宮崎 勤 (宮﨑 勤)(みやざき つとむ、1962年8月21日 - 2008年6月17日)は日本の連続殺人犯で、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(警察庁広域重要指定第117号事件)の容疑者として逮捕・起訴され、死刑判決が確定し、刑死した人物である。1989年7月23日、わいせつ事件を起こそうとしていたところを被害者の父親により取り押さえられ、宮崎は強制わいせつ容疑で現行犯逮捕された。8月9日から連続幼女誘拐殺人事件への関与を認め、8月10日にその供述どおりに遺体が発見されたことから、同日の夕刊とニュースで宮崎の実名報道が始まる。翌8月11日に連続幼女誘拐殺人事件の容疑で再逮捕された。以後、次々と事件が明るみに出た後、後藤正夫法務大臣(当時)は、「死刑くらいでは収まらない残酷な出来事だ」と発言した。1989年8月24日、東京地方検察庁の総務部診断室で簡易精神鑑定を受ける。精神分裂病(当時の呼称で、現在では統合失調症に改称)の可能性は否定できないが、現時点では人格障害の範囲に留まるとされ、これを受けて検察は起訴に踏み切った。初公判では「全体的に、醒めない夢を見て起こったというか、夢を見ていたというか・・・」と罪状認否で訴えた。公判開始後の1990年12月より、5人の精神科医と1人の臨床心理学者による精神鑑定が実施される。この鑑定では動物虐待などの異常行動に目が向けられ、祖父の遺骨を食べたことなどは供述が曖昧なため事実ではないとみなされた。1992年3月31日精神鑑定書が提出され、人格障害とされた。祖父の骨を食べた件については弁護側は墓石などが動かされたことを証拠としたが、検察側はそれだけでは確証ではないと反論した。1992年12月18日より、弁護側の依頼により3人の鑑定医により再鑑定が始まる。1994年12月に鑑定書が提出される。第2回鑑定では1人は統合失調症、2人が解離性同一性障害の鑑定を出した。2008年6月17日、東京拘置所で死刑が執行された。執行命令書の署名を行った法務大臣は鳩山邦夫。宮崎は冷静に執行を受け入れ、また宮崎の母親は遺体との対面後に、処置については拘置所に任せたという。また、執行前に残した最期の言葉は「あのビデオ、まだ途中だったのにな……。」であるとされることがあるが、正確な情報源はなく、信憑性は低い。雑誌『創』の篠田博之編集長に宛てた手紙には日本の現行の死刑方法における批判がしばしば書かれており、2006年には「踏み板がはずれて下に落下している最中は、恐怖のどんぞこにおとしいれられるのである」と絞首刑を批判、薬物注射による死刑導入を訴えていた。2007年の書簡には「この国の現行の死刑執行方法だと、死刑確定囚の人は、『私は刑執行時は死の恐怖とたたかわねばならなくなるから、反省や謝罪のことなど全く考えられなくなる』」とも記していた。編集部に宛てた手紙はおよそ300通、内容は拘置所内で読んだ漫画本のタイトルを並べただけの物がほとんどであった。知人にも合計で2000通近くの手紙を拘置所内から送っていた。また、死刑判決が決定してからは独房でアニメビデオを鑑賞することが許可されていた。事件の奇異さから、さまざまな憶測が飛び交い、また宮崎自身が要領を得ない供述を繰り返していることから、裁判でも動機の完全な特定には到っていない。鑑定に当たった医師たちによると、彼は本来的な小児性愛者(ペドフィリア)ではなく、あくまで代替的に幼女を狙ったと証言されている。「成人をあきらめて幼女を代替物としたようで、小児性愛や死体性愛などの傾向は見られません」(第1次精神鑑定鑑定医 保崎秀夫 法廷証言)および「幼児を対象としているが、本質的な性倒錯は認められず・・・幼児を対象としたことは代替である」(簡易精神鑑定)。一方で、彼の性愛の対象は、成人の女性より幼女を(幼女性愛)、幼女よりその死体を(死体愛)、死体よりそれを解体したものを(死体加虐愛)、さらにそれをビデオに撮ったもの(拝物愛)と移っていった、とする意見もある。宮崎が暴力的、性的、猟奇的な内容の漫画やビデオを多数所持していた事から、一部マスコミでは、それらの悪影響を主張する意見も見られた。しかしながら実際には、そうした内容の漫画やビデオは、宮崎の膨大なコレクションのごく一部に過ぎなかった(東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件#影響を参照)。宮崎の趣味の特異性は、むしろジャンルに関係なく無作為に多数の漫画やビデオを収集していた事とされる。この事件により、「有害コミック騒動」が活発化し、アニメ・漫画・ゲームなどが人間に悪影響を及ぼすという風潮が高まり、マスコミやPTAなどでの議論となった。その後の「有害コミック騒動」においても、事件の代表格である「幼女連続誘拐事件」は取り上げられている。稀に見る凶行であったため、家族へ及んだ影響も大きかった。人々の宮崎への憎悪はそのまま彼の家族・親族へと波及した。鳩山邦夫法相(当時)が死刑執行命令書への署名を行い、2008年6月17日午前に東京拘置所で宮崎の死刑は執行された。犯行動機は未解明のまま、精神鑑定も継続中という状況だった。(過去10年間における)死刑確定から死刑執行までの平均は約8年であり、死刑確定から2年4ヶ月というスピード執行となる。2007年12月以降、死刑執行された死刑囚の氏名を公表しているが、宮崎勤の死刑執行は鳩山法相下での13人への死刑執行の中では最も大きな注目を集めた死刑執行であった。なお、この宮崎の死刑執行については法相である鳩山本人が「(宮崎勤の事件は)最も凶悪な事犯の一つだと思うから、死刑執行すべきと思うが検討しろ」と執行するための手続きを開始させた事案であったことを、2010年末に民放テレビのインタビューに鳩山本人が答えて明らかにした。2008年6月8日の秋葉原無差別殺傷事件が影響を及ぼした可能性も指摘されていたが、鳩山法相の秘書経験があるジャーナリストの上杉隆によると、宮崎勤死刑執行は秋葉原事件とは関係ないとしている。アムネスティ・インターナショナル日本や「死刑廃止を推進する議員連盟」(会長・亀井静香衆院議員)など人権団体が同日、相次いで抗議を表明した。また、日本弁護士連合会は宮崎誠会長名で「半年余りで13人の大量の死刑執行が行なわれた。政府に対し、死刑制度の存廃を含む抜本的な検討と見直しを行なうまでの一定期間、執行を停止するよう重ねて強く要請する」との声明を出した。宮崎の国選弁護人を務めた田鎖麻衣子弁護士は同日、「数ヶ月前から再審請求の準備を進めていた。こうした事情を知りながら、死刑を執行したことに強く抗議する」との声明を発表した。5月末には鳩山邦夫法相に死刑を執行しないよう文書にて要請していたという。雑誌『創』編集部との往復書簡を掲載したものが出版されている。
出典:wikipedia
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