小池 晃(こいけ あきら、1960年6月9日 - )は、日本の政治家、医師。参議院議員(3期)、日本共産党中央委員会政策委員長(政策責任者)、党副委員長、日本共産党参議院議員団長、参議院幹事長、常任幹部会委員を歴任し、2016年4月より日本共産党中央委員会書記局長。1960年に東京都世田谷区で生まれる。武蔵野市立大野田小学校、第四中学校を卒業。東京教育大学附属駒場高等学校、東北大学医学部卒業。大学在学中の1984年(昭和59年)、全国医学生自治会連絡会議(医学連連)委員長として全日本医学生自治会連合(医学連)の再建に努める。翌1985年、全日本学生自治会総連合(全学連)副委員長、国際部長を務める。1987年の大学卒業後、健康文化会小豆沢病院、山梨勤労者医療協会甲府共立病院へ就職する。医療法人社団北病院を経て、1997年(平成9年)10月から代々木病院に勤務する。1998年(平成10年)、全日本民主医療機関連合会(全日本民医連)理事に就任した。1998年(平成10年)7月、第18回参議院議員通常選挙に日本共産党公認で比例区から出馬し、初当選。2004年(平成16年)1月、日本共産党常任幹部会委員、政策委員会責任者(政策委員長)に就任。同年7月、第20回参議院議員通常選挙で再選。その後、党参議院幹事長に就任。2007年(平成19年)には、党参議院議員団長にも就任した。2010年(平成22年)の第22回参議院議員通常選挙には比例区から東京都選挙区(定数5)に転じて立候補した。共産党は緒方靖夫の引退以来、衆参共に選挙区での議席を有しておらず、そのため緒方の選出選挙区であった東京都選挙区での議席を奪還するため、知名度の高い小池が選挙区に回ったが(当初、同選挙区からの出馬を予定していた田村智子が比例代表に鞍替えした)、タリーズコーヒージャパン創業者でみんなの党公認の松田公太に約10万票及ばず、次点(6位)で落選し、議席奪還は出来なかった(田村智子は比例区で当選)。なお小池の立候補表明に際し、超党派の革新・無党派市民を中心に「小池晃さんを応援する市民勝手連Q」が設立された。これは同選挙区に護憲派有力候補がいなかったことが背景にある(社民党は独自候補を擁立した)。2011年(平成23年)2月、東京都知事選挙に革新都政をつくる会から要請を受け、同会を選挙母体とする無所属(日本共産党推薦)で立候補したが、4選をめざした現職石原慎太郎、元宮崎県知事・東国原英夫、ワタミ元会長・渡邉美樹(いずれも無所属)に次ぐ4位で落選。得票率が10.4%であったため、供託金の没収は免れた。2013年(平成25年)1月開催の第6回中央委員会総会で、党副委員長の兼任が決まる。同年7月の第23回参議院議員通常選挙で比例区から出馬し党内1位で当選、3年ぶりに返り咲きし国政に復帰した。2015年8月15日に在日本大韓民国民団主催の第70周年光復節中央記念式典に出席した。2016年(平成28年)4月開催の第5回中央委員会総会で山下芳生が異例の降格させられ、小池が日本共産党中央委員会書記局長に就任した。同一労働同一賃金の中身を問われた自民党の小野寺五典は、非正規雇用労働者の賃金を上げることが目的と言いながら、「会社の中で常勤には責任の重さがあるのでバランスをとって不均衡にならないように方針を決めていく」と説明した。これに対して小池氏は「今の説明はやはり従来の『均衡処遇』だ。差別をなくすという話ではない」と批判。国際労働機関が日本政府に8回にわたり同一労働同一賃金の勧告を行っていることを紹介し、「直ちに労働基準法に書き込む作業を開始すべきだ。口先だけの同一労働同一賃金で中身は従来の『均衡処遇』では駄目だ」と語った。
出典:wikipedia
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