法廷メモ訴訟(ほうていメモそしょう)とは、事前に法廷でメモを取っていいか日本の裁判所に許可を求めたが、不許可となったため、知る権利(憲法21条)の侵害を主張して国家賠償法に基づく損害賠償を求めた裁判。法廷内メモ採取事件、あるいは原告の名前をとってレペタ事件、レペタ裁判とも呼ばれる。最高裁は請求を退けたものの傍論で、メモを取る行為自体について、「故なく妨げられてはならない」、「メモを取る行為が法廷における公正かつ円滑な訴訟の運営を妨げる場合には、それを制限又は禁止することも許されるが、そのような事態は通常はあり得ないから、特段の事由がない限り傍聴人の自由に任せるべき」と判示し、判決当日、全国のすべての裁判所が、掲示板からメモ禁止の表示を削除、以来、一般傍聴人のメモが事実上解禁されている。アメリカの弁護士であるローレンス・レペタは、日本において経済法の研究のため、所得税法違反事件の公判の傍聴を行っていた。その過程で彼は「メモを取る許可願」を裁判所に7回求めたが認められなかった。これに対して、精神的損害を被ったとして、レペタは国家賠償請求訴訟を提訴した。一審(東京地方裁判所昭和62年2月12日判決)、二審(東京高等裁判所昭和62年12月25日判決)とも請求を退けたので、原告が日本国憲法第82条第1項(裁判の公開)、第21条第1項(表現の自由)、第14条第1項(法の下の平等)に反するとして上告。メモを取ることは権利として認められないとして、上告は棄却したが、「筆記行為の自由は憲法21条1項の規定の精神に照らして尊重されるべきである」とした。なお、傍聴人のメモは原則として禁止とし、傍聴者の申し出によって裁判官の裁量によりこれを許可すべきであるとする裁判官四ツ谷巖の意見がある。本判決後、傍聴人の法廷での筆記行為は特段の事情がない限り認められるようになった。その意味で、本判決は原告の実質勝訴である。法廷においてメモを取ることはいかなる権利として位置づけられるかは一つの問題であるが、本判決も、法廷でメモを取る行為について、「特段の事情のない限り、これを傍聴人の自由に任せるべきであり、それが憲法21条1項の規定の精神に合致するものということができる」と述べている。ただし、本判例は、傍聴人による法廷内のメモ採取行為について、憲法21条によって尊重されるべきであるとしたが、人権であると認められたわけでないことには、注意を要する。もっとも、本判例に対しては、憲法82条の定めるところによる裁判の公開と関連して、憲法21条は、メモ採取の自由を必然的に保障するものであるから、憲法82条と相まって、憲法によって保障された行為であるとの批判がなされている。ちなみに、芦部は「法廷メモ採取事件」について、次のように記述する。なお、本判例は「表現の自由との関係を考えた場合、現代においては、情報等に接し、これを摂取する自由は、表現の自由の派生原理として導かれると解すべきであるところ」と前置きした上で、「筆記行為の自由は、表現の自由を認める憲法の規定に照らして尊重されるべきである」「そして、前のとおり、裁判の公開は制度として憲法上保障されており、傍聴人は法廷における裁判を見聞することができるから、傍聴人が法廷においてメモを取ることは、その見聞する裁判を認識、記憶するためにされるものである限り、尊重に値」し、故えなく妨げられてはならない、とする。そして、「もっとも、筆記行為の自由も、一定の合理的制限を受けることがあるのはやむを得ないというべきであって、メモを取る行為が法廷における公平かつ円滑な訴訟の運営を妨げる場合には、それを制限又は禁止することも許されるが、そのような事態は通常あり得ないから、特段の事情がない限り、傍聴人の自由に任せるべきである」とする。なお書きのなお書きとして、「特段の事情」とは、本判例の言葉を借りれば、すなわち、「法廷における公平かつ円滑な訴訟の運営を妨げる場合には、それを制限又は禁止する特段の事情」に該当し、理論上の話ではあるものの、通常、「特段の事情あり」と主張する側が、その立証責任を負うべき事項である。
出典:wikipedia
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