阪和線(はんわせん)は、大阪府大阪市天王寺区の天王寺駅から和歌山県和歌山市の和歌山駅までを結ぶ西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)である。ほかに大阪府堺市西区の鳳駅から大阪府高石市の東羽衣駅までを結ぶ支線を持つ。大阪市南部のターミナルである天王寺から南へ伸び、大阪府南部の各都市を経由して和歌山市へ至る路線であり、JR西日本のアーバンネットワークの一角を成す。ラインカラーはオレンジ色()であり、選定理由は「陽光あふれる大地につながるイメージ」とされる。路線記号は R である。愛称も正式名称と同じ「阪和線」である。各駅でのアナウンスは「電車が到着します」「電車が通過します」と案内されるが回送の場合は「列車が通過します」と放送される。阪和線は、当路線より海側を通っている南海電気鉄道の南海本線と競合しているほか、天王寺駅(新今宮駅) - 三国ヶ丘駅間では南海高野線と、大阪市内では地下鉄御堂筋線・谷町線・近鉄南大阪線や阪堺電気軌道などとも競合している。和歌山駅では紀勢本線に接続しており、同線へ直通し南紀方面へ向かう特急列車も運転されている。関西国際空港が開港した1994年9月4日以降は、同空港へのアクセス路線としても重要な役割を持つようになっている。私鉄の南海山手線(旧阪和電気鉄道)を戦時買収して国有化した路線であるため、独特の三角屋根をもった特徴的な駅舎が数多く存在したが、近年駅舎の建て替えなどでその多くが姿を消した。また、日本国有鉄道(国鉄)の多くの駅でみられた2面3線の駅構造がなく、2面4線が主要駅の標準仕様となっている。のちに国鉄分割民営化によりJR西日本の路線となった。鳳駅から分岐する東羽衣駅までの支線は羽衣線などと通称されている。この区間にはラインカラーは設定されていない。なお、杉本町駅から分岐して八尾駅まで通じていた路線(2004年7月1日休止、2009年4月1日廃止)は「阪和貨物線」あるいは「阪和連絡線」と呼ばれていたが、これは阪和線ではなく関西本線の支線であった。支線も含め、全線が旅客営業規則上の「大阪近郊区間」および「電車特定区間」に含まれており、区間外よりも割安な近距離運賃が適用される。またIC乗車カード「ICOCA」の近畿圏エリアに含まれている。天王寺駅 - 長滝駅間(構内のぞく)と鳳駅 - 東羽衣駅は近畿統括本部が、長滝駅 - 和歌山駅間は和歌山支社が管轄している。天王寺駅では阪和電鉄時代から使用している地上の阪和線専用ホームからの発着が基本ではあるが、1989年(平成元年)7月22日に関西本線(大和路線)ホームからも発着が可能となり、特に関西国際空港開港後は大阪環状線と直通する列車を中心に大和路線ホームから発着する列車が大幅に増えている。地上ホームから出発するとすぐ右方向から近づいてくる環状線直通列車が通る連絡線と合流した後、高々架の近鉄南大阪線の下を通り美章園駅に到着する。その先しばらくすると阪神高速14号松原線(その地下には大阪市営地下鉄谷町線も走っている)と交差する。1929年(昭和4年)の開業時は天王寺駅からここまでが高架で開通し、下に南海平野線が走っていた。この先は杉本町駅の手前まで2004年に完成した高架区間を走る。右手に桃ヶ池公園が見えると南田辺駅、そして右手に長池公園、元シャープ本社と続くと待避線のある鶴ケ丘駅に到着する。鶴ケ丘駅は長居陸上競技場の最寄り駅である。車窓から見える長居公園内にある大阪市長居球技場(キンチョウスタジアム)が視界の後方に移動すると長居駅に到着する。地上駅時代にはこの長居駅に待避線があったが、高架後待避線は鶴ケ丘駅に移されている。かつて長居駅の前後にはあびこ筋(府道28号大阪高石線)・長居公園通(国道479号)との踏切があり、渋滞の絶えない箇所であった。我孫子町駅を過ぎると高架区間は終了し徐々に高度を下げる。地上に降りると大阪市立大学の最寄り駅で待避線のある杉本町駅に着く。2008年までは関西本線久宝寺駅から伸びていた阪和貨物線の終点であった。大和川を渡り堺市に入る。堺市に入って最初の駅が浅香駅である。浅香駅の南側でも西除川と狭間川という二つの川を渡る。次が快速停車駅の堺市駅である。堺市駅を出ると高架道の大阪府道12号堺大和高田線の下を通る。金岡南二踏切を過ぎると徐々に線路脇の地面が高くなって掘削部を進むようになる。そして中央環状線の下を通ると南海高野線との接続駅である三国ケ丘駅に到着する。三国ケ丘駅を出るとすぐに南海高野線と国道310号(西高野街道)の下を過ぎ、徐々に高度を上げ百舌鳥駅に着く。日本最大級の古墳である大仙古墳(仁徳天皇陵)は進行方向の右側(西側)に見える。百舌鳥駅を出ると西側には広々とした大仙公園の風景がしばらく続く。また西側だけでなく東側にも古墳が見受けられるようになる。泉北1号線の通称がある府道34号堺狭山線の交差する場所に新幹線型の待避構造をもつ2面4線の上野芝駅がある。上野芝駅を出ると百済川を越え津久野駅に到着、その先で石津川を越えそして右手に大鳥大社が見えてくると堺市西区の中心駅である鳳駅に着く。鳳駅は東羽衣駅への支線が分岐しており、鳳駅の南東に車両基地(2012年5月31日までは日根野電車区鳳派出所)も併設されていて、阪和線における拠点駅の一つである。車両基地の奥にはかつて帝國車輌(のちの東急車輛製造大阪工場)が存在し鉄道車両の製造を行っていたが、現在はショッピングセンターのアリオ鳳に変わっている。高石市に入ると富木駅があるが、すぐに和泉市に入る。堺泉北有料道路の下を過ぎると和泉市最初の駅である北信太駅で、信太山駅と続き、和泉市の中心駅である和泉府中駅までほぼ直線が続く。なおこの区間(信太山駅 - 和泉府中駅間)には駅の設置はないが泉大津市との市境が入り乱れている部分もあり、立体化が進められない要因の一つになっている。和泉府中駅には一部の特急が停車する。和泉府中駅を発車すると地下道化された国道480号を越える。以前の踏切は残されているが立体化により渋滞は無くなった。徐々に駅間距離も長くなり、毎日牛乳和泉工場を過ぎて岸和田市に入ると、久米田駅・下松駅と続き、待避線のある東岸和田駅に着く。東岸和田駅は快速停車駅でありながら地平駅でホーム幅が狭く駅前後に踏切がある旧態依然の形であるため、連続立体交差化の工事が開始されており、下り線は橋上ホームとなった。右手のイオン東岸和田店の隣には私立病院があるが、そこは関西圏でシネコンのさきがけとなったワーナー・マイカル・シネマズ東岸和田の跡地である。待避線のある東貝塚駅は国鉄時代に貨物営業を行っていたときに補機の連結・切り離しを行っていたために構内はやや広いがホーム幅は東岸和田同様に狭い。また近くにはユニチカ貝塚工場も存在していた。少しして水間鉄道水間線、府道貝塚中央線・13号線の通称を持つ府道大阪和泉泉南線を越えて和泉橋本駅に着く。この駅あたりから徐々に山谷が増えだし、右手には次第に関西国際空港が見え始める。泉佐野市に入って東佐野駅を過ぎ国道170号(大阪外環状線)の下を通ると快速停車駅で待避線のある熊取町の中心駅である熊取駅に着く。近年はバリアフリー対応の改良工事や駅前広場が完成するなど、開発が進んでいる。再び泉佐野市に入って左手に見えるイオンモール日根野を過ぎると、関西国際空港の玄関口である日根野駅に着く。日根野駅を過ぎると右手に関西空港線が分かれ、左手に吹田総合車両所日根野支所が見える。関西空港自動車道・国道481号の下を通ると日根野支所が途切れて、車窓は田園地帯が目立つようになる。2面4線の長滝駅と進むにつれて住宅地が広がり、泉南市に入って新家駅を過ぎると快速停車駅(一部の特急も)である和泉砂川駅に着く。またかつて駅周辺には遊園地も存在していたが、現在は住宅地になっている。和泉砂川駅を過ぎると徐々に勾配区間が増える。孝子峠へ向けて進路を南西に取り続ける南海本線と異なり、阪和線は阪南市に入るとすぐに雄ノ山峠へ向けて進路を南に取り、和泉鳥取駅構内のカーブを過ぎ住宅地を抜けると長い山岳区間に入る。阪和自動車道や大阪府道64号が並行して走り、カーブが多くなり、春には多くのカメラマンや桜の花見客が訪れる山中渓駅に着く。駅近くには「わんぱく王国」という遊園地もあり、土休日には家族連れなどで賑わっている。山中渓駅を過ぎると程なく左側に山中渓温泉(廃業)が見えた後、和歌山県に入りトンネルが多くなる。長い雄ノ山トンネルを抜けると右カーブしながら徐々に高度を下げる。左手に住宅や畑が点々と目に入り、平野部に向かって下り勾配を一直線に下り始める。カーブを曲がり左手に和歌山県道7号が見え始めると快速停車駅の紀伊駅、再び田畑や住宅地が点在し、阪和自動車道をくぐると六十谷駅に到着する。六十谷駅の先で紀の川を渡り、右にカーブすると住宅地に入り、国道24号を渡ってすぐに盛土駅の紀伊中ノ島駅に到着。紀伊中ノ島駅のすぐ先にある鉄橋の下には元々和歌山線が走っていて、駅の西側には和歌山線の紀伊中ノ島駅のホームが残っている。そして和歌山市駅方向から伸びてきた紀勢本線を越えて地平に下り始める。紀勢本線と和歌山線が左手に並行して走ると終点和歌山駅に着く。和歌山駅は和歌山市の玄関口であり、特急列車や一部の快速列車は紀勢本線海南・紀伊田辺方面に直通している。日根野駅 - 和歌山駅間では一部の快速と紀州路快速の大半が2011年3月12日のダイヤ改正で普通と統合され、日中のすべての快速がこの区間で各駅に停車するようになる。羽衣線の列車は、鳳駅西側の5番のりばから発着する。ホームは島式であり、かつては反対側は6番のりばとして使用されていたが、現在はホームの端に柵が設けられており線路は撤去されている。ホームと線路は右にカーブしている。列車が鳳駅を発車してもしばらく右カーブが続き進行方向を南から西に変える。程なく線路は高架区間に入り徐々に高度をあげる。羽衣線のほぼ中間地点にある片側3車線の道路が国道26号(第二阪和国道)である。その国道26号を越えて西進する。地面の標高自体下がってくるため、高架のままではあるがこの先東羽衣駅まで下り坂である。やや右カーブした箇所を通り過ぎると終点の東羽衣駅に到着する。すぐ西側には南海本線羽衣駅がある。阪和線内運転の列車のほか、大阪環状線・関西空港線・紀勢本線(きのくに線)や梅田貨物線に直通運転する列車も設定されている。日中の1時間あたりの本数は、普通は天王寺駅 - 鳳駅間で4本、区間快速が天王寺駅 - 日根野駅間で4本運行されている。日根野駅 - 和歌山駅間では特急の優先度がより高まるために、日根野駅および和泉砂川駅で特急と紀州路快速の緩急接続または通過待ちが行われている。天王寺駅構内では、大和路線と平面交差して単線で運転を行っていた阪和線との短絡線を複線化する工事が行われ、2008年3月15日のダイヤ改正より使用を開始した。関空快速の大和路線JR難波駅乗り入れを廃止して、日中の天王寺駅 - 和歌山駅間の快速と大阪環状線直通の関空快速・紀州路快速に統合され、この時間帯の関空快速・紀州路快速が1時間あたり3本となった(2011年3月12日に4本に増発)。この複線化は、大和路線のダイヤの乱れがあまり影響しないようにする効果もある。また、朝ラッシュ時に大阪環状線内各駅停車となる直通快速も運転が開始された。全般的に天王寺駅 - 日根野駅間では8両編成の快速が大幅に増えたために、南海本線と輸送力で差がつくことになった。しかし、2011年3月12日のダイヤ改正で昼間時の鳳駅 - 日根野駅間は関空・紀州路快速4本+区間快速(当該区間は各駅に停車)4本となったため、この区間に限ってみると大阪駅までの直通運転が増加しているものの南海本線と輸送力が変わらなくなっている。2015年3月14日ダイヤ改正時点での運行概況は次の通り。特急は、京都・新大阪方面から梅田貨物線・当線を経て、きのくに線に直通する南紀方面への「くろしお」と、空港連絡列車として関西空港線に直通する「はるか」が運転されている。天王寺駅 - 和歌山駅間の特急の途中停車駅は、和泉府中駅・日根野駅・和泉砂川駅である。このうち、和泉府中駅・日根野駅は一部の「くろしお」・「はるか」が停車し、和泉砂川駅は一部の「くろしお」が停車する。これ以外の「くろしお」・「はるか」は天王寺駅 - 和歌山駅・関西空港駅間を途中無停車で直行する。日中時間帯は1時間あたり和歌山・白浜・新宮方面の「くろしお」が1本と関西空港方面の「はるか」が2本、合わせて3本が運転されている。多客期になると臨時列車も運転されている。基本的に6両で運転されるが、繁忙期やラッシュ時には増結して9両編成で運転される。快速は、全区間で一部の駅のみに停車する快速運転を行う。全列車223系0番台・2500番台・225系5000番台で運転されている。日中時間帯は運転されていない。天王寺駅 - 和歌山駅間を中心に、鳳駅・日根野駅発着のほか、きのくに線直通の列車も設定されている。大阪環状線からの快速日根野行きが3本運転されている。夜には東岸和田行きの列車が設定されている。きのくに線区間では基本4両編成での運用のため、8両編成運転の列車は日根野駅または和歌山駅で後ろ4両の切り離しを行う。また和歌山駅発着の列車も一部は日根野駅で増解結を行う。朝6時台・夜22時台(天王寺発は23時台)には新大阪発のきのくに線直通列車(朝は湯浅行き、夜は御坊行き)があり、この列車は「はるか」などと同じ梅田貨物線経由で走るため大阪駅を経由しない。天王寺駅 - 和歌山駅間では最速58分で運転されるが、停車駅が増加傾向にあることと、途中駅で特急列車の通過待ちをする列車が多いため、現行のダイヤでは同区間で60分を切る列車はほとんどない。以前は日中にも天王寺駅 - きのくに線御坊駅・紀伊田辺駅間を直通する列車が1時間あたり1本あったが、2000年3月11日のダイヤ改正で大半が系統分割されて和歌山駅発着になり、以後は早朝・深夜に限ってきのくに線直通(主に御坊駅と紀伊田辺駅発着)が設定されている。深夜に運転される列車に関しては、165系電車を使用し、1999年10月2日のダイヤ改正で紀伊田辺行きに変更されるまで夜行列車として新宮駅まで運転されていた。この列車は221系に置き換えられ、2010年3月13日のダイヤ改正で行き先が紀伊田辺駅から御坊駅に変更された。同年12月1日には、この列車は225系電車に置き換えられ、さらに2011年3月12日のダイヤ改正でほかの快速系統と同様、223系との共通運用となっている。かつては朝・夕方ラッシュ時に天王寺駅発着で和歌山線・きのくに線に直通する列車(両線直通列車を併結したいわゆる多層建て列車)もあった。2008年3月14日までは日根野駅で関空快速と併結する和歌山発天王寺行きも設定されていた。1994年9月3日までは基本的に日根野駅は通過していたが、当時の日根野電車区の入出区の関係で日根野駅始発・終着の列車のみ停車していた。また紀伊駅・六十谷駅に関しては1999年5月9日まではラッシュ時のみの停車、1993年3月17日までは紀伊中ノ島駅にもラッシュ時のみ停車していた(ただし当時は六十谷駅は通過)。2008年3月15日のダイヤ改正で和歌山駅発着の快速のほとんどは大阪環状線直通の関空快速・紀州路快速になり、天王寺駅 - 和歌山駅・きのくに線間の列車は朝・夕ラッシュ時と夜間の運転になり、2011年3月12日のダイヤ改正では、日中の大半の天王寺駅 - 日根野駅間の列車が区間快速に置き換えられた。この改正では夕方以降、はんわライナー廃止に伴い天王寺駅 - 和歌山駅間の列車が設定されており、熊取駅 - 和歌山駅間を各駅に停車する紀州路快速と異なりこの区間でも快速運転を行っている。2000年3月11日から2010年12月1日までは奈良電車区の221系、2011年12月10日までは113系も使用されていたが、225系の営業運転開始以降は徐々に撤退し、2012年3月17日のダイヤ改正で平日朝の区間快速を除いて223系・225系に統一され、4ドアの通勤型車両(103系・205系)で運転を行う列車は消滅した。直通快速は、2008年3月15日のダイヤ改正で平日の朝ラッシュ時に新設された大阪環状線直通の快速列車で、大阪環状線外回りを経由して大阪・京橋方面に運転されている。停車駅は、阪和線内は快速と同じで、大阪環状線内は各駅である。関空快速・紀州路快速と同様に、全列車223系0・2500番台・225系5000番台が使用されている。関空・紀州路快速と同様に関西空港・和歌山発系統を日根野駅で連結する列車も2本ある。2012年3月17日のダイヤ改正までは下り列車も運転されており、運転開始当初は大阪環状線から鳳行きと和歌山行きがそれぞれ1本ずつ運転されていたが、2011年3月12日のダイヤ改正から鳳行きは関西空港・和歌山行きに変更された。関空快速は、特急「はるか」とともに関西国際空港へのアクセス列車として、天王寺駅 - 関西空港駅間において同空港が開港した1994年9月4日から運転されている快速列車である。紀州路快速は、大阪方面から和歌山への観光客や通勤客の増大を図ろうと、これまでの京都・新大阪方面からの特急列車に加えて、1999年5月10日の改正で新設された快速列車である。いずれも阪和線内では、天王寺駅 - 熊取駅間で一部の駅のみに停車する快速運転を行う。2011年3月11日までは紀州路快速は熊取駅 - 和歌山駅間でも原則、快速運転を行っていた。いずれも大阪環状線発着で、天王寺駅から京橋駅・大阪駅・西九条駅経由で運転されている(一部列車は京橋駅発着)。紀州路快速は、きのくに線紀伊田辺駅・御坊駅・海南駅発着の列車も設定されている。車両は両列車とも223系0番台・2500番台・225系5000番台が使用されている。日中と夜間は京橋駅発着の一部列車をのぞき、天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅 - 関西空港駅間で1時間あたり4本が運転されている。基本的に大阪環状線 - 日根野駅間では関空快速と紀州路快速を併結して8両編成で運転されており、関空快速が関西空港・和歌山寄りに、紀州路快速が天王寺・大阪寄りに連結されている。なお、関西国際空港へのアクセス快速列車として、1995年4月20日から1999年5月9日までは、関空快速よりもさらに停車駅を減らした関空特快「ウイング」も運転されていた。B快速は、天王寺駅 - 熊取駅間の停車駅は快速と同じだが、熊取駅 - 和歌山駅間は各駅に停車する列車である。2015年3月14日現在、下りは朝ラッシュから日中のダイヤ移行時間帯に2本、上りは朝に1本のみ運転。関空快速との併結運転はせず、単独で運転されている。基本的に天王寺駅 - 和歌山駅間での運転だが、朝4時台の上り和歌山発列車は大阪環状線を経由して新大阪行きで運転されている。この新大阪行きは大阪駅を通らずに梅田貨物線を経由する数少ない快速の一つで、大阪環状線内では単に快速として案内されている。すべて223系0・2500番台・225系5000番台で運転されている。8両編成で運転される列車も設定されているが、日根野駅 - 和歌山駅間はホーム有効長の関係から4両編成で運転され、日根野駅で増解結を行っている。なお、阪和線内の路線図にB快速の案内はなく、時刻表には、B快速であっても快速と同じ表記になっている。列車内で掲出およびJRおでかけネットで提供されている停車駅案内や「JTB時刻表」では「B快速」とは案内されておらず、単なる快速の停車駅違いの扱いである。B快速は1988年3月13日のダイヤ改正で新設され、日中にも1時間あたり1本運転されていたが、1989年3月11日のダイヤ改正でB快速が快速に種別が変更されて熊取駅折り返し運転(のちに日根野駅折り返しに変更)となり、熊取駅 - 和歌山駅間は普通が延長運転する形に再編されたため、午前中の上り列車と深夜の下り(こちらも1992年3月14日のダイヤ改正で一時消滅)をのぞいて消滅した。223系の投入時には同系の6両編成で運転されたり、113系4両で運転されるきのくに線周参見発の列車も設定されていた(この列車は和歌山駅で列車番号を変えていた)。関西国際空港開港後は前述の新大阪行きの1本のみとなっていたが、2000年代に入り和泉砂川駅 - 和歌山駅間の普通停車駅の輸送力が見直されている関係で下りの深夜時間帯において増発傾向にあった。しかし、2011年3月12日のダイヤ改正で紀州路快速の停車駅変更により前述の通りに変更され、深夜時間帯は再び普通に置き換えられている。また同時に223系0・2500番台・225系5000番台による8両編成で運転される列車も設定された。同日のダイヤ改正時点では、夜間の上り1本は103系または205系1000番台の4両編成で運転されていた。なお、和歌山発新大阪行きは2011年12月10日まで113系電車4両編成で運転されていた。2016年時点でB快速を運行している路線は阪和線のみである。2014年3月までは仙石線においても一部区間が各駅停車となる列車の種別として使われていた。区間快速は、天王寺駅 - 鳳駅間の停車駅は快速と同じだが、鳳駅 - 和歌山駅間は各駅に停車する列車である。1961年10月1日のダイヤ改正から、それまでの「直行」に代わって運転を開始した。後述の「普通」の節で触れる通り、国鉄時代に普通列車が天王寺駅 - 鳳駅・東岸和田駅間のみの運転だったのはそのためである。日中は天王寺駅 - 日根野駅間で1時間あたり4本が運転されており、東岸和田駅で関空快速・紀州路快速と相互接続を行う。朝ラッシュ時(平日のみ)には和歌山発の上り列車と熊取行きの下り列車があり、深夜にも下り日根野行き最終のみが設定されている。朝ラッシュ時をのぞきすべて223系0・2500番台または225系5000番台で運転されている。前身は阪和電気鉄道時代からの準急で、1958年11月7日に紀勢本線(1989年7月に「きのくに線」の愛称が付く)直通列車種別と識別するために直行に改称され、1969年に区間快速に再改称されたものである。国鉄になってからの当初の停車駅は堺市駅・鳳駅と和泉府中駅 - 和歌山駅間の各駅で、1968年10月1日にラッシュ時の列車で堺市駅と鳳駅 - 和歌山駅間の各駅に停車するものが現れ、天王寺鉄道管理局内では前者を「区間快速A」、後者を「区間快速B」とよんでいた。1972年3月15日に後者に統一されている。1986年10月31日まで鳳駅で折り返しの普通と、熊取駅で快速とそれぞれ緩急接続していた。やはり後述の「普通」の節で触れる通り国鉄時代末期の日中は毎時2本(30分に1本)の運転、前記の通り熊取駅から天王寺駅または和歌山駅への先着列車は毎時4本ずつあったことになる(上下線とも快速・区間快速各2本ずつ)。1986年11月1日のダイヤ改正で三国ケ丘駅にも停車するようになったが、日中の列車が快速に格上げされ、1992年3月14日のダイヤ改正では夕方以降の列車が同様に削減された。この削減傾向は1999年5月10日に同駅に快速が停車するようになってさらに強まった。この間、1986年11月1日から1999年5月9日まで鳳駅で折り返す列車も設定されていた(現在の鳳駅折り返し快速と同じ停車駅)。また2008年3月14日までは和泉砂川駅で折り返す列車も存在していた。2003年10月1日に新大阪駅からの新幹線接続のために夜の日根野行きが設定され、鳳駅→日根野駅間の終電が繰り下げられた。また、2003年10月4日から2006年3月12日まで土曜・休日の朝に1往復のみ大阪環状線 - 鳳駅間の列車(大阪環状線内各駅に停車)が設定されていた。こうして、2011年3月11日までは朝ラッシュ時と日根野行きの最終列車のみの設定となっていたが、翌12日の改正より日中の運転が再開されている。普通は、運行区間内のすべての駅に停車する列車で、天王寺駅 - 鳳駅・熊取駅・日根野駅・和泉砂川駅・和歌山駅間の系統のほか、鳳発和歌山行きと日根野駅 - 和歌山駅間の系統が運転されている。鶴ケ丘駅・杉本町駅・上野芝駅・鳳駅・和泉府中駅・東岸和田駅・東貝塚駅・熊取駅・日根野駅・長滝駅・和泉砂川駅・紀伊駅では待避設備があるため、後続の特急や快速列車の待避を行っている。日中時間帯は1時間あたり天王寺駅 - 鳳駅間で4本運転されている。この時間帯は杉本町駅で区間快速および一部特急、鶴ケ丘駅と上野芝駅で関空快速・紀州路快速の通過待ちを行う。朝晩は熊取駅・日根野駅・和泉砂川駅・和歌山駅発着の設定がある。日根野駅発着の列車は同じく日根野駅発着の快速と統廃合する形で区間快速へと置き換えられ、和歌山駅発着の列車も紀州路快速の熊取駅・日根野駅 - 和歌山駅間が各駅停車に変更されたために日中の運用が大幅に削減された。過去には223系2両を2本連結した4両編成など、阪和線の普通としても運用されていた。朝5時台と夜23時台には、日根野駅 - 紀伊田辺駅間を運転する列車があり、この列車が日根野駅から紀伊田辺方面への始発列車、紀伊田辺駅から日根野方面への最終列車となっている。この列車にはきのくに線御坊駅 - 紀伊田辺駅間のワンマン運転用に改造された113系2000番台の2両編成が使用されており、現在阪和線で運転される唯一の113系である。これらの列車は2000年3月10日までは165系電車を使用し、1999年10月1日までは新宮駅 - 日根野駅間で運転されていた。国鉄時代のうち昭和40年代までは杉本町駅・鳳駅・和泉府中駅・東岸和田駅・東貝塚駅・熊取駅・和泉砂川駅など折り返しパターンが多彩であったが、昭和50年代になると鳳駅・東岸和田駅折り返しに集約され、日根野方面まで来る列車は朝晩のみであった。この当時は区間快速が2011年3月12日以降と同様に日中にも運転されており、普通の代わりに鳳駅・東岸和田駅 - 和歌山駅間の各駅の輸送を担っていたためである。この当時は天王寺駅 - 和歌山駅間で各駅に停車する列車は1日2往復のみであった。1986年11月1日のダイヤ改正では区間快速が快速に格上げされた関係で日中時間帯の普通の運転系統が天王寺駅 - 和泉砂川駅・和歌山駅間に見直された。天王寺駅 - 和歌山駅間では、平日・休日にかかわらず毎日、始発から終電まで、6両編成の103系と205系と225系の3号車に女性専用車が設定されている。乗車位置には女性専用車の案内が表示されている。なお、ダイヤが乱れた際は女性専用車の設定が解除されることがある。阪和線では2004年10月18日から女性専用車を導入し、始発から9時00分と17時00分から21時00分まで設定されていたが、2011年4月18日からは平日・休日にかかわらず毎日、始発から終電まで女性専用車が設定されるようになった。阪和線の快速列車は1958年10月1日に運転を開始した、それまで「特急」と呼ばれていた列車を「快速」に名称を変更したのが最初である。当時は鳳駅・和泉砂川駅・紀伊中ノ島駅に全列車が、金岡駅(現在の堺市駅)に一部の列車が停車していた。また同日からそれまで「急行」電車と「準急」電車と別々に運転していたものを統合した上で「直行」に変更した種別も運転を開始した。なお、統合前は、急行は和泉府中駅 - 東和歌山駅間で、準急は鳳駅 - 東和歌山駅間でそれぞれ各駅に停車し、また一部を除く急行が通過していた金岡駅にも準急は全列車が停車ていた。1968年10月1日のダイヤ改正で「直行」が「区間快速」に名称を変更し、鳳駅 - 和歌山駅間を各駅に停車する区間快速も運転された。1972年に阪和線でも新快速が運転開始し、鳳駅にのみ停車して阪和間の所要時間が戦前の超特急と同じレベルの45分で結ばれたが、1977年に熊取駅と和泉砂川駅が停車駅に追加、1978年10月2日に紀勢本線和歌山駅 - 新宮駅間(1989年7月にこの区間に「きのくに線」の愛称が付く)の電化が完成したことにより快速に統合されて、天王寺駅 - 和歌山駅間での快速は2本になり、1本往復はさらに紀勢本線にも乗り入れていた。1986年11月1日のダイヤ改正からは日中にも天王寺駅 - 熊取駅・日根野駅間運転の快速が1時間あたり2本加わって、天王寺駅 - 熊取駅または日根野駅間では15分に1本の運転となった。和歌山駅発着と紀勢本線直通には113系が、熊取駅・日根野駅発着の快速には103系が充当された。1988年3月13日のダイヤ改正では、快速が日中1時間あたり1本追加されるが、熊取駅 - 和歌山駅間を各駅に停車するB快速となった。1989年3月11日のダイヤ改正でさらに快速が増発され、1時間あたり天王寺 - 和歌山駅間が3本(1本は紀勢本線直通)と天王寺駅 - 日根野駅間が3本に揃えられ、天王寺駅基準で10分に1本の運転になった。日根野発着の快速は1994年9月4日の改正で「関空快速」として大阪環状線および大和路線JR難波駅への乗り入れを開始し、1995年4月20日からは関空快速を速達化した関空特快「ウイング」が運転を開始した。1999年5月10日のダイヤ改正では関空特快の廃止に代わって「紀州路快速」が新設され、おおむね2015年3月14日現在で運転されている列車種別が出揃うことになる。この改正と同時に、三国ケ丘駅に快速、紀伊駅・六十谷駅にすべての快速がそれぞれ停車するようになった。阪和線での日中1時間あたりの本数は、関空快速・紀州路快速が4本、関空快速が1本、きのくに線直通の快速が1本、天王寺駅 - 日根野駅間の快速が2本となった。戦時中の私鉄編入路線の流れで、次項の有料準急「きのくに」が登場する1958年まで、追加料金不要の速達電車を「特急」「急行」と称した。なお、私鉄編入路線ではないが、現在の中央線快速電車は1961年まで料金不要の「急行」と称した。国鉄時代の1984年9月1日から天王寺駅 - 日根野駅間で運転を開始した「ホームライナーいずみ」が前身で、特急「くろしお」で運用された列車が日根野電車区に入区するための回送列車を、座席整理券を要する座席定員制の列車として客扱いしたもので、関西におけるホームライナーはこれが最初であり、下り列車が2本設定された。1986年11月1日のダイヤ改正で、運転区間が和歌山駅まで延長され、名称も「はんわライナー」に変更されたが、2000年代以降の特急格上げなどによって次第に本数を減らし、2011年3月12日のダイヤ改正ですべて廃止された。停車駅は、天王寺駅・鳳駅(下りのみ)・和泉府中駅・東岸和田駅・熊取駅・和泉砂川駅・和歌山駅。以前は平日で1日上り3本、下り6本が運転されていたが、2002年3月23日のダイヤ改正で下り1本が新大阪発紀伊田辺行きの特急「くろしお」に、2004年10月16日のダイヤ改正で1往復が新大阪駅 - 和歌山駅(上りは臨時列車扱いで海南発)間の特急「スーパーくろしお」に変更され、上り2本、下り4本となっていた。2009年3月14日のダイヤ改正で土曜・休日ダイヤの運転が廃止され、同年の6月1日より全面禁煙になった。2010年3月13日に行われたダイヤ改正では、和歌山行きの下り列車は夜に4本、天王寺行きの上り列車は朝に3本運行される形をとっていた(上り6号のみ熊取発)。車両は基本的にはリニューアルが行われていない国鉄色の381系電車が使われていた。特急運用の間合いや車両の都合で「くろしお」用または「スーパーくろしお」用のものが用いられる場合もあり、この場合1号車のグリーン車は普通車扱いとしていた。昔は車内販売も行っており、さらに土曜・休日ダイヤでは熊取駅で特急「はるか」に追い抜かれる列車や、東岸和田駅で特急「くろしお」に追い抜かれる列車もあった。全列車がワンマン運転を行い、14 - 20分間隔(日中は15分間隔)でこの区間を折り返し運転している。車両は専用の103系3両編成を1編成のみ使用しており、体質改善40Nを受けたものか未更新車のどちらかが使用される。運行距離は1.7km(所要時間3分)で、これはJR旅客6社で最も運転区間が短い営業列車の一つでもある。全列車が電車で運転されており、289系以外は吹田総合車両所日根野支所(2012年6月1日に車両部門の組織改正が行われ、日根野支所は日根野電車区に相当する)、289系は同総合車両所京都支所(旧京都総合運転所)に配置されている。103系の車体色・205系の帯色はスカイブルー(103系は青22号、205系は青24号 )である。JR西日本が2015年4月30日に発表した「」によると、「事業戦略(近畿エリア)」において、「阪和線における新車導入(2017年度までに122両)」との記述があり、何らかの形で阪和線の車両置き換えが計画されていることが明らかとなっている。2016年3月14日に225系5100番台の報道公開が行われ、2015年度から2017年度までに4両編成14編成・6両編成11編成の計122両が導入され、103系などが置き換えられることが発表された。阪和線では、天王寺駅 - 鳳駅間の複々線化が、1958年3月に提出された都市交通審議会の「大阪市およびその周辺における都市交通について」の答申で、1975年を目標年度として整備すべき路線に盛り込まれたが、具体化されることは無かった。大阪市内区間のうち阪和電鉄開業以前から走っていた近鉄南大阪線と南海平野線との立体交差は元々必要だったため、天王寺駅から美章園駅 - 南田辺間の阪神高速との交差部付近までは開業当初から高架化されていた。しかし、阪神高速交差部付近 - 杉本町駅北側間は長らく地平を走っていて、この区間には12か所の踏切があった。そのうち開かずの踏切が11か所、全国の開かずの踏切のワースト10の3か所の踏切が含まれており、重大な踏切障害事故や主要幹線道路を中心に慢性的な渋滞が発生していた。このため、連続立体交差事業により約4.9kmの高架化工事が1983年度から実施され、2004年10月16日に上り線が、2006年5月21日に美章園駅 - 杉本町駅間の下り線が高架化された。高架化にあたっては、阪神高速が計画していた大阪泉北線と一体的に整備し、2階を阪和線、3階を阪神高速とした3階建ての高架橋を建設する予定であった。しかし、阪神・淡路大震災での高架橋の倒壊で、沿線住民から耐震性を不安視されたため、3階建ての計画を見直して阪神高速は地下化を検討して、阪和線だけの2階建てで先行して建設が進められていた。3階建て高架橋は、2003年3月に正式に建設中止され、その後高速道路自体の建設が中止された。2015年3月現在、地上線として残っている大阪市内区間は、杉本町駅北側から杉本町駅 - 浅香駅間の大和川橋梁までである。杉本町駅周辺には住宅街が広がっているほか、大阪市立大学が阪和線に隣接しており、2008年度の1日平均乗車人員は9,079人である。しかし、JR阪和線連続立体交差事業では杉本町駅前後も高架化されることなく地上線として残されたままであり、改札口が西側にしかないうえ同駅前後には開かずの踏切があり、踏切事故が多発していたため、地域住民や大阪市・JR西日本の3者により解決策が模索されていたが、改札口がなかった東側にも改札口を設置することとなり、2012年3月11日から使用が開始された。また阪和線では、JR西日本が2013年に発表した「安全行動計画2017」に掲げられた輸送障害半減などの目標に向けての取り組みが行われている。阪和線では関西空港線開業を機に列車本数が増加することから、1993年7月から「阪和線運行管理システム」(初代)が導入されていたが、老朽化が進んでいたことから2013年9月28日にシステムの更新が行われた。この更新により、操作性と応答性が向上されるためダイヤが乱れた際に早期に正常ダイヤに戻ることが可能とされるとともに、発車標の増設や遅れ表示ができる機能を持たせることにより旅客案内機能を拡充させている。運行管理システムの更新にあわせて、踏切の長時間鳴動対策も実施された。輸送障害発生時には駅で長時間抑止することにより踏切が長時間動作し、踏切非常ボタンの取り扱いや踏切の無謀横断により本来の事象以上に列車の遅延が発生することがある。これにより、踏切が通行できなくなるのを解消するために、我孫子町駅 - 日根野駅間で大阪総合指令所から信号の現時が制御できるように停車場化されている(踏切がない浅香駅をのぞく)。なお、東岸和田駅付近は2016年度内に高架化されるため、この対策は行われない。折り返し設備の拡充・新設も行われている。鳳駅では折り返し設備の拡充と新設、熊取駅・東貝塚駅で折り返し設備が新設された。鳳駅では天王寺方面からの折り返しは1ルートであったが3ルートにするとともに、和歌山方面からは新たに折り返しができるように改良されている。鳳駅 - 熊取駅間で輸送障害が発生した場合でも、運転見合わせ区間が鳳駅 - 熊取駅間の最小限にすることが可能になり、早期に通常ダイヤに戻ることができると見込まれている。京阪電気鉄道や大阪商船などが出資の阪和電気鉄道により、南海鉄道の保有する南海本線で独占されていた阪和間の輸送に切り込むため建設された。そのため、阪和と南海の間ではしばらく激しい乗客獲得競争が繰り広げられたが、1940年に阪和は南海に合併されて同社の山手線となり、さらに1944年に阪和間の直通路線を有していなかった国鉄(運輸通信省)に戦時買収され、阪和線となった。「阪和電気鉄道」の項目も参照のこと。なお東羽衣への支線は、浜寺に存在した海水浴場への輸送が大きな目的となって建設された。
出典:wikipedia
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