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むつ市

むつ市(むつし)は、青森県東北部、下北地方に位置する市である。下北半島に位置し、陸奥湾と津軽海峡に面する、本州最北端の市である。2005年の市町村合併により、青森県の総面積の約11%を占める県内で最も大きな面積を持つ自治体となった。1960年に大湊田名部市から現在のむつ市に改め、日本で初めての平仮名の市である。下北地方の中核都市であり、周辺自治体に広がる人口約75000人のむつ都市圏を形成している。人口は減少傾向にある。旧むつ市の人口はほぼ横ばいであるものの、旧大畑町、旧川内町、旧脇野沢村の人口が減少している。青森県北東部の下北半島にある。市としては本州最北端に位置し、南は陸奥湾、北は津軽海峡に面し、2つの海をもつ地形となっている。市の中央部には釜臥山(標高879m)を主峰とする恐山山地が連なっていて恐山には宇曽利湖というカルデラ湖がある。東南部には下北丘陵が連なる。田名部、大平、大湊に人口が集中している。むつ市の中心地である田名部(たなぶ)には下北丘陵に端を発する田名部川が流れ、流域には肥沃な田名部平野が広がる。大湊は釜臥山の麓に位置し、波の穏やかな大湊湾に面す。大湊湾内には芦崎と呼ばれる砂嘴があり、砂嘴の内部は芦崎湾と呼ばれ、天然の港湾となっている。ケッペンの気候区分では西岸海洋性気候に属し、冷涼な気候である。また、11月下旬から4月上旬まで雪に覆われる。日本海側気候ではあるものの、夏は北東風(やませ)の影響などにより涼しい時もあるが基本的には高温多湿な日々である。また、冬は特別豪雪地帯ほど大量の雪は降らないとされているが生活するに不便を生じる。田名部は藩政時代には南部藩(盛岡藩)の代官所が置かれていた。当時より下北地方の要の町として開け、田名部川の水運で栄えた。また、大湊村は芦崎の良港を有して、北前船の風待港として賑わった。1870年、戊辰戦争で賊軍とされた会津藩が領地没収の引き換えに斗南藩(となみはん)三万石として再興が許される。藩主は京都守護職松平容保の嫡男、松平容大。会津藩の7割に当たる2800戸が移封させられた。翌年には廃藩となり、現在のむつ市斗南ヶ丘にその史跡がわずかに残る。斗南藩士たちは北辺の地で、薩長政府への復仇を誓い斗南「南、すなわち薩長と斗(戦)う」と名乗り開墾作業に従事したが、火山灰台地の痩せた土地で農業は振るわず、雪害で家屋は潰れ、野火により残った家屋も焼失し、病疫と飢餓により多くの死者を出し、次第に離散していった。しかし、わずかに残った者は、やがて西洋式牧場を成立し、新たな産業をこの地に残した。大湊は下北七湊の一つであり、明治以降は帝国海軍の軍港となった。太平洋戦争の末期は、大湊町であり、市制施行していなかったが、海軍の基地があるということもあり空襲を受けた。終戦直前には海軍関係者も合わせて、町では異例の10万人近くの人口があった。大湊は現在でも海上自衛隊の基地があり、青森県以北を警備担当区域とする大湊地方隊の地方総監部が置かれている。他に、現在は独立行政法人海洋研究開発機構の保有する地球研究船「みらい」となったむつ (原子力船)の旧母港(新母港は関根浜に建設)が置かれていた。むつ市自体は海、先端技術との関わりの中で発展することを希望している。大湊に限って言えば比較的第3次産業の比重が高い。大湊には自衛隊、市内には土木、建設業、原子力関連企業の関係で県外からの転勤者が多い。転勤者が多いことからむつ市に住んでいたことのある人が自衛隊員を中心として全国に点在しているという特殊な地域でもある。※市役所の最寄り駅は、下北駅であるが、JTB時刻表では大湊駅が中心駅となっている。

出典:wikipedia

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