六郷町(ろくごうまち)は秋田県の中央部に位置した町。2004年11月1日に千畑町、仙南村と合併し美郷町(みさとちょう)となった。中心市街地(大字六郷)は六郷扇状地の扇端部にあたり、県内では名水の地として知られ、大字六郷、大字鑓田に湧水地が78か所ある。それぞれ、「〜〜清水」の名称がついており、町民の生活にとけこんでいる。町内の清水は「名水百選」に選定されており、最近は観光面でも注目されるようになってきた。上流部の黒森山一帯は「水源の森百選」に選ばれている。大字六郷東根の関田周辺が扇状地の扇頂部にあたり、山間部と平野部の境界にあたる。扇央部の野中・明田地野はかつては水の得にくい地域であり、畑作や馬産がさかんであったが、昭和20年代後半の田沢疏水の開通後は水田化が進んだ。なお、戦前の明田地野は臨時の飛行場として用いられたことがあり、太平洋戦争開始後は軍用として整備する計画があった。西方の本館地区は水田がひろがる古くからの米どころであり、室町時代から戦国時代にかけては六郷城のあったところである。町内には南北朝時代の板碑が多く分布し、浄土宗の東光山本覚寺に平安時代初期の「貞観の写経」・「白雲上人画像」、浄土真宗の法望山照楽寺に「伝平将門の陣幕」(いずれも県指定有形文化財)があり、各寺院に伝わる寺宝には古く、貴重なものが多い。中心市街六郷の東方に熊野神社、西方に秋田諏訪宮があり、それぞれ格式高い古社である。前者は8月下旬の「全県かけ唄大会」、後者は2月中旬の「六郷のカマクラ」(竹うち)で知られる。初代藩主の父佐竹義重が東方からの防備のため周囲から仏教寺院を集めたため、中心市街には26の寺があり、「人口にくらべて寺の多い町」「寺の町」というイメージが強い。近世では、羽州街道の宿駅として栄え、久保田藩・津軽藩の本陣が置かれた。名水と秋田米を利用した日本酒醸造業がさかんで、現在は「春霞」(栗林酒造店、明治7年創業)、「八千代」(八千代酒造、大正4年)、「奥清水」(高橋酒造店、大正8年)の3つの蔵元しか残っていないが、かつては京野酒造店の「國之誉」(文政11年創業)、志ら梅酒造店の「志ら梅」(元禄年間創業)などの蔵元があった。享保年間には、六郷川内池・高野500軒中19軒の酒屋があり、タガ屋が15軒あったと記録されている。今日では、サイダーなど清涼飲料水の生産もさかんである。江戸時代の佐竹氏久保田藩領にあっては富裕な町として知られ、久保田・横手・大館の三城下町以外では唯一時鐘が許された。また、周辺町村からは呉服店の多い町としても知られていた。高梨村払田出身の後藤宙外は明治から昭和初期にかけての文学者として知られるが、作家として高名になったのちの大正年間に六郷町長を2期8年務めている。六郷町は横手盆地の東に位置している。町の中心部は西寄りにあり、東部は扇状地や山岳地帯が広がる。隣接していた自治体は、以下の通り。明治初年の石高は以下の通り。高等学校中学校小学校
出典:wikipedia
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