踊 正太郎(よう しょうたろう、1977年1月23日 - )は、日本の津軽三味線演奏家。踊正太郎流家元。絶対音感を持つトップ若手奏者。本名:進藤 正太郎(しんどう しょうたろう)。血液型O型。身長162cm。体重70kg。趣味は汽車旅、路線バス、落語観賞。生まれながら視力がなく、踊りを教えていた祖母の稽古場で民謡を聴いて育つ。3歳の誕生日に祖母から三味線のプレゼントがあり、「音の出るおもちゃ」と思い夢中でかき鳴らしていた。次第に音程を取るようになり、6歳から本格的に津軽三味線を学ぶ。同時に茨城県立盲学校に入学するが、三味線を追求したく寄宿舎には入らず往復3時間半の道のりを12年間通学した。高校2年のとき、腕試しに初めて挑戦した津軽三味線全国大会で6位に入賞したことが転機となり将来を決めた。この頃から視覚障害者の職業選択の自由を強く意識するようになり、大学進学を止め高等部で卒業後、単身で津軽三味線本場の青森県弘前市へ移住し修業に励む。名人・山田千里師の下で研鑽を積み、大会初出場から4年後の20歳でようやくチャンピオンになりプロデビュー。津軽三味線は、津軽地方(青森県西部)でボサマ(坊様)と呼ばれた男性視覚障害者の門付芸として発展・伝承してきたが、現在、盲目のプロ奏者は一人だけである。1980年、3歳で茨城県芸術祭にて民謡・秋田小原節を唄い初舞台を踏む。6歳より津軽三味線奏者の井坂斗絲幸師に入門する。16歳で津軽三味線全国大会に初出場ながら6位で衝撃的デビューと話題になる。更なる津軽の音を求め、盲学校高等部卒業と同時に青森県へ移住し、弘前市在住の名人山田千里師の内弟子となる。1997年、1998年、1999年、津軽三味線全国大会(青森県弘前市)で三連覇。2000年、芸道へ導いた恩人の祖母(本名:進藤よう)が亡くなったことを機に、進藤正太郎から踊正太郎(よう しょうたろう)へ改名する。2005年、踊正太郎流・正太郎の会を創設。2008年、津軽三味線日本一決定戦(青森県青森市)で第2代日本一となる。
出典:wikipedia
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