闘牛(とうぎゅう)は、牛と牛、または牛と闘牛士、牛と犬が戦う競技、あるはその競技に用いる牛。牛と牛が戦う競技は、牛相撲、牛突き、牛の角突きなどと呼ばれ、岩手県久慈市、新潟県二十村郷(長岡市、小千谷市など)、島根県隠岐島、愛媛県宇和島市、鹿児島県徳之島、沖縄県うるま市などで行われている。1988年までは東京都八丈島でも行われていたが、現在は行われていない。以下に記述するスペインなどの闘牛とは異なり、むしろ闘犬に近く、相撲のような競技である。大相撲のような番付により牛の優劣が格付けされる場合もある。また新潟の牛の角突きでは勝負付けを行わず、引き分けにさせる。起源についてはどこも明確な資料は存在せず、自然発生的なものから、神事として始まったものもあるとされる。隠岐島の闘牛は承久の乱で配流された後鳥羽法皇を慰めるために始められたとされている。新潟県長岡市・小千谷市で行われる牛の角突き(国の重要無形民俗文化財)は、江戸時代後期に書かれた曲亭馬琴の読本『南総里見八犬伝』に登場しており(馬琴はこの行事を、塩沢町の商人で『北越雪譜』の著者鈴木牧之から紹介されている)、この頃には既に始まっていたのは確かである。黒毛和牛、日本短角種がその多くを占める、新潟県の闘牛では子牛の生産地が岩手の南部地方であるため日本短角種が主。「肉用牛の子牛の素質が良い物を去勢せずに闘牛用として飼育」と書かれた文献もあるが、現状、そのほとんどが当初から闘牛用として生産された子牛であり、肉用牛としての登録のなされていないものが多い(島根県隠岐は登録牛を使用、よってその供給先である四国宇和島の闘牛も登録牛が存在する)。最近では有名牛を種牛として使用した子牛も多く登場している。またホルスタイン種と黒毛和牛のF1(交雑種)は体格が良いことから(子牛値段も安いことが多い)闘牛用につかわれている。過去チャンピオン牛にもF1は存在する。引き運動や海岸での散歩、切り株やタイヤに向かって首の鍛錬をする。また、集落ごとに夕方になると海岸などに散歩のため牛が集まるため練習試合(稽古)を行う。徳之島のドーム闘牛場にて飼育されていた牛は稽古量がずば抜けており、首の太さや技術が群を抜いていたことから、生まれ持った資質に加えて稽古も闘牛に大きく影響する。闘牛士は「勢子」と呼ばれる。鼻綱で牛の体勢を調節したり、牛の傍でかけ声をかけ励ましたりする。また勝負の済んだ牛を捕まえ鼻綱を取らせるのも勢子の役割で、時には数人がかりでの大仕事となる。牛と闘牛士が戦う競技は、スペインやポルトガル、フランス、ラテンアメリカなどで行われており、特にスペインでは闘牛は国技とされ、盛んである。しかし近年、闘牛士が牛を槍や剣で刺していき、死に至らしめるのを見せるということに対して動物愛護的な観点から批判が強まっている。スペイン闘牛では、「マタドール」と呼ばれる闘牛士が活躍するが、マタドールは正闘牛士のことであり、闘牛士全体の1割しかいない狭き門である。残りの9割は准闘牛士で、まともに活躍できるのはさらにその1割しかいない。牛の興奮をあおるのに赤い布(ムレータ)が使われているため、牛は赤いものを見ると興奮すると思われがちであるが、牛の目は色を区別できず、実際は色でなく動きで興奮をあおっているのである。むしろ、赤い布で興奮するのは闘牛士の方である(赤色を参照)。西ゴート王国以来、中世のスペインでは円形闘技場で闘牛が行われていた記録はあるが、初期の闘牛が具体的にどのような形で行われていたのかは不明である。10 - 11世紀のカスティーリャ文学などには、当時のキリスト教王国での闘牛の有り様が描かれているが、中世の闘牛は結婚式の出し物や軍事訓練などの目的で貴族が主催者となって行われた。騎乗した騎士が従士の補助を受けつつ、槍や剣で牛を倒す様を民衆に公開していた。騎馬闘牛(レホネーオ)は形式を変えつつ17世紀に最高潮を迎え、闘牛が民衆主導で行われるようになった18世紀以後には下火となったが、完全に消滅することはなかった。また、アルフォンソ10世の時代に、ピレネー山脈からラ・リオハ地方にかけて「マタトロス」と呼ばれる職業的な牛殺しが現れるようになった。屠畜を見世物とするマタトロスたちは社会の最下層と位置づけられていたが、やがて騎馬闘牛の助手として闘牛に欠かせない存在となり、闘牛が盛んになるにつれ社会的な地位も変化していった。貴族による闘牛が退潮期に入った18世紀前半には、馬に乗り手槍(レホン)()を扱うレホネアドール()、同じく馬に乗り長槍(バラ・ラルガ)を扱うバリラルゲーロ、徒歩の闘牛士であるマタドールが共存する形で行われていたが、貴族の騎馬闘牛の衰退とともにバリラルゲーロが闘牛の花形となった。バリラルゲーロは現代闘牛のピカドールようにマタドールとチームは組まず、正面から単独で牛と戦った。しかし、18世紀後半には馬の供給や費用の問題からバリラルゲーロはマタドールの補助員の役回りとなり、現代まで続く闘牛の様式が完成した。大衆娯楽がかつての闘牛からサッカーに移り観客数が激減。2000年代に入り、動物愛護団体からの強い批判にもさらされ、特に2007年8月に国営放送が闘牛の生放送を中止してからの衰退ぶりは激しく、予算削減もありスペインでの試合回数もかつての2/3まで落ち込んでおり、バルセロナでは唯一の闘牛場ラ・モニュメンタルで年数十回開催されるのみとなっていた。2007年のスペインの国勢調査では国民の3/4が「闘牛に関心がない」と回答するほど人気が低迷している。ごく一部ではあるが、かつての闘牛に代わって、向かってくる牛を曲芸師がジャンプして躱(かわ)すなど、牛を傷つけない曲芸等も行われたり、そこから発展して牛の突進をかわす美しさや技術を競う「ブル・リーピング()」という競技が考案されたりしている。1991年にカナリア諸島で初の「闘牛禁止法」が成立し、2010年7月28日にはスペイン本土のカタルーニャ州で初の闘牛禁止法が成立、2012年から州内で闘牛を行なうことを禁止(これに先立つ2011年にはスペイン全土でテレビ中継の終了が決定している)、2011年9月25日にカタルーニャ最後の闘牛興行を終えている。人気低迷や動物愛護の高まりのほか、独自の文化とスペインからの独立気質を持つカタルーニャ地域主義が背景にあるとみられる。イギリスでは12世紀ごろから、柵に縄や紐でつながれた雄牛と闘犬を闘わせるブル・ベイティング()(牛虐め。ブル・ファイティングもしくはファイティング・ブルとも)という競技が行われていた。ブルドッグ、ブルテリアなどは、そのために改良された犬種である。残酷なスポーツとして1835年には禁止された。アルルなどの南フランスではカマルグ式()と呼ばれる、円形闘技場内で牛の頭に付けたリボンを鉤爪を使って闘牛士達が奪い合う闘牛が行われる。オマーンでは、牛を互いに戦わせる闘牛が有り、その様子は日本の闘牛に似ている。韓国でも、日本の闘牛に似た闘牛が実施されている。韓国においては公営競技のひとつとして賭けの対象となっている。
出典:wikipedia
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