業も多く、企業城下町を形成している。電気機器分野では白山市の EIZO はコンピュータ用ディスプレイ、金沢市のアイ・オー・データ機器はコンピュータの周辺機器の生産を行っている。かほく市に本社を置く PFU は富士通の完全子会社であり、イメージスキャナの生産では世界トップシェアである。また、金沢村田製作所など村田製作所の関連企業も多く、電子部品の生産が盛んである。石川県の企業はニッチ市場で活躍する製造業が多いのが特色である。金沢市内に本社を置く津田駒工業は織機で世界シェア1位、澁谷工業は飲料の瓶詰め装置で国内シェア1位、石野製作所も回転寿司#コンベアの国内シェアの大半を生産している。また、加賀市の大同工業は二輪車後輪駆動用チェーン、月星製作所は二輪車用スポークで、いずれも国内シェアの大部分を占める。伝統工芸が盛んであることも特徴である。金沢市で生産されている金沢箔は金箔の国内シェアの98%以上を占めている(銀箔の国内シェアは100%)。地域ブランドとして知名度の高い輪島市の輪島塗は、国が伝統工芸品として指定する漆器の中で生産量が最大である。この他にも、加賀地方で作られる九谷焼、加賀市の山中塗、金沢市の金沢漆器、金沢仏壇、加賀友禅、白山市の牛首紬、美川仏壇、七尾市の七尾仏壇、輪島市の能州紬、珠洲市の珠洲焼などが生産されている。商業年間商品販売額は2007年(平成19年)で4兆1,576億円である。このうち卸売業が2兆8,182億円、小売業が1兆3,394億円となっている。卸売業では飲食料品卸売業(8,082億円)、機械器具卸売業(7,667億円)が多い。小売業では各種食料品小売業(1,763億円)、百貨店・総合スーパー(1,402億円)などの生活関連のほか、自動車小売業(1,861億円)、燃料小売業(1,700億円)といった自動車関連が多くなっている。市町別では金沢市が67%(2兆7,869億円)を占めている。次いで野々市町(現・野々市市)10%(2,662億円)、白山市9%(2,530億円)、小松市9%(2,384億円)となっており、金沢市を中心に加賀地方に偏在している。能登地方で最も多いのは七尾市5%(1,477億円)である。商業集積地別では香林坊商店街(414億円)、武蔵商店街(237億円)、近江町市場商店街(118億円)など金沢市中心部への集積が顕著だが、車社会を反映して近郊の国道沿いに位置する金沢市の諸江地区商店街(120億円)、杜の里商店会(119億円)、野々市町(現・野々市市)の御経塚サティ(現・イオン御経塚)周辺商店街(156億円)、白山市のフェアモール松任周辺商店街(153億円)などの販売額が多いのも特徴である。また、2006年(平成18年)にJR金沢駅前に開業した金沢フォーラス周辺商店街の販売額が65億円となっており、既存の金沢百番街(96億円)、ポルテ金沢周辺商店街(19億円)などと合わせ、JR金沢駅前が新たな商業集積地となっている。2003年(平成15年)度のサービス業事業所(民営)の収入額は1兆221億円となっている。業種別では映画館、劇場、遊園地などの娯楽業(2,220億円)が最も多く、次いでホテル、旅館などの宿泊業(1,227億円)、一般飲食店(1,091億円)となっている。石川県を訪れた観光客は2010年(平成22年)で2,150万人、観光消費額は2,717億円と見込まれている。県内を金沢地域、白山地域、加賀地域、能登地域に区分した場合、それぞれ金沢地域は815万人585億円、白山地域は99万人73億円、加賀地域は557万人874億円、能登地域は683万人1,185億円となっている。金沢地域は県内客の割合 (47%) や日帰り客の割合 (69%) が比較的高いのが特徴である。また関東からの県外客が多くなっている。能登地域は58%が県外客で関東、近畿、中京から同程度の入り込みがある。加賀地域は県外客の割合 (69%) や宿泊客の割合 (45%) が高い。特に関西からの入り込みが多いという特徴が見られる。宿泊地別で多いのは、金沢市内の宿泊施設228万人、加賀地域では山代温泉85万人、山中温泉53万人、片山津温泉44万人、粟津温泉30万人、能登地域では和倉温泉89万人などである。また、観光客の利用が多い施設は、金沢地域では兼六園170万人、金沢21世紀美術館158万人、金沢城公園107万人、白山地域では白山比咩神社67万人、加賀地域では木場潟公園59万人、いしかわ動物園33万人、能登地域では能登食祭市場80万人、気多大社72万人、輪島朝市71万人、千里浜69万人、のとじま臨海公園水族館45万人などである。電力上水道都市ガス石川県の交通は、空港と港湾が加賀地方と能登地方にそれぞれ整備され、鉄道と道路が県庁所在地の金沢市を中心として加賀地方を東西に、また能登地方に向けて北方に延びている。加賀地方に小松空港が、能登地方に能登空港があり、1県2空港となっている。小松空港は大型ジェット機が就航可能な3,000m級の滑走路をもち、国内線、国際線の定期旅客便のほか、国際貨物便も就航する石川県の拠点空港である。2010年(平成22年)度で国内線は東京便を中心に九州、沖縄、北海道、東北を1日20~22往復結び、旅客数193万人、航空貨物2,864トンとなっている。同年度、国際線は旅客便が韓国、中国、台湾と週10往復就航し、11万人が利用した。国際貨物便は韓国、ヨーロッパを結ぶ週3便で、貨物取扱量は16,198トンとなっている。小松空港から金沢駅までは直通の高速バスが連絡しており、約40分で結ぶ。また福井駅へも高速バスが約60分で結び、福井県の空の玄関口ともなっている。能登空港は国内線の旅客便が東京との間を1日2往復しており、開港8年目となる2010年(平成22年)7月からの1年間で13万人が利用した。また台湾からの国際チャーター便が2010年(平成22年)度に15便到着している。能登空港からは、金沢方面や能登地方各地に向けて特急バスや路線バスが連絡するほか、ふるさとタクシーと呼ばれる乗り合いタクシーが能登地方各地との間で運行されており、能登地方の交通の結節点となっている。国際・国内海上輸送網の拠点となる重要港湾は金沢港、七尾港の2港、地方港湾は輪島港、穴水港、宇出津港、小木港、飯田港、福浦港、滝港、塩屋港、和倉港、半ノ浦港の10港である。金沢港は2010年(平成22年)で貨物量308万トン、うちコンテナ便67万トンを扱う重要港湾である。化学工業品の移入が212万トンと多く、コンテナ便では金属機械工業品の輸出が20万トン、軽工業品の輸入が14万トンなどとなっている。国際コンテナ航路は週4便の韓国航路、週3便の中国航路などのほか北米航路が月1便就航している。また船舶の大型化に対応した多目的国際ターミナル(水深13m)の整備を行っており、2008年(平成20年)から暫定水深12mで供用されている。七尾港は2010年(平成22年)で貨物量が314万トンと県内最大の取扱量を誇る重要港湾である。オーストラリアなどからの石炭の輸入が221万トン、中東からの液化石油ガス (LPG) の輸入が34万トンと貨物取扱量の大部分を占めている。石炭は港内に設置されている七尾大田火力発電所の燃料向け、LPG も港内に整備されたLPG国家備蓄基地向けである。船舶の大型化に対応した多目的国際ターミナル(水深13m)を整備中で、2007年(平成19年)に水深10mで供用を開始した。また、大規模災害時の海上からの救援物資の受入や旅客船対応を兼ねた耐震強化岸壁の整備が進められている。輪島港は暴風雨の際に小型船舶の安全を確保する避難港に指定されており、漁業前進基地として利用されている。また、3,000トンまでの船舶に対応できるよう防波堤の整備が進むほか、2010年(平成22年)に旅客船岸壁が供用を開始している。また輪島港から舳倉島まで1日1往復の定期航路が開設されている。県内の鉄道は、2015年3月14日に北陸新幹線長野 - 金沢間が開業。在来線は北陸地方を縦断するJR北陸本線が金沢から大阪寄りの加賀地方沿岸部を貫き、金沢から新潟寄りはIRいしかわ鉄道が伸びている。同線の津幡駅からはJR七尾線が能登地方に向けて枝分かれし、JR七尾線の先端部ではJR西日本から経営移管されたのと鉄道七尾線が通っている。また北陸鉄道が金沢地区から沿岸部に向けて浅野川線、内陸部に向けて石川線を運行している。JR北陸本線は県内主要都市間の移動手段のみならず、県外からの特急列車や貨物列車が行き交う石川県の鉄道交通の幹線である。朝夕にはライナー特急列車も運行されている。2006年(平成18年)、乗車人員(1日平均)では金沢駅が最も多く20,518人。次いで、小松駅4,085人、松任駅2,992人、加賀温泉駅2,252人、西金沢駅2,222人、津幡駅2,139人などとなっている。2015年(平成27年)、1日の列車本数(平日)では金沢駅から小松駅方面で優等列車が43本、普通列車が44本である。また金沢貨物ターミナル駅を発着する貨物列車は1日36本で年間の貨物輸送量は269万トンとなっている。JR七尾線は加賀地方北部や能登地方での通勤・通学等の手段として利用されるほか、能登地方各地への観光客の足となっている。2006年(平成18年)の乗車人員(1日平均)は羽咋駅1,430人、七尾駅1,294人、宇野気駅1,221人の順に多い。IRいしかわ鉄道は北陸新幹線開業に伴い、2015年3月14日に北陸本線から経営移管された。1日の列車本数(平日)では金沢駅から津幡駅方面で優等列車が3本、普通列車が28本である。県内の幹線道路は、加賀地方の海岸線に沿って北陸自動車道と国道8号が通り、加賀地方北部と能登地方との間を能登有料道路と国道159号が結ぶ体系となっている。また交通の要衝となる加賀地方北部では複数のバイパス道路が連絡している。加賀地方では、北陸自動車道と国道8号が主要幹線として沿岸部を貫いている。2010年(平成22年)に県内で最も交通量が多かったのは国道8号の金沢市西念で昼間12時間自動車類交通量が約61,000台、県内の北陸自動車道で最も交通量が多かった区間は徳光スマートIC・美川IC間で24時間自動車類交通量が約33,000台となっている。加賀地方南部のバイパス道路として小松市から金沢市にかけての内陸部を加賀産業開発道路が通っている。金沢市付近では金沢外環状道路の山側幹線と海側幹線(海側幹線は一部整備中)がバイパスとなっている。能登地方との交通の結節点となる津幡町付近では国道8号の津幡北バイパスや能登有料道路との連絡道路である津幡バイパスが整備されている。また白山市沿岸部から山岳地帯に向かう国道157号は福井県勝山市と、途中枝分かれする白山白川郷ホワイトロードは岐阜県白川村との間を繋いでいる(冬季閉鎖あり)。このほか、金沢市から富山県方面へ向かう道路としては、小矢部市・砺波市などを経て富山市へ向かう国道359号、南砺市の福光、城端へ向かう国道304号、湯涌温泉、刀利ダムを経て南砺市城端・福光方面へ向かう石川・富山県道10号金沢湯涌福光線、金沢大学、医王ダムを経て南砺市福光へ向かう石川・富山県道27号金沢井波線、旧北陸道の一部である石川・富山県道286号刈安安楽寺線、津幡町から国道471号へ伸びる石川県道218号莇谷津幡線などがある。また、福井県方面へ向かう道路としては、国道364号、国道8号の旧道である国道305号がある。なお、石川県と福井県を走る国道416号は県境で分断されているため、福井県に抜けることはできない。能登地方では、能登有料道路(2013/3/31無料化され、「のと里山海道」と改称)と国道159号が加賀地方北部とを結ぶ主要幹線となっている。能越自動車道は、能登有料道路の徳田大津IC・穴水IC間が重複区間となっており、南側は田鶴浜ICまで、北側は能登空港ICまで開通している。穴水ICから輪島市にかけて輪島道路が、能登空港ICから珠洲市にかけて珠洲道路が連絡している。また国道249号は宝達志水町付近から能登半島の海岸線を巡り七尾市まで達する。また能登島との間には能登島大橋とツインブリッジのとの2本の橋が架かっている。このほか、富山県へ向かう道路としては、宝達志水町から小矢部市へ向かう国道471号、羽咋市から氷見市へ向かう国道415号、七尾市から氷見市へ向かう国道160号、県道では、七尾市と氷見市を結ぶ富山・石川県道18号氷見田鶴浜線、宝達志水町と氷見市を結ぶ富山・石川県道300号氷見志雄線、中能登町と氷見市を結ぶ石川・富山県道304号鹿西氷見線、羽咋市と高岡市を結ぶ富山・石川県道29号高岡羽咋線などがある。高速バスの路線は金沢駅を起点として中京、関西、関東、東北など各方面に延びている。県内の路線バスは、金沢市近郊は北陸鉄道、北鉄金沢バスと西日本ジェイアールバスが、小松地区は小松バス、白山地区は加賀白山バス、加賀地区は加賀温泉バス、中能登地区は北鉄能登バス、能登島地区は能登島交通、奥能登地区は北鉄奥能登バスが運行している。また金沢駅からは小松空港、奥能登、中能登、加賀温泉方面の県内各地へ特急バスが設定されている。金沢市内ではこれらの路線バスに加え、金沢市の第3セクターが運営するまちバスが金沢駅と市中心部の間を、金沢市のコミュニティバスであるふらっとバスが市街地の中を運行している。コミュニティバスはこのほかにも白山市(めぐーる)、野々市市(のっティ)、能美市(のみバス)、七尾市(七尾市コミュニティバス)、輪島市(のらんけバス)などで運行されている。なお、石川県では自動車番号登録票でご当地ナンバーが導入されており、石川県内では石川と金沢の2種類のナンバーが存在している。金沢ナンバーは金沢市、かほく市、津幡町、内灘町の地域、石川ナンバーはそれ以外の地域である。いずれも石川運輸支局(国土交通省北陸信越運輸局)の管轄となる。石川県は、北陸3県の中で唯一TXN系列局を除く4系列の民放テレビ局がある。そのためか、石川県のケーブルテレビ局は3県で一番少ない。また、県内のケーブルテレビ局は全局デジタル放送の区域外再放送を行っていない。アナログ放送は区域外再放送を行っているケーブルテレビ局もあった。石川県内の方言は北陸方言に分類され、富山県の方言と共通点が多い。加賀方言と能登方言に二分され、県都金沢市で話される金沢弁は加賀方言に含まれる。また白山麓の方言には独特の表現が多く、言語島の例に挙げられる(白峰弁)。
出典:wikipedia
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