豊田市(とよたし)は、愛知県北部(西三河地方)に位置する市で、中核市である。トヨタ自動車が本社を置く企業城下町として有名であり、愛知県下で人口は名古屋市に次いで2位、面積は県内で最も広い都市である。濁音で「とよだ」と誤読される事があるが、正しくは清音で「とよた」である。ただし、市名の由来であるトヨタグループの創始者豊田佐吉や一族の姓は「とよだ」と濁音である。中心部の挙母(ころも)は、近代以前三河国加茂郡に属し、江戸時代には挙母藩内藤氏2万石の城下町であった。1951年には挙母市(ころもし)として市制を敷いたが、1959年1月1日に豊田市に改名された。2005年4月1日に6町村の編入によって、市域は南部の平坦地の旧碧海郡上郷・高岡と挙母(ころも)・足助・猿投を主体とする旧加茂郡の大半に及ぶ広大なものとなり、岐阜県や長野県に接している。平成の大合併により人口は36万人から42万人に増加し、豊橋市を抜いて県下第2位となった。面積も290.12㎢から918.32㎢に一気に拡大、愛知県全体のおよそ20%を占めるようになった。市名の「豊田(とよた)」は、市内に本社を置くトヨタ自動車と、同社の創業者一族の姓「豊田(とよだ)」に由来する。豊田姓は遠江国豊田郡(現静岡県磐田市北西部や、静岡県浜松市天竜区南部付近)に由来すると思われる。豊田喜一郎が会社を創業する際、工場の建設地を挙母市にするか、大府市にするか、もしくは碧南市にするかで大いに迷っていた。しかし当時の挙母市はまだそれほど発展しておらず、他の2市に比べ格段に安い土地価格が地元から提示されたため、現在地に会社を建てることを決めたという。市制を敷いた当初は、「挙母市」という名称であった。しかし、自動車産業が本格的に軌道に乗り始めた1958年、商工会議所から市宛てに市名変更の請願書が提出された。理由は、挙母市が全国有数の「クルマのまち」に成長した点と、地名の「挙母」が読みにくいという点であった(「挙母(ころも)」が長野県の「小諸(こもろ)」と混同されることもあった)。「挙母」という地名には古代以来の歴史があって愛着を持つ市民も多く、一時は賛成と反対で市を二分するほどの論議が展開されたが、1959年1月、名称が「豊田市」に変更された。同じように自動車産業が盛んな鈴鹿市の場合は別で、本田技研工業鈴鹿製作所の建設当時、市側が本田技研工業に対し「本田市」へ市名を変更する意向があることを伝えたが、古来より伝統ある市の名前を一企業の名前に変更すべきではないという創業者本田宗一郎の考えに則って、本田技研工業側が丁重に断ったという逸話がある。なお、日本の市で、明確に私的団体に由来する市名を持つのは、この豊田市と宗教都市である奈良県天理市のみである。ただし、市名こそ豊田市と変わったものの、「挙母」の名は市内町名の挙母町、上挙母町、施設ではトヨタ自動車の高級車ブランド「レクサス」の豊田市所在のディーラー「レクサス挙母」、愛知環状鉄道線「新上挙母駅」、「挙母神社」、「挙母小学校」、挙母城(七州城)、名古屋鉄道三河線「上挙母駅」など、挙母地区に残っている。また市章も、挙母市時代に制定したものを現在も使用している。2005年3月25日から9月25日まで開かれた2005年日本国際博覧会(愛・地球博)の長久手会場であった愛知青少年公園の所在地の大部分は豊田市に隣接する長久手町(現・長久手市)だったが、会場のごく一部は豊田市に含まれている。市域は2005年4月1日の合併前の市町村域を基に、豊田・藤岡・小原・下山・足助・旭・稲武の7地区に区分される。旧豊田市(豊田地区)は昭和期の合併前の市町村域を基に、挙母・高橋・上郷・高岡・猿投・松平の6地区に区分される。さらに猿投地区を保見・猿投・石野の3地区に細分化することもある。北部の猿投・藤岡・小原地区や、東部の松平・下山・足助・旭・小原地区には、猿投山・六所山・炮烙山などの山があり、これらの山間地域は中部山岳地帯の南縁をなしている。南西部の上郷・高岡地区は三河平野に連なる平坦な田園地帯であり、西側はやや高く名古屋市東部の丘陵地に連なる。市内には矢作川、籠川、伊保川、巴川、逢妻女川、逢妻男川が流れる。池には鞍ヶ池、入沢池、梅倉池、貝津新池などがある。郊外には松平氏発祥の地である松平郷がある。また北部郊外には保見団地と呼ばれる集合団地があり、日系ブラジル人が多いことで全国でも有名である。2002年のFIFAワールドカップでは開催会場からは漏れたが、優勝したブラジルを祖国に持つ「日系ブラジル人が多い地区」としてテレビで紹介され有名になった。山間部は愛知高原国定公園に含まれており、三河高原や旭高原といった緩やかな山もあれば、旧足助町・稲武町域には標高1,000mを超える山もある。名古屋市から飯田市、その先の塩尻市へ至る飯田街道(国道153号)は、市内においては旧豊田市域から旧稲武町を通る。これはかつては「塩の道」としても重要な街道であった。別名に三州街道(「3つの州」ではなく「三河の国」の意味)、伊那街道、中馬(ちゅうま)街道などがある。これによって、愛知県尾張・三河と長野県南部・中部がつながれていた。奥三河の足助宿は、塩の物流拠点として繁栄した。伊那地方では、「足助塩」「足助直(あすけなおし)」の銘柄で呼ばれた。市内最高地は1,229.3m(旧稲武町域/面ノ木三角点)で、最低地3.2m(駒新町)と標高差が約1,200mもある。2005年4月1日、周辺6町村(西加茂郡藤岡町・小原村、東加茂郡足助町・下山村・旭町・稲武町)を編入合併し、これにより東加茂郡は消滅し、西加茂郡も三好町のみを残し全ての市町村が豊田市となった。この合併により、名目上では人口が40万人の大台を突破し、市の面積は県内の面積の約18%を占めることになった。重工業都市だけあって、男性人口が非常に多い。ちなみに合併後、東海地方内では岐阜県高山市・静岡県浜松市・同県静岡市・岐阜県郡上市に次いで5番目の広さとなった。また、歴史的背景から下山村と稲武町は市外局番が豊田市と異なり、合併当初は「豊田市」という1つの行政単位に対し3つの市外局番が存在していた。これらの地域へ電話する際は豊田市内からでも市外通話扱いとなり市外局番を押す必要があった。合併から2年後の2007年4月1日、合併に伴う住所変更から2年遅れで旧下山村域と旧稲武町域の市外局番が変更され、ようやく市内他地域と統一された。合併時は愛・地球博の開催期間中であり、新・豊田市は万博期間中に発足したことになる。また合併された6町村も会期中に住所が変更されるという珍事が起きた。またこれらの町村は万博に旧町村名で豊田市とは別にブースを出していた為、住所が豊田市に変更されたにも関わらず、合併後も会期終了までの約半年間、ブースの看板には消滅した旧町村名が掲げられていた。なお、合併協議会には当初、隣接する西加茂郡三好町も入っていたが、様々な問題があり三好町は正式決定前に協議会を離脱、最終的に編入されなかった。その後、三好町は「三好市」となる計画を立てたが、先行して「三好市」となった徳島県三好市の猛反対に遭い、「みよし市」として2010年(平成22年)1月4日に市制を施行した。これにより東加茂郡消滅から遅れること約5年、遂に西加茂郡も消滅する事となった。現行の町名については豊田市の町名の一覧を、地名の変遷については豊田市の地名の変遷を参照。なお、「自殺実態白書2008」によると、豊田市は2004年から2006年までの間に全国で最も多い被雇用者の自殺者を出している 。矢作川東部は、古代に賀茂郡(鴨評)山田郷・高橋郷と呼ばれ、物部氏の西三河における本拠地の1つだったことが、石神遺跡出土の木簡から確認できる。『古事記』には、「衣」「許呂母」(ころも)の地名が登場する。奈良時代の好字二字令によって、挙母(ころも)という表記が用いられるようになった。一説に、三河湾の衣浦は、この衣(ころも)から由来するとも言う。(※旧挙母市からの通算)2014年度(平成26年度)当初予算(2015年5月15日現在)豊田市議会参考: 愛知県議会議員参考: 衆議院議員参考: 参議院議員 (豊田市内在住者)裁判所検察庁弁護士会明治から大正にかけて、養蚕やガラ紡による製糸業が発達し、特に松平地区では、巴川の支流などの急流を利用した水車ガラ紡が発達した。戦後になって、生糸の需要の減少とともに、挙母町の繊維業は衰退していった。その後、トヨタ自動車の工場の完成とともに、自動車産業を中心とした製造業が発達した。現在、豊田市には、トヨタ自動車の関連企業が数多く立地している。また全国市町村で、製造品出荷額が東京23区をも抜き一位となっている。かつては同様の企業城下町として、日立市(日立製作所)と対比される事が多かった。なお、製造業が盛んな関係で、市内には南米系(特にブラジル系)を中心とする外国籍住民が多く在住し、工場などで働いている。外国人登録数で15,220人(2006年12月31日時点)が暮らしている。なかでも旧市北部の保見団地は全住民のおよそ45%が外国人という日本屈指の外国人居住地である。(2001年10月1日現在)約90戸で梨を生産しており、主に猿投地区で桃や梨の栽培が盛んである。特に梨の『愛宕』は県内一の生産量を誇る。高岡・上郷地区の52戸の農家で茶が栽培されており、生産量のうち抹茶の原料になる「てん茶」が9割を占めている。2010年2月1日現在、経営耕地 2919haのうち、田が2226ha、畑が442ha、樹園地が251haである。北東部(旧足助町・稲武町)で杉や檜などの木材の加工・生産が盛んである。しかし、1975年に旧豊田市域で2169戸だった林家数は、2005年には旧豊田市域で859戸まで減少している。2010年の現豊田市域での林家数は、3752戸。(2003年現在)トヨタ自動車関連企業の従業員向けに、いわゆるトヨタカレンダーで営業する個人商店も多い。名鉄豊田市駅周辺には長崎屋豊田店、豊田そごう、豊田サティ、ギャラリエアピタ豊田店が過去には存在したが相次いで閉店になった。2015年8月にはイオン豊田店が店舗の老朽化に伴い閉店している。2005年に開催された愛知万博で、愛知県内の市町村(名古屋市を除く。)が120の万博公式参加国をそれぞれ「一市町村一国フレンドシップ事業」としてフレンドシップ相手国として迎え入れた。。なお、豊田工業大学は当市にはなく、名古屋市天白区にある。公立中学が28校で、小学校が78校ある。トヨタ自動車の企業城下町ということもあり、自家用車の利用比率はかなり高い。そのため、バス路線の廃止や交通空白地域への対策としてコミュニティバスを導入している。近年では、公共交通機関の通勤利用をトヨタ自動車をはじめとして企業ぐるみで推進している。国鉄→JR線だった岡多線も、1988年に愛知環状鉄道・愛知環状鉄道線に転換されたため、全国の中核市の中では豊中市、那覇市とともにJRの鉄道路線・駅が無い市である。またJRが通らない市として人口が最も多い。人口20万人以上の中核市を除く特別区及び市の中でJRの鉄道路線・駅が無いのは豊田市の他に、つくば市、太田市、春日部市、草加市、世田谷区、文京区、練馬区、大和市、厚木市がある。なお、人口40万人以上の市のなかで定期運転の優等列車が市内の駅を通らない唯一の市でもある(人口35万人以上の市で定期運転の優等列車が停車しない市としては川口市と吹田市がある)。名古屋駅に出るには、名鉄知立駅・名古屋市営地下鉄伏見駅・丸の内駅・愛知環状鉄道高蔵寺駅・中岡崎駅・岡崎駅・リニモ藤が丘駅などで1回は乗り換えが必要となる。中部国際空港(セントレア)へ鉄道で行くには、豊田市駅から名鉄電車で行けるが、知立駅と神宮前駅で乗り換える必要がある。さらに神宮前駅から中部空港までノンストップで行く場合は、ミュースカイに乗るためμチケット(特別車両券)が必要で、360円が別途かかる。なお、名鉄とリニモではICカード乗車券のmanacaエリアであり、manacaと、相互利用できる各種IC乗車カードの利用が可能である。愛知環状鉄道ではmanacaなどの各種IC乗車カードは利用できない。将来的に名鉄は三河線の知立―豊田市間を複線化を目指し2027年までには名鉄名古屋―豊田市間に特急を運行させ、現行の60分から約40分に短縮する計画が立っているが、知立駅の高架事業と複線化工事を負担する経費が知立市の財政的に問題になっている。そのため、豊田市内では複線、知立市内は一部と言う事になった。市の中心となる駅:豊田市駅、新豊田駅乗り換えなしで豊田市駅から名古屋の中心部の栄(オアシス21)や、伏見、名鉄バスセンター(名古屋駅)まで行くことができる都市間高速バスが存在し、豊田市駅から名古屋駅に向かう場合、名鉄電車や愛知環状鉄道を利用するよりも安い運賃で行くことが可能である。定期券の設定は通勤定期はあるが通学定期はない。また、中部国際空港(セントレア)へは、直行バスが存在し、名鉄バスが運行している。近年、新東名高速道路や東海環状自動車道の整備が進み、県内有数の交通の拠点になりつつある。自動車のナンバープレートは、以前は「三河」ナンバーが使われていた。豊田市では、2005年5月には愛知県から国土交通省へ要望として提出された。7月28日に「ご当地ナンバー」を導入推進する地域として、愛知県では「岡崎」「一宮」と共に選ばれた。実際に「豊田」ナンバーが導入されたのは2006年10月10日である。なお、このナンバーが適用されるのは豊田市内のみとなる。旭地区には、樹齢1000年を超える県下最大の貞観杉がある。稲武地区にある、天竜奥三河国定公園の保護地区に指定されている面ノ木原生林では、樹齢300年近くのブナの原生林が広がり、冬になると樹氷を見ることが出来る。鮎などの川魚をつかみどりでき、夏の風物詩として多くの観光客でにぎわう。五十音順に各項目で記載
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