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奈良公園

奈良公園(ならこうえん)は、奈良県奈良市にある都市公園である。国の名勝。太政官布達により明治13年(1880年)2月14日開園。大部分が国有地で、奈良県が無償で借用し管理している。都市公園としての正式名称は「奈良県立都市公園 奈良公園」といい、総面積は502ヘクタール。周辺の興福寺、東大寺、春日大社、奈良国立博物館、なども含めると総面積はおよそ660ヘクタール(東西約4キロメートル、南北約2キロメートル)に及ぶ。通常はこの周辺社寺を含めたエリアを"奈良公園"と呼ぶ。公園内には多くの国宝指定・世界遺産登録物件が点在し、年間を通じて日本国内のみならず外国からも多くの観光客が訪れ、日本を代表する観光地の一つとなっている。奈良の大仏や鹿(約1100頭)は国際的にも有名で、奈良観光のメインとなっており、修学旅行生の姿も多く見られる。東大寺修二会やなら燈花会、正倉院展、春日若宮おん祭など古都ならではの見ごたえのある行事も数多い。春には桜の名所として、日本さくら名所100選に選定されており、浮見堂周辺で花見を楽しむ人も多い。塀・柵・門などがなく入園料も不要なのでどこからでも、いつでも(365日・24時間)散策することができる。なお、文化財保護法に基づいて指定された「名勝奈良公園」の範囲は「県立都市公園奈良公園」の範囲とは異なっている(詳細は後述)。「奈良公園」の範囲については、(1)一般的に認知されている広義の奈良公園、(2) 都市公園法に基づく公園としての「奈良県立都市公園奈良公園」、(3) 文化財保護法に基づいて指定された文化財としての「名勝奈良公園」の3種類があり、これら3つの「奈良公園」は、それぞれ指し示す範囲が異なっている。県立都市公園としての奈良公園は、猿沢池、荒池、春日野などの平坦地のみならず、若草山、花山、芳山(ほやま)などの山間部も含まれ、総面積は502.38ヘクタール。うち平坦地が39.82ヘクタール、山林が462.56ヘクタールである。県立都市公園としての奈良公園の範囲には、東大寺、興福寺、春日大社などの社寺境内地は含まれていない。一方、「名勝奈良公園」の指定範囲は524ヘクタールで、県立都市公園の範囲のほか、東大寺(正倉院敷地を除く)と興福寺の境内地も指定範囲に含まれている。春日大社境内地、御蓋山、奈良国立博物館敷地、正倉院敷地は、県立都市公園・名勝のいずれにも含まれない。一方、一般的に認知されている「奈良公園」とは、県立都市公園や「名勝奈良公園」の範囲に加え、社寺境内などの隣接地を含む範囲で、その総面積は660ヘクタールとされている。広義の奈良公園には、都市計画法および奈良県風致地区条例に基づく「春日山風致地区」、古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法に基づく「歴史的風土特別保存地区」および「歴史的風土保存区域」、自然公園法に基づく自然公園(大和青垣国定公園)などの法規制のかかった地区を含んでいる。また、文化財保護法に基づいて指定された文化財としては、「名勝奈良公園」のほかに、国の特別天然記念物である「春日山原始林」、国の天然記念物である「春日大社ナギ樹林」「ルーミスシジミ棲息地」「知足院のナラノヤエザクラ」、国の史跡である「東大寺旧境内」「興福寺旧境内」「春日大社境内」などが存在する。公園内に生息する鹿は、春日大社の神使として古くから神聖視され、人に馴れてはいるが、飼育動物ではなく野生動物であり、「奈良のシカ」の名称で国の天然記念物に指定されている。都市公園としての奈良公園の始まりは1880年(明治13年)で、この年、当時官有地であった興福寺境内を公園とした(面積14ヘクタール)。その後、大阪府からの分離独立を経たのち、新生奈良県の初代県知事であった税所篤の公園地拡張工事の上申を受け、1889年(明治22年)には、東大寺境内、春日野、若草山などの山間部を編入し、面積は535ヘクタールとなった。1949年から1951年(昭和24 - 26年)に寺院境内地の公園指定が解除され、面積は500ヘクタールに減少。1960年(昭和35年)、都市公園法に基づく「奈良公園」としてあらためて告示され、指定面積は502ヘクタールとなった。県立都市公園奈良公園のうち、平坦部には以下の園地を含む。公園内の大部分は芝生に覆われ、約1200頭に上る鹿が徘遊する。この鹿は奈良公園や周辺に生息する、国の天然記念物に指定されている野生動物である(=所有者はいない)。鹿は奈良の観光資源の一つでマスコット的存在であり、様々な鹿を意匠した土産物の販売や、1671年(寛文11年)に危険防止と樹木の保護のために始まった伝統行事の「鹿の角切り」や、ホルンで鹿を集め餌をやる「鹿寄せ」というイベントも行われている。また奈良公園の鹿は餌をもらう際にお辞儀をすることでも著名である。奈良公園の独特の植物の景観を作る働きもしている。この公園に鹿がいることには以下のような由来がある。基本的には餌付けされていない野生による繁殖にもかかわらず、個体数を増やしていった。しかし、明治維新からは手厚い保護への反発から、戦中から戦後しばらくの間は食糧確保のため狩られ、その結果頭数が二桁まで激減した。その後は奈良市が「財団法人 奈良の鹿愛護会」を作り、保護に努め、その結果今日の生息数に至っている。この鹿は野生鹿として国の天然記念物に定められ、域内での無許可での捕獲や傷痍行為が罰則をともなって禁止されている。乗用車の普及や幹線道路の整備に伴い、車と鹿の衝突・接触事故が多発しており、奈良公園界隈の道路では、常に鹿の飛び出しに注意を払う必要がある。「鹿の飛び出し注意」という交通標識まで存在する。最近では、心無い者によって鹿が危害を加えられる事件も多い。2003年には鹿がエアガンで撃たれる事件があり、2004年には果物ナイフで刺される事件も起きている。また2008年8月8日には漁具のヤスで刺されているのが見つかっている。2010年3月13日には春日大社の参道で矢が刺さった鹿が見つかったが、傷が深く後日死亡した。ただし、1970年にも、10歳ぐらいの雄鹿が角をえぐりとられ、血まみれになって死んでいるのが見つかっている。この事件は、角欲しさの鹿殺しと推定されている。本来、鹿は警戒心の非常に強い動物で、野生の鹿が人に近づくことは少ないが、奈良の鹿は神格化されたために手厚い保護を受けた影響もあり人を恐れない。但し、5月から7月の出産期、9月から11月の発情期には気が荒くなっているので注意が必要である。奈良公園周辺では、鹿が道路を横断して交通を妨げたり、付近の家や敷地に入り込む光景がしばしば見られる。隣接する奈良県庁の庭や、稀に近鉄奈良駅やJR奈良駅周辺にも出没することがある。過去にはJRの踏切で鹿が電車にはねられたこともある。奈良の鹿については愛護団体である「奈良の鹿愛護会」が毎年調査しており、2008年発表の調査によれば、全1128頭(前年比33頭減)、内オス262頭、メス695頭、仔鹿171頭である(暫定)。死亡原因は疾病174頭、交通事故71頭、犬18頭等となっている。最近では、「奈良の鹿愛護会」の財源不足が深刻であり、観光客に鹿せんべいの購入を積極的に勧めるなどの活動をしているが、根本的な解決には至っていないのが現状となっている。その一方で、近在の農地を荒らし、農作物の食害の被害が依然として発生している。「奈良市鹿害阻止農家組合」 の県知事への要望書によれば、「公園周辺、公園から遠く離れた地域にも出没し」野菜、水稲、植木・苗木等を食い荒らし、フェンスや海苔網の鹿を傷つけない柵での対応では被害が減らず、「長年にわたり鹿との戦いで高齢化にもより、たいへん疲れはてております」という。「共生できる理想(学術的な上限)と思われる700-800頭まで数を減らすこと」も含め、被害補償などへの要望が出されている。

出典:wikipedia

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