ジョゼフ・カビラ・カバンゲ (Joseph Kabila Kabange, 1971年6月4日 - )は、コンゴ民主共和国の政治家。同国の第4代大統領(任期:2001年1月26日 - )。父である前大統領のローラン・カビラが1月16日に暗殺されたためその跡を継ぎ、2006年11月27日の選挙で信任され、2011年11月28日に再選を果たした。同国初の普通選挙で選ばれた大統領である。南キヴ州フィジ地区の小さな町ヘワ・ボラでローラン・カビラとシファ・マハニャの長男として生まれた。ただしこれを疑問視する意見もある。フィジの小学校に通い、タンザニアのダルエスサラームで卒業、ムベヤで中等教育を受けた。高校を出ると、軍事訓練をへてウガンダのマケレレ大学へ進んだ。1996年10月父がコンゴ・ザイール解放民主勢力連合 (AFDL) を結成してモブツ政権への反乱を開始すると25歳のジョゼフも「カドゴス」の司令官となり、キンシャサに至るまでの多くの戦闘で重要な役割を果たした。AFDLはアンゴラ、ジンバブエ、ルワンダなどの軍から支援を受けた。ローラン・カビラが権力を握るとジョゼフは北京に渡り、訓練を受けた。1998年北京から戻るとジョゼフは少将とされコンゴ軍参謀次長に任命された。2000年に参謀総長に就任、父が暗殺されるまで在任していた。2004年の第二次コンゴ戦争()において、ジョゼフは主な軍事司令官の1人である。2001年父ローラン・カビラが暗殺されると1月26日29歳で大統領に就任した。ジョゼフは若く経験不足と看做されたが、内戦終結を図り、外国軍を国内から撤退させようと試み、いくらかの成功を得た。2003年、和平協定に続き、国内における主な反政府勢力コンゴ民主連合ゴマ派(RCDゴマ)とコンゴ解放運動 (MLC) の指導者2人と与野党の民間人2人を副大統領とする暫定政権を樹立した。この2つのグループは後に野党と、政府の支持グループに分かれた。2004年3月28日には、モブツ・セセ・セコの支持者によるものと見られるクーデター未遂がキンシャサで発生したが、失敗している。また2004年6月11日にも、エリック・レンジ少佐が率いたとみられる集団がクーデタを起こし「権力を掌握し、暫定政権を樹立した」と国営ラジオで放送したが、ジョゼフ忠誠派の部隊により鎮圧された。2005年12月、国民投票によって新たな憲法が承認され、2006年6月に大統領選挙を行うとした。憲法によって候補者の最低年齢が35歳から30歳に引き下げられたため、正式な候補者として立候補することが出来るようになった。この選挙には、当初最も有力な対抗馬とみなされていた元首相のエティエンヌ・チセケディは不出馬を表明していた。7月30日に選挙が実施され、8月20日に公表された暫定結果によると、ジョゼフの得票率は約44%で、主な対立候補であったジャンピエール・ベンバの得票率は約20%であった。ジョゼフはスワヒリ語が話される東部でより多くの票を得た。カビラとベンバとの間で決選投票が10月29日に行われ、11月15日選挙委員会は58.05%でカビラの勝利を宣言した。この結果は11月27日最高裁に承認され、12月6日に新大統領として就任した。12月30日、カビラは第1次投票で3位となり、決戦投票で彼を支持したアントワーヌ・ギゼンガを首相に任命した。2011年11月28日に行われた大統領選挙で再選を果たしている。
出典:wikipedia
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