宇佐市(うさし)は、大分県の北部、国東半島の付け根に位置する市。全国4万社余りの八幡宮の総本宮・宇佐神宮があり、正月には全国からの参拝客でにぎわう。また本願寺別院(東西とも)も旧北東部の広大な地域を管轄するものでこれも規模は大きい。また市内には宇佐神宮以外にも観光名所が多く、県内有数の観光都市である。旧豊前国の南東端に位置し、旧豊後国との境界に位置する。北は周防灘、西は中津市、南は玖珠町・由布市、東は杵築市・豊後高田市にそれぞれ隣接している。また交通の要衝で市内を国道10号や宇佐別府道路が通過し、東九州自動車道を経由して大分市や別府市、佐伯市へのアクセスも容易である。宇佐神宮の門前町として発展した宇佐地区(特に南宇佐)、本願寺別院の寺内町として発展した四日市地区、港町として発展した長洲地区の3地区が、伝統的に経済的同時に文化的中心地である。これ以外はほぼ全域が農村地域であり、県下最大の穀倉地帯となっている。経済的に隣接する中津市との関係が深く、中津市を中心とする中津都市圏の都市雇用圏(10%通勤圏)に属する。一方、大分市を中心とする大分都市圏や、北九州市を中心とする北九州都市圏には属さない。宇佐市を通過する高速道路である東九州自動車道及び並行する一般国道自動車専用道路は、大分方面は1994年に宇佐別府道路宇佐IC-院内ICが開通して大分ICまでが全通していたが、北九州方面も2015年3月1日に豊前IC-宇佐IC間が開通。さらに、2016年4月24日には北九州JCTまで全通した。2005年3月31日に合併する以前から、旧宇佐市と院内町、安心院町との結びつきは強く、院内町、安心院町がいずれも「院」の字を含むことから、これらの1市2町は総称して宇佐両院(うさりょういん)と呼ばれていた。長洲地区のいくつかの町を除き全域が明治以来の大字を継承している。平成の大合併の旧院内町・安心院町は大字の前に旧町名を冠している。律令下での行政区分は豊前国宇佐郡(ぶぜんのくに・うさごおり/現在の宇佐市のほぼ全域)。記紀にも、神武天皇が東征の際に宇佐(記紀の表記では菟沙)に立ち寄った際、在地の菟沙津彦・菟沙津比売が歓待したというかたちで登場している。伝統的に宇佐神宮の勢力が強かったこともあり、大勢力となるような武士は現れなかった。中世には佐田氏・赤尾氏・麻生氏・時枝氏・中島氏ほかの小規模国人が割拠する状態で、この地方を統一するほどの武士は出現していない。宇佐郡代を務めた佐田氏が最大勢力ではあり、宇佐郡衆としてまとまって行動することもあったものの(門司合戦、耳川の戦いなど)、基本的にはそれぞれが独立勢力であった。ただ宇佐郡の武士団にとって宇佐神宮への祭祀だけは大事な役目であったようである。戦国時代になると当初は大内氏の勢力下に置かれ、大内氏滅亡後は大友氏に従った。いずれの勢力も豊前・豊後国境に近い龍王城(現・安心院町龍王)や妙見嶽城を重視し、とくに妙見嶽城には大内方からは杉氏、大友方からは田原親賢といった有力武将が送り込まれた。大友・大内が豊前の覇権を巡って激突する際には、たいてい妙見嶽城が最前線となり、そのたびに宇佐郡衆が妙見嶽城に登っている。島津氏に豊後府内を追われた大友吉統が、最終的には妙見嶽城の田原親盛を頼ってここにたてこもり、その最終防衛線として機能した。もっともこの時点で宇佐郡衆でも大友方に残ったのは佐田氏くらいであり、他は秋月氏や島津氏に内通していた。安土桃山時代の豊臣秀吉による九州征伐によって、宇佐郡もほぼ全体が中津城の黒田氏に与えられた。ただし戦略的要地である妙見嶽城・龍王城とその直接支配地域は蔵入地とされた。のちに龍王城には細川氏が入り、高田城に移った後に破却された。妙見嶽城も大友氏改易と前後して破却されたようである。江戸時代には天領・中津藩領・島原藩領飛び地・宇佐神宮領が混在した。特に四日市地区には天領日田の代官所(四日市陣屋)がおかれた他、東西本願寺の別院(真宗大谷派四日市別院〈東別院〉・本願寺四日市別院〈西別院〉)がおかれ、一時は「九州御坊」として九州全体を管轄していた。江戸幕末には豊前四日市陣屋(現在の宇佐市四日市地区)で、佐田秀率いる花山院隊を名乗る部隊が蜂起した。佐田らは四日市陣屋から大砲等を強奪したあと御許山に立て籠もり、長州藩との連携を模索したが、逆にこれを迷惑がった長州藩兵によって急襲・鎮圧された(御許騒動)。西南戦争時には隣接する中津市で蜂起した中津隊(西郷軍)の影響で大規模な一揆が発生している。廃藩置県後の所属県は(1)中津県(旧中津藩領と統合)→(2)小倉県(北九州の小倉県に旧豊前一帯が編入)→(3)大分県(旧中津県を分離し旧豊後一帯の大分県に編入)、の順に変化し現在に至る。現在も使われている日出生台演習場への弾薬輸送基地として、かつては国鉄(現JR)豊前善光寺駅から旧宇佐郡院内町方面へ豊州鉄道が走っていた。廃線後も駅館川(やっかんがわ)鉄橋の橋脚などが残っていたが、現在は撤去されている。太平洋戦争中は平野部に宇佐海軍航空隊が設置され、戦争末期には一大特攻基地となる。このため米軍のB-29や戦闘機による空襲を受けた。最寄の空港は大分県国東市にある大分空港。市内に6駅があり、柳ケ浦駅・宇佐駅の2駅に特急列車が停車する。JTB時刻表では宇佐駅を中心駅としているが、宇佐市役所など官公庁へは柳ケ浦駅のほうが近い。宇佐市は旧豊前国の最南端で、豊後国との境界に位置する交通の要所であるため、普通列車の運行形態もここで分割される。本数は北九州・中津の影響が強い地域であるため、小倉方面には日中の時間帯では1時間に1本運転されており、2009年3月のダイヤ改正により日中における中津 - 宇佐間のワンマン運転が始まった。朝の時間帯は柳ケ浦駅から小倉・門司港駅方面に多くの列車が始発設定されている。なお、大分方面は本数こそ多くないものの、2009年3月14日のダイヤ改正で大分方面の普通列車が増発されたことから、1 - 2時間に1本程度の運行が確保されている。コミュニティバス東九州自動車道の豊前IC - 宇佐IC間は2015年3月1日に開通した。福岡県京築地方から中津市を経由して宇佐別府道路と直結している。
出典:wikipedia
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