ラクナウ(、、)は、インドウッタル・プラデーシュ州の州都である。18世紀、アワド藩王国の首都として栄えた。ニューデリーの南東約500kmにある。ラクノーとも呼ばれる。2011年の人口は2,815,601人。都市の中央をゴームティー川が流れ、それを挟んで街はトランス・ゴームティー地区とcis-ゴームティー地区に分けられる。ラクナウへのアクセスは、空路でアマウシ空港 (Amausi Airport) からニューデリー、パトナー、コルカタ、ムンバイ、ワーラーナシーおよび他の主要都市に接続し、国際線でドバイ、ジッダ、マスカット、シャールジャへ接続している。2015年末からは、ラクナウ都市圏から初の東南アジア直行便として、タイガーエア運航によるシンガポール発着の新規路線が開設される。日本国とも刺繍などの伝統文化交流により訪れる関係者もおり、以前は航空路の整備の面で課題があったが、本格的なLCC路線が増加した2010年代からは、タイガーエア台湾(中華民国/台北経由便)を利用する事により、東京/成田国際空港から2回(台北・シンガポール)の乗り継ぎで、LCC路線のみで到着する事が可能な都市となった。陸路では同州の都市カーンプルからの道路もよく整備されている。鉄道はラクナウ駅からNorth Easten Railwayでバラナシへ、Indian Railwaysでデリーへ接続している。 研究機関が多く、農業関係としては先端の施設を有するインド国立サトウキビ研究所 (Indian Institute of Sugarcane Research) が、サトウキビの栽培試験、育種、品質管理を行っている。街の名前ラクナウの起源については諸説あり、そのうちの一つがこの地に長く逗留したラーマ王の兄弟ラクシュマナ (Lakshmana) に由来するという説である。市内には、ムガル帝国、アワド太守時代の壮麗な史跡が残っている。1775年、アワド太守のアーサフ・ウッダウラは、父シュジャー・ウッダウラの死後、ファイザーバードからこの地に遷都し、その発展に力を入れた。なかでも、トルコ門のルーミー・ダルワーザーと、シーア派のモスクであるイマーム・バーラーは、非常に壮麗な建築物で、その周辺もアースフィー・モスクなど歴史的建造物が多い。インド大反乱では、壮絶な攻防戦が繰り広げられ、イギリス領インド帝国でも重要な役割を果たし、現在でもインドの重要都市である。1916年、が同地で締結された。ラクナウはケッペンの気候区分では温暖湿潤気候に属し、夏と冬の気温差が大きい。4月から10月までが夏であり、特に4〜6月は、乾燥しほとんど雨は降らず、非常に暑く最高気温は軽く40度を超える。最も暑い月である5月の平均最高気温は40度で、平均最低気は24.6度である。6月中旬から9月中旬には季節風(モンスーン)のため降水量が多く、月間降水量が200ミリ以上となる。冬は12月から2月で涼しく乾燥し平均最高気温は25℃前後である。冬には北インド特有の濃霧が多く発生する。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。