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等々力陸上競技場

川崎市等々力陸上競技場(かわさきし とどろきりくじょうきょうぎじょう)は、神奈川県川崎市中原区の等々力緑地内にある陸上競技場。球技場としても使用される。施設は川崎市が所有し、公益財団法人川崎市公園緑地協会が指定管理者として運営管理を行っている。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)などのサッカー大会、日本陸上競技選手権大会などの陸上競技大会などが開催されている。メインの陸上競技場は日本陸上競技連盟第1種公認を受け、8レーンの陸上トラックを保有している。2階席の下には、室内用の走路もある。2008年までは、補助競技場が300mトラックの日本陸上競技連盟第3種公認であり、全天候舗装ではなくクレー舗装で、メンテナンスは余り行き届いていなかった。補助競技場のトラックは400mでないと、メインの陸上競技場は第1種認定を受けられない。そこで、2008年の第92回日本陸上競技選手権大会の会場決定を受け、川崎市が10億円を超える予算で改修工事を行うことになった。補助陸上競技場を400mの全天候舗装トラックに改修した上で、日本陸上競技連盟の第1種公認競技場として再認証を受けた。メインスタンド中央部にある平型の屋根はスタンド全体を覆っていないが、小さな半円形の構造物が連続するバックスタンド2階席の屋根はスタンド下段にある観客通路の後方部分、全体の半分以上の席を覆い、1階席の半分以上も上部に2階席がせり出す構造になっていて、ともに降雨から観客を保護する。、記者席や一部の座席は屋根の下での観戦が可能である。記者席の後ろには貴賓席やガラス張りの放送ブースもあり、国際中継を含むテレビの生放送が複数チャンネルで可能となっている。バリアフリー設備としては、正面入口のスロープ、メインスタンド端のエレベーター、多目的対応トイレなどの整備が行われ、メインスタンドやバックスタンドの1階通路前などに車いす用の観戦スペースが確保されている。ただし、階段を使わないと上がれないバックスタンド2階席はバリアフリー非対応である。また、バックスタンド2階席にはトイレや売店が無く、。2015年3月の改修では新メインスタンドのトイレに一方通行の動線を作るなどの工夫がなされた。15分の間に全員が観客席まで戻れることを目標として設計したという。2005年J1最終節で、フロンターレを下したガンバ大阪が初のJ1優勝を果たした。この試合、試合終了間際にアラウージョがゴールを決めた際、ガンバのサポーター数十人がゴール裏(サイドスタンド)1階席から陸上トラックに侵入してアラウージョと抱き合って喜んだため、以後のフロンターレの試合ではバックスタンドや両サイドスタンドの前に可動式の柵が置かれるようになった。、ゴール裏2階席は特に大勢の観客が見込める試合や雨天時を除いて開放せず、スタンドを開放した。なお、2013-14年はメインスタンドの撤去・再新築のため、仮設席が既存席の前に設置される関係で、Jリーグ届出の収容人員は20,693人となっている。これまでフロンターレの主催試合ではJ2時代は22試合、J1は17試合ある中で1試合の入場者数で2万人台を記録しているのは僅か37回(2002年に1回、2003年に2回、2004年に1回、2005年に2回、2006年に3回、2007年に4回、2008年に7回、2009年に6回、2010年に4回、2011年に2回、2012年に3回、2013年に2回、2014年は0回)と数える程しかなく、しかもフロンターレがJリーグに加盟した1999年から再びJ2の生活を余儀なくされた2001年にかけての時期に至っては1万人台を割る事もざらにあったが、メインスタンドが新しくなった2015年は17試合あったホームゲームで2万人台を割ったのは4試合とフロンターレの強みであるサッカークラブらしからぬ斬新なプロモーションに充実したイベント企画力や2012年に途中就任した風間八宏監督が掲げるフロンターレの魅力ある楽しいサッカーを提供した事が実を結びつつある。最多入場者数記録は、長らく2005年3月12日のフロンターレ対浦和レッズ戦の24,332人だったが、10年後の2015年4月12日のフロンターレ対レッズ戦で24,992人、その翌年2016年4月24日のフロンターレ対レッズ戦で25,450人を動員し、2年続けて同じカードで最多観客動員数を更新し、同年6月25日のフロンターレ対大宮アルディージャ戦は鹿島アントラーズの勝敗結果でフロンターレのファーストステージ優勝が決まる一戦ということもあり、過去最高の最多観客動員数の26,612人を記録した。1993年の日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)発足時には、読売クラブが改名したヴェルディ川崎がホームスタジアムとして使用したが、観客収容数は約1万人弱であった。また、ピッチに敷設された天然芝の剥がれや枯れを隠すため、緑色に塗装した砂をピッチに散布した。当時、人気チームであったヴェルディのチケットは入手が困難となり、。一方、ヴェルディはJリーグ発足前から東京都への移転を希望しており、1994年から1995年にかけて観客席の改築(2万5000人収容へ拡大)、大型映像装置の設置を行った(「歴史」節を参照)。ただし、ヴェルディはこの年まで3年連続出場したチャンピオンシップでの主催試合をいずれも東京都内の国立霞ヶ丘陸上競技場で開催し、。。この頃からヴェルディの観客動員数が減少に転じた。2001年からヴェルディが東京都へホームタウンを移転し当競技場からは撤退。移転後のホームスタジアムは東京都調布市の東京スタジアム(2003年より「味の素スタジアム」の呼称を利用)となっている。1997年に川崎フロンターレが富士通サッカー部を母体にクラブチームとして発足し、等々力をホームタウンとした。フロンターレは2000年にJ1に昇格し、ヴェルディとの公式戦4試合が全て等々力で開催された(川崎ダービー)。リーグ戦はヴェルディの1勝1分、ナビスコカップ準々決勝はフロンターレの1勝1分。なお、フロンターレは2001年からJ2に降格し、2001年からヴェルディが東京都へホームタウンを移転したため、川崎ダービーは2000年が最後となった。また、フロンターレが2005年にJ1へ昇格するまで当競技場でJ1の試合は開催されなかった。フロンターレは2006年・2008年・2009年の3度リーグ戦で2位に入り、2013年にはレッズに続いてリーグ2位の65得点を誇る攻撃陣の頑張りで終盤8試合で7勝を挙げ3位になったため、2007年・2009年・2010年・2014年は等々力でAFCチャンピオンズリーグの試合も実施された。チーム成績の上昇と共に観客動員も増加し、1試合で2万人以上の動員をたびたび記録するようになっている。また2008年には署名運動を受けた川崎市による再整備計画が示された(「施設整備計画」の節を参照)。フロンターレは2005年のJ1再昇格以降2015年シーズン終了時点で通算680ゴールを挙げているが、そのうちの149ゴールが試合終了まで残り15分の段階で稼いでいる事から、フロンターレの試合でしばしば劇的なゴールを挙げる事があり、ファンやサポーターから等々力劇場と呼ばれる。1941年の内務省の等々力緑地の都市計画に基づき、整備中の等々力緑地内に1964年より陸上競技場の建設が開始され、1966年より供用を開始した。メインスタンドに観客席が配置され、バックスタンドとサイドスタンドは芝生が貼られた。等々力緑地の整備の進展に合わせ、1968年に競技場の外周道路が整備され、1969年に競技場前広場が整備された。当初より多目的競技場として、陸上競技の他に、トラック内の芝生コートでサッカー、ラグビー、アメリカンフットボールといった球技場としても活用された。1981年にはメインスタンドの一部に屋根が設けられると共に、サッカー・ラグビー兼用のスコアボードが設置された。1993年よりヴェルディ川崎が当競技場を本拠地としたため(前述)収容客数拡大のための改築が行われた。1994年秋にサイドスタンドを立見に、バックスタンドを二層スタンドに改築し、1万6000人収容となった。1995年にゴール裏を二層式に改築して2万5000人収容となった。また、オーロラビジョンを北側サイドスタンド、得点掲示が出来る電光掲示板を南側サイドスタンドにそれぞれ設置した。日本リーグ、及びJリーグ開始当初は第3・4コーナー付近の北側サイドスタンドに磁気反転(チーム名表示は手書きパネル)スコアボードがあったが、改修で取り壊され1995年の仮オープン時はトラックに仮設の電光得点盤(これもチーム名表示は手書きパネル)を設置した。川崎市が2002 FIFAワールドカップのサッカークロアチア代表のキャンプ誘致を目指し、芝生の全面張り替えやスタンドの一部改修などを実施したが(このため、等々力は2001年10月から翌年2月まで閉鎖)、結局キャンプ誘致には失敗した。トヨタカップやFIFAクラブワールドカップに出場するクラブの練習場としても使用された。2011年度のJリーグアウォーズでは、初めてベストピッチ賞を受賞した。2008年、川崎市は『等々力緑地再編整備検討委員会』を設けると、川崎フロンターレはサポーター有志らと「等々力陸上競技場の全面改修を推進する会」を発足させ、22万1216人の署名を集めた。約2年間をかけて関係各方面での検討が行われた結果、川崎市側がこの程纏めた『新総合計画川崎再生フロンティアプラン』の2011年~2013年計画に等々力陸上競技場の再整備などが盛り込まれることになった。計画では等々力陸上競技場を建て替え、3万5千人収容の新スタジアムとすることなどが掲げられている。整備計画は以下の通り改修にあたっては、Jリーグ各会場のスタンドやスロープの角度が測定され、さらに1998 FIFAワールドカップ決勝会場のスタッド・ド・フランスや広島東洋カープの本拠地MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島が参考にされた。メインスタンドは高齢者や子供連れの家族が多いことから、下層部は傾斜を緩やかに設計され、さらに子供をステージで遊ばせられるファミリーシートや、2人1組のペアシートなどJリーグ初の席種が採用された。一方、上層部は徐々に傾斜が急になるように設計されており、トラック部分までせり出したスタンドからの眺めは圧巻である。完成したメインスタンドを見た中村憲剛は「カンプ・ノウみたい」と呟き、川崎フロンターレ関係者は「あり得ない光景」と驚嘆した。なお当初は、トラックのレーンをレンガ色からフロンターレのチームカラーの青色に変更する予定であったが、日本陸上競技連盟から「この大会が出場選手選考会となる北京オリンピックと同じ、選手の慣れ親しんだ色にしてほしい」と要請を受け、この計画は断念された。。この他、メインスタンドとバックスタンド(サイド部分)が途切れた部分、スタジアム全体の南西側に高さ9mの防風壁を設置し、直線を走ってゴールに向かう選手や跳躍を行う選手への向かい風を弱めようとした。等々力緑地内には4ヶ所の駐車場があり、中央駐車場(収容可能乗用車数135台)は同競技場の正面入口にほど近い所、東駐車場(同158台)はバックスタンドのすぐ裏側、市民ミュージアム前駐車場(同323台)は道なりで約1km離れた場所、南駐車場(同71台)は互助会館とどろきの裏手に位置する。しかし、中央駐車場はフロンターレ戦開催時には関係者専用となり、また駐車場の台数に限りがあることから、フロンターレでは観客に自動車ではなく公共交通機関での来場を呼びかけている。なお、車椅子利用者向けならびにバスで来場の団体客向けの専用駐車場は事前予約制にて設定している。タクシーは武蔵小杉駅から競技場まで1000円前後である。なお、競技場のメインスタンド正面に面した2車線の市道が通行可能となっている。等々力緑地の南側の小杉十字路では国道409号(府中街道、「市営等々力グランド入口」バス停は同道路に設置)と神奈川県道45号(中原街道)が交差し、同競技場を利用する自動車の大半はこれらの幹線道路を通る。。フロンターレの試合の際には自転車での来場も多く、2013シーズンよりフロンターレの試合開催時は等々力緑地内プール横に臨時駐輪場を設けている。。なお、同ロードは同競技場をスタート・ゴールとする「川崎国際多摩川マラソン」の会場ともなり、最長でハーフマラソンのコースが設定されている。川崎市の北部(西部)と南部(東部)をつなぐ川崎縦貫高速鉄道(川崎市営地下鉄)計画を2005年に見直した際、1期整備区間の中に「等々力緑地駅」を設置し、小田急小田原線・小田急多摩線(同線との直通運転構想あり)の新百合ヶ丘駅(途中で東急田園都市線宮前平駅を経由)や武蔵小杉駅とつなぐ案が川崎市から提示された。これは同競技場やとどろきアリーナなどの等々力緑地内各施設への利用客を取り込もうとした計画で、等々力緑地駅は同競技場から最も近い鉄道駅(1km以内)になる。しかし、2012年度をもって川崎縦貫高速鉄道の会計が廃止され、この計画は事実上頓挫した(詳細は川崎縦貫高速鉄道の記事を参照)。

出典:wikipedia

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