パトリシア・ニール(Patricia Neal、本名:Patsy Louise Neal、1926年1月20日 - 2010年8月8日)は、アメリカ合衆国の女優。ケンタッキー州で生まれ、テネシー州ノックスビルで育つ。ノックスビル高校卒業。ノースウェスタン大学でスピーチと演技を学んだ後にブロードウェイの舞台で活躍する。1947年には"Another Part of the Forest"でトニー賞を受賞した。その翌年に映画デビュー。1949年の『摩天楼』でゲイリー・クーパーと共演する。2人は2年前から不倫の関係にあり、それが明るみに出て大きなスキャンダルに巻き込まれた。ニールは妊娠したものの、クーパーの妻はカトリック教徒であるため離婚に応じず、子供を中絶せざるをえなかった。結婚後にスキャンダルらしいものがなかったクーパーには家庭的な良い夫のイメージができあがっていたため「クーパーを誘惑した年下の女(当時クーパーが46歳、ニールは21歳)」として、ニールはマスコミから袋だたきにあった。2人は結果的に別れ、ニール自身も落ち込み、仕事も来なくなったという。そんな時に、彼女を駆け出し時代から可愛がってきた劇作家リリアン・ヘルマンの紹介により、作家のロアルド・ダールと出会い、1953年にニューヨークで結婚、その後5人の子をもうけた。1957年に『群衆の中の一つの顔』でハリウッドに復帰する。ポール・ニューマンと共演した1962年の『ハッド』でアカデミー主演女優賞を受賞した。その際の記者会見では、昔クーパーからプレゼントされたという毛皮のコートを着て現れた。クーパーが亡くなったときにコメントを求められ、「彼は私の愛です。」(He is my love.)と語っており、クーパーとの恋愛を大切にしていることが伺える。1960年12月、生後4ヶ月の長男テオが交通事故で脳に障害を負う。1962年11月には長女オリヴィア(当時7歳)を麻疹脳炎で亡くす。1965年、5番目の子ルーシーを妊娠中に脳卒中に見舞われ、一時は歩くことも喋ることも出来なくなってしまう。彼女の固い意志と懸命なリハビリのおかげで、無事に出産し回復する。『卒業』(1967年)のミセス・ロビンソン役の申し出があったが、回復間もないこともあって断った。しかし1968年の"The Subject Was Roses"(日本未公開)で再びアカデミー賞にノミネートされた。彼女のリハビリを支えた夫のダールとは、彼の度重なる浮気を理由に、30年の結婚生活を経て1983年に離婚している。2010年、肺癌が原因で死去。日本では1990年に、彼女の自伝『真実 パトリシア・ニール自伝』が新潮社から刊行されている(現在は絶版)。この自伝の結びには「自分の愛した男性はゲイリー・クーパーただ一人だった」と記されている。次女で作家のテッサ・ダールの娘で、孫娘にあたるソフィー・ダール(父親は俳優スタンリー・ホロウェイの息子ジュリアン・ホロウェイ)はモデルとなった。
出典:wikipedia
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