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国境の南、太陽の西

『国境の南、太陽の西』(こっきょうのみなみ、たいようのにし)は、村上春樹の7作目の長編小説。1992年10月5日、講談社より発売された。装丁は菊地信義。1995年10月4日、講談社文庫として文庫化された。1991年2月にアメリカに渡り、プリンストンの住まいに落ち着くと村上はすぐに『ねじまき鳥クロニクル』の執筆にとりかかった。1年あまりをかけて書き上げたもの、妻から「多くの要素が盛り込まれすぎている」と指摘され3つの章を分離させる。その除かれた3つの章が本書の元となった。バブル絶頂期(1988年 - 1989年頃)の東京が主な舞台となっている。小説の前半3分の1ほどは、主人公が会社を辞めバーを開店するまでの半生が描かれている。「僕」は一人っ子という育ちに不完全な人間という自覚を持ちながら、成長と共にそれを克服しようとする。義父の出資で開いた「ジャズを流す、上品なバー」(文庫版、95頁)が成功し、二人の子供を授かり、裕福で安定した生活を手にするが、これはなんだか僕の人生じゃないみたいだなと思う。そんなとき、小学校の同級生だった島本さんが店に現れる。2000年6月30日に放映されたドイツの公開書評番組「文学カルテット」()に本書のドイツ語版『』(「危険な愛人」の意)が取り上げられた。同番組は1988年から続いており、ドイツだけでなくオーストリアやスイスでも同時に放映される人気番組であったが、日本の作品が取り上げられるのは初めてのことであった。仕切り役である評論家のマルセル・ライヒ=ラニツキー()は本書を賞賛するも、オーストリアの女性評論家ジーグリット・レフラー()は注目に値しないファーストフード文学と呼び、性描写をポルノ的で性差別的と見なし、ライヒ=ラニツキーと正面から対立した。論争は加熱し、番組終盤は両者間の個人攻撃と化した。この出来事はドイツ、オーストリア、スイスのマスコミによって広く報道され、そのことにより本書ドイツ語版は放送後2週間で2万2000部も売れたという。同年7月11日、全国紙の『ディー・ターゲスツァイトゥング』が本書が日本語からでなく英語からの翻訳であることを「スキャンダル」であるとして、強く非難した。日本および日本文化が専門であるヘルベルト・ヴォルム(Herbert Worm)教授も重訳されたドイツ語版には問題があることを指摘。村上の著作をめぐる文学論争は、重訳の是非の問題に発展した。7月下旬、レフラーは同番組のレギュラー・コメンテーターの座を降りることを発表。程なくしてドイツの新聞社は村上に対し、これら一連の騒動についてどう思うかという質問の手紙を出し、村上は当時コラムを連載していた『anan』誌上(2000年9月15日号)に、手紙に対する回答を書いている。なお、日本語から訳したドイツ語版は2013年5月16日にようやく出版された。翻訳者はウルズラ・グレーフェ()。タイトルも直訳の「Südlich der Grenze, westlich der Sonne」に変更された。

出典:wikipedia

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