千葉線(ちばせん)は、千葉県習志野市の京成津田沼駅と千葉市中央区の千葉中央駅を結ぶ、京成電鉄の鉄道路線。駅ナンバリングで使われる路線記号はKS。京成津田沼駅で京成本線から分岐する路線で、同駅で本線・新京成電鉄新京成線、千葉中央駅で千原線と接続、直通運転を行っている。東日本旅客鉄道(JR東日本)総武本線と京葉線の中間地帯の総武本線寄りの場所を走り、京成千葉駅 - 千葉中央駅間ではJR外房線と並走している。各駅に停車する普通のみの運行で、日中は京成津田沼駅 - ちはら台駅間の千原線直通列車と、松戸駅 - 千葉中央駅間の新京成線直通列車がそれぞれ20分間隔で運行されている。この2つの系統が交互に運転されるため、京成千葉線内では10分間隔の運行である。また、京成津田沼駅 - 京成千葉駅間の途中駅はホーム長が6両編成分しかないため、すべての電車が4・6両編成で運行されている。朝夜の一部に本線直通の京成上野駅発着列車があるが、全区間が各駅停車の普通のみの設定である。朝は上り(京成津田沼方面)は日中と同じ10分間隔、下り(千葉中央方面)は幕張新都心への通勤利用が多いことを考慮して、6 - 10分間隔で設定されている。新京成線との直通運転においては、上述のホーム長の都合上、現在のところ新京成電鉄の6両編成の車両(8900形を除く)のみが乗り入れている。新京成線内では「普通」の表示を出さない新京成車両も千葉線では「普通」の表示を出して運行している。表示の切り替えは京成津田沼駅で行われる。千原線ちはら台行きの列車の方向幕・行き先表示は「(千葉)ちはら台」(ちはら台の前に改行)となっているがLED表示車や新京成電鉄の車両は「ちはら台」と表記されている。なお、運転実績はないが土曜・休日の夕方に1往復不定期特急の設定があり、試運転列車などでこのダイヤを使用していたこともあった。千葉線内の停車駅は京成稲毛と京成千葉のみである。このため千葉線内の速度標識には特急の速度表示も示してある。また、これとは別に1968年(昭和43年)5月より同年6月までは線内に通過駅がある急行が、同年6月より1974年(昭和49年)12月までは同じく線内に通過駅がある快速が存在した。停車駅は、急行は稲毛のみ。快速は幕張・稲毛・黒砂(現・みどり台)・国鉄千葉駅前(現・京成千葉)。なお国鉄千葉駅前の停車は1968年(昭和43年)11月改正からである。また過去には臨時特急や臨時急行、ごく短期間ながら上記の急行とは別に定期急行が1度設定されていた。臨時特急は千葉線内は京成津田沼と京成千葉(現・千葉中央)以外は無停車であった。1921年(大正10年)に本線の船橋 - 津田沼間と同時に津田沼 - 千葉間が開業した。これは本線の津田沼 - 成田間よりも優先され早い開業となった(京成津田沼駅から京成本線が当線下をくぐり、大きく内陸方へカーブする形で分岐しているのはそのためである)。千葉線はこの年に市となった県都である千葉市への輸送、東京湾岸への観光客の輸送を目的として設置された。当時の千葉線はみどり台駅、西登戸駅のそれぞれ開業時の駅名「浜海岸駅」、「千葉海岸駅」が示すとおり現在よりも遥かに海に近く(おおよそ現在の国道14号線が昭和30年代ごろまでの海岸線であると考えて相違ない)、海水浴客や、潮干狩りを楽しむ行楽客でにぎわった。また住環境が良かったため、京成稲毛駅や西登戸駅周辺は別荘地としても賑わいを見せた。1935年(昭和10年)に省線(国鉄)の千葉駅までの電化が完成する前までは、千葉線の方が圧倒的優位に立っていた。1970年代以降、旧国鉄の「通勤五方面作戦」の一環としての、1972年(昭和47年)の東京駅と津田沼駅を結ぶ総武快速線開通(中央・総武緩行線と合わせ、総武線が津田沼まで複々線化)や1981年(昭和56年)の複々線区間の千葉駅までの延長、さらに1990年には海側に建設された新規路線である京葉線が東京駅まで開通したことで、京成千葉線は東京駅と千葉市を結ぶJRの両路線に挟まれた形となり、千葉線は都心アクセスの上で不利な状況となり、本線直通列車の本数も大幅に削減された。2006年(平成18年)からは松戸・鎌ケ谷方面へのアクセス強化を図るため、1955年(昭和30年)に約4か月ほど実施されただけであった新京成線との直通運転を再開する。新京成車両による片乗り入れで、千原線への直通運転は行わないものの、千葉への新たなアクセスルートが確立した。
出典:wikipedia
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