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さとうきび畑

「さとうきび畑」(さとうきびばたけ)は、作曲家の寺島尚彦が自ら作詞も手がけた歌。1964年、寺島が、歌手・石井好子の伴奏者として本土復帰前の沖縄を訪問した際、摩文仁の丘を観光して着想した作品。第二次世界大戦末期の沖縄戦で戦死した人々が眠る、夏のさとうきび畑に流れる風の音が繰り返される。全部で11連からなり、通して歌うと11分近くを要するため、大抵は要所要所カットして歌われる。2001年には後述の森山良子が「特別完全盤」として11連全ての詞を歌ってシングル発売しており、収録時間は10分19秒だと紹介されている。第二次世界大戦を通して、沖縄の人々は日本で最も激しい地上戦を戦い抜いた。その激戦沖縄戦を通して、日米両国、無数の人々が敵味方殺し合い、そして集団自決した事例もみられる。数え切れないほど多くの戦死者・自決者たちが今なお「さとうきび畑」の下に眠っている。作者の寺島は、1972年に日本に復帰する前の沖縄を訪れて、作品中「66回」繰り返される風の音を考えたという。歌の主人公はひとりの少女である。少女は沖縄での戦闘で死んだ父親の顔を知らない。やがて大きくなると、ひとりで父親を探しにさとうきび畑に行く。父はなぜ戦い、なぜ殺されたのか、なにを恐れ自決したのか。通り抜ける風の音を聞きながら静かに悲しみを訴える。作曲者によって、混声合唱、女声合唱にも編曲されており、混声合唱版はCD化されている(『寺島尚彦合唱作品集』フォンテック)。1967年(昭和42年)、新居浜市民会館で、田代美代子(石井好子門下の歌手で、既に歌謡曲歌手として成功していた)によってコンサートで初演された。1969年(昭和44年)に森山良子がレコーディングし、アルバム『森山良子カレッジ・フォーク・アルバムNo.2』に収録したのが最初のレコード化であった。1970年前後には、この曲の反戦歌としてのメッセージ性や、1972年の沖縄返還への関心の高まりから、うたごえ運動や、歌声喫茶でよく歌われるようになっていた。1975年にはNHKの音楽番組『みんなのうた』でちあきなおみの歌唱で紹介されたが、このときは2、3、11番だけという超ショートバージョンの形で録音・放送されている。1997年には、森山が『みんなのうた』で、1、2、3、8、11番という、ちあきのバージョンとは異なる形のショートバージョンを「みんなのうたバージョン」として録音し、放送された。2001年7月25日に、歌手の新垣勉がさとうきび畑をカバー。彼の初CDとなった。同年12月5日に、森山は、11連全ての詞を歌う録音を「涙そうそう」とのカップリングでシングル発売し、この曲の歌唱で2002年の第44回日本レコード大賞では最優秀歌唱賞を受賞した。2005年の第56回NHK紅白歌合戦で、森山は(白組の一員として出場していた息子・森山直太朗とともに)この曲を歌った。こうした経緯のため、森山はこの曲の代表的な歌手と見なされているが、森山の他にも、クラシック系(岡村喬生、新垣勉、鮫島有美子、錦織健、など)、ポピュラー系(上条恒彦、堀江美都子、宮沢和史、松浦亜弥、夏川りみ、など)、民謡系(上間綾乃)の多くの歌手に歌い継がれている。また、この曲は、学校音楽教育の教材としても、様々な形で取り上げられている。2003年9月28日にはこの曲をモチーフとしたスペシャルドラマ『さとうきび畑の唄』(TBS)が放映された。2012年、「さとうきび畑」の歌碑が読谷村高志保のさとうきび畑の一角に建立され、4月1日に除幕式が行なわれた。歌碑のある一帯は、1945年4月1日に米軍が沖縄本島への最初の上陸作戦を行なった地域である。

出典:wikipedia

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