国道17号(こくどう17ごう)は、東京都中央区から新潟県新潟市へ至る一般国道である。起点である日本橋から高崎市の君が代橋東交差点にかけては五街道の一つである中山道、群馬県北部の一部及び新潟県内の大半の区間では三国街道を辿る。群馬県内及び新潟県内の大半の区間では関越自動車道と、新潟県内の国道8号との重複区間では北陸自動車道と並走する。鉄道路線ではほぼ全線にわたり高崎線・上越線・上越新幹線と並走する(なお東京都内の白山駅付近から志村坂上駅にかけては都営地下鉄三田線が下を通り、埼玉県内のうちさいたま市大宮区以南では東北本線(京浜東北線・宇都宮線及び支線である埼京線も含む)・東北新幹線とも並走する)。東京都内から群馬県内にかけては現道とバイパスが並行して存在している。このバイパス区間は新大宮上尾道路(埼玉県さいたま市 - 埼玉県鴻巣市)、熊谷渋川連絡道路(埼玉県鴻巣市 - 群馬県渋川市)として地域高規格道路に指定されている。一般国道の路線を指定する政令に基づく起終点および経過地は次のとおり。国道17号は、中山道(中仙道)の一部(江戸 - 高崎)および三国街道の一部(高崎 - 長岡)を継承する路線である。三国街道は関東と越後を直接結ぶ唯一の道として江戸時代より重視され、1877年(明治10年)には国道一等に指定された。1885年(明治18年)の内務省告示第6号「國道表」では、国道5号「東京より新潟港に達する路線」(現在の17号、18号、8号経由)および国道8号「東京より新潟港に達する別路線」(上記17号を経由し、高崎で分岐)として指定された。この8号は、三国街道が通る三国峠ではなく、その北の清水峠(現在の国道291号)を通っていた。三国峠はその前後にも峠があるのに対し、清水峠は峠が1つだけであり、さらに距離も短くなるからである。三国峠越えの道は国道から県道に格下げされた。さらに、信越本線が開業して鉄道で東京と新潟が結ばれたこともあり、三国峠の通行者は激減した。1920年(大正9年)4月1日、並行する国道があるからという理由で、三国峠越えの道は県道からも降格されている。清水峠越えの道は、1873年(明治6年)に民間の資金によって新しく開かれた登山道程度の道であったが、国道に指定されたことにより国家事業として改良が行われ、1885年(明治18年)に完了した。しかし、冬の厳しい気象条件のために次第に荒廃し、大正になったころには廃道同然となっていた。1920年(大正9年)施行の旧道路法に基づく路線認定では、清水峠越えの旧8号に当たる路線はなく、群馬・新潟県境を通る国道はなくなった。この路線認定で現在の17号に相当する路線は、前橋までの国道9号「東京市より群馬県庁所在地に達する路線」および旧5号を継承する国道10号「東京市より秋田県庁所在地に達する路線」の東京 - 高崎間・小千谷 - 新潟間である。清水峠越えの道が国道から降格されたことを受け、1921年(大正10年)4月1日、三国峠を含む道路が「沼田六日町線」として再び県道に指定された。1934年(昭和9年)5月1日の内務省告示第251号によって、国道9号が三国街道経由で新潟市まで延長されて「東京市より新潟県庁所在地に達する路線」となり、現在の国道17号のルートとなった。これは、東京と満州を結ぶ最短ルートとして三国峠越えの道路が注目されたためである。これまでに述べたような状況により、当時の三国峠は改良が全くと言って良いほど行われておらず、自動車の通れる状態ではなかった。1940年(昭和15年)より三国峠の改良工事が開始されるが、第二次世界大戦の戦況の悪化により中断された。工事が再開されたのは戦後のことである。この工事はほとんど新設同様の改良工事になったが、カーブの終始端に挿入する緩和曲線に、積極的にクロソイド曲線が用いられ、のちに日本で初めてクロソイド曲線を使用した道路として群馬県側の沿道に記念碑が建立された。1957年(昭和32年)に三国トンネルは貫通し、1959年(昭和34年)6月に供用開始され、群馬・新潟県境に初めて自動車の通れる道が通った。改良工事中の1952年(昭和27年)12月4日、新道路法に基づく路線指定で旧9号がそのまま一級国道17号(東京都中央区 - 新潟県新潟市)として指定された。1965年(昭和40年)4月1日に、道路法改正によって一級・二級の区別がなくなり一般国道17号となった。起点の日本橋から万世橋交差点までは、中央通りと呼ばれる。室町三丁目交差点で国道4号と分かれて単独区間となる。秋葉原付近では万世橋交差点、昌平橋交差点、神田明神下交差点とクランク状の経路で進路を北西に向ける。湯島聖堂前交差点からは、本郷通りとなる。本郷通りの区間は片側2車線となっている。本郷三丁目交差点で国道254号が分岐する。国道17号新大宮バイパスは現道から分岐せず、この国道254号から練馬区北町で分岐し埼玉県さいたま市北区で現道と合流する。東京大学の横を通り、東京大学農学部正門前の交差点(ここはかつて、中山道と日光御成街道の分岐点・本郷追分だった)で左折して本郷通りと分かれ、白山上交差点から旧白山通りとなる。東京大学農学部前から千石駅前交差点までの区間は片側1車線で自転車レーンが両側に整備されている。日本橋から千石駅前交差点まで中山道の道筋とほぼ重なるが、現在は「中山道」とは呼ばれていない。千石駅前交差点から白山通りに入ると片側3車線となる。その後、巣鴨駅付近を通り、明治通りと交差する西巣鴨交差点を過ぎると中山道に入る。このあたりは概ね片側2 - 3車線である。板橋三丁目交差点はかつて「平尾追分」と呼ばれる中山道と川越街道の分岐点だった場所で、同交差点付近は川越街道の道筋と重なっている。その後、戸田橋を渡り埼玉県に入る。戸田橋を渡り終えると片側1車線となる。この先、与野大宮道路の一部区間を除きさいたま市北区の大成跨線橋を渡った先にある東大成町交差点までは片側1車線の区間である。交通量が非常に多く、さいたま市大宮区の桜木町交差点などをはじめとして渋滞が頻発している。東大成町交差点から鴻巣市の箕田交差点までの区間は、片側2車線の大宮バイパスの区間に入り、途中の吉野町ICで東京都練馬区から続く新大宮バイパスと合流する。この大宮バイパスの区間では他に主要な幹線道路が無く、全線の至る箇所で渋滞が発生する。また、この区間では平行して上尾道路が現在整備中である。さいたま市浦和区の北浦和駅入口交差点から中央区の下落合交差点まで、及び中央区の八幡通り交差点から上落合交差点までは、さいたま国際マラソンのコースに指定されている(いずれも進行方向は日本橋方向)。鴻巣市の箕田交差点で熊谷バイパスと分かれた後も片側2車線の道路が続くが、鴻巣市北部の吹上地区で片側1車線区間となる。熊谷市の市街地に入ると片側2車線になるが、市街地が終わると再び片側1車線となる。この先、群馬県に入るまで片側1車線が続き、国道140号・国道407号と合流する熊谷警察署前交差点や深谷バイパスと合流する深谷市の四拾坂下交差点 - 本庄市内では渋滞が発生しやすい。このため、現在は上武道路や本庄道路の整備・調査が行われている。児玉郡上里町を過ぎて神流川橋を渡ると群馬県に入る。群馬県内及び新潟県内で国道17号と並走する関越自動車道は埼玉県内では川越・東松山方面を通る国道254号に並走していることから国道17号と関越自動車道との接点が極めて少なく、このことが埼玉県内区間の渋滞の要因の一つとなっている。群馬県で最初に通過するのは高崎市の新町地区で自衛隊前交差点を過ぎると下り線は片側2車線(上り線は藤岡市の立石東交差点以北で片側2車線)となる。藤岡市の北部をかすめるように通過し、烏川をわたる手前で再び高崎市に入る。交通の要衝である高崎市内には新町地区の新町バイパスを含め、倉賀野バイパス・高崎バイパス、後述の高崎前橋バイパスと4つのバイパスが整備されている。高崎市の君が代橋東交差点で軽井沢・長野方面へ向かう国道18号(国道406号重複)及び国道354号が分岐し、以後前橋市の石倉三丁目交差点まで高崎前橋バイパスの区間に入る。このバイパスは高崎市の上並榎町交差点から前橋市のNHK前交差点までの区間が北関東では希少な6車線で供用されている。高崎市と前橋市の市境付近で関越自動車道前橋IC(当ICは関越自動車道と国道17号が接続する最南端のICである)を通過し、利根川に架かる群馬大橋を渡ると群馬県の県庁所在地である前橋市中心部に入る。程なくして国道17号は表町一丁目交差点を左折、その後前橋市内を北上する。田口町南交差点で前橋渋川バイパスと分岐し、現道は渋川市北橘地区の南端部を通って利根川を渡り渋川市中心部に向かう。一方、前橋渋川バイパスは暫定2車線であり、現道と分岐後すぐに利根川を渡り、現道が通過しない北群馬郡吉岡町を経由して関越自動車道渋川伊香保ICの手前の渋川市半田で現道と合流する。渋川伊香保ICから約2km先に鯉沢バイパスが分岐し、現道は渋川市子持地区の中心部を通り、一方のバイパスは当中心部を通ることなく沼田方面に行くことができる。現道と鯉沢バイパスの合流後も引き続き片側1車線となる。上越線・利根川と並走しながら渋川市を北上すると徐々に山あいの区間となり、沼田市を経て利根郡みなかみ町の月夜野地区を過ぎると群馬・新潟県境の三国トンネルへ向けて勾配がきつくなっていく。なお、並行する関越自動車道の関越トンネル区間(水上IC - 湯沢IC間)が危険物積載車両(核燃料を除く)の通行を禁止しているため、該当車両はこちらの三国トンネルへ迂回し越境する。三国トンネルを越えると南魚沼郡湯沢町に入り、山道としては比較的直線の多いルートを通る。ただし、湯沢ICまでの区間は特定大型車同士だとすれ違いがしにくい(どちらか一方が端に寄せて止まれば可能な幅ではある)狭小トンネルや高低差を下っていくための180度カーブなども存在する。三国トンネルの群馬側・新潟側の山道は冬季の際、チェーン装着か冬用タイヤ装着での走行が必須となる。前述のトンネル区間やカーブは冬期でなくても雨天時はスリップしやすいので走行には注意が必要である。この三国トンネルから魚沼市にかけては、沿線にスキー場などの観光地が多い区間となっている。湯沢町の中心部は片側2車線となる。南魚沼市からは盆地を通るが、長岡市の川口地区から小千谷市にかけて再び山間部を通る。長岡市の越の大橋以北は片側2車線となり、平野部を通る。国道8号・国道351号と接続する長岡市の川崎ICを直進すると国道8号との重複区間に入る(国道17号は川崎ICが事実上の終点である)。その後見附市・三条市(一部燕市を通過)を経て終点・新潟市へ至る。三条市内の一部区間と、新潟市南区の大野大橋以北は全線片側2車線以上となる(黒埼ICと紫竹山ICのランプウェイを除く)。ここでは、旧道が他の国道や県道に降格され、現道(本線)となっている路線は「細字」、旧道が現道(本線)のままであり、本来のバイパス機能を持つ路線は「太字」で記述する。群馬県高崎市経由区間熊谷渋川連絡道路経由区間群馬県(渋川市以北)群馬県 - 新潟県新潟県新潟県の長岡市から新潟市にかけての終端部分は、国道8号と完全に重複している。道路標識上の案内は重複路線の場合の上位にあたる「国道8号」だけであり、一般の利用者が国道17号として認識することは困難である。などなど※当初は利根郡みなかみ町(当時の利根郡新治村)内は1611kHz、南魚沼郡湯沢町、南魚沼市(当時の南魚沼郡塩沢町)では522kHzで放送されていたが、現在はすべて1620kHzに統一されている。なお、南魚沼郡湯沢町、南魚沼市のもの(南魚沼郡湯沢町大字三国字浅貝の新潟方面、南魚沼郡湯沢町湯沢 - 南魚沼郡湯沢町神立の新潟方面を除く)は、1980年12月5日に日本で初めて設置された路側放送である。(※東京都内 - さいたま市間は新大宮バイパス、熊谷市 - 前橋市間は上武道路、前橋市 - 渋川市間は前橋渋川バイパスの区間を除く。両区間内についてはそれぞれの項目を参照)(※東京都内 - さいたま市間は新大宮バイパス、熊谷市 - 前橋市間は熊谷バイパス・上武道路の区間を除く。両区間内についてはそれぞれの項目を参照)
出典:wikipedia
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