サーベル()は、ヨーロッパの片刃の刀である。セーバー、セイバー()、サーブル()とも。ポルトガル語のサブレ()に由来。柄には護拳(ごけん、)と呼ばれる枠状、もしくは半円の大きな鍔がついており、指や手を保護している。サーベルにはさまざまな長さのものがあるが、身に着けるときは常に腰から下げた鞘に収められている。その起源はわかっていないが、ファルシオンやシミターのデザインを元にしたと見られる。もともとは騎兵の武器として、それまでの直線状の剣に代わって使われ始めた。サーベルは湾曲しているために斬りに適している。ポーリッシュサーベルは鍔元から直線で中心あたりから大きく湾曲しそのカーブは日本刀よりも大きい。また、多くのサーベルは1/3ほどに裏刃がついていて手首を返すことで先端カットができる。乗馬して使用する場合、馬のスピードによって打撃力が強くなるため、肩を脱臼したり剣が抜けず落馬することもある。剣術ではセンターライン、フロントライン、と2つの中心線がある。剣道ではこの2つは同一だが、サーベルではセンターラインは馬の軸線(自分の腰から下のライン)フロントラインは敵は正面にはいないので敵に向けた上半身をいう。ガードには切っ先を下に腕を伸ばす防御と突撃の構えのほか、馬の首を守るガード、馬の尻を守るガード自分の足を守るガードなどがある。基本的に相手の馬を切るのはマナー違反とされているが、相手の手綱をきったり、すれ違いざまに馬の尻を切ることもある。時代を下ると、サーベルは多くの国の軍隊で軍刀として将校(士官)の階級を示すシンボルともなり、銃器が主流兵器となってからも精神的・装飾的な意味合いとして携帯され続けた。20世紀初頭頃までは下士官兵の間でも乗馬本分の騎兵が騎兵銃と共にサーベルを装備した。第一次世界大戦以降は軍隊自体や戦闘ドクトリン等の更なる近代化(一対一の斬り合いではなく銃撃戦が主になる)により、多くの国では将校准士官のサーベル(軍刀)佩用は正装や礼装時、栄誉礼や観兵式などの儀式時に限られるようになった。旧日本軍では、明治の建軍当初に将校と帯刀本分者たる下士官兵が佩用・装備する軍刀としてサーベルを採用した。将校准士官刀(将校准士官が佩用する軍刀は軍服と同じ服制の扱いであり兵器ではない)は当初は外装のみならず刀身もサーベル(西洋型)であったが、これは日本人には馴染みの薄い片手握りで刺突向きであること、また精神的な意味合いからも将校准士官の間では日本刀をサーベル外装に仕込む事が多かった。そのため明治中期頃には陸軍・海軍共に「日本刀仕込みのサーベル」が制式とされ、昭和期に外装も太刀型へ改められるまで主用されていた。儀礼刀としてのサーベルは現在の自衛隊でも使用されている。19世紀から20世紀初頭~中期ごろまで、いくつかの国の警察でも警察官の武器として使用されたが、のちに人道的な理由などから徐々に警棒などに置き換えられた。日本の警察で巡査に初めて帯剣が許されたのは1874年(明治7年)8月5日であるが、このときは一等巡査(現在の警部補に相当)のみが許され、二等巡査以下は警棒や警杖を携帯していた。1877年(明治10年)に西南戦争で抜刀隊が活躍し、それをきっかけに警察で剣術が奨励されたことなどにより、1883年(明治16年)5月24日に下級巡査も帯剣できるようになった。幹部は刀身が私物の日本刀の場合もあり、外装も高級であったが、巡査は官給品のサーベルが多かった。使用に際しては現在の警察官が拳銃を使用するのと同じぐらい厳しい制限があった。このため凶器を持った犯人を素手で捕らえようとして殉職した警察官が少なくなかった。戦前・戦中の日本の警察官の佩用していたサーベルは実戦的な武器としてよりも国家権力・権威の象徴という意味合いが強かった。第二次世界大戦後、治安維持の目的で警察官の佩剣は認められていた。しかし進駐軍兵士が警察官の佩剣を上陸記念品として非常に欲しがり強奪する事件が相次ぐ。昭和20年12月に鹿児島県鹿屋市で農業を営む男性から警察官佩剣禁止の請願が第八十九回帝国議会の衆議院に提出される。日本の警察は昭和21年7月31日サーベル・短剣を廃止し、警棒と回転式拳銃を装備するようになった。このサーベルから派生した武器が、夏季オリンピックの競技の一つであるフェンシングにおいてサーブル()の名前で使われている。また、現代では、カラーガードの踊りの小道具としても使用されている。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。