仙山線(せんざんせん)は、宮城県仙台市青葉区の仙台駅から山形県山形市の羽前千歳駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。宮城県の県庁所在地である仙台と山形県の県庁所在地である山形とを結んでいる。名称は、仙台と山形から頭文字を1字ずつとって付けられた。日本初の交流電化が行われた路線でもある(詳細は「#交流電化発祥の地」の節を参照)。起点の仙台駅で東北新幹線および東北本線に、終点の羽前千歳駅では奥羽本線に接続している。羽前千歳からはすべての列車が奥羽本線の山形駅に直通するため、運転系統としての仙山線は奥羽本線羽前千歳駅 - 山形駅間を含んでいる。同区間には軌間の異なる山形新幹線/山形線(軌間1,435mm)用とは別に独立した単線が仙山線用に敷設されており、北山形駅 - 山形駅間は左沢線の列車と共用している。全線が仙台市内と山形市内にあり、東北本線との分岐部分で僅かに仙台市宮城野区、奥新川駅 - 仙山トンネルの間は一部太白区を通るものの駅や信号場などの施設はなく、駅はすべて仙台市青葉区内と山形市内にある。途中で他の市町村を通ることなく県庁所在地同士を直接結び、かつその両都市のみで完結するJRの路線は仙山線のみである。県境付近は勾配の厳しい山岳区間で、運行車両にもそれに対応する性能が求められるほか、秋季には車窓から紅葉を見ることができる反面、落葉によって車輪の空転が引き起こされ、ダイヤが乱れやすい。車輪が空転する状況が予想される場合は機関車が「落ち葉掃き列車」として走行することがある。この「落ち葉掃き列車」には、当初仙台車両センター所属のED78形電気機関車が使用されていたが、同型式の全廃後はED75形電気機関車に変更され、近年は郡山総合車両センター所属のDE10形ディーゼル機関車や、落ち葉掃き用の装置を仮設したE721系電車が使用されている。1972年(昭和47年)から仙台市内区間は特定都区市内の対象路線となった。当初仙山線で対象となるのは北仙台駅のみであったが、後の新駅開業及び旧宮城町の仙台市への吸収合併に伴い宮城・山形県境の奥新川駅まで拡大している。2003年(平成15年)からは仙台市都心部と愛子副都心とを結ぶ仙台駅 - 愛子駅間がICカード乗車券「Suica」の仙台エリアに含まれ、2004年(平成16年)からは仙台駅 - 山寺駅間が「仙台まるごとパス」適用区間となった。仙山線の各種案内サインなどに用いられるラインカラーは、黄緑色に設定されている。2014年(平成26年)4月1日からは全線が大都市近郊区間として新設された「仙台近郊区間」となり、作並駅・山寺駅でもICカード乗車券「Suica」が利用可能となった。全線、仙台支社の管轄である。仙山線は、愛子を境に路線の持つ性格が大きく変わる。仙台から愛子まで(旧仙山東線)は沿線に住宅地が多いことから都市近郊輸送路線としての性格が強く、愛子の先は田園地帯や観光地が広がるローカル線色が濃い。仙山線の列車は仙台駅の7・8番線から発車する。線路はしばらく東北本線に並行するが、ダンロップスポーツクラブ(旧キリンスポーツクラブ→キッツスポーツスクエア)の辺りから急勾配・急カーブで東北本線を一気に跨ぎ西側へ進路を変え、梅田川を右岸から左岸に渡り、建設当時の仙台市街地の外縁部を走る。この東北本線と分かれて北仙台駅までの区間は歌枕「玉田横野」を突っ切る区間であり、東照宮駅を過ぎると梅田川および台原段丘の段丘崖との並走区間に入って、崖の斜面や土盛りの上を通りながら、北仙台付近で再び梅田川右岸となる。北仙台では高層マンションが立ち並び、都市部の風景が広がる。北仙台駅を過ぎるとすぐ旧奥州街道と交差し、以後、梅田川と並走しながら北山丘陵北斜面を走る。北山駅を過ぎると北山丘陵南斜面側に移り、国見丘陵南斜面を走って、梅田川流域から広瀬川流域にかわる。丘陵地はマイホーム用の住宅地として開発されているが、東北福祉大前駅と次の国見駅付近には大学、市立高校があり、通勤客と通学客の行き先は反対になる。また、通学・帰宅時間帯には多くの学生で混雑する。トンネルを過ぎると大規模な仙台市葛岡墓園が広がり、住宅開発はあまり見られなくなる。葛岡駅を過ぎると丘陵地から平地に降りて愛子盆地に入り、陸前落合駅、愛子駅と続く。愛子盆地は開発抑制がなされていたが、道路交通の要衝であることから市街化区域に用途地域が変更され、人口が急増している地区である。愛子からは広瀬川と並走し、山と田園の風景が広がる。なお、陸前白沢 - 熊ケ根間にある熊ヶ根鉄橋は深い峡谷に架かるものであり、絶景である。そして、温泉地である作並駅を過ぎると山を越えて広瀬川支流の新川流域に入り、奥羽山脈の山岳風景一色となる。なお、作並 - 奥新川間に2014年(平成26年)3月まであった八ツ森駅(臨時駅)は、1970年(昭和45年)まで存在した八森スキー場へのアクセス駅として利用されたが、後に秘境駅の一つとして鉄道ファンに認識されていた。奥新川駅も深い山の中に存在するが、こちらは定期列車が停車する。奥新川駅付近にはかつて秋保鉱山(大正初期 - 1961年)があり、新川森林鉄道(1936年 - 1960年)の発着駅ともなっていたため、人口600人あまりの集落が存在した時期もあったが、現在はブナの森や渓流を楽しむ行楽客が利用する。奥新川を過ぎると、奥羽山脈を貫く「仙山トンネル」に入る。トンネルを抜けると山形市に入り、面白山高原に着く。当駅は、鉄道でしか訪れることができないスキー場であるスノーパーク面白山のゲレンデの中にあり、駅構内からスキーリフトに乗れる。そのため、冬季には当駅で降りてすぐスキーやスノーボードができるよう、仙台や山形の市街地の駅から、まるでゲレンデ内にいるようにスキーウェアを着、スキー靴を履いたまま仙山線に乗り込む者がよく見られる。冬場以外では面白山への登山客が当駅を利用する。また、この付近を始め、作並 - 山寺間などで、秋は紅葉によって車窓が華やかに彩られる。山寺(立石寺)付近は観光地であるため旅館や土産屋が目立つ。山寺を過ぎるとのどかな田園風景が広がる。高瀬付近はスタジオジブリの映画『おもひでぽろぽろ』の舞台である。羽前千歳から先は、正式には奥羽本線だが、山形新幹線や山形線とは別の狭軌線路を走る。羽前千歳のすぐ先で山形新幹線・山形線の標準軌線路と平面交差して右側に移り、北山形を過ぎると左沢線と合流し、まもなく山形駅に到着する。運転系統としては、仙台駅 - 山形駅間であり、羽前千歳駅 - 山形駅間では奥羽本線に乗り入れる形をとる。この羽前千歳駅 - 山形駅間は1999年の山形新幹線の山形駅 - 新庄駅間の延伸に伴い、複線の奥羽本線のうちの単線が狭軌(軌間1,067mm)から標準軌(軌間1,435mm)に改軌され、それと同時にもう1本の単線が仙山線・左沢線の乗り入れ用として狭軌のまま残された。それ以降、実質的には仙台駅 - 山形駅間の全区間で独立した単線を持つ路線となっている。仙台駅に近づくほど日中でも利用者が増えていくため、列車は終日にわたり4両または6両(朝の701系運用のみ2両)編成で運転される。1937年(昭和12年)の全線開通日の一番列車では、上りが山形発5時25分、仙台着7時57分で所要2時間32分、下りが仙台発5時58分、山形着8時34分で所要2時間36分であったが、両都市間の移動では当時最速であった。その後、日本初の交流電化を初めとした技術革新により所要時間は短縮されていき、山形自動車道の整備によって両都市間を結ぶ自動車専用道路が全通となる1991年(平成3年)を前にして、1990年(平成2年)には95km/hまで最高速度を上げ、仙台 - 山形ノンストップ特別快速「仙山」の所要時間は51分まで短縮された。しかし、1998年(平成10年)7月に笹谷トンネルが山形自動車道に編入されると、同年12月には「仙山」は仙台 - 山形ノンストップではなくなり、最短の所要時間は徐々に長くなった。全線を通して運転される都市間連絡列車として快速列車が、朝ラッシュ時から夕方にかけて、1 - 2時間に1本の割合で運転されている。停車駅パターンとしては、の3種類がある。1.の列車の途中停車駅は北仙台駅・国見駅・陸前落合駅・愛子駅・作並駅・山寺駅・羽前千歳駅・北山形駅である。主に3.の列車が運転されていて、2.の列車は夕方に1本のみである。停車駅パターンの種類が最も多くあった時期には6種類あった。このため乗客からのわかりづらいという意見や、停車駅の誤通過も相次いだことから基本的に普通列車を増発することで、停車駅のパターンを大幅に減少することとなった。ところが、その後はダイヤ改正の度に停車駅パターンを頻繁に変更している。2004年10月15日までは3種類であったが、翌16日の改正時点で5種類に増加し、2005年12月10日の改正では4種類に削減され、2012年3月17日には3種類になっている。さらに2014年3月15日の改正では最速達列車が2往復に減少し、仙台駅 - 愛子駅間の各駅に停車する快速が大幅に増えた。さらに2015年3月14日の改正では奥新川駅と面白山高原駅への快速の停車が取りやめとなった。2003年9月30日までは、土曜・休日に途中停車駅を山寺駅と北仙台駅に限定した特別快速「ホリデー仙山」があったが廃止された。また、1999年3月11日までは仙台駅と山形駅をノンストップで結ぶ特別快速「仙山」があった。奥羽本線福島駅 - 山形駅間改軌工事の折、当該区間で列車運行が不可能であったことから、輸送力不足を補うために、455系電車9両編成によるノンストップの特別快速「仙山」の運転も見られた。天候不良やダイヤの遅れなどにより普通列車の一部が運休になった場合、快速列車の種別にかかわらず仙台駅 - 愛子駅間各駅停車となることがある。近年では快速列車の運行本数は減少傾向にあり、代わって仙台駅 - 山形駅間の普通列車が増加傾向にある。普通列車はすべての列車が仙台駅発着である。快速列車の運転されない時間帯に仙台駅 - 山形駅間直通の列車があるほか、仙台駅 - 愛子駅・作並駅間の区間運転もある。1時間あたり2 - 4本の列車が運行されている。仙台の近郊区間であり、通勤・通学利用客が多く、仙台圏のJR在来線では東北本線(白石 - 仙台間)に次ぐ需要がある区間となっている。1984年(昭和59年)2月1日のダイヤ改正において、仙台駅 - 愛子駅間に北山および国見の両駅が開業したことに伴い、愛子駅に3番線ホームを開設して同区間に区間列車を設定した。これにより同区間の普通列車の本数は急増し、ダイヤ改正ごとに増発が繰り返された。しかしこの区間は最急勾配25‰の単線である上、交換可能駅が北仙台駅・国見駅・陸前落合駅のみであるため増発は困難になっている。このような過密ダイヤのため、時折設定される臨時快速列車(「ゲレンデ蔵王」「ゴロンとさくらんぼ山形」など)は定期快速列車と比較して停車駅が大幅に少ないにもかかわらず普通列車よりも時間がかかる。根本的な増発対策として、仙台駅 - 北仙台駅間の高架複線化の構想があるが、東照宮付近の景観悪化が課題となって、実現には至っていない。通勤需要の多い仙台駅 - 愛子駅間や観光需要の多い作並駅 - 山形駅間と比べると利用者数が少なく、昼時間帯の陸前白沢駅・熊ケ根駅は普通列車が2時間に1本程度停車するのみである。沿線には作並街道沿いに集落が点在しているが、利用シェアは競合する仙台市営バス(1時間あたり2本)に大きく水を空けられており、陸前白沢駅・熊ケ根駅ともに1日平均乗車人員が100人前後の閑散区間である。かつては仙台駅 - 作並駅間の区間列車が多数設定されていたが、その大半が愛子駅折り返しに見直され、2012年3月17日のダイヤ改正時点で下り作並行き2本・上り仙台行き3本のみの運行となった。さらに2015年3月14日のダイヤ改正で夕方の1往復が愛子止まりとなり、朝の下り作並行き1本と上り仙台行き2本のみとなった。快速列車の合間をぬうように普通列車が運行されている。1時間あたり1 - 2本程度の運行頻度である。近年は高速バスの台頭により仙台駅 - 山形駅間の通しの客は減少傾向であるが、それほど利用が少ないわけではない。この区間は作並温泉や松尾芭蕉のおくのほそ道でも有名な「山寺」、スキー場のある「面白山」などの観光地、行楽地があるため、観光・行楽シーズンは混雑する。一部を除く快速の停車しない駅は沿線人口が少なく、愛子駅 - 作並駅間とほぼ同程度の運行頻度である。東北本線直通列車は以前は福島駅・松島駅・小牛田駅などあらゆる方向へ乗り入れていたが、2001年以降本数が少しずつ減り、2007年3月18日のダイヤ改正で2本あった東北本線の直通列車は消滅した(すべて仙台駅発着)。山形新幹線開業以前は奥羽本線の山形以南米沢方面や羽前千歳以北新庄方面への直通運転も行われていたが、山形新幹線の開業に伴い山形以南米沢方面への直通が不可能となり、奥羽本線への乗り入れは新庄方面のみとなった。さらに、山形新幹線が新庄駅まで延伸されると、奥羽本線とは完全に分離された状態となり、山形側からの直通運転が事実上不可能になった。また、以前より仙山線の列車が仙台空港線仙台空港駅まで乗り入れ、山形と仙台空港を結ぶ構想がある。しかし、2005年12月に行われた宮城・山形両県知事とJR東日本との会談で、採算性等の面から開業と同時に直通運転するのは困難との見解がJRから示された。この件は長期的な課題として、引き続き山形県側が中心となって働きかけを行っている。2007年4月・5月には団体専用臨時列車として山形・仙台空港間を直通する列車が走った。仙台車両センター所属車が運用されている。定期列車はすべて電車で運行されている。1991年の路盤改良までは作並駅 - 山寺駅間を走行する車両の重量に制限がかかり、また車輪空転の懸念があったため軽量車も原則入線できなかった。また車両の生産には非常に高価となる交流電源による電化方式が原因となり走行可能な車両は後述の455系と417系電車、それにキハ58系気動車、ED78形電気機関車しか存在しなかった。417系は少数生産に留まり、717系は抑速ブレーキを装備していないため線内での本格的な運用はなされず、同じ線区で30年以上にわたり大量の455系が在籍し続ける結果となった。2001年の455系撤退後も勾配線区に適した車両は存在せず、勾配線区向けの車両が開発されるまでやむなく一部列車に運用されていた平地向けの719系0番台を勾配線区対応としたが、後述のように車輪空転が多発し、約5年後の2007年にようやく勾配線区対応のE721系が投入される運びとなった。このほかに1980年代前半までは主に客車を使用しており、郵便車も連結していた。改正鉄道敷設法別表第20号前段に規定する仙台と山形を短絡する鉄道である。第46回帝国議会で路線承認されて1923年(大正12年)の着工が決定されたが、大正関東地震(関東大震災)が発生したため着工が延期となった。その後、1926年(大正15年)4月に宮城県側が仙山東線(せんざんとうせん)として着工し、1929年(昭和4年)に開業するが、山形県側の仙山西線(せんざんさいせん)は終端駅問題によって着工が遅れ、1932年(昭和7年)9月にようやく着工。1937年(昭和12年)に全通して両線は1つの路線として仙山線と改称された。宮城県と山形県の県境区間には、全長5,361mの仙山トンネルがあり、この長大トンネルを克服するため作並 - 山寺間は開業当初から直流電化されていたが、1955年(昭和30年)に日本初の交流電化が行われ、各種の試験が実施された(詳細は後述)。1960年(昭和35年)に山形県側の直流電化区間が山形まで延長されたが、1968年(昭和43年)に作並 - 山形間も交流電化に切り替えられている。当初より、仙台 - 山形間の都市間連絡を目的とした幹線鉄道であったため、駅間が長かった。1980年代中頃から、地域輸送の充実を目的として仙台 - 愛子間を中心に新駅が設置されている。これは、仙台市都心部の交通渋滞悪化などにより、定時性のある鉄道での通勤通学需要が起こり、また沿線の宅地化で新駅設置してもペイするようになったためである。仙台空港鉄道仙台空港線(2007年開業)の建設にあたって、仙山線の高速化および仙台空港アクセス線との相互直通化の調査を1999年(平成11年)度から国土交通省が行い、各界からも両件実現を望む声が上がった。続いて東北運輸局も両件に関して「公共交通活性化総合プログラム」の調査を行った。しかし2004年(平成16年)から、東北・山形自動車道経由で仙山間を結ぶ高速バス・仙台 - 山形線の増発により旅客争奪戦を強いられ、全線を通して乗車する利用客は減少した。他方、愛子盆地の人口増加と仙台西道路のラッシュ時の混雑により、愛子盆地住民の都心部への自動車・バスによるアクセス時間が延長してきたため、定時性のある仙山線通勤の需要が高まり、愛子や陸前落合などの旧来からの駅の利用客も増えている。また、2001年(平成13年)からの仙台市の「アクセス30分構想」に基く仙台市のオムニバスタウン事業により両駅の駅前広場は整備され、仙山線は仙台 - 愛子間の近郊輸送に重点を置いたダイヤが組まれている。ただ、両都市間の輸送はもとより、途中駅から仙台・山形両方面へ向かう乗客もおり、引き続き都市間連絡路線としての役割を担い続けている。また、冬季の運休が多く見られる山形新幹線のバイパス路線としても機能している(山形新幹線は大雪や強風での運休が多く、仙山線は大雪の運休が少ないため)ということもあり、再び仙山線における仙台 - 山形間通しでの利用客は増加傾向にある。また近年は原油価格高騰によるバス運賃の値上げにより、割引回数券利用の場合はJRの方が安くなっている。休日は主に山寺駅や作並駅を利用する客が多く見られ、また冬季はスキー場へのアクセスとして面白山高原駅の利用も多く見られる(1937年の全通時に、宮城県側の八森スキー場(既に廃止)および山形県側の面白山高原スキー場へのアクセス駅が各々設置された)。1955年(昭和30年)8月10日、商用周波数による交流電化の試験のため、陸前落合 - 熊ケ根間に日本初の交流電化が実施された。当初は、世界で初めて交流電化を実用化したフランスからの試作機導入を目論んだが不調に終わり、交流を使用して交流整流子モーターを直接駆動する方式(直接式)と、交流を整流器で直流に整流して直流モーターを駆動する方式(間接式)の2方式の交流用電気機関車(ED44形・ED45形)や電車(クモヤ790形)を日本国内で試作し、各種の試験に供した。1957年(昭和32年)9月5日、試験区間は仙台 - 作並間に拡大され、同時に交流電化区間における営業運転が開始された。作並 - 山寺間はすでに直流電化されていたので、作並駅は日本初の交直流接続駅となり、交流と直流の地上切り替えのための設備が設けられた。また、交流電化と直流電化の2つの異なった電化区間を直通運転するため、日本初の交直流両用電車(クモヤ491形)が試作され、車上切り替えの試験も実施された。ここで得られたデータや技術は、以後の幹線交流電化やそこで運転される車両にもに活かされ、さらには新幹線の成功にもつながっていくことになる。1968年(昭和43年)9月8日、奥羽本線の交流電化延伸により、作並 - 山形間の電化方式は直流から交流に切り替えられ、作並駅の交直流地上切り替え設備も役目を終えたが、同駅ホームには日本初の交流電化を記念する「交流電化発祥地」の碑が建てられている。便宜上、羽前千歳駅側の全列車が直通する奥羽本線山形駅までの区間を掲載。仙山線の仙台駅 - 愛子駅は、開業当初から1980年代までは仙台・北仙台・陸前落合・愛子の4駅のみであった。当時の仙山線沿線の住宅地は現在よりもはるかに少なく、北仙台 - 陸前落合までは山の間を走る路線であった。しかし1980年代のニュータウンブームによって、山であった仙山線沿線も急速に宅地化が進み、住民から新駅設置の要望が相次いだ。このため、請願駅として1984年に北山と国見、1988年に東照宮、1991年に葛岡駅(簡易駅)が相次いで開業した。この頃には小田原3丁目 - 4丁目のキリンビールの敷地(仙台駅 - 東照宮間)に新駅を設置する案が何度か出て、1986年12月には市議会に仮称小田原駅が請願されたが、今のところ実現には至っていない。2000年代に入ると再び幾つかの新駅構想が浮かび上がった。まず、沿線の東北福祉大学が北山駅と国見駅の中間地点の新駅設置に動き出し、JRや仙台市との間で協議した結果、東北福祉大学が建設費を全額負担することで設置が決定、東北福祉大前駅との名称に決まった。隣接地の仙台市青葉区国見1丁目に東北福祉大学の福祉大ビルが2006年12月に完成した。駅舎自体は2006年3月から工事が進められ、2007年3月18日に供用を開始した。また、青葉区中江付近から北仙台駅までを高架化し、新石巻街道踏切付近に新駅(中江駅)を設ける構想もある。高架化案に対しては東照宮駅付近の景観を害するものだとして、地元住民から反発の声も上がっている。市議会の議事録における議員や市当局の発言をまとめると、中江付近の立体交差についてはJRも同意しているので、時期は未定だが建設される見込みである。一方で、複線化は難しいとのことである。
出典:wikipedia
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