アビスパ福岡(アビスパふくおか、Avispa Fukuoka)は、日本の福岡県福岡市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。1982年創部の中央防犯サッカー部が前身。1994年にJリーグ準会員となり、1996年よりJリーグへ加盟している。クラブ名のアビスパは、スペイン語で「熊ん蜂(スズメバチ)」の意味。ハチの持つ集団的行動や俊敏性が「軽快で統制のとれた多様なグループ攻撃」という、チームの目指すスタイルを象徴する。運営会社はアビスパ福岡株式会社である。ホームスタジアムはレベルファイブスタジアム、練習場は福岡市雁の巣レクリエーションセンター球技場である(詳細は#スタジアムを参照)。運営会社の出資企業・団体の多くは福岡市に主要拠点を置く、もしくは福岡が発祥の企業であり、取締役には主要株主であるコカ・コーラウエスト・福岡市(市民局)・九州電力・西日本新聞社・九電工・ふくや・福岡銀行・西日本シティ銀行の幹部が就いている。オフィシャルスポンサーも大半は福岡市に拠点を置く企業となっている。なお、主要な出資者にセコムが入っているのはクラブの母体となった中央防犯アクトサービス(現・中央防犯)がセコムの販売代理店を請け負っていた縁があり、大都技研が入っているのは2008年の増資時に大都からの出資の意向を受け入れたことによる(後述)。2014年に増資を行い、システムソフトが筆頭株主となった(後述)。チームの在籍選手数が少ないことや日程調整などの問題を理由に、2007年を最後にJサテライトリーグから撤退した。若手選手に試合経験を積ませる必要性などから、九州地区にホームを置く他のクラブと共同で九州チャレンジャーズリーグを開催していた。また、福岡市の姉妹都市でもあるボルドー(フランス)をホームタウンするFCジロンダン・ボルドー(リーグ・アン)と技術提携し、若い選手の短期留学やコーチングスタッフの交流などを行っている。1982年に静岡県藤枝市で創部された中央防犯サッカー部が前身であり、1991年に日本サッカーリーグ2部、1993年にジャパンフットボールリーグ1部に昇格した。1994年に中央防犯FC藤枝ブルックスと改名し、同年にJリーグ準会員となった が、当時藤枝市内にJリーグ基準を満たすスタジアムが存在しなかったことなどからJリーグクラブ誘致に動いていた福岡市の要請を受け、1995年に福岡市にホームタウンを移すと共に福岡ブルックスへ改名した。監督に1978 FIFAワールドカップでアルゼンチン代表であったホルヘ・マリオ・オルギンが就任。鳥栖Fよりディエゴ・マラドーナの実弟ウーゴ・マラドーナを獲得、引き続き中央防犯時代より所属の元アルゼンチン代表ペドロ・トログリオらを擁し、京都、鳥栖F、神戸などと争った結果、24勝6敗の成績でJFLで優勝し、1996年からのJリーグ加盟を決めた。なお、シーズン終了後にオルギンが監督を退任した。また、Jリーグ加盟に合わせ「アビスパ福岡」へ改称した。これは「ブルックス」の呼称が紳士服メーカー「ブルックス・ブラザーズ社」の商標で商標権侵害の恐れがあるためであった。1996年、横浜M元監督の清水秀彦が監督に就任。マラドーナ、トログリオ、マジョールの3外国籍選手らが残留。元日本代表の都並敏史、広島から森秀昭などベテラン選手、中払・藤本・久永・石丸ら新人も入団したが、順位は15位。1997年は17位、1998年は18位と2年連続シーズン最下位。1998年はJ1参入決定戦に参加したが、1回戦で川崎、第3参入クラブ決定戦で札幌を破り、J1残留を果たした。なお、1998年に千代反田充(東福岡高等学校3年)を強化指定選手第1号(現在の特別指定選手)として受け入れたがJ公式戦への出場は無かった。松田体制4年目。薮田光教(前神戸)、布部陽功、久藤清一(共に前C大阪)などを補強したが、12節終了時点で1勝6敗5分の16位。5月22日に松田を監督から解任。後任にV川崎と神戸の元監督の川勝良一が就任。2006 FIFAワールドカップによるリーグ戦中断期間に神戸からバロンを完全移籍、また大宮から佐伯直哉、東京Vから飯尾一慶を期限付き移籍で獲得。シーズン成績は16位。J1・J2入れ替え戦に回り、J2・3位神戸に第1戦アウェイで0−0、第2戦ホームで1−1(2戦合計1-1)、アウェーゴール差で敗れ、1年でのJ2降格が決まった。なお、川勝はシーズン終了後に監督を辞任した。5回戦へ勝ち残っていた天皇杯は沖野等が代行監督を務めた。なお、この年に運営会社の商号が福岡ブルックス株式会社からアビスパ福岡株式会社へ変更された。篠田体制4年目。長年在籍した久藤清一が引退、前シーズン15ゴールを挙げた永里源気が甲府へ、中島崇典が柏へ、大久保哲哉が山形へ、柳楽智和がFC東京へ、阿部嵩がJFL・ツエーゲン金沢へ移籍、大山恭平、平石健太が退団した。補強は、千葉から和田拓三、磐田から成岡翔、横浜FMから清水範久が完全移籍で、磐田から松浦拓弥、FC東京から重松健太郎がレンタル移籍で加入。キム・ミンジェ、畑本時央、牛之濱拓が新加入した。また丹羽大輝のレンタル移籍期間も延長した。開幕戦で新潟に敗れて以降、開幕から9連敗(Jリーグ杯・磐田戦を含めると公式戦10連敗)。6月15日の第15節(リーグ10戦目)の神戸戦に引き分けて初の勝ち点を得た。その後、3連敗で13試合連続勝ち無しとなったが、7月2日のリーグ戦14試合目の甲府戦で初勝利。篠田は解任され、8月からヘッドコーチから昇格する形で浅野哲也が監督に就任した。10月22日に新潟に敗戦してJ2降格が決定。最終順位は17位でシーズンを終えた。天皇杯は3回戦で仙台に敗退した。※福岡ブルックスとしてホームスタジアムはレベルファイブスタジアムである。なお、過去のホームゲーム開催スタジアムは「アビスパ福岡の年度別成績一覧#年度別入場者数」を参照のこと。練習場は福岡市東区の福岡市雁の巣レクリエーションセンター球技場である。2003年8月10日の広島戦(博多球)の試合開始前に結婚のお披露目を行った。立会人にはホークスの『ハリーホーク』と『ハニーホーク』。衣装は、香蘭女子短期大学の学生によって作られた。2003年までは1stユニフォームがシルバー、2ndユニフォームがネイビーだったが、2004年からは前述のサポーターのアンケート結果を受けて、1stユニフォームがネイビー、2ndユニフォームがシルバーに変更、さらにその後、2ndユニフォームの色がシルバーからホワイトになった。U-18U-151999年11月末、韓国の漢陽大学校に所属していた李官雨(当時五輪韓国代表)の獲得を発表。しかし、この時点で本人は既に韓国国内Kリーグのドラフト(2002年廃止、2006年復活)への参加を表明しており、アビスパの獲得発表はKリーグ側からすれば重大な規約違反であった。Kリーグは12月3日のドラフトにより大田シチズンの指名権を認めて当然アビスパとの契約は認めなかった。この時Kリーグ側から裁判に持ち込むという話もあったが、アビスパは裁判で争ってまでの獲得を断念。結局、李官雨は大田へ入団。アビスパとは入団契約を交わしていた為、一度もユニフォームに袖を通さないまま契約を解除し退団する事となった。因みにKリーグとアビスパの両者合意の上での契約解除なので、違約金などは発生していない。2000年のJリーグカップ予選・湘南ベルマーレ戦(4月12日)で、アビスパは主力を温存し、若手・中堅選手が中心となって出場し、「最強メンバーで試合を戦うこと」というリーグ規定に反するのではないかということで問題になったものの、試合は勝利を収めた。福岡移転後から、1998年に福岡市が4億円の増資引き受けと最大9億円の融資を拠出、2006年には資本金34億円の99%減資と大株主からの追加支援を受ける など、慢性的な赤字体質が続いていた。そんな中、ユニフォームの胸スポンサー(「GEORGIA」のロゴを掲出)であった筆頭株主の北九州コカ・コーラボトリング→コカ・コーラウエストジャパン(CCWJ、リコー三愛グループ)が2007年シーズンを最後にユニフォームスポンサーを撤退。その他のユニフォームスポンサーもすべて交替となったが、胸スポンサーだけは後継が埋まらず(#歴代ユニフォームスポンサー年表も参照)、経営問題がクローズアップされることになる。2008年6月、パチスロ機メーカーの大都技研がクラブに資本参加し、ユニフォームスポンサーとなると報道された。同社の関連会社がパチンコホール経営を行っていることなどを理由に一時Jリーグ側が難色を示した、が同年9月に正式に同社の資本参加が発表された。ただし、ユニフォームスポンサーとしての参加は見送られた。2009年シーズンはパンツ以外のユニフォームスポンサーが無い状態でシーズンに突入するという異常事態となった が、2009年4月にユニフォームの胸スポンサーが「エバーライフ」に決定した。背スポンサーも オデッセイ コミュニケーションズ に決まった。2010年には電通出身の大塚唯史が社長に就任、大口スポンサー頼みの企業体質からの脱却を図るべく広告スポンサー数を約90社から約150社にまで増やし、経営問題に改善の傾向が見られたかに思われた。しかし2013年、2014年度のJリーグクラブライセンスで経営状態について「是正通達」より一段階軽い「個別通知」の付帯付きのJ1ライセンスが交付された 直後の10月15日に、地元紙の西日本新聞(西日本スポーツ)が、アビスパがJリーグ退会の可能性もある極めて厳しい経営状態にあることを報じた。具体的には2013年5月ごろから運営会社の資金繰りが厳しくなり、数千万円の短期借入で運転資金を回したが、9月末現在でも約9億6000万円の営業収入を見込んだ予算に対し実際の営業収入が約8億2000万円に留まる一方、10月の時点で運転資金について新規の借入が出来なくなったため、手元資金が底を付く11月末に運営資金約5000万円が決済不能になり、12月分の選手の給与が遅配になる可能性があるというものであり、アビスパの小学生招待事業「アビスパKidsパートナー」の協賛金募集に際して、福岡県サッカー協会が傘下の少年サッカークラブに対し「アビスパ福岡が資金面で最大の危機に面しております。11月30日までに5000万円の運転資金が準備できなければ、お金の流れが滞り、最悪の結果を招くことになります」という趣旨の文書を送付したことで明らかになったものであった。アビスパ社長の大塚唯史は「最悪の場合は、Jリーグから借金して、勝ち点マイナス10となることを覚悟している」とコメントし、大株主らに協賛金の要請を行ったが、2006年当時の経緯もあり、大株主の福岡市や西部ガス、ふくおかフィナンシャルグループ、西日本鉄道 などがアビスパに対する追加支援に否定的な見解を示した。しかし「アビスパKidsパートナー」協賛金をはじめとする個人・法人からの小口協賛金2645万円や、大株主のふくやによる間接的な支援(支援商品を販売し、売り上げをアビスパに寄付・最大約1776万円)などが集まり、11月16日時点で年内の資金繰りは手当てできたことを発表。11月30日には一連の経営問題の責任を取って大塚唯史が代表取締役を辞任し、後任には元鹿島アントラーズ強化担当部長の野見山篤が就任し、野見山をサポートする役割として常勤の取締役に市文化振興部課長の樽見哲が就任した。翌2014年2月5日、クラブ経営強化を図るためにアドバイザリーボード(経営諮問委員会)を設置。7月23日に発表されたJリーグ参加51クラブの2013年度決算において、2期連続赤字で約2800万円の債務超過となっていることが報告された。大河正明Jリーグ常務理事は「黒字化はなんとかなるが、債務超過(解消)は確証が持てない」と指摘、報告時点において債務超過であった11のクラブのうち、9月のライセンス審査までに債務超過を解消させる目処が立っていないクラブは福岡のみであった。2014年8月25日、この日行われた臨時取締役会で、福岡市発祥で基幹・業務系システムの開発やWebアプリの開発を手がけるシステムソフトを対象に約1億円の第三者割当増資を実施することを9月の臨時株主総会に諮ることを決議。8月29日付けでシステムソフトがアビスパへの資本参加決定を発表した ことから、懸念されていた債務超過の解消と、Jリーグクラブライセンス制度の剥奪は回避される見通しとなった。第三者割当増資は9月22日付けで実施されシステムソフトが筆頭株主となり、同社社長の吉尾春樹とシステムソフトの親会社であるアパマンショップホールディングス常務取締役(アパマンショップネットワーク代表取締役、あるあるCity代表取締役)の川森敬史が新たに非常勤の取締役に就任。川森は2015年3月30日に開かれた株主総会および取締役会で社長に就任(前社長の野見山は常勤の取締役に交代)した。
出典:wikipedia
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