下条 みつ(しもじょう みつ、1955年12月29日 - )は、日本の政治家。民進党所属。本名、下條 光康(しもじょう みつやす)。衆議院議員(3期)を務めた。長野県松本市出身。千代田区立番町小学校、開成中学校・高等学校(東京都)、1980年(昭和55年)信州大学経済学部を卒業、富士銀行に入行し、自民党参議院議員であった父親の厚生大臣(海部内閣)就任に伴い退行。秘書官に就任。2000年(平成12年)6月25日の第42回衆議院議員総選挙に民主党から初出馬したが落選。2003年(平成15年)11月9日の第43回衆議院議員総選挙に長野2区から民主党公認で出馬し、自民党の村井仁を破り初当選した。(村井も比例復活で当選)。2005年(平成17年)9月11日の第44回衆議院議員総選挙に同じく長野2区から出馬し、民主党逆風の中再選。2009年(平成21年)8月1日、秘書が運転する乗用車で長野県大町市から松本市へ移動中に、安曇野市穂高北穂高の長野県道306号有明大町線で、車線をはみ出して対向車と正面衝突するという事故を起こす。本人は胸の骨を折るなど一ヶ月の重傷を負い、また相手側の運転手にも顔を切るなどの軽傷を負わせた。8月3日の事務所開きは欠席も、その後は選挙活動を行った。同年8月30日の第45回衆議院議員総選挙に長野2区から民主党公認・国民新党推薦で出馬し、自民党の務台俊介に大差をつけて3選。2012年(平成24年)12月16日の第46回衆議院議員総選挙では、自民大勝・民主逆風のなか長野2区で自民党の務台に敗れ、重複立候補していた比例北陸信越ブロックでも当選に至らず、落選した。2014年(平成26年)12月14日の第47回衆議院議員総選挙でも長野2区から出馬したが落選。2010年9月の民主党代表選挙の際、松本市内に住むサポーター・民主党員になったことのない人に代表選挙の投票用紙が届いた。下条事務所が鹿島建設の協力会を経て複数の建設会社から名簿の提供を受けたとみられる。下条側はこれらについて「事務的ミス」としている。耐震強度が偽装された神奈川県藤沢市のマンションについて、「水増しした生コンが使われた」などと発言。その後の調査でコンクリートの強度に問題が無い事が判明しており、コンクリートを納入した業者が名誉を傷つけられたとして訴えた。2011年(平成23年)11月24日横浜地方裁判所にて550万円の支払いを命じられた。
出典:wikipedia
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