メリー・ホプキン(Mary Hopkin, 1950年5月3日 - )は、英国の歌手。ウェールズ出身でウェールズ語を母語に育ち、民謡歌手として音楽活動に入る。地元のインディーズ・レーベルでいくつか録音を残した後、ツイッギーに見出されて、ビートルズのアップル・レコードと契約する。アップル所属時代は、その容姿や美声から「アップルの歌姫」と呼ばれた。ポール・マッカートニーがプロデュースしたシングル「悲しき天使 ("Those Were the Days")」は、1968年8月30日にイギリスで発表され、有名なスター、サンディ・ショーと競作する格好となったにもかかわらず、彼女の録音が全英シングル・チャートの首位に輝き、全米シングル・チャートでも第2位を射止めた。1969年2月21日に、やはりマッカートニーのプロデュースによるアルバム第1作『ポスト・カード』を発表。アルバム・セッションに参加したドノヴァンから3曲をカヴァーしているほか、ジョージ・マーティンやハリー・ニルソンの作品も1曲ずつカバーしている。シングル第2作は、レノン=マッカートニー作詞・作曲(実際はマッカートニー単独の作品)の「グッドバイ ("Goodbye")」で、1969年3月28日に発表され、全英シングルチャートで第2位に輝く(当時の第1位はビートルズの「ゲット・バック」であった)。シングル第3作には、ドリス・デイの著名な曲「ケ・セラ・セラ ("Que Sera, Sera (Whatever Will Be, Will Be)")」をマッカートニーが用意して新たなリフレインを書き足し、素晴らしいバックトラックが制作された。だが完璧なポップソングとして仕上がっていたため、ホプキン側が発売に難色を示し、結果、ミッキー・モストのプロデュースによる《夢みる港 ("Temma Harbour")》に変更された。この一件によりマッカートニーとの関係は悪化し、以降マッカートニーはホプキンのプロデュースから撤退する。1970年3月23日にシングル第4作「しあわせの扉 ("Knock Knock Who's There")」を発表し、再び全英シングル・チャート第2位を獲得。同年、英国を代表してユーロビジョン・ソング・コンテストに出場した際、同曲によって第2位を獲得するもアイルランドの歌手ダナに敗れた。同年に来日して大阪万博にも出場し、その美声を響かせた。1971年には、アルバム第2作『大地の歌 ("Earth Song/Ocean song")』を発表。メジャーデビュー以前の音楽性であったブリティッシュ・フォークの香りが漂う作品となり、当人もこのアルバムで、メジャーデビュー後初めて自らの音楽性との合致点を見いだしたという。同年、「大地の歌」をプロデュースしたトニー・ヴィスコンティと結婚してからは音楽界を引退し、もっぱら主婦業に務めたが、1977年にデヴィッド・ボウイのアルバム「ロウ」のバック・ヴォーカルに参加している。1981年にヴィスコンティと離婚。なお、ヴィスコンティとの間に生まれた娘ジェシカ・リー・モーガンは2010年に歌手デビューしている。ヴァンゲリスによる映画『ブレードランナー』のサウンドトラックで、「Rachel's Song」を歌っている。2005年には、ドリー・パートンのアルバム『Those Were the Days』にも参加している。
出典:wikipedia
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