通称号(つうしょうごう)は、太平洋戦争(大東亜戦争)時の大日本帝国陸軍において、部隊の名称を秘匿するために用いられた暗号名の一種。秘匿名・秘匿号・通称符とも。師団・独立混成旅団以上の独立した作戦能力を持つ部隊に夫々固有の漢字一字或いは二字からなる符号を付け、その隷下部隊に番号を振って区別した。漢字の符号を「兵団文字符(へいだんもじふ)」、個別の番号を「通称番号(つうしょうばんごう)」と呼称し、両者を合わせたものが「通称号」である。「陸軍部隊戦時通称号規定(陸機密第143号)」によって定められていた。また、これら通称号とは別に各陸軍部隊には数字とアルファベット(ドイツ語ないし日本語の頭文字)を組み合わせた軍隊符号が存在する。(例:第1挺進集団、軍隊符号「1RD」・文字符「鸞」。第13飛行師団、軍隊符号「13FD」・文字符「隼魁」)なお、陸軍と違い規模も編成も違う海軍は英語ないし日本語の頭文字による軍隊符号を用いた反面、通称号を使用しなかった。平時にあっては内地に常設師団があり、司令部や衛戍地の位置が決まっているため部隊名称を秘匿する必要は薄いが、戦時には編制や動員について敵軍に推知される虞があるため部隊の正式名称を秘匿した。満州事変までは特に部隊名は秘匿しなかったが、1937年(昭和12年)9月1日の「動員部隊の称呼名に関する件」制定により、外地(戦地)にある部隊を部隊指揮官の姓から「山田部隊」や「鈴木部隊」とした。この方式では戦争が激化し指揮官の異動や戦死が多くなるとその都度変えなければならず、1940年(昭和15年)9月10日の「昭和16年度陸軍動員計画令細則」から漢字一字からなる「兵団文字符」を師団・独立混成旅団などの独立した作戦能力を持つ単位に割り当て、その隷下部隊には数字3桁から5桁の「通称番号」を割り当てた。1938年(昭和13年)、中国戦線の治安維持を目的として編成された三単位制師団で、満州に派遣されノモンハン事件に遭った第23師団の場合、ノモンハン事件時の秘匿名は、指揮官小松原道太郎中将の姓から「小松原兵団」と呼ばれたが、太平洋戦争時は「旭兵団」と呼ばれた。これらの通称号は内地・外地を問わず、部隊以外の諸機関にも割り当てられた(例、陸軍造兵廠といった陸軍大臣直隷の機関には「臣」)。太平洋戦争も末期になると兵団の編成数が増えると同時に一文字の文字符が足りず、漢字二字からなる文字符が作られた。例として、1945年(昭和20年)編成の第135師団が「真心」、第138師団は「不動」だった。本来通称号は部隊正式名称の秘匿が目的であるが、兵団文字符の中には古参の常設師団を中心に編成地や兵種が類推できるものもあり、一種の愛称とも言えるものもあった。宮城守衛の近衛師団は「宮」、東京の第1師団は「玉」、大阪の第4師団は「淀」、広島の第5師団は「鯉」、北海道の第7師団は「熊」、戦車第4師団の「鋼」、第2飛行師団の「鷲」、第3飛行師団の「隼」、第4飛行師団の「翼」、第10飛行師団の「天翔」、高射第1師団の「晴」などでそれぞれ関連性が窺える。また、第1総軍の「東方」と第2総軍の「西方」のように、編成地のみならず防衛担当地域を表した文字符も存在した。これら通称号を定める規則は、1945年4月20日制定の「陸軍部隊戦時通称号規定(陸機密第143号)」によって改められた。なお、作戦上の都合から、正規の兵団文字符の代わりに臨時の略号を使用した例がある。例として、大陸打通作戦時の第12軍では、第12軍「礼信」(仁)、第37師団「光」(冬)、第62師団「旭」(石)、第110師団「岩」(鷺)、戦車第3師団「虎」(滝)、独立混成第7旅団「山」(北)のように一部部隊には秘匿略号が割り当てられた(( )内は本来の兵団文字符)。新聞報道などの地方(民間を指す軍隊用語)に対しては防諜のため、軍以上は「集団」、師団・旅団は「兵団」、連隊・飛行戦隊・大隊は「部隊」、中隊・小隊は「隊」を使用していた。将兵の家族が戦地に郵便・電報を送る場合にはこの通称号を記して送った。通称号は終戦後、未帰還兵を探す手掛りの一つとなり、家族は厚生省(現厚生労働省)において通称号から所属部隊を参照した。
出典:wikipedia
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