旧制興亜専門学校を前身とする大学。戦後、日本経済専門学校、日本経済短期大学を経て亜細亜大学となった。初代学長兼理事長には、終戦時の文部大臣だった太田耕造が就任した。その後、理事長に就任した東京急行電鉄の創業者五島慶太の経営協力の下で組織整備などがなされてきた。五島慶太逝去後は、後継者の五島昇が就任した。その後は、元伊藤忠商事会長瀬島龍三に引き継がれ、現在は越村敏昭が理事長に就任している。建学の精神は「自助協力」によると建学精神の「自助」とは、一人ひとりが自らの内面を深く見つめ、自分自身のしっかりとしたアイデンティティを確立し、自らの力でそれぞれの道を切り拓くこと。さらに「協力の花は自助の根から」とし、真の協力関係とは自立した人間同士の協力関係であると書かれている。衞藤瀋吉が学長時代(1987-95年)に一芸入試など独自の入試スタイルや語学留学プログラム、スチューデントカンパニー・プログラムなど、日本の大学としては初めてとなる入試制度や教育プログラム、テレビコマーシャル (CM) を実施したことがある。国際関係学部では1年次後期にAUAP(後述)への参加が原則として必修となっており、他学部の学生も希望者は全員参加する事が可能である。また、大学では14か国語、短大部では5か国語の外国語授業を開講している。アジア地域を中心に、中東や欧米など世界各地域の言語を学ぶことができる。外国語専門の学部を持つ大学を除けば、この数と幅広さは屈指の充実ぶりである。亜細亜大学への進学を目ざす留学生が、準備段階として主に日本語と日本事情を1年間学修するコース。亜細亜大学では、以下のような留学プログラムが存在する。亜細亜大学には300人を超える留学生が在籍しており、アジア諸国からの学生が大半を占めるが、その中でも中国をはじめとする中国語圏から来た学生が特に割合が高い。今日の日本国内の他大学においても中国人留学生の割合が高いが、亜細亜大学では中国の大連外国語学院から毎年40人以上の多くの学生を3年次からの編入生として受け入れていることも挙げられる。上記のプログラム以外に外務省の在外公館派遣制度などでも「留学」の身分が与えられる事がある。「出会いの広場」とは、入学して数日後に国際関係学部と法学部が日光・鬼怒川において実施する新入生オリエンテーション合宿である。この目的は、新入生同士や上級生・教員らとの交流し、大学生活において緊張感を緩和させることや、建学精神や歴史、同行する先輩学生である補助学生の経験談を通して学生生活の意義について学び、新たな学生生活が円滑にスタートできるようにする事を目的としている。各団体は学術文化連合会、体育会、届出団体の3種類に分かれ、亜細亜大学で活動する団体はいずれかに属さなければならない。卒業生数は約9万人。成蹊大学、東京女子大学、日本獣医生命科学大学、武蔵野大学と単位互換協定を結んでおり、各大学で提供されている科目を卒業単位として履修できる。直接的な系列校ではないが、学校法人五島育英会が設置している東京都市大学(旧武蔵工業大学とは亜細亜大学の理事長が東急グループの関係者が関わったことで関係がある。
出典:wikipedia
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