グリニャール試薬(グリニャールしやく、Grignard reagent)はヴィクトル・グリニャールが発見した有機マグネシウムハロゲン化物で、一般式が R−MgX と表される有機金属試薬である(R は有機基、X はハロゲンを示す)。昨今の有機合成にはもはや欠かせない有機金属化学の黎明期を支えた試薬であり、今もなおその多彩な用途が広く利用される有機反応試剤として、近代有機化学を通して非常に重要な位置を占めている。その調製は比較的容易であり、ハロゲン化アルキルにエーテル溶媒中で金属マグネシウムを作用させると、炭素-ハロゲン結合が炭素-マグネシウム結合に置き換わりグリニャール試薬が生成する。生成する炭素-マグネシウム結合では炭素が陰性、マグネシウムが陽性に強く分極しているため、グリニャール試薬の有機基は強い求核試薬 (形式的には R)としての性質を示す。また、強力な塩基性を示すため、酸性プロトンが存在すると、酸塩基反応によりグリニャール試薬は炭化水素になってしまう。そのため、水の存在下では取り扱うことができず、グリニャール試薬を合成する際には原料や器具を十分に乾燥させておく必要がある。これらの反応性や取り扱いはアルキルリチウムと類似している。グリニャール試薬の発見までは1849年にエドワード・フランクランドによって発見されたジアルキル亜鉛がアルキル化剤として使用されていた。しかしジアルキル亜鉛には空気と触れると容易に発火する、調製できるアルキル基が限られている、反応性があまり高くないといった問題点があった。ヴィクトル・グリニャールの師匠であったフィリップ・バルビエールはカルボニル化合物とハロゲン化アルキルの混合物をマグネシウムに作用させると、ハロゲン化アルキルのアルキル基がカルボニル化合物に付加したアルコールが得られることを発見していた。しかし反応の再現性が悪かったため、グリニャールにより詳しい検討を行なうように勧めた。フランクランドはジアルキル亜鉛をエーテル中で調製する方法を試みていた。しかしこの方法ではジアルキル亜鉛にエーテルが配位した化合物が沈殿してしまい利用が困難であった。1900年にグリニャールはこの方法をマグネシウムに適用し、亜鉛の場合とは異なり均一な有機金属化合物の溶液が得られてくること、この有機金属化合物が多くのカルボニル化合物と反応することを発見した。この有機金属化合物は R−MgX の組成を持つと考えられ、この化合物はグリニャール試薬と呼ばれるようになった。1912年にグリニャールはこの業績によりノーベル化学賞を受賞した。グリニャール試薬の調製法はなどが知られている。一般的なグリニャール試薬はハロゲン化アルキルとマグネシウムの反応で調製される。これは以下のように行なう。グリニャール試薬生成の際の反応性はヨウ化アルキル > 臭化アルキル > 塩化アルキルの順でフッ化物は普通の調製法ではグリニャール試薬を生成しない。また同じハロゲン原子においては反応性は第1級ハライド > 第2級ハライド > 第3級ハライドの順である。逆にグリニャール試薬自身の求核性は塩化物 > 臭化物 > ヨウ化物であるので、適切なハロゲン化物の選択が重要となる場合もある。グリニャール試薬の調製には削り屑状マグネシウム (magnesium turning) を使用することが多い。粉末状のマグネシウムでは反応速度が速くなりすぎて局所的な加熱によるウルツカップリングが起こりやすくなり、収率が低下するためである。マグネシウムの活性化には、機械的撹拌や、あるいはヨウ素や1,2-ジブロモエタンの添加が行われる。ヨウ素はマグネシウムの酸化膜を切削する。1,2-ジブロモエタンがマグネシウムと反応すると臭化マグネシウムとエチレンを生成する。また、グリニャール試薬の生成が自触媒反応であることを利用して、以前に調製したグリニャール試薬を開始剤として添加する場合もある。用いるエーテル系溶媒の選択も重要である。マグネシウムへの配位力の高い溶媒ほどグリニャール試薬生成の際の反応性を高める。そのためジエチルエーテルよりテトラヒドロフランや1,2-ジメトキシエタンの方がグリニャール試薬生成の反応性は高い。このためアルケニルハライドやアリールハライドのような反応性の低いハライドからのグリニャール試薬の調製は普通テトラヒドロフラン中で行われる。しかし逆に、テトラヒドロフランはウルツカップリングを促進するので、反応性の高いヨウ化アルキルやハロゲン化アリル、ハロゲン化ベンジルからグリニャール試薬を調製する場合には収率が大きく低下する場合がある。これらのテトラヒドロフラン溶液が必要な場合には、一旦ジエチルエーテル中でグリニャール試薬の調製を行ってから溶媒置換を行う方がよい。エーテル系溶媒であってもジオキサンはマグネシウムハライドと不溶性の錯体を作るため、後述するシュレンク平衡によりグリニャール試薬が反応性の低いジアルキルマグネシウムへと変化してしまう。そのため、グリニャール試薬の調製には用いない。グリニャール試薬自体はトルエンなどの芳香族系の溶媒にも溶解し、反応に用いることができるが、芳香族系の溶媒中ではグリニャール試薬の生成は極めて遅く調製が困難である。そのため芳香族系の溶媒が必要な場合にはエーテル系溶媒でグリニャール試薬の調製を行った後、溶媒置換を行うのが普通である。トリエチルアミンなどの第3級アミン中でもグリニャール試薬の調製は可能であるが、生成したグリニャール試薬の反応性が低いため、あまり使用されることはない。溶媒の使用量は、一般的なグリニャール試薬では 1 mol/L 程度の濃度になるようにすることが多い。濃すぎるとグリニャール試薬が析出してしまい、後述する逆滴下法が不可能になる場合もある。ウルツカップリングが起こりやすい反応性の高いハライドからの調製ではもっと希釈した濃度で調製が行われる。反応温度は多くの場合、−20 ℃ 程度からテトラヒドロフラン還流程度の温度で行なわれる。反応しにくいハライドほど高い温度が必要となる。反応温度が高いほどウルツカップリングが促進されるので、ウルツカップリングを起こしやすいハライドではなるべく低温で反応させる。一方、反応性の低いハライドでは反応温度が低すぎるとグリニャール試薬の生成が停止してしまい、温度を上げた途端に反応が再開して暴走することがあるので注意が必要である。ハロゲン化アルキルと金属マグネシウムは一電子移動によって発生するラジカル中間体を経由して反応するとされる。機構を以下に示す。式中で • が付された分子はラジカル種であることを示す。まずハロゲン化アルキル R−X が金属マグネシウムから電子を1個奪い、ラジカルアニオン R−X となる。発生したラジカル R−X からハロゲンアニオンが脱離し、アルキルラジカル R となる。脱離したハロゲンアニオンと先に発生した1価のマグネシウムカチオンは XMg を形成し、これと R が結合することによって RMgX が生成する。以上の反応は金属マグネシウムの表面上で起こるとされている。この方法がとられるのは主に末端アルキニルのグリニャール試薬である。末端アルキンにアルキルグリニャール試薬(エチルグリニャール試薬が使用されることが多い)を反応させると、グリニャール試薬が塩基として働き、末端アルキンからプロトンが引き抜かれてアルキニルグリニャール試薬が生成する。この方法は室温ではグリニャール試薬と反応してしまうエステルやニトリルなどの官能基を持つ芳香族化合物のグリニャール試薬を調製するために利用される。−40 ℃ 以下の低温で、芳香族ハロゲン化物にイソプロピルグリニャール試薬のようなかさ高いグリニャール試薬を反応させると金属-ハロゲン交換反応によりアリールグリニャール試薬が生成する。他の有機金属化合物にマグネシウムハライドを作用させるとトランスメタル化によりグリニャール試薬が生成する。この方法も室温ではグリニャール試薬と反応してしまうエステルやニトリルなどの官能基を持つグリニャール試薬を調製するのに使用されることがある。グリニャール試薬は通常 R−MgX の形式で書かれるが、実際には複雑な組成を持っているとされている。このことを最初に指摘したのはヴィルヘルム・シュレンクであり、溶液中でジアルキルマグネシウムとの平衡が存在することを指摘した。この平衡はシュレンク平衡と呼ばれる。さらにマグネシウムは通常4配位をとるため、グリニャール試薬のマグネシウムには溶媒であるエーテル分子の酸素が配位している。また、グリニャール試薬の濃度や溶媒の種類によっては、溶媒やハロゲン原子を介して複数のマグネシウムが架橋した複核錯体を形成している。配位力の強いテトラヒドロフランや1,2-ジメトキシエタンでは単核錯体であるが、ジエチルエーテル中では濃度が高い場合には二核錯体、濃度が低い場合には単核錯体となっているとされている。強い求核性と強塩基性により反応性に富むため、様々な化合物を合成するのに有用である。反応を行なう方法には主に3つの方式がある。これらを総称してグリニャール反応という。バルビエール法はウルツカップリングを起こしやすいアリルやベンジルのグリニャール試薬を反応させる場合に使用される。逆滴下法は2当量以上のグリニャール試薬の反応が可能な基質に対して、1当量だけグリニャール試薬を作用させたい場合などに使用される。例えばカルボン酸クロリドからケトンを合成したい場合などである。以下に反応の例を示す。既に述べたようにグリニャール試薬は反応溶液中でシュレンク平衡を起こしているため、反応の機構を速度論に基づいて検討することは難しく、完全には理解されていない。一般的には (A) 4員環状の遷移状態を経る協奏的なもの、(B) ラジカルを経由する段階的なものの2つが提案されており、用いる基質によってこれらのうちいずれかの機構がとられると考えられている。アルキル基など電子求引性の弱い置換基をもつケトンとの反応の場合はAを、あるいは立体障害の大きいカルボニル化合物やグリニャール試薬を用いた場合はBを経由することが知られている。グリニャール試薬は強い塩基であるため、水、アルコール、アミンといったブレンステッド酸からプロトンを引き抜いて、アルコキシドやアミドを生成する。末端アルキンに対してアルキルグリニャール試薬を作用させると、塩基として作用してアルキニルグリニャール試薬が生成する。かさ高いケトンに対して、イソプロピルや "tert"-ブチルといったかさ高いグリニャール試薬を作用させると、一部塩基として作用してエノラートが生成する。またα-水素を持つニトリルでも一部同じように反応する。これらの生成したアニオンは求核付加を受けず、反応終了時の酸による加水分解で原料に戻る。かさ高いケトンに対してグリニャール試薬を作用させると、多くの場合求核付加を起こさずにケトンが還元されてアルコールになった生成物が得られる。この反応はグリニャール試薬のβ-水素がカルボニル基に転位して起こる。グリニャール試薬のマグネシウムにケトンが配位した後、メーヤワイン・ポンドルフ・バーレイ還元と類似した6員環遷移状態を経由して起こっている反応機構が考えられている。ゆえに、β-水素を持たないメチルグリニャールではこの反応は起こらない。他の金属化合物とトランスメタル化を起こすため、任意のアルキル金属錯体を調製する原料として重要である。また、ニッケル触媒の存在下でアルケニルハライドやアリールハライドとクロスカップリング反応のひとつである熊田・玉尾反応を起こす。アルキルグリニャール試薬に当モル量のアルキルリチウムを作用させると RMgLi の形のアート錯体が発生する。これは求核性の高い試薬として、低温での選択的なハロゲン-メタル交換反応に利用される。
出典:wikipedia
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