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都営地下鉄三田線

三田線(みたせん)は、東京都品川区の目黒駅から板橋区の西高島平駅までを結ぶ、東京都交通局が運営する鉄道路線(都営地下鉄)。『鉄道要覧』には6号線三田線と記載されている。開業当初は「都営6号線」と称した(後述)。路線名の由来は名称制定時の終着駅である三田(みた)から。車体および路線図や乗り換え案内で使用されるラインカラーは「ブルー」(青)、路線記号はI。東京特別区部の南部から都心部の日比谷・大手町を経由し、北西部の板橋区まで、おおむね南北を弓なりに(西に向いた逆C字型)走る路線である。目黒駅で東急目黒線と相互直通運転を行っている(詳細は#運転を参照)。この路線は高島平駅側より開業したが、起点は目黒駅(2000年9月26日 - )である。ワンマン運転を実施しており、保安装置として日立製作所製のホームゲートシステムを全駅に装備する(#駅設備を参照)。収支状況は、2004年度決算で純損益が約16億2,131万6,000円の赤字、2005年度決算で約14億8,247万4,000円の黒字、2006年度決算で約21億6,957万6,000円の黒字、2015年度決算で約58億3,153万円の黒字と着実に改善している。目黒 - 白金高輪間 (2.3km) は東京地下鉄(東京メトロ)南北線と線路(施設)を共用しており、東京地下鉄が第一種鉄道事業者、東京都交通局が第二種鉄道事業者となっている。このため、列車の最高運転速度は南北線に合わせて80km/hとなっているほか、運賃計算方式に特例がある。東京メトロ南北線#運賃計算の特例を参照のこと。直接のルーツとしては、1957年(昭和32年)の建設省告示第835号「東京都市計画高速鉄道網」で5号線(現在の東京メトロ東西線)の分岐線として示された大手町 - 下板橋間の計画が元となっている。1962年(昭和37年)の都市交通審議会答申第6号において分岐線は6号線として切り離され、その後5号線を営団が、6号線を東京都交通局が建設することになった。本答申では6号線は西馬込方面より五反田・田町(三田駅)・日比谷・春日町(仮称・開業後の春日駅)・巣鴨および大和町(後の板橋本町駅付近)の各方面を経て、上板橋駅および志村(現:高島平駅)付近の各方面へ至る路線として示された。軌間も1435mm(標準軌)を採用予定で、西馬込駅 - 泉岳寺駅間と馬込検車場(現・馬込車両検修場)は浅草線と共用する予定であった。しかし、路線計画については1964年(昭和39年)の答申により大和町駅(やまとちょう・板橋区) - 上板橋駅間を取りやめて志村駅から東武東上線の大和町駅(やまとまち、現・和光市駅)まで延伸すること、並びに泉岳寺 - 西馬込間は1号線(浅草線)の分岐線とし、6号線は泉岳寺駅から別線(東急泉岳寺線の路線名で予定していた)とし、建設予定であった桐ヶ谷駅までを途中駅を五反田駅のみとして延伸し、池上線を経由して田園都市線(当時。現在の大井町線)と接続するように改訂された。また、これに伴い軌間も1067mm(狭軌)に変更された。その後、東武から「上板橋を乗り入れ改良する余裕がない」との申し入れがあり、東武が志村駅 - 大和町駅間の連絡線(東上本線支線、東武高島平線の路線名として予定していた)を建設して接続する計画に改められた。このため、馬込検車場の共用ができなくなったことから、三田線には専用の車両基地が必要になり、新たに志村検車場を計画に加えた。上記の経緯から、当初、路線や車両の規格を決定する際、三田線は車体寸法や保安装置などの面で東武鉄道の規格が踏襲された。ところが、その翌1965年(昭和40年)に東急は突如として三田線への乗り入れ計画を中止する意向を示してきた。これは距離的にも時間的にも乗客の利便増進に資するとの東急の判断であった。東急は代替として3号銀座線(後に11号半蔵門線に変更)への乗り入れを目指す計画に変更され(泉岳寺線の計画は実現せず)、三田線の直通計画は宙に浮いた。またその数年後、東武東上線も8号有楽町線に乗り入れ先を変更する旨を都交通局に通知した。この件では、両社に対し都交通局は抗議を行ったが、結局東急・東武の意向に押し切られた。このため、三田駅以南の計画は未定のまま高島平駅 - 三田駅間のみを着工することになった。高島平駅 - 西高島平駅間は上記にあるように東武高島平線であったが、都交通局が高島平西部へのアクセス路線として1973年4月28日に免許を譲り受け、着工・延伸することになった。当時の都営地下鉄の案ダイヤ中で想定された主な列車については、乗り入れ区間は東武側の折り返しは上福岡駅で折り返す列車を多数設定する(一部川越市駅・東松山駅方向も検討)つもりであった(志木駅でも折り返し可能ではあり、東急の乗り入れ計画中止後の都営地下鉄の案ダイヤでは志木駅折り返し列車を多数設定していたものもあったが、東急の乗り入れ計画がまだあった頃の案ダイヤではその先の上福岡駅折り返しを中心としていた)。逆に東武側の案ダイヤでは、東急との乗り入れ計画があった当時は都心側においては泉岳寺駅で、東急との乗り入れ計画中止後は御成門駅で折返す列車を軸に、一部東急線方面に向かわせることを、また東急側の案ダイヤでは、新板橋駅で折返す列車を基本とし、一部高島平駅発着や東武線方面に直通することをそれぞれ検討していた。また、泉岳寺以南は五反田駅まで1号浅草線と併走し、東急側が戦時中に廃止していた桐ヶ谷駅(大崎広小路駅と戸越銀座駅の中間に位置していた)を大崎広小路駅の代替として復活し、泉岳寺駅 - 桐ヶ谷駅 - 戸越銀座駅付近までの間は泉岳寺線として建設し、戸越銀座駅付近で既存の池上線と接続、旗の台駅を改良して大井町線と池上線との連絡線を設けて接続し、二子玉川園駅(現・二子玉川駅)を経て、そのまま田園都市線に直通する構想であった(泉岳寺線の開業と同時に池上線の桐ヶ谷駅 - 五反田駅間は廃止が計画されていた)。その場合の折り返し駅は長津田駅(あるいは中央林間駅)で計画されていた。要約すると、東急との乗り入れ計画が取り消される前の基本ダイヤ案では(中央林間 - )長津田 - 二子玉川園 - 旗の台 - 桐ヶ谷 - 泉岳寺 - 御成門 - 新板橋 - 志村 - 大和町 - 志木 - 上福岡( - 川越市 - 東松山)という直通区間とする予定であった。1968年(昭和43年)の都市交通審議会答申第10号において、6号線の新たな延伸計画が立てられ、「桐ヶ谷方面 - 大和町方面」が「大宮市西部…浦和市西部 - 清正公前(現・白金高輪駅)…港北ニュータウン(横浜市)」に改められた。1971年の港北ニュータウン計画当初には、計画の中に都営地下鉄6号線を西馬込から港北ニュータウンを経由して中山駅まで延伸する計画が盛り込まれていた。当時の港北ニュータウン計画では横浜市営4号線とともに東京6号線が鉄道計画の根幹をなしており、相当に具体的な駅の設置場所とともに東京6号線の延伸が必須であるという書き方がなされている。しかし、1985年(昭和60年)7月11日の運輸政策審議会答申第7号で、この計画は目黒止まりとなり、東急目蒲線(仮称・東急都心線、現在の目黒線)と相互乗り入れすることが確定し、それと共に三田線の港北ニュータウン延伸計画は撤回となった(なお西馬込以南の延伸については、同答申において1号浅草線の計画として答申されているが、2000年1月27日の運輸政策審議会答申第18号で削除されている)。この結果、東急との乗り入れは当初計画の泉岳寺線・池上線・大井町線・田園都市線から目黒線へと路線は変わったものの実現することになり、最終的に東京6号線は西高島平駅 - 目黒駅という路線を形成することになった。その港北ニュータウン地区への鉄道建設についても、2008年6月22日に乗り入れ先の東急目黒線が武蔵小杉駅から日吉駅まで延伸し、連絡する横浜市営地下鉄グリーンラインが同駅から港北ニュータウンを抜けて中山駅までを結ぶという形で実現される運びになった。一方、北側については、西高島平から北進し、荒川を橋梁で渡り、新大宮バイパスの上下線間にあった当時未開通の自動車専用道路予定地を活用して北上し、西浦和を通り、大宮市西部(現在のさいたま市西区)まで延伸するという計画が立てられた。しかし1985年9月30日の埼京線開業の影響もあり、上記の同年7月11日の運輸政策審議会答申第7号でこの計画は削除され、1990年以降、同ルートには首都高速5号池袋線の延伸区間と首都高速埼玉大宮線が順次開通した。なお、計画変更前の東京都の公式文書では三田線の正式な起点は上記の理由から泉岳寺駅となっており、そのため、関係官庁に届け出る文書では未成線である泉岳寺駅 - 三田駅間を加えた実キロ数が記入していたものもあったが、目黒開業以降は名実ともに正式起点を目黒駅に改め、実キロ数も正式に泉岳寺駅起点のものから目黒駅起点のものに書き換えられた。この節の一部記述の参考文献:悲劇の都営三田線 大手町駅が「大手町」にない理由志村坂上駅より北西側の西高島平駅までの区間は、地下鉄でありながら地上区間となっている。志村坂上駅 - 志村三丁目駅 - 蓮根駅 - 西台駅の間ではS字カーブが連続するが、これは当路線の計画段階で志村方面のルートが幾度も変更された名残である。当初都市交通審議会の答申で示された北側の終端「志村」へ至るルートは、従前の都電志村線のルートを踏襲する形で、現在の志村坂上駅からそのまま中山道直下を北上し新河岸川に架かる志村橋の手前へ至るものであった。ところがその後埼玉方面への延伸を検討した際、志村坂上から北上して地下方式のまま河川をくぐり抜けるためには勾配が急になりすぎることと、河川下の工事が地質上困難で莫大な費用がかかることが判明した。このため志村坂上以北は地上に出て、河川を橋梁で越えるよう計画変更を目論んだが、中山道沿いには支障物件が多かったため西側にルートを変更することにし、現在の志村三丁目駅 - 蓮根駅のルートを通りそのまま北上して蓮根橋手前へ至るルートが検討された。そんな折、今度は板橋土地区画整理事業により西側にある高島平団地の開発が本格化した。このため住民のアクセスの便を考慮し、蓮根駅の西側に建設予定であった車庫(蓮根団地西側)へ向かう引込線用地の一部を本線に転用して、西台駅 - 高島平駅に至る現在のルートを形成することになった。以上の結果、地上区間に連続する急カーブが設けられることになった。地上区間の長さは都営地下鉄最長の5.2kmで、S字カーブ区間の最小曲線半径は、志村坂上 - 志村三丁目間が298メートル(制限速度60km/h)、志村三丁目 - 蓮根間が211メートル(制限速度50km/h)、蓮根 - 西台間が162メートル(制限速度40km/h)となっている。また1976年(昭和51年)5月6日開業の高島平 - 西高島平駅間は一部をのぞきスラブ軌道となっている。目黒駅から東急目黒線の日吉駅まで相互直通運転を実施している。白金高輪駅を起・終点とする列車の大部分は同駅で埼玉高速鉄道線・南北線からの目黒方面発着の列車との接続がほとんどとられている。ラッシュ時には高島平駅を始発・終着とする列車(出・入庫列車)がある。2008年6月22日のダイヤ改正までは御成門駅折り返しもあった。ATOを装備しており、基本的にATOを使用して自動運転を行っている。2004年12月23日から臨時列車「みなとみらい号」が6300形により高島平駅 - 横浜高速鉄道みなとみらい線元町・中華街駅間で運行を開始した以後、2011年まで、末期を除いて行楽シーズンに1 - 2か月に1回の割合で設定されていた。この列車には特製のヘッドマークを取り付けている。2006年8月運転分までは三田線と東急目黒線内が各駅停車、東横線と横浜高速みなとみらい線内が急行運転で、目黒線から東横線への転線も武蔵小杉駅で行っていたが、同年12月の運転からは三田線内が各駅停車、東急目黒線・東横線と横浜高速みなとみらい線内が急行運転で、目黒線から東横線への転線も田園調布駅で行う体系に変更された。2008年以降は日吉駅で転線するようにまた変更されたが、最後の運転となった2011年12月24日の運転分では転線先を再度田園調布駅に戻した。大晦日の終夜運転を開業から1972年までと1986年以降実施している。この時のみ目黒駅発着が運転され、2010年代前半頃より春日駅が最寄りの東京ドームでのコンサートイベントへの対応として、一部時間帯で終夜運転列車を増発して以降は、御成門駅発着や1往復のみ三田駅発着の列車も設定されている(後者は目黒駅発着列車と同様に終夜運転のみの設定であり、芝公園駅南方の非常渡り線を使用して転線している)。また、8月に行われるいたばし花火大会では2007年まではこの時しか運転されない巣鴨駅発着が臨時運転されていたが、後に巣鴨駅発着は御成門駅発着に延長され消滅した。なお、2006年9月25日より東急目黒線直通列車の一部が東急線内にて急行列車としての運行を開始した。東急線区間で急行運転が開始された後も、三田線内は全列車が各駅停車での運転となっている。また、三田線内では日吉方面行き急行を除いて種別表示を行わない。日中は30分サイクルのパターンダイヤであり、三田線内(西高島平駅 - 白金高輪駅間)は6分間隔である。30分に東急線日吉駅発着が3本(このうち1本は東急線内急行)、白金高輪駅発着が2本運転される。このうち、東急線内急行運転の列車は白金高輪駅での南北線・埼玉高速線内発着の列車との接続を行わない。2008年6月22日のダイヤ改正までは、日中は西高島平 - 白金高輪間と西高島平 - 武蔵小杉間が交互に運転されていた。また、2016年10月21日に実施される予定のダイヤ改正で、平日の朝に高島平 - 御成門間で1往復増発することが発表された。これにより、2008年6月22日のダイヤ改正で消滅した通常ダイヤにおける定期列車の御成門駅発着が復活する。どの列車がどの車両で運転されるかは列車番号の末尾アルファベットで区別されており、「T」が都交車両(31T以降の奇数番号)、「K」が東急車両(01K - 29K)となっている(「S」は東京地下鉄車両で30S - 78Sの偶数番号、「M」は埼玉高速車両で80M - 98Mの偶数番号)。列車番号は『MY LINE 東京時刻表』(交通新聞社)にも掲載されている。なお、三田線内では南行列車(目黒・日吉方面)の列車番号は偶数番号となっており、例えば「31T」運用では北行列車(西高島平方面)は「xx31T」、南行列車は「xx30T」となる。また、目黒線内の列車番号は6桁の数字で表記され、上3桁が運用番号を表している。400番台が都交車両、200番台が東急車両となっており(300番台は東京地下鉄車両、500番台は埼玉高速車両)、例えば「31T」運用の場合は目黒線内では「431」となる。なお、東急車両の運用は三田線運用と南北線・埼玉高速線運用とで別々に組まれ、奇数番号(目黒線内基準)が三田線運用、偶数番号(同)が南北線・埼玉高速線運用となっている。また各社局間の走行距離調整の関係上、東急車両は目黒線に乗り入れない列車(白金高輪折り返しなど)にも使用されている。目黒駅は東京急行電鉄、白金台駅と白金高輪駅は東京地下鉄、それ以外の各駅(三田 - 西高島平間)は東京都交通局の管轄駅のため、駅設備は管轄している各事業者に準じたものが使用されている。東京地下鉄の管轄2駅ではガラス張りでホームを完全に覆うフルスクリーンタイプのホームドアを使用しており、それ以外の駅では1.3mほどの高さのホームゲートを使用している。発車メロディは白金台駅・白金高輪駅を除く全ての駅で南北線の旧発車メロディ「音無川の流れ」(A線、B線)を使用している(「発車メロディ#東京都交通局(都営地下鉄)・東京急行電鉄(目黒線)・埼玉高速鉄道」参照)。

出典:wikipedia

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