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国鉄201系電車

国鉄201系電車(こくてつ201けいでんしゃ)は、1979年(昭和54年)に試作車が登場し、後に量産された日本国有鉄道(国鉄)の直流通勤形電車である。国鉄として初の電機子チョッパ制御(サイリスタチョッパ制御)を採用し、電力回生ブレーキを装備した「省エネ電車」として設計・製造された。主回路以外についても新機軸が多数導入され、試作車完成の段階では次世代標準型通勤形電車として鉄道業界などから大きな期待が寄せられ、1981年(昭和56年)から量産が開始された。だが、当時の国鉄の財政事情では電機子チョッパ制御器の製造コストの高さがネックとなり、最終的に中央線快速・中央・総武緩行線・京阪神緩行線の3線区のみに合計1,018両の新製投入に留まった。1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化(JR発足)後は、東日本旅客鉄道(JR東日本)に794両が、西日本旅客鉄道(JR西日本)には224両が継承された。JR東日本では2005年から後継系列への取り換えによる老朽廃車が開始され、2011年6月に営業運行をすべて終了した。JR西日本では内外装のリフレッシュ工事を受けながら、引き続き使われている。なお、両社間の201系の譲渡は行われていない。また、本系列には過去に派生系列として東京メトロ千代田線直通用の地下鉄乗り入れ仕様でアルミ合金製車体を備える203系が存在していた。MM'ユニットを採用し、M車(モハ201形)にはチョッパ制御器・主制御器・抵抗器・集電装置が、M'車(クモハ200形・モハ200形)には補助電源装置・電動空気圧縮機が搭載される。主回路にCH1系電機子チョッパ制御器とHS36形補助制御器(試作車のみ)もしくはCS53系主制御器を組み合わせて搭載し、これらによってMT60形主電動機(直巻整流子電動機)を制御する。MT60形は定格回転数1850rpm/最高回転数4850rpmと既存のMT54形やMT55形といった前世代の標準形電動機と比較して高い定格回転数となった。回生制動を常用することを基本として計画されたため、本系列ではパンタグラフの架線からの離線による回生失効を防ぐべく、地下鉄乗り入れ用の301系などと共通の架線追随性が高いPS21形パンタグラフが採用された。補助電源装置にはDM106形の190kVAブラシレスMG(電動発電機)を、空気圧縮機 (CP) にはメンテナンスフリー化を図って誘導電動機を採用したレシプロ式MH3075A-C2000M形を使用する。運転台の主幹制御器は、試作車において従来からの縦軸式回転型と新幹線電車に類似する横軸式前後操作型2種類の比較試が行われた結果、量産車では横軸式ハンドルとなり、ブレーキ弁は通常のME49形が搭載された。応荷重装置付き電機子チョッパ制御回生ブレーキ併用電磁直通空気ブレーキ(SELR)と自動ブレーキ部のブレーキ制御弁として3圧力式のE制御弁が採用された。100km/hからの回生ブレーキに対応するため、定格速度の高いMT60形を45%弱め界磁で使用することで、回生電圧を抑えて回生失効を防ぐ対策がなされたが、それでも高速域では回生電圧が架線電圧を大幅に超えた。これらの問題点は、国鉄の回生ブレーキに対するノウハウの蓄積も不十分だったためで、当初の予測以上に空気ブレーキ系への依存度が高くなってしまっている。このため、量産開始後も回生ブレーキの動作パターン研究が進められ、増備の度に回生特性の改良が実施された。試作車では、基本では103系の構造を踏襲しているが、新系列車両としての新機軸を盛り込んでいる。量産車では以下の変更点がある。量産車による増備は継続されたものの、その後の国鉄の財政状況はきわめて厳しいものとなった。このため1983年度分からはコストダウンを計る見地から設計変更が行われた。このグループを指して「軽装車」と呼ぶ。軽装車での変更点は以下の通りである。20年程度先を見越した接客設備を目指して本系列では様々な改善が図られた。本系列は電動車にMM'ユニット方式を採用しており、モハもしくはクモハの201形と200形に主要機器を分散搭載して、電動車2両を1単位としている。形式解説順序は過去からの慣例に準じて記述する。車両の方向は東海道本線基準で奇数向きは東京寄り、偶数向きは神戸寄りを表す。会社間で移動した車両は皆無である。10両・6両・4両の3種類の編成があり、6両編成と4両編成を併合して10両編成として運用することで、需要に応じた多様な運用形態に対応可能としている。昭和52年度第2次債務で試作車10両(5両編成2本)が落成し、三鷹電車区(現・三鷹車両センター)に配置された。その後1983年に量産化改造が行われ、6両編成と4両編成に分割された。この際、モハ201-901とモハ200-901は電装解除を行ってサハ201-901・902となった。1981年7月からは量産車の落成が始まり、昭和55年度第1次債務で50両(4両編成5本・6両編成5本)、昭和55年度第2次債務で50両(4両編成3本・6両編成3本・10両編成2本)、昭和55年度第3次債務で100両(10両編成10本)の計200両が落成し、三鷹電車区・豊田電車区(現・豊田車両センター)に配置された。次いで昭和56年度第1次債務で100両(4両編成5本・6両編成5本・10両編成5本)、昭和56年度第2次債務で20両(10両編成2本)、昭和56年度第3次債務156両(10両編成15本)で、昭和57年度本予算で40両(4両編成4本・6両編成4本)の計316両が落成した。大半は豊田電車区に配置されたが、一部が三鷹電車区と中野電車区に配置された。なお、昭和56年度第1次債務落成分から冷房装置がAU75Gに、昭和56年度第3次債務落成分からはチョッパ制御機がCH1-G2に、昭和57年度本予算落成分からはチョッパ制御器がCH1Bに変更されている。加えて、昭和57年度第1次債務で50両(4両編成5本・6両編成5本)、昭和57年度第3次債務で30両(4両編成3本・6両編成3本)、昭和57年度第4次債務で90両(4両編成9本・6両編成9本)、昭和58年度本予算で10両(4両編成1本・6両編成1本)の計180両が落成した。武蔵小金井電車区と中野電車区に配置された。さらに、昭和58年度第1次債務で34両(4両編成4本・6両編成3本)、昭和58年度第4次債務で60両(4両編成6本・6両編成6本)の計94両が落成した。第1次債務分が武蔵小金井電車区に、第4次債務分が中野電車区に配置された。昭和58年度第2次債務分からいわゆる「軽装車」となっている。この増備分をもって201系の製造は終了した。そして1985年3月14日改正で101系の置き換えを完了し、中央快速線の201系化が完了した。車体塗装色はオレンジバーミリオン(朱色1号)である。塗色や所属区は同じであるものの、主に中央線および青梅・五日市・八高線のうち中央線直通運用と青梅・五日市線限定運用限定とで編成は分けられていた。中央線運用車両は、2008年3月のダイヤ改正まで富士急行大月線・河口湖線にも乗り入れていた。2010年までにすべての編成が営業運転を終了した(後述)。2004年12月から2005年3月までにドアステッカー下部に「ひらくドアにちゅうい」ステッカーが貼付された。快速系列車と早朝夜間の東京発着各駅停車で運用されていた。10両貫通編成(T編成)と6両+4両の分割可能編成(H編成)の2種類の編成があり、青梅線・五日市線・八高線と富士急行線への乗り入れの関係で運用が分かれていた。2008年1月に前者が、2010年10月に後者が営業運転を終了した。中央本線高尾以西に存在する狭小限界トンネルに対応すべくパンタグラフに特徴を持つ。2004年3月までの武蔵小金井電車区所属編成は、分割可能編成・貫通編成とも白地赤文字の編成札を使用していたが、豊田電車区(現・豊田車両センター)への移籍時に貫通編成のみ黄緑地白文字の編成札に交換した。外観上は、10両運転時に1・10号車となる先頭車両の運転席窓下部に電動幕式の大型列車種別表示器を備えている。分割可能編成の通常中間に組成される先頭車には板式の種別表示枠が設置されており、自動解結装置が装備されている。かつて中央・総武緩行線で運用されていた車両でE231系の投入に伴い同線運用から撤退となり、青梅線・五日市線用103系の置き換えに転用された。転属の際に前述の軽装車を含めて塗色をカナリアイエロー(黄5号)からオレンジバーミリオンに変更した。また付属編成1本は、後述する「四季彩」に改造された。中央線快速用とは、以下に示す差異がある。編成略号は「青○○編成」と呼称される。JR東日本では、青梅線沿線のイメージアップを目的に豊田電車区で訓練車として使用されていた4両編成1本(クハ201-134+モハ201-263+モハ200-263+クハ200-134)を展望型電車に改造し、2001年8月4日より運転を開始した。その後愛称の公募が行われ、同年11月23日に「四季彩」(しきさい)の愛称が付けられた。改造内容を以下に示す。登場から数か月間だけ五日市線でも運用されたが、以降は土曜・休日の青梅 - 奥多摩間の運用が中心で、送り込みを兼ねた立川発着の運用が1往復あった。臨時列車では、大月駅開業100周年記念記念列車や「川崎-奥多摩ハイキング号」として南武線川崎まで、2006年からは「四季彩河口湖号」として富士急行線河口湖まで、さらに2007年のゴールデンウィークにはこれまで使用されていた小山車両センター所属115系の廃車により快速「むさしの奥多摩」にも投入され、武蔵野線を経由して大宮駅まで乗り入れた実績を持つ。また八王子支社のみならず、長野支社に貸し出されて中央本線小淵沢 - 大糸線白馬間の臨時快速「四季彩高原号」や2008年5月24日には信越本線長野 - 篠ノ井線姨捨間の「姨捨フォトトレイン四季彩」号として運転された。平日は運用がなく拝島運転区で本来の訓練車として使用されたほか、他線へ貸し出されることもあり、2006年度には豊田車両センター所属車の廃車時に回送ルートとなる篠ノ井線内の乗務員訓練用に松本車両センターへ貸出された。八高線の予備車も兼ねていたが、こちらでは実際に運用されたことはほとんどない。運転開始当初の外装による運転は2005年5月8日で一旦終了し、新塗装変更後の同年6月25日に三鷹電車区一般公開で展示され7月2日から再度運転を開始した。しかし、老朽化のため2009年6月28日をもって一般運用を離脱。同年7月中は団体臨時列車として「さよなら四季彩号」が運転され、7月20日のさよなら運転を最後にすべての営業運転を終了した。毎年上諏訪駅近くの諏訪湖畔で開催される花火大会(8月15日の諏訪湖祭湖上花火大会と9月初旬の全国新作花火競技大会)の観客輸送の応援用として、豊田車両センター所属のH編成(T編成)2本(20両)が松本地区に貸し出され、中央本線小淵沢 - 塩尻 - 篠ノ井線明科間で臨時列車(一部は定期列車の運用変更)として運行されていた。2007年には、E233系への置き換えが続く中で本系列最後の貸し出しが実施された。2008年以降はE233系が貸し出されている。車体塗装色はスカイブルー(青22号)。京葉車両センターに配置された編成は、青梅・五日市線内運用編成と同様にかつて中央・総武緩行線で使用されていた車両で、205系とともに京葉線の103系を置き換えた。転入の際に以下の仕様変更が施工された。2000年8月27日から運用を開始した。2000年から2001年にかけて転入した10両編成7本は中間に先頭車が挟まった4両+6両で構成されていた。そのうち4本(K1 - K4 + 51 - 54編成)は自動解結装置を取り付けて4両+6両に分割併合を行う運用に、残り3本(71 - 73編成)は同装置を取り付けずに分割併合がない運用に投入された。72・73編成は中間に試作車(900番台)を組み込んでいた。2007年2月 - 3月には中央線快速で使用されていた10両貫通編成2編成が転入した。これは、武蔵野線直通列車の増発ならびに埼京線用205系の踏切事故による不足補充分として京葉線205系2編成が転用されたためである。転用に際し前述の変更に加えて以下の仕様変更が施工された。この2編成は209系500番台に置き換えられ、2008年12月に長野総合車両センターへ廃車回送された。JR東日本では103系の置換えに時間がかかり、東中野駅列車追突事故被災のミツ6編成を除いて全編成が落成から25年以上が経過した2005年上半期まで在籍していたが、特に初期製造車の多い中央線快速運用では東京都から山梨県にまたがる長距離高速運転や日中も走行する機会が多く、累積走行キロの伸びや機器などの老朽化が進んだため、同社では2006年12月26日から後継車E233系688両を投入し、本系列714両を置き換えることになった。三鷹 - 立川間の連続立体化工事中は、武蔵小金井折り返し運用が構内配線の都合で一旦留置線に入線する必要からすぐに折り返せないため予備車の不足が懸案事項となった。そのため、E233系の投入完了後もH4(クハ201-107以下10両)・H7(クハ201-128以下10両)の2編成が残存した。残存編成も工事が終了する2009年秋に同線での営業運転を終了する予定であると東京新聞で報道されていたが、2010年にJR東日本八王子支社はH4編成は同年6月20日の、H7編成は10月17日のラストランをもって旅客営業運転を終了すると発表し、2010年10月17日、長野総合車両センターへの廃車回送を兼ねた、中央本線豊田発篠ノ井線松本行きのさよなら運転で本系列の運用を終了した。青梅線・五日市線用の置き換えは2007年11月から2008年3月までに順次行われたが、4両編成の置き換えは2008年2月19日に一斉に行われた。長野総合車両センターへの廃車回送は基本的に編成単位で自力によるものである。中央本線の高尾以西の小断面トンネル通過未対策車は、パンタグラフを対応するシングルアーム式に交換した上での回送となる。しかし、以下の例外がある。国鉄時代当時の中野電車区に配置され、1982年(昭和57年)8月14日から営業運転を開始した。車体色は中央線快速向けに続く色としてカナリアイエロー(黄色5号)となった。10両編成として使用されていたが、検修設備の関係から貫通編成にはできず6両+4両の分割編成のみが配置されていた。JR東日本化後の2000年(平成12年)以降に三鷹電車区へのE231系0番台の投入に伴い、置き換えが進められ2001年(平成13年)11月をもって中央・総武緩行線からは引退した(約19年間使用)。なお、最終的に残っていた10両編成(6+4両編成)19本(190両)は120両が青梅・五日市線用として転用され、残る70両は京葉線に転用された。先述の900番台について、老朽化が進んでいるなどを理由として、2005年10月に山手線からの205系転入車で置き換えられた。このうちクハ201-902・モハ201-903は2005年10月14日に大宮総合車両センターで「地震での脱線想定負傷者救出訓練」に使用され、同月中に解体された。京浜東北線・根岸線へのE233系1000番台投入により捻出された209系500番台の転入に伴い、2008年12月には74編成(元・T130編成)・70編成(元・T32編成)が、2009年1月に71編成(クハ201-7以下10両)が、2009年2月に72編成(クハ201-36以下10両)が長野総合車両センターへ廃車回送され、固定編成は消滅した。なお、廃車に先立つ2008年6月に、K1+51編成のクハ201-37・クハ200-36と72編成のクハ201-103・クハ200-104の入替えが行われており、旧72編成が新K1+51編成(クハ201-104以下10両)に、旧K1+51編成が新72編成となった。この編成替えで比較的古い車両が中心となった新72編成が廃車回送されている。JR東日本の201系は、廃車まで新製時の編成を崩さなかったものが多く、この様な組換えは比較的珍しい。廃車回送に際し、豊田車両センターの201系と同様にパンタグラフの交換を行ったのちに中央本線経由で自力回送された。なお、70・74編成は、中央線快速用として使われていた時にすでにパンダグラフ交換がなされていた。分割併合が絡む運用の置き換えは209系500番台で行うことができず、残存する4編成(K1 - K4 + 51 - 54編成)には取り付けが必須になったデジタル無線装置が2008年に搭載された。2011年からはE233系5000番台導入、分割編成が営業を開始した同年3月以降、京葉線に残っていた4編成の廃車が始まった。K3+53編成(クハ201-111以下10両)が4月5日、K2+52編成(クハ201-109以下10両)が4月26日、K1+51編成(クハ201-104以下10両)が5月17日に長野総合車両センターへそれぞれ廃車回送され、同年6月時点での残存車は6両編成1本(54編成、クハ201-114以下6両)と4両編成1本(K4、クハ201-113以下4両)で、京葉線関係では6両編成と4両編成が連結されて10両編成で運転されていた。同年6月10日から同月20日までヘッドマークを掲出して運行され、同月20日の81運用で定期営業運転を終了、同23日に長野総合車両センターへ廃車を前提として回送された。車体塗装色はスカイブルー(青22号)。高槻電車区向けとして、昭和56年度第3次債務で56両(7両編成8本)、昭和57年度本予算で14両(7両編成2本)の計70両が落成・配置された。1983年2月21日から東海道・山陽本線の京都 - 西明石間で営業運転を開始した。明石電車区向けとして、昭和57年度第1次債務で42両(7両編成6本)、昭和57年度第4次債務で42両(7両編成6本)、昭和58年度本予算で7両(7両編成1本)、昭和58年度第2次債務で63両(7両編成9本)の計154両が落成・配置された。昭和58年度第2次債務分からいわゆる「軽装車」となっている。新製投入により余剰となった103系は他区所に転属し、101系など老朽車両の置き換えがなされた。1985年10月1日ダイヤ改正では運用区間を草津 - 加古川間に拡大するとともに、運用を見直すことでデータイム普通列車のオール201系化を行った。1986年3月には、高槻電車区に配置された201系が明石電車区に転属し、京阪神地区で運用される201系は明石電車区に224両(7両編成32本)が集中配置されることになった。JR西日本発足以来、明石電車区所属の103系・205系とともに東海道・山陽本線の各駅停車で運用されていたが、1993年3月18日ダイヤ改正から207系1000番台(吹田工場高槻派出所所属)が運用を開始し、103系を完全に置き換えた。これによる本系列の廃車は発生していないが、103系の運用を持ち替える形で湖西線の山科 - 堅田間での運用が追加された。1997年9月1日ダイヤ改正で福知山線新三田まで乗り入れを開始した。明石電車区の検修部門は、2000年4月1日付の組織改編に伴い網干総合車両所明石支所となっている。スカート(簡易排障器)は1991年度にJR東日本とは異なるタイプが、2004年から従来型より大型で鉄板を厚くしたタイプが設置された。1998年から、座席モケットが207系に準じたシーマンブルーに変更され、ATS-P保安装置の搭載が1998年8月から2001年3月までに全編成に対して行われた。座席モケットの交換及びATS-Pの搭載は網干電車区と鷹取工場で行われた。弱冷車サボ受けが全車の片側2か所に設置された。施工時期によってビス止めタイプと溶接タイプがあったが、転属に前後して撤去され、2002年以降には雨水の侵入により屋根の腐食の原因となる屋根上のベンチレーター(通風器)の撤去がC4編成(クハ201-64以下7連)から順次行われ、2005年以降は体質改善工事施工車に限り同時施工された。2003年11月からは、大阪環状線などの103系体質改善40N工事車に倣った「体質改善工事」(30N)が開始された(詳細は#体質改善工事を参照)。また体質改善工事施行前から、側面方向幕を国鉄形式の白地黒文字からJR形式の黒地白文字のものに交換した車両もある。交換は編成単位ではなく、編成内で幕が違うものも見られた。前面方向幕の「高槻」のローマ字表記は、ほとんどが「TAKATSUKI」(ヘボン式)だが、一部の車両では「TAKATUKI」(訓令式)も存在した。2004年3月13日ダイヤ改正時点で運用範囲を以下に示す。本形式のほか、205系や207系試作車と共通運用とされた。2005年12月1日から2006年12月にかけて明石支所に321系が273両(7両編成39本)投入されたため、本系列は2007年3月18日のダイヤ改正をもって定期運用を離脱し、後述の線区に順次転用された。2003年以降、後継の207系との格差改善ならびに延命を目的としたリニューアル工事が施工された。工事施工車の車番標記は、国鉄時代の丸ゴシック体からJR西日本独特の書体(モリサワの新ゴシック)に変更されている。改造内容を以下に示す。新製投入以後、他線区への転属までは7両編成(TcMM'TMM'Tc')で運用されてきたが、以下の特別編成が組成された実績がある。321系の投入によって余剰となった201系224両(7両編成32本)は車齢が20年程度であったことから、より車齢の高い103系のうち体質改善工事を施工していない車両置き換え用として転用することとした。201系転用前における103系在籍数を右に示す。転用候補先では7両編成は存在しないことから組み換えに関しては8・6・4両編成に組み替えるパターンも考案された。しかし、4両編成は通勤時間帯において2編成連結した8両での運用が存在し、103系と201系での共通運用ができないことから8・6両編成それぞれ16編成ずつに組み替えられることとなった。そして、103系6両編成を置き換えるために6両編成14本を奈良電車区に、残る8両編成16本と6両編成2本は森ノ宮電車区に転配する計画とした。車両転配は2007年度で終了し、2010年4月1日現在で森ノ宮電車区に128両(8両編成16本)、奈良電車区に96両(6両編成16本)が配属されている。当初計画とは異なり、6両編成はすべて奈良電車区に集約された。2013年10月1日現在、吹田総合車両所森ノ宮支所には8両編成16本が配置されている。103系8両編成を置き換える目的で、2005年12月から順次配属された。営業運転は、2005年12月15日からクハ201-62以下7連(旧C2編成)にサハ201-96(旧C27編成)を組み込んだ8両編成が検査周期の都合から旧来のスカイブルーのままで開始した。続いて、オレンジバーミリオンに塗装変更されたクハ201-64以下6連(旧C4編成のサハ以外)と旧C25編成のクハ201-136・クハ200-136を組み合わせた4+4の8両編成が登場した。中間にクハを組み込んだ編成は暫定的なものであり、奈良電車区への転配が開始されると順次解消された。体質改善工事未施工であった車両は工事施工のうえ転入しており、2011年4月現在の配置車両はすべて体質改善車である。弱冷車表記札の差し込み枠がのちに全車両とも撤去され、ステッカー表記に変更された。方向幕は、JR西日本の標準である黒地白文字のものに交換されている。本系列の転入により、既存の103系は廃車または奈良電車区および日根野電車区(現:吹田総合車両所日根野支所)への転出が進められた。車体塗装色はオレンジバーミリオン(朱色1号)である。ただし一部の編成は、前述のようにスカイブルーのまま転入して運用を開始した。スカイブルー塗装で転入した編成はその後クハ201-137以下を手始めにオレンジバーミリオンに塗り替えられ、2009年に最後まで残っていたクハ201-62以下8連1本が塗り替えられて関西圏からスカイブルー塗装の201系は消滅した。2012年には組織改組を受け、「近モリ」となった。転入当初残されていたスカートの車両番号表記は消去され、代わって前面の車体左側黒い部分にヘルベチカで車両番号が表示され、その後2007年以降定期検査に合わせて冷房装置をAU75系からWAU709に換装し、大半の編成が施工済みとなった。また、2012年11月にはLB8編成(クハ201-93以下8両)の行先表示器がLED式のものに更新された。これを手始めに他の編成にも順次施工が進み、現在は全編成の更新が完了した。運用は基本的に大阪環状線・桜島線(JRゆめ咲線)であるが、ラッシュ時には関西本線(大和路線)でも快速・区間快速としても使用されている。また、適時ラッピング広告編成となって運用されている。最初は本系と103系の両系列に施されていたが、2006年8月以降は本系列のみが対象とされている。4号車のサハ201形は女性専用車。転入当初は平日朝夕ラッシュ時に設定されていたが、2011年4月18日からは土曜日・休日も含めて終日設定されている。なお、大阪環状線内のドア数統一目的で2016年度から片側3ドア車の323系が新製投入されることとなり、順次置き換えられる予定となっている。2013年10月1日現在、吹田総合車両所奈良支所には6両編成16本が配置されている。103系6両編成を置き換える目的で、2006年12月から順次配属された。塗色は本系列では初めてとなるウグイス色(黄緑6号)で、103系に引き続き先頭車の前面には白色の警戒帯が配されている。編成は明石時代の編成からサハを外したものである。103系は偶数向き先頭車がJR難波寄り先頭だが、本系列は奇数向き先頭車(クハ201形)がJR難波寄り先頭となっている。最初の編成は同年12月11日に8両編成で構内試運転、翌12日に本線試運転を実施し、翌13日に6両編成で吹田工場を出場、奈良区に回送された。同月20日から同じく奈良区所属の103系6両編成と共通運用で営業運転を開始した。最終的には置き換え前の103系より2本多い16本96両となった。ただし、2008年3月15日のおおさか東線開業による運用増の影響か、2013年10月現在でも103系6両編成3本が残存している。森ノ宮支所配置編成同様、定期検査に合わせて順次冷房装置をAU75系から WAU709 に換装している。方向幕のLED化が完了した。運用は基本的に、103系6両編成と共通で大和路線・おおさか東線・万葉まほろば線であるが、ラッシュ時などの一部時間帯には大和路線快速としても使用されている。3号車のモハ201形は女性専用車である。

出典:wikipedia

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