サー・アーサー・ヘンリー・ヒュー・コータッツィ(Sir Arthur Henry Hugh Cortazzi, 1924年5月2日 - )は、イギリスの元外交官。セント・アンドリュー大学卒。1946年来日。1980年から1984年まで駐日英国大使を務めた。日本アジア協会の代表(1982–1983)、ロンドン日本協会の代表(1985–95)も務め、数多くの日英関係と日本の歴史に関する本を執筆している。ジャパンタイムズに度々投稿している。父親が教師をしていたカンブリア (イングランド)にあるボーディング・スクール「セドバー・スクール」を出たあと、セント・アンドリュー大学、ロンドン大学で学ぶ。戦争のため日本語通訳育成が必要となったことから、セント・アンドリュー大学では日本語学習者を募集しており、1943年から4年間、イギリス空軍で働くかたわら、日本語も学び始める。駐留したシンガポールでは上官らの日本語通訳を務め、1946年から1年3か月間、日本に駐在。この経験から外交官になることを決め試験を受けたが、成績が足りなかったことと、名門のオックスブリッジ卒でなかったこともあり、叶わなかった。1947年から2年間、東洋アフリカ研究学院で日本語を学び、再び外交官試験を受けて合格。外務官としてシンガポールを経て1951年から3年間東京勤務。ドイツのボン駐在後、1961年から4年間と、1966年から4年間東京駐在。王立防衛大学で学んだ後、ワシントンD.C.駐在。1975年より駐米大使次官代理となり、外務・英連邦省より1980年に駐日大使を任命される。同年、聖マイケル・聖ジョージ勲章を受けナイト叙任。大使退任後はロイズTSB傘下のオフショア・プラベート銀行(租税回避地銀行)Hill Samuel & Coの役職につき、また、日英関係の執筆などの仕事を続けている。2000年に、コータッツィらがロンドン日本協会(日本大使が代表を務める日英協会)に寄付し、在英国日本国大使館(大使林貞行)内に保管されていた古書・古地図のコレクションの一部が盗まれ、クリスティーズのオークションにかけられていたことが発覚した。事の発端は、コータッツィが大英博物館近くの古書店で、自分が寄贈した本2点が売られているのを発見したことで、警察の捜査の結果、約150点が大使館倉庫から盗まれ、その一部が国内外の古書店やオークションに流通していることがわかった。ロンドン日本協会から蔵書整理要員として大使館図書館へ派遣されていた英国人男性が事件発覚後、一部盗難を認めた。蔵書はロンドン日本協会が設立以来100年に渡って集めた稀覯本の一部で、盗まれた本には、市場価格数百万円のものも含まれ総額数千万円にのぼると見られている。犯人は盗品を除外して蔵書目録を作成するなどして犯行を隠蔽していた。同コレクションは研究者にすら原則非公開とされているにもかかわらず、犯人は3年間に渡って盗難を続けており、日本大使館の杜撰な管理ぶりが指摘された。息子のウィリアム・ジュリアン(1961年 - )は、ウェストミンスター・スクール、インペリアル・カレッジ・ロンドンを卒業後、インペリアル・ケミカル・インダストリーズ(ICI)などに勤務していた。ほかに娘が2人おり、3人とも日本生まれ。
出典:wikipedia
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