田中 靖洋(たなか やすひろ、1987年6月21日 - )は、石川県小松市のプロ野球選手(投手)。実兄の田中良平は、元プロ野球選手である。石川県小松市出身。高校生までは捕手を中心に内外野すべてをこなしていたが、高校2年生の時に本格的に投手に転向した。3年生時に石川県選抜チームのメンバーに選ばれ、日米親善試合に出場した。夏の甲子園・石川大会の1回戦に県立加賀高校の五番・投手として出場したが、同校はこの試合で敗退した。2005年10月3日に行われたプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから高校生ドラフト4位指名を受け入団。プロ入り後4年間は一軍公式戦に出場なし。4年目()のオフにダルビッシュ有、野上亮磨らと共に自主トレを行った。4月15日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦の9回に4番手でプロ初登板し、1回を投げ1失点だった。29日の千葉ロッテマリーンズ戦で初めて先発投手を務めたが、3回までに4点を奪われて敗戦投手になった。その後、右肘の痛みが原因で出場選手登録を抹消され、8月に右肘の靭帯再建手術を受けた。7月に手術からの復帰登板を果たした。に一軍へ2年振りに復帰すると、中継ぎ投手として公式戦5試合に登板した。は一軍公式戦の出場機会がなかったが、イースタン・リーグでは公式戦38試合に登板。チーム最多の9セーブを挙げた。シーズン終了後には、チームメイトの岩尾利弘、相内誠、藤澤亨明と共に、オーストラリアン・ベースボールリーグのメルボルン・エイシズへ派遣。現地のウインターリーグに参加した。なお、シーズン中の5月26日には、東京都練馬区内で自家用車を運転中に環状8号線の井荻トンネル内で追突事故を起こしている。には、中継ぎ投手として一軍公式戦8試合に登板した。8月31日の楽天戦(楽天Koboスタジアム宮城)で一軍初セーブを記録した。9月12日の北海道日本ハムファイターズ戦(西武プリンスドーム)では、同点の11回表二死から登板し、1/3回を投げて日本ハム・中田翔に勝ち越し適時打を許した(この失点が記録されたのは、その前に登板していた武隈祥太)が、11回裏に中村剛也がサヨナラ本塁打を打ったために、入団10年目にして一軍初勝利を挙げた。イースタン・リーグ公式戦には28試合に登板し、チーム最多にしてリーグ2位の11セーブを記録したが、球団は翌の戦力構想から田中を外したうえで、NPBの他球団にトレードを打診。成立に至らなかったため、10月27日に田中に戦力外通告をした。12月2日付でNPBから自由契約選手として公示された。同年11月10日に、12球団合同トライアウト(静岡草薙球場)に参加。打者3人に対するシートバッティング形式で行われ、参加した投手の中では最速の147km/hをストレートで計測する一方で、前年まで東京ヤクルトスワローズに育成選手として所属していた佐藤貴規に二塁打を浴びた。同月17日からは、実兄の良平がかつて所属していた千葉ロッテマリーンズの秋季キャンプに参加。入団テストを兼ねて登板した紅白戦で、最速147km/hのストレートを投げたことなどが評価され、12月7日にはロッテへの入団が正式に発表された。
出典:wikipedia
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