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死刑

死刑(しけい)は、対象者(死刑囚)を死亡させる刑罰である。抽象的な表現として「極刑(きょっけい)」あるいは「処刑(しょけい)」とも表現される。刑罰の分類上は生命刑に分類される。死刑には、世界各国古今東西で様々な歴史と様式があった。日本では現在絞首刑で行われている。現在の多くの死刑存置国ではおおむね人命を奪った犯罪ないし国家反逆罪、および未遂罪に対しても死刑が適用されるが、一部犯罪に対する刑罰を厳罰化している国々では、生命・身体の脅威になる犯罪(麻薬・覚せい剤などの使用、製造、人身売買など)や、生命を奪わない犯罪(汚職、通貨の偽造、密輸など)などにも死刑または終身刑が適用される場合がある。21世紀初頭現在、西洋文化圏であるヨーロッパ、南米、カナダやオーストラリアなどの国で死刑は廃止され、またこれらの国が中心になって自由権規約第2選択議定書(死刑廃止議定書)が国際連合総会で採択された。一方で、日本を含むアジア諸国や宗教的に応報が原則とされる中東およびアフリカ諸国の大部分、そして欧米文化圏では例外となるアメリカ合衆国の31州などで死刑制度が存置されている。また一般犯罪においては死刑を廃止しているが、戦時犯罪行為にのみ死刑を定めている国もある。死刑は文明の初期段階において刑罰の中心をなすものであり、世界各地で死刑の記録が残されている。石器時代の遺跡から処刑されたと思われる遺体が発見されることもある。死刑は身体刑と並び、前近代(おおむね18世紀以前)には一般的な刑罰であった。人類の刑罰史上最も古くからある刑罰であるといわれ、有史以前に人類社会が形成された頃からあったとされる。また、「死刑」という刑罰でなくとも、多くの「死に至る(ことが多い)刑罰」も用いられていた。威嚇効果が期待されていたものと考えられており、すなわちみせしめの手段であったため、公開処刑が古今東西で行われていた。火刑、溺死刑、圧殺、生き埋め、磔(はりつけ)、十字架刑、斬首(ざんしゅ)、毒殺、車裂(くるまざき)、鋸挽き、釜茹、石打ちなど執行方法も様々であった。近年では、死刑存置国の間でも絞首刑、銃殺刑、電気椅子、ガス殺、注射殺(毒殺)などに絞られつつあり、比較的肉体的な苦痛の少ないと考えられる方法を採用するのが主流となっている。刑罰の歴史上では文明化と共に死刑を制限することが顕著である。刑罰として死が適用される犯罪行為も、必ずしも現代的な意味における重犯罪に限られていたわけではない。窃盗や偽証といった人命を奪わない罪状を含んだほか、社会規範・宗教的規範を破った事に対する制裁として適用される場合もあった。たとえば、中世ヨーロッパでは姦通を犯した既婚者女性は原則的に溺死刑に処せられていた。叛乱の首謀者といった政治犯に対するものにも適用された。死刑は、為政者による宗教弾圧の手段として用いられたこともあり、ローマ帝国時代のキリスト教徒迫害や、日本の江戸時代には長崎で行われたキリスト教徒26人に対する処刑のようにキリシタンの処刑が多数行われていた。一方宗教者たちによって、魔女裁判のように宗教裁判によって、教会によって死に追いやられた人々も多かった。その後、近代法制度の確立に伴い、罪刑法定主義によって処罰される犯罪行為が規定され、それに反した場合に限り刑罰を受けるというように限定された。近代法制度下では、どのような犯罪行為に死刑が適用されるかが、あらかじめ規定されている。また18世紀頃から身体を拘束・拘禁する自由刑が一般化し、死刑は「重犯罪向けの特殊な刑罰」という性格を帯びるようになった。死刑の方法もみせしめ効果を狙った残虐なものから絞首刑など単一化されるようになった。20世紀中期以降は、死刑を存置する国家では、おおむね他人の生命を奪う犯罪のうち、特に凶悪な犯罪者に対し死刑が適用される傾向がある。ただし戦時犯罪については死刑を容認している国も残されており、上官の命令不服従、敵前逃亡、スパイ行為といった利敵行為などに対して適用される場合がある。また、21世紀になっても、国によっては重大な経済犯罪・麻薬密売・児童人身売買といった直接に他人の生命を侵害するわけではない犯罪にも死刑が適用されることがあるほか、一部国家では、窃盗犯であっても裁判によらず即決で公開処刑される事例が存在する。ドイツの哲学者イマヌエル・カントは「刑罰は悪に対する悪反動であるため、犯した犯罪に相当する刑罰によって犯罪を相殺しなければならない」として「絶対的応報刑論」を唱えた。これに対して「刑罰が応報であることを認めつつも、刑罰は同時に犯罪防止にとって必要かつ有効でなくてはならない」とする考え方は「相対的応報刑論」という。日本で、死刑を合憲とした1948年(昭和23年)の最高裁判例では、「犯罪者に対する威嚇効果と無力化効果(隔離効果)による予防説に基づいて合憲」としており、応報刑的要素についての合憲性は排除されている。なお、予防説では「死刑は一種の必要悪であるとして、犯罪に対する反省もなく、改善不能で矯正も不可能な犯罪者は社会防衛のために死刑にするのもいたしかたない」との死刑存置派からの論拠がある。刑罰は応報的な面があるのは事実であるが、死刑が社会的存在を消し去るものであるため、死刑が近代刑罰が忌諱する応報的な刑罰ではないとする法学的根拠が必要とされている。一般予防説に従えば、「死刑は、犯罪者の生を奪うことにより、犯罪を予定する者に対して威嚇をなし、犯罪を予定する者に犯行を思い止まらせるようにするために存在する」ことになる。特別予防説に従えば、「死刑は、矯正不能な犯罪者を一般社会に復して再び害悪が生じることがないようにするために、犯罪者の排除を行う」ということになる。しかし、より正確に「特別予防」の意味をとると、「特別予防」とは犯罪者を刑罰により矯正し、再犯を予防することを意味するため、犯人を殺してしまう「死刑」に特別予防の効果はない。終身刑にも同様のことがいえる。日本やアメリカなど、死刑対象が主に殺人以上の罪を犯した者の場合、死刑は他人の生命を奪った(他人の人権・生きる権利を剥奪した)罪に対して等しい責任(刑事責任)を取らせることになる。一般的な死刑賛成論者は予防論と応報刑論をあげるが、応報論の延長として敵討つまり、殺人犯に対する報復という発想もある。近代の死刑制度は、被害者のあだ討ちによる社会秩序の弊害を国家が代替することでなくす側面も存在する。国家の捜査能力が低い近代以前は、むしろ仇討ちを是認あるいは義務としていた社会もあり、それは被害者家族に犯罪者の処罰の責任を負わせて、もって捜査、処罰などの刑事制度の一部を構成させていたという側面もある。殺人などの凶悪犯罪では、裁判官が量刑を決める際に応報は考慮されている。基本的には近代刑法では応報刑を否認することを原則としているが、実際の懲役刑の刑期の長短などは被害者に与えた苦痛や、自己中心的な感情による犯行動機があるなど酌量すべきでないなど、応報に基づいて行われている。ただし、死刑の執行方法は被害者と同様(たとえば焼死させたからといって火あぶりに処すなど)の処刑方法でなく、「人道的」な方法が取られる。日本では日本国憲法下で初めて死刑を合憲とした判決(死刑制度合憲判決事件、最高裁判所昭和23年3月12日大法廷判決)において、応報論ではなく威嚇効果と無力化効果(隔離効果)による予防説に基づいて合憲とされた。個別の刑罰の特別抑止(再犯抑止)効果を除いた一般抑止効果は、死刑、終身刑およびほかの懲役刑も含めて、統計上効果が実証されていない。一般論として、死刑反対派は「死刑による犯罪の一般抑止効果の統計的証拠がないこと」、死刑賛成派は「死刑代替刑による威嚇効果が十分でないこと」を指摘する。抑止効果の分析方法には地域比較と歴史的比較がある。地域比較では国や州の制度の違いによって比較が行われる。地域比較としては、アメリカ合衆国の1960年から2010年までの、「死刑制度がない州・地域」と「死刑制度がある州・地域」の殺人発生率を比較(死刑がない州地域とある州の数は時代の進展とともに変化している)すると、死刑制度がある3州の殺人率の平均値は死刑制度がない州や地域と、いずれの年度も近似値であり統計上有意な差異は確認されていない。主要工業国(先進国・準先進国)で死刑を実施している国としては、日本、アメリカ合衆国、シンガポール、台湾などがあるが、アメリカ合衆国の殺人率は先進国の中では高く他国の殺人率は低いので、個々の国の殺人率は死刑制度の有無や刑罰制度の重軽により決定されるわけではなく、殺人に対する死刑の一般抑止効果としては、国や州や地域別の比較には意味がないとの指摘もある。時代的比較では、死刑が廃止された国での廃止前・廃止後を比較する試みがされる。しかし様々な制度や文化、教育、経済など様々な社会環境の変化も伴うため、分析者によってさまざまな結論が導き出されており、それだけを取り出して検討するのは困難である。ただし現段階においては、廃止後に劇的に犯罪が増加・凶悪化した典型的ケースはこれまでにはなく、また劇的に犯罪が減少したケースもない。精神科医・作家の加賀乙彦は著書『死刑囚と無期囚の心理』の中で、確定死刑囚44人を調査した結果、犯行前や犯行中に自分が犯している殺人行為によって死刑になるかどうかを考えた者はいなかったと報告している。この結果を見て、犯行後に死刑を回避するため目撃者さえ殺害したものまでいたため、無我夢中に殺人をしたものに対する犯罪抑止力はほとんど期待できないと結論付けた。ただし、死刑の可能性を考慮して殺人行為を思い止まった者は、当然、死刑囚にはならないので、死刑の抑止力が働かなかった者だけを例にあげて死刑の抑止力がないと主張するのは無理がある。 自分自身の生命すら省みない自暴自棄な者や、行政機構による自身の殺害を望む自殺志願者、殺人による快楽のみを追い求める自己中心的な、いわゆる「シリアルキラー」には抑止力が働かない例がある。アメリカでは、死刑制度のある州でわざわざ無差別に殺人を犯す者、死刑廃止州で終身刑で服役している囚人が死刑存置州で引き起こした殺人事件を告白し自ら望んで死刑になる者が存在する。例えば、死刑制度のないミシガン州から死刑存置州のイリノイ州に転居して8人を殺害したリチャード・スペックや、死刑廃止州のミネソタ州と死刑存置州のアイオワ州の双方で殺人を犯したチャールズ・ケリーやチャールズ・ブラウンはいずれもアイオワ州で裁判を希望して死刑を受け入れたという。また、死刑執行直前になってもアルバート・フィッシュは「最高のスリル」と待望していたとの説があるが、彼のようなシリアルキラーは他人の生命ばかりか自身の生命の保持すら関心がないので、死刑になることを恐れないなど、自己保身のために犯行を躊躇することはない。アメリカのシリアルキラーのみについていえば死刑の威嚇効果は期待できない。作家石川達三は、著書『青春の蹉跌』の中で死刑存続論の論拠としてを揚げ、「(死刑は)当然廃止せられるべき」であるが「直ちにこれを廃止するためには、社会の実情がなお整っていない」と主人公に言わせている。現在58カ国の死刑存置国で行われている、処刑方法は以下の通り。死刑の執行、つまり人を殺すという行為を実際に行う者を死刑執行人と呼ぶ。ヨーロッパ諸国や明治時代以前の日本では、中世時代から死刑執行を業務とする死刑執行人が存在していた。アメリカや明治以降の日本などでは刑務官が行っている(なお、ヨーロッパ諸国では死刑は廃止されているため、死刑執行人も現存しない)。日本において死刑判決を宣告する際には、永山則夫連続射殺事件で最高裁(昭和58年7月8日判決)で示した死刑適用基準の判例を参考にしている場合が多い。そのため永山基準と呼ばれ、第1次上告審判決では基準として以下の9項目が提示されている。以上の条件のうち、たとえば4項では「被害者2人までは有期、3人は無期、4人以上は死刑」といった基準があるようにいわれるが、実際の判例では事件の重要性などに鑑みながら決定しており、被害者が1人のみの場合でも死刑の可能性は十分にありえる(詳細は日本における死刑#死刑の量刑基準を参照)。アジア(日本を除く)では中華人民共和国やサウジアラビア、イランなどの死刑執行数が多い。またシンガポールは厳罰主義であり、軽微な触法行為に対しても刑罰を加えていることで有名である。また北朝鮮では裁判によらない即決による公開処刑が行われているとの報道もある。なお、アジア諸国で死刑存置国はイスラム教国や東アジアに多い。中華人民共和国では殺人だけでなく麻薬犯罪や汚職事件で有罪になった場合も死刑になるほか、公開処刑が行われていた。中国政府は「犯罪抑止力のために必要だ」と主張しているが、中国の人権問題として国際社会の批判を受けている。なお死刑執行数は世界最大であり、2008年のアムネスティ報告書の調査によれば2008年に世界25カ国で少なくとも2,390人の死刑が執行されたが、最多の中国は少なくとも1,718人と、世界の死刑執行数の約72%を占めている。世界人口の5分の1が中国に集中していることを考慮しても、世界の主要国の中では、死刑執行率も格段に高い。執行方法は銃殺刑が基本であるが、薬殺刑も一部で導入されつつある。なお、死刑が適用される犯罪行為としては、賄賂の授受や、麻薬の密売や、売春及び性犯罪などが挙げられる。しかも、致死の結果が生じない刑事事件でも死刑(または終身刑)が下されることがある。また、「死刑は犯罪を撲滅するための最大の切り札である」と司法当局が確信しているため、死刑の執行が大量に行われている。そのため、暴力による刑事事件だけでなく、「株式相場の混乱」といった経済事件にまで死刑判決が下されたことが実際にある。また、19世紀のアヘン戦争の教訓から、麻薬の密輸や密売といった薬物犯罪にも死刑が数多く適用されている。実際に、覚醒剤を中国から持ち出そうとした日本人4人にも死刑判決が出され、2010年4月6日に1人、同年4月9日に3人の死刑が執行されたことがある。中華人民共和国の刑罰体系では、一部の犯罪に関して下された死刑に執行猶予が付せられる規定(中華人民共和国刑法43条)がある(とはいえ、この執行猶予はいわゆる再教育を目指すものである。実際に反革命行為に対する死刑宣告を受けたものを死刑の重圧をかけて『労働改造』する目的があると言われている。著名な執行猶予付き死刑を宣告されたものに江青がいる)。中国における死刑制度の問題点としては、三権分立が成り立っておらず、量刑の判断基準が政治的な意向に左右されやすいことが挙げられる。しかも、法治主義ではなく役人らの意向が強く反映されている人治主義であるため、近代的刑事訴訟手続が充分に行われていないとの指摘がある。これらの死刑制度の問題点は中国の人権問題として国際的批判の対象となっている。なお、過去にイギリスやポルトガルの植民地であった特別行政区の香港とマカオでは、中国への主権返還前に死刑制度が廃止されている。北朝鮮では主に1990年代から続く食糧不足や経済的困窮が原因で起きた事件の殺人犯、刑事犯、経済犯や北朝鮮を脱出しようとして第三国で逮捕され北朝鮮へと送還された所謂脱北者、及び国内で反体制活動などを行ったとされる政治犯に対して死刑を行っている。第三国に出国した多くの脱北者の目撃証言や、過去日本のメディアが入手した隠し撮り映像によれば執行方法は銃殺であり、都市の一部地域を使い公開群集裁判と呼ばれる公開裁判の一部で行われている。公開群集裁判には開かれる都市の、青少年を含んだ住民が呼び出され見学を強要される。裁判官によって死刑判決文が読まれた後は即処刑が行われる。死刑囚1人に対し4人の執行官が自動小銃を用いて銃殺する。死刑囚はこの時磔のようにされる事が多い。さらに死刑執行後は周囲の見学者たちに対し死刑囚(の遺体)に石などを投げつけ死刑囚の遺体を更に傷つける事を命令されるという事もあると言われている。処刑は都市部だけでなく強制収容所内においても行われている。正確なデータは存在しないが、かなり多い頻度でこうした死刑は行われていると言われている。1980年、インドの最高裁は死刑の判断ケースを「極めて稀なケース」のみと制限したほか、2004年度以降はしばらく死刑の執行をしなかった。このまま実質的に廃止されるかに思われたが、2008年、160人以上が死亡したムンバイ同時多発テロが発生。2012年、実行犯の死刑を執行したことから、死刑に対する議論は活発になった。最近では、強姦罪にも死刑を適用しており、それによる公開処刑も行われた。2012年現在の死刑囚は、約400人存在するという。人口の大部分がムスリムである中東諸国では、死刑執行数が多い。インドネシアでは銃殺刑が法定刑であるが、イランやサウジアラビアではコーランの教えにある斬首刑や石打刑が行われている。サウジアラビアでは厳重な報道管制を敷いており死刑制度の実態については明らかではないが、人口当たりの死刑執行数は世界最多であると推測される。また名誉の殺人は罰せられないため私刑がされることがある。「神に対する冒涜を行った異教徒を殺すことは名誉の殺人である」との判例があり、テロリスト輸出国になった原因だとする指摘もある。コーランには、殺人であっても被害者遺族が許した場合には死刑の執行が免除されるとあるため、ムスリム同士の場合は金銭による示談(いわゆる血の賠償金)で死刑が免除される場合がある。その反面、出稼ぎ労働者については窃盗などの罪で死刑になる場合もあり、ムスリムと異教徒で刑の軽重に差があるとも言われている。また、強姦の被害者が逆に犯罪者として死刑になるケースも存在する。過去、イギリスでは、1969年の廃止以降、IRAのテロが多発したため、保守党などから数度死刑復活案が唱えられたことがある。またノルウェーは、1945年にヴィドクン・クヴィスリングを死刑にするために特別に銃殺刑が復活している。1945年5月9日に死刑判決を受け、1945年10月24日に銃殺刑を執行した。現在、欧州連合 (EU) 各国は、不必要かつ非人道的であることを理由として死刑廃止を決定し、死刑廃止をEUへの加盟条件の1つとしている。また欧州人権条約第3条で死刑を禁止するとともに、欧州評議会においても同様の基準を置いている。このため、現EU加盟国の中で死刑制度を存続している国は、軍法上で死刑制度を存続させているラトビアを除き、1ヵ国も存在しない。EU加盟を目指しているトルコ共和国はイスラム教国であるが、人権と基本的自由の保護のための条約の第13議定書に従い死刑制度を廃止した。ベラルーシはヨーロッパで唯一の死刑存置国である。そのため、EU非加盟国であり、人権と基本的自由の保護のための条約第13議定書によって死刑を全廃した欧州評議会から排除されている。ロシアは、ソ連時代末期の1988年に当時の民主化と人道主義の観点から、死刑の適用対象から60歳以上の高齢者と経済犯罪を除外した。その後は非常に悪質な故意殺人に対してのみ死刑制度が存置されていた。1996年の欧州議会加盟時に死刑執行を停止(99年まで執行があったチェチェン共和国を除く)。1999年に憲法裁判所が、陪審制をすべての地方で導入されるまでの暫定措置として、死刑執行を停止していた。しかし、一部の下級裁判所は死刑判決を継続している。停止は2007年初めに期限切れとなりロシアが2006年5月に欧州評議会議長国に就任したことをきっかけに、ヨーロッパ諸国から欧州人権条約の死刑廃止議定書(第13議定書)批准を求める声があがっていた。なお、ロシアの憲法裁判所は2009年11月19日に死刑廃止を定めた欧州人権条約第13議定書を批准するまで、死刑執行を禁止する決定を出した。これは、メドベージェフ大統領は死刑の廃止を支持していた背景がある。2001年6月、欧州評議会は、死刑を存続している日米両国に対し2003年1月までに死刑廃止に向けた実効的措置の遂行を求め、それが成されない場合、両国の欧州評議会全体におけるオブザーバー資格の剥奪をも検討する決議を採択した。アフリカ53カ国のうち13カ国が死刑廃止している。また20カ国が死刑執行していない。合計すると53カ国のうち死刑を行っていない国は33カ国である。政情が安定している南部諸国における廃止が目立つ。ただし、政情が安定している地域でも、アラブ圏ではイスラム法の影響もあり死刑存続している国が多い。フランスの文化的影響の強い西部アフリカ諸国は、死刑執行を一時停止しているか、国事犯を除く通常犯罪への適用を行っていない国が多い。死刑制度があるのは、アメリカ合衆国(連邦法と軍法と33州法)と中米のグアテマラ、キューバなど少数である。そのうちアメリカは先進国で最大の死刑執行数を記録しているが、多くの死刑執行はテキサス州で行われており、そのためアメリカのメディアが「死刑の格差」と報道しており、同州でこのような姿勢をニューヨーク・タイムズは「執行に対する住民の積極的な支持」、ロイター通信は「犯罪者に厳罰を科すことをいとわない『カウボーイ気質』のほか、一部で根強く残る人種差別意識がある」と報道した。ラテンアメリカ(南米)諸国の傾向として、78%の国が一般犯罪に対する死刑を廃止し、59%の国が完全な死刑を廃止している。死刑制度存続国も、10年以上死刑を執行していない。アメリカ合衆国において最初にミシガン州で死刑が廃止されたのが1847年と、ヨーロッパの死刑廃止の歴史よりも古い。アメリカ合衆国において、死刑を廃止した州や地域は時代の進行とともに増加している。アメリカ合衆国は2015年時点で、州、連邦政府の直轄地、自治領、信託統治領、連邦法、軍法を合計すると、法律を制定する58の主体があり、そのうち2015年時点で、19州、1直轄地、2自治領、3信託統治領の、合計25の法律制定主体で法律上死刑が廃止され、31州、連邦、軍隊の合計33の法律制定主体で法律上死刑が定められている。凶悪犯罪の少ない裕福なニューイングランド諸州や、裕福でこそないが治安が安定している北部内陸州において死刑が行われず、貧しい南部諸州では死刑執行数が多い傾向にある。全米では被告人に対する死刑の宣告ならびに死刑執行は減少傾向にあるが、テキサス州など死刑執行の盛んな地域もある。また、未成年に対する殺害を伴わない性犯罪の再犯者への死刑が適用される州法がサウスカロライナ州、フロリダ州、ルイジアナ州、モンタナ州、オクラホマ州の5州で成立したが、殺人を犯していない性犯罪者に対する死刑適用は過酷であり、憲法違反であると法学者から強く批判されていた。なお連邦最高裁は2008年6月25日に「非道な犯罪であっても、被害者が死んでいない事件で死刑を適用する法律は、残酷な刑罰であり合衆国憲法に違反し無効」という憲法違反判断を下している。そのため、事実上この法律は見直される公算が大きい。1990年以降の犯罪捜査でDNA鑑定が導入され、過去に有罪で死刑判決を受けた死刑囚の冤罪が明らかになり、特に2000年代後半以降では再審で無罪になるケースが多発している。1973年から2001年までにアメリカ国内では96名の死刑囚が釈放されているが、特にフロリダ州では21名も釈放されている。同州では、5名の死刑執行が行われる間に2名が無罪放免になったという。死刑の適用に際して経済的人種的差別が存在しているとの指摘もある。これは、優秀で報酬の高い弁護士を雇用できるほどの経済力を持つ者が司法取引で減刑される一方で、比較的貧困層の多いアフリカ系アメリカ人に対する死刑の適用が人口比と比べて多いとの指摘がある。アメリカ合衆国では、1976年に死刑制度が復活して以降、執行数は1999年の98人をピークに減少傾向にあり、2014年においては35人と半数以下まで激減。死刑の代わりに終身刑を選択するケースが増えている。法律上死刑がある全ての州が毎年必ず死刑を執行しているわけではなく、州別・年度別の死刑執行数は著しい差があり、2014年度には法律上死刑があった32州・連邦・軍隊のうち、アリゾナ、フロリダ、ジョージア、ミズーリ、オハイオ、オクラホマ、テキサスの7州で死刑が執行され、25州・連邦・軍隊では死刑囚は存在するが死刑は執行されなかった。軍法では1962年以後死刑の執行はなく、ニューハンプシャー州とカンザス州は、連邦最高裁が死刑は違憲と判決した1972年(連邦最高裁は1976年に合憲と判決を変更し1977年から執行が再開された)以後の執行は無い。「薬物による死刑執行が激痛を与える可能性があり、残酷で異常な刑罰を禁じた憲法違反の疑いがある」として訴えた件について、連邦最高裁が2007年9月に審理することを決めてから、2008年4月に合憲判決を出すまで全米で執行が停止していた。オーストラリア、ニュージーランド共にいかなる場合も死刑を廃止している。ニュージーランドには死刑廃止後、復活させた事があったが、今日は死刑を非人道的として完全に廃止している。島嶼諸国も死刑廃止している。パプアニューギニアは10年以上死刑停止状態である。そのため、事実上死刑制度が存在しない。死刑および死刑制度については、人権や冤罪の可能性、倫理的問題、またその有効性、妥当性、国家としての人類の尊厳など多くの観点から、全世界的な議論がなされている(詳細は死刑存廃問題を参照のこと)。議論には死刑廃止論と死刑賛成論の両論が存在する。死刑制度を維持している国では"在置論"と呼ぶ、廃止している国では復活論と呼ぶ。もちろん死刑の廃止と復活は、世界中で史上何度も行われてきている。近年では死刑は、前述のように「凶悪事件に対して威嚇力行使による犯罪抑止」、または「犯罪被害者遺族の権利として存置は必要である」と主張される場合がある。ただし前者の「犯罪抑止」としては、統計学および犯罪心理学的に死刑の有用性が証明されたものではなく、存在意義はむしろ社会規範維持のために必要とする法哲学的色彩が強い。後者の「被害者遺族の権利」としては家族が殺人にあったとしても、実際に死刑になる実行犯は情状酌量すべき事情のない動機かつ残虐な殺害方法で人を殺めた極少数であることから、菊田幸一など死刑廃止論者から極限られた被害者遺族の権利を認めることに疑問があるとしている。また、いくら凶悪なる殺人行為であっても、その報復が生命を奪うことが果たして倫理的に許されるかという疑問も指摘されている。また、死刑執行を停止しているロシア当局によるチェチェン独立派指導者の「殺害」などがあり、死刑制度の有無や執行の有無が、その国家の人権意識の高さと直接の関係はないとの主張も存在するが、死刑制度は民主国家では廃止され非民主国家で維持される傾向にある。地理的には、ヨーロッパ、そして南米の6カ国を除いた国々が、廃止している。ヨーロッパ諸国においてはベラルーシ以外死刑を行っている国は無い(ロシアにおいては制度は存在するが執行は十年以上停止状態であるといわれる。チェチェンを参考のこと)。これは死刑制度がヨーロッパ連合が定めた欧州人権条約第3条に違反するとしているためである。またリヒテンシュタインでは1987年に死刑が廃止されたが、最後の処刑が行われたのが1785年の事であり事実上2世紀も前に廃止されていた。またベルギーも1996年に死刑が廃止されたが最後に執行されたのは1950年であった。このように、死刑執行が事実上行われなくなって、長年経過した後に死刑制度も正式に廃止される場合が多い。欧州議会の欧州審議会議員会議は2001年6月25日に日本およびアメリカ合衆国に対して死刑囚の待遇改善および適用改善を要求する1253決議を可決した。この決議によれば日本は死刑の密行主義と過酷な拘禁状態が指摘され、アメリカは死刑適用に対する人種的経済的差別と、少年犯罪者および精神障害者に対する死刑執行が行われているとして、両国の行刑制度を非難するものであった。通常犯罪における死刑が廃止されても、国家反逆罪ないし戦争犯罪によって死刑が行われる場合がある。例えばノルウェーのヴィドクン・クヴィスリングは1945年5月9日、連合国軍に逮捕され国民連合の指導者と共に大逆罪で裁判にかけられ、銃殺刑に処せられた。ノルウェーでは、この裁判のためだけに特別に銃殺刑を復活(通常犯罪の死刑は1905年に廃止されてはいたが)した。また同様にイスラエルもナチスによるホロコーストに関与したアドルフ・アイヒマンを処刑するため、死刑制度がないにもかかわらず(戦争犯罪として適用除外されたともいえるが)死刑を宣告し執行した。中東とアフリカとアジアにおいては総じて死刑制度が維持されている。冷戦時代は総じて民主国家が廃止、独裁国家が維持していたが、現在では冷戦崩壊後の民主化と大量虐殺の反省により東欧と南米が廃止、アジアおよび中東とアフリカの一部が民主化後も維持している状態である。またイスラム教徒が多数を占める国では、イスラーム法を名目とした死刑制度が維持されているが、トルコのようにヨーロッパ連合への加盟を目指すために廃止した国や、ブルネイのように1957年以降死刑執行が行われていないため事実上廃止の状態の国もある。死刑それ自体が究極の身体刑であると主張される一方で、「火あぶり」、「磔」など苦痛を伴う残虐な方法による死刑のみが究極の身体刑であると主張されることもある。また、苦痛を与えることを目的としない死刑は拷問に当たらないとされる。実際に中国で行われている頭部への銃殺刑は、被執行者が「確実に」即死するため、苦痛がないといわれている。しかし、これは実証されておらず、既に死んでいる被執行者に確認を取ることもできないので実証は非常に困難であると思われる。日本で行われている絞首刑では、実際に見学した人物の証言では、死刑囚の遺体から目と舌が飛び出しており、口や鼻から血液や吐瀉物が流れ出しており、下半身から排泄物が垂れ流しになっていたという。この描写は、米国サンクェンティン刑務所長が自身が立ち会った絞首刑について「顔から、ロープのために肉がもぎ取られ、首が半ばちぎれ、眼が飛び出し、舌が垂れ下がった」とか、尿失禁、便失禁、出血もあったとする著者の記述に一致する。一方で1994年12月に死刑執行された元死刑囚の遺体を引き取った遺族が法医学教室の協力で検証した実例 では、気道をロープで一気に塞がれたことにより、意識が消失して縊死した可能性が高いとされている。しかし、オーストリア法医学会会長ヴァルテル・ラブル博士は、絞首刑を執行された者が瞬時に意識を失うことはまれで、最低でも5〜8秒、長ければ2〜3分間意識が保たれると述べている。なお死刑存置国であるアメリカ合衆国では、日本で行われている絞首刑を非人道的であるとして廃止している州がほとんどで、2007年末の時点で絞首刑が認可されているのは、3州を残すのみとなっている。しかも、この3州においても、薬殺刑が主流で、受刑者が望んだとき、あるいは、薬殺刑が執行できないときのみ絞首刑が選択される。実際のアメリカの絞首刑執行数も、1977年以降2009年9月までの死刑執行数1175件のうちの3件のみである。これは、絞首刑には失敗があるためである。絞首刑を執行された者は意識を保ったままで苦しんだり、首が切断されることもある。米国で1622年から2002年までに合法的に行われた絞首刑で少なくとも170件の失敗があったとされる。たとえば1901年に死刑が執行されたトーマス・エドワード・ケッチャムはロープが長すぎたため、首がちぎれてしまい絞首刑の写真として販売された。この例以外でも、米国、英国、カナダ、オーストラリアなどで、絞首刑における首の切断が起こっている。最近では、2007年1月15日にイラク・バクダッドで処刑されたサダム・フセインの異父弟バルザン・イブラヒム・アル=ティクリティ(バルザーン・イブラーヒーム・ハサン)の例がある。また、日本でも、1883年(明治16年)7月6日小野澤おとわという人物の絞首刑執行の際に、「刑台の踏板を外すと均(ひと)しくおとわの体は首を縊(くく)りて一丈(いちじょう)余(よ)の高き処(ところ)よりズドンと釣り下りし処、同人の肥満にて身体(からだ)の重かりし故か釣り下る機会(はずみ)に首が半分ほど引き切れたれば血潮が四方あたりへ迸(ほとばし)り、五分間ほどにて全く絶命した」「絞縄(しめなわ)のくい入りてとれざる故、刃物を以て切断し直に棺におさめ」た事故が起こっていることが報道されている。カナダでは、絞首刑においてほぼ首が切断されてしまったアーサー・ルーカスを最後として絞首刑が廃止された。ただし、この事故は長く秘密とされ、カナダの絞首刑はこの事故とは無関係に廃止された。一方で、このような首の切断の危険性によって絞首刑が廃止されたケースもある。アリゾナ州はエヴァ・デュガンの首の切断で1933年に絞首刑をガス室に変更した。また、アメリカの法律雑誌では死刑存置国ながら日本が行う絞首刑を「非人道的」と非難する論文が掲載されている。そのため絞首刑に代わる「人道的執行方法」としてガス室や電気椅子が導入されたが、現在では薬物投与による安楽死、すなわち薬殺刑を新たな処刑方法として採用されており、他の死刑存置国においても一部採用されている。そのため日本でも絞首刑には短期間ながらもそれなりの苦痛が伴うとして、アメリカ合衆国で採用されている薬物などによる薬物注射による薬殺刑が適当な死刑執行方法であるとする主張も存在する。ただし、その薬殺刑についても異常な刑罰との訴訟があったが、アメリカ連邦最高裁は2008年4月に憲法に反しないとの判断を下している。日本で絞首刑の残虐性が本格的に争われた裁判はいくつか存在するが、いずれも「絞首刑は憲法36条にいう残虐な刑罰ではない」との裁判所の判断が出ている。

出典:wikipedia

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