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小机駅

小机駅(こづくええき)は、神奈川県横浜市港北区小机町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)横浜線の駅である。横浜国際総合競技場(日産スタジアム)の最寄駅である。当駅周辺地区は、横浜市における都心(ツインコア)の一つである「新横浜都心」に指定されている。開業当初、当駅の周辺には田畑が広がるのみで、人家はわずか2・3戸しかなかったという。しかしながら大正時代の末期にようやく当駅附近の開発が始まり、やがて当駅の周辺に家々が立ち並ぶようになった。これによりそれまでは小机城のふもと、堀崎にあった小机の中心部も、当駅の近くに移ってきたのである。単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線のホームを有する地上駅。ホームの上空から南口にかけて橋上駅舎が設けられている。かつては木造平屋建ての駅舎を使用していた。これは1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で倒壊した駅舎の代わりとして1925年(大正14年)2月19日に建てられたもので、1番線のある単式ホームの脇、南口にあたる場所に設けられていた。当時単式ホームから島式ホームへは、ホームの東神奈川方にある1本の跨線橋で結ばれていた。また、駅の北から当駅の構内に行くには、駅から離れた踏切を渡らねばならなかった。跨線橋にエスカレータなどはなく階段のみであったが、駅の南側と単式ホームの間には段差がなかった。1998年(平成10年)10月から橋上駅舎の使用が開始されたため、この木造駅舎は撤去された。また、跨線橋も現存しない。南側から見ると、南口、1番線(単式ホーム)、2番・3番線(島式ホーム)、北口の順に並んでおり、北口は駅舎から跨線橋が延びている構造である。かつては貨物列車の取扱駅だったこともあり、現在でも貨物側線などが現役のまま残されている。3番線と北口の間に存在する側線(電留線1・2)と引上線は、営業運転に使用される電車の留置(夜間停泊)などに使用するほか、母屋(1番線)側八王子寄りに残る旧貨物ホーム付近は保線車両の留置に使われることがある。直営駅(駅長配置)であり、管理駅として新横浜駅(在来線のみ、新幹線はJR東海の管轄)を管理している。JRの特定都区市内制度における「横浜市内」の駅である。南口側を1番線として、以下の通りである。なお、上り列車は昼間時は桜木町駅までの運転である。2番線は上りの東神奈川方面で案内されているが、八王子方面への発車も可能である。実際のダイヤでは下り八王子方面の始発が運行され、案内されている上りは臨時のみで通常ダイヤでは使用されていない。臨時列車は横浜国際総合競技場でのFIFA主催サッカー国際試合やコンサートといった大催事等に東神奈川方面の始発として使用されるぐらいである。この他通過待ちなどの待避線としても使用できるが現在は使用されておらず、回送の引上線・電留線への出入庫に使用するほか、時折団体列車の時間調整などに使用される。2015年度の1日平均乗車人員は10,336人である。近年の推移は下記の通り。駅の西側にある城山トンネルの上に、このあたりを治めていた小机城の跡があり、「小机城址市民の森」として整備されている。横浜国際総合競技場へ続く北口は住宅街であり、商業施設は皆無である。南口の横浜上麻生道路には昔ながらの商店街とコンビニエンスストアが存在する。飲食施設は少ない。横浜市営バス 東急バス 相鉄バス横浜上麻生線上 小机駅前小机駅前(ロータリー)※日・祝日は運休※2000年4月1日までは駅前ロータリーから東急バスの綱島駅行が当駅から設定されていたが、周辺道路の整備に伴い廃止された歴史の項に記述された通り、1968年の新横浜駅 - 当駅間の複線化により、当駅を境に単線区間(原町田方面)と複線区間(東神奈川方面)に分かれ、運転可能な列車の本数が異なっていたことから、当駅 - 東神奈川駅・根岸線間のみ運転の区間列車が多数設定されていた。10年後の当駅 - 中山間複線化により当駅発着列車は大きく減少し、分割民営化までに当駅止まりの定期列車はなくなったものの(前述の通り当駅始発や臨時列車は存在する)、その名残で横浜線および京浜東北線で走行した103系・205系・209系・E233系電車の行先方向幕には、「小机」および「快速小机」が登録されている。隣の鴨居駅との間の距離は約3.1kmで、1997年4月に八王子みなみ野駅が開業してからは、横浜線の中で最も長い区間となった。

出典:wikipedia

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