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南草津駅

南草津駅(みなみくさつえき)は、滋賀県草津市野路一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)東海道本線の駅である。「琵琶湖線」の愛称区間に含まれている。1978年(昭和53年)12月の市議会で、当時の草津市長が、草津駅と瀬田駅のほぼ中間の野路町辺りに新駅を設置し、周辺を「南部新都心」として開発する構想を表明したのが始まりである。この構想は、草津川の新水路を開設して平地河川化する改良計画に伴い、草津市南部が新水路で分断されることへの対策と周辺の住宅地の玄関口を兼ねたものであった。その後、1985年(昭和61年)7月1日に「南部新都心」構想の期成同盟会が結成され、次いで、1986年(昭和61年)3月27日に草津商工会議所が事務局となって「草津市南部新駅」の期成同盟会が結成され、「草津市南部新駅」の新設を求めて関係機関などへの働き掛けを本格化させた。これを受けて、新駅を中心として周辺一帯で区画整理などを行う「南部新都心計画」が事業化に向けて動き出すことになった。1990年(平成2年)2月16日に立命館大学が新キャンパスの環境アセスメント通知書を滋賀県に提出するなど同大学進出の具体化が進み、「草津市南部新駅」の期成同盟会では1990年(平成2年)5月の市民募金で「野路駅」の開設資金の一部を調達することを期成同盟会で決定して駅の建設促進を目指した。この新駅建設費用の市民募金は、1991年(平成3年)9月末までに約3.6億円に達した。そして、1991年(平成3年)11月には立命館大学が新キャンパスを着工した。こうした動きを受けて、1992年(平成4年)1月30日に西日本旅客鉄道(JR西日本)も建設資金の一部を負担したうえで、1994年(平成6年)春の開業を目指すことになった。しかし、1992年(平成4年)5月には開業が1994年(平成6年)秋と半年ほど遅れる見込みとなり、立命館大学のキャンパス開設に間に合わないことになった。そして、1992年(平成4年)5月28日の新駅設置の申請でも1994年(平成6年)秋の開業とされ、1992年(平成4年)12月3日に安全祈願祭を行って駅の本格的な工事に入ることになった。期成同盟会の名称になっている「草津市南部新駅」として構想が始まったものである野路町にあることから「野路駅」とも呼ばれた。駅名決定にあたり新駅名称を一般公募し、976通62種類の中から1992年4月30日の期成同盟理事会にて「野路立命館」と地元要望案を決定した。しかし、「野路立命館」の名称については地元の反対が多く、その後地元自治会が「野路」とする嘆願書が草津市に提出されるなど、いくつかの案が出る形となった。1994年(平成6年)2月2日に「草津市南部新駅設置期成同盟会」が「南草津」とするとの答申を草津市長に提出し、同月17日に草津市からJR西日本に「南草津」とするよう申し入れた。これを受けて1994年(平成6年)6月28日、開業日(9月4日)と「南草津」という駅名が正式決定された。なお、西口地区の町名は、区画整理事業の完了に合わせて、2009年(平成21年)10月24日に野路町から「南草津」に変更されることになったものである。新駅設置の申請時点でも区画整理と都市計画道路の整備に向けた調整は決着しておらず、1992年(平成4年)8月2日に東口側の「草津市野路東部土地区画整理組合」を設立することになり、1994年(平成6年)4月2日に仮換地指定への地権者などの同意が得られて全面的な着工が可能となった。そのため、当駅が1994年(平成6年)9月4日に開業したものの、駅周辺の整備事業が続き、東口の駅前広場の完成は1999年(平成11年)2月となった。なお、新駅の開業を受け、「草津市南部新駅設置期成同盟会」は開業翌年の1995年(平成7年)3月27日に総会を開いて解散することになった。西口については、1998年(平成10年)に草津市が区画整理事業に着手することになり、1999年(平成11年)6月26日にその都市計画決定についての地権者などによる総会開催を経て、同年10月24日に土地区画整理組合を設立することになった(平成22年度事業終了予定)。この区画整理事業に伴い、古道に沿いとされる場所で、2000年(平成12年)9月に中世と見られる建物群などの遺跡が出土している。それにより、西口にバスとタクシーの乗降場などのある駅前広場が整備され、2007年(平成19年)7月25日に供用開始となった。駅の発展に合わせて新快速停車の声も地元から高まり、2007年(平成19年)11月19日には草津市・草津商工会議所・学校法人立命館・松下電器産業松下ホームアプライアンス社(現在のパナソニックホームアプライアンス社)の4者連名で、当駅での新快速電車の停車ならびに京都駅 - 西明石駅間で運転されている普通を草津駅へ延伸するようJR西日本に対し請願している。ただし当時JRは「南草津駅の利用状況からこの地域が重要な拠点として認識しているが、収益性や米原・長浜への速達性の確保の観点、さらには、南草津駅より乗降客数が多くても新快速が停車しない駅もあるなど、現状では大変厳しい」と草津市に回答した。その後、2008年(平成20年)2月には新快速停車を公約に掲げた橋川渉が市長に当選(3月21日に市長就任)。2009年(平成21年)12月2日には、2011年春のダイヤ改正での当駅への新快速停車を目標に「南草津駅新快速停車促進期成同盟会」が設立され、草津市・市自治連合会・草津商工会議所・立命館大学・パナソニックホームアプライアンス社など7団体が中心メンバーとなった。同会は設立とともに署名活動を始め、最終的には目標を大きく超える61,162名の署名が集まった。署名は要望書とともに2010年(平成22年)2月18日にJR西日本に提出された。地元の要望を踏まえてJR西日本がダイヤ改正で新快速が全列車停車することが発表され、2011年(平成23年)3月12日から新快速の停車が開始された。島式ホーム2面4線を有する地上駅。12両編成に対応している。橋上駅舎を有し、東西に駅前広場を持つ。築堤上に駅を作ったため、駅前広場から橋上駅舎の改札までが高い。そのこともあり、開業時点でエレベータ3基(その後西口増設)・エスカレータ5基を備え、駅前広場と改札、改札とホーム間それぞれがバリアフリーに対応している。自動改札機は車椅子対応改札機1レーンを含め、7レーンある(そのうちICOCA専用改札機は3レーン)。直営駅(草津駅の被管理駅)で、ICOCA・ICOCA相互利用カードが使用可能である。日中時間帯は1時間あたり新快速が3本、普通(高槻駅 - 大阪駅間は快速)が4本の合計7本が停車する。朝夕時間帯は本数が多くなる。2015年度の1日平均乗車人員は29,128人で、JR西日本の駅では第27位である。滋賀県統計書によると、開業以降の1日平均乗車人員推移は下表のとおりである。1994年(平成6年)に開設された立命館大学びわこ・くさつキャンパスの玄関口として発展した。同キャンパスは、理工学部のみの5,000人で発足し、2014年(平成26年)には17,000人を超えるところまで拡大した。開業時は周囲に田畑が広がっていただけであったが、集合住宅などの建設が進み、立命館大学在学生のうち約35%が下宿することから、駅周辺は学生街として側面を持つようになった。2015年(平成27年)4月に立命館大学びわこ・くさつキャンパスから経営学部など1学部2研究科が大阪いばらきキャンパスに移転し、学生数が前年比で約4,100人減少することになり、駅周辺に負の影響が出始めている。しかし西口の宅地開発が進み人口増加にあり、立命館大学も2018年度に新学部の食科学部設置予定でまだまだ伸びていくとの事である。また、人口や利用者数の増加に伴う活況の一方で防犯面では課題が生じており、2007年(平成19年)年度には滋賀県内の交番別犯罪件数で当駅前が最多となった。草津市が区画整理事業に着手することになったのが1998年(平成10年)で、1999年(平成11年)6月26日に都市計画決定と地権者などの総会開催を経て、同年10月24日に土地区画整理組合を設立することになった。その後、2000年(平成12年)9月に中世と見られる建物群などの遺跡が古道に沿いとされる場所で出土した。2007年(平成19年)7月25日に駅前広場が供用開始となり、2009年(平成21年)10月24日に区画整理事業の完了に伴って野路町から「南草津」に変更されることになった。区画整理事業の進展に伴って集合住宅(マンション)などの建設が進み、それに合わせて金融機関が5店舗立地して個人客を中心とした競争が激化している。1992年(平成4年)8月2日に「草津市野路東部土地区画整理組合」を設立して、1994年(平成6年)4月2日に仮換地指定への地権者などの同意を取得し、1999年(平成11年)2月に駅前広場が完成している。

出典:wikipedia

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