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草燃える

『草燃える』(くさもえる)は、1979年1月7日から12月23日まで放送されたNHK大河ドラマの第17作。永井路子の小説『北条政子』『炎環』『つわものの賦』などを原作に、源氏3代による鎌倉幕府樹立を中心とした東国武士団の興亡を描いた一大叙事詩。それまでの源平ものが、どちらかといえば平家や源義経を中心とした物語なのに比べて、この作品では平家方の描写は少なく、源頼朝と、頼朝を担いで挙兵した東国武士団の動きに焦点が当てられ、歴史観も「源氏の旗揚げは、東国武士団の旗揚げでもあった」という立場で描かれている。平家滅亡と義経の死後、頼朝の征夷大将軍任命や落馬による死去、2代頼家・3代実朝の時代に打ち続いた幕府の内紛とその過程で進行した北条家の政権掌握が朝廷の動きを含めて丁寧に描かれ、承久の乱まで取り上げた作品は、大河ドラマでは今のところ本作が唯一である。なお承久の乱については、原作『北条政子』が乱の直前で終わっており、ドラマでは最終回の1話のみで描かれた。原作の永井路子が「喜劇でやってほしい」との注文を脚本の中島丈博に出したため、曾我兄弟の仇討ちの場面など随所に喜劇風演出が見られるのも特徴である。また、前半の主人公の頼朝が中盤で亡くなり、主役に北条政子が繰り上がる(クレジットがトメからトップに変わる)スタイルは、大河ドラマでは『国盗り物語』以来2例目である。ただ、前半も視点としては政子に重きが置かれ、実質的には政子が全体の主人公という趣も濃い。なお、頼朝を演じた石坂浩二は、大河ドラマの主演が本作で通算3回目となった。大河ドラマの主役を3回務めた俳優は石坂が初めて(一覧などで第一表記される扱いとしては現在も唯一)であり、これは現在も西田敏行とともに大河ドラマ史上最多の主演回数となっている。セリフ面では現代語や現代語調が多用され、視聴者から大きな反響を呼んだ(一例として、頼朝が「〜しようよ」と言うなど。これ以降の大河ドラマでは現代語調の作品が徐々に増加していく)。その一方で、人名の呼ぶ際には可能な限り諱ではなく通称や官位を用いており、諱呼びが大変な非礼とされていた当時の慣習を極力反映させている。壇ノ浦の戦いのシーンでは、女性ダイバーに十二単を着せての実際の海没シーンが海中撮影も多用されて話題を集めた。演出面では物語を群像劇として活写している。劇中では主要な登場人物の死亡シーンと言えども情緒過剰な演出で描かれることがほとんど無く、残された人間達による伝聞や報告といった回想シーンで断片的な映像を用いて語られる場合が多い。純朴で好学の青年だった北条義時(松平健)が、頼朝死後の幕府内で繰り広げられた政争の荒波を乗り越えていくうちに次第に変貌を遂げ、政敵と見なした御家人を様々な計略をめぐらして容赦なく排除・殺害していく冷徹な権力者として、若き日とは全くの別人格となっていく様を描くなど、政治陰謀劇の話が多い。権力者による手籠めや男色などの描写もある。最高視聴率は34.7%、平均視聴率は26.3%。本作は、本放送終了後、1979年12月24日から28日にかけて、5回にわたり総集編が放送された。以下の紹介では、その総集編の区切りに従って、全体的な物語の展開を記述する。一部、総集編では割愛されていた場面の紹介も含まれる。平家が天下をとって20年余り。京都へ大番役に出ていた父・時政の留守を預かっていた北条宗時は、公家化した平家の堕落振りに失望し、三浦義村ら若き志士たちと語らい、東国武士団の決起による武家政権樹立という夢の実現へ向かって動いていた。その頭目として期待されたのが、伊豆蛭ヶ小島に流されていた源氏の嫡流・源頼朝。宗時らは、その頼朝と伊豆の豪族・北条家との縁をつなぐため、恋文のやりとりを画策する。北条政子は頼朝に恋心をいだくが、ちょうどその時、京都から、後妻牧の方を伴って帰ってきた父時政の反対は強く、政子は山木兼隆と結婚させられることになる。そこで宗時らは政子に恋心をいだく伊東祐之を騙して伊豆権現への逃避行をさせるという手段で、頼朝の許へ駆け落ちさせる。この一件で辱めを受けた祐之は源氏や北条への復讐を誓い、親友だった政子の弟・義時に絶交を宣言する。このときの義時は、三島大社で出会った大庭景親の娘・茜と恋に落ちていた。若き日の義時は、武芸よりも学問が好きな、ややひ弱な青年だった。その頃、京都では「義経」を名乗る盗賊が出没するが、彼らの前へ本物の義経が登場、平家への復讐に燃える義経と盗賊・苔丸らとの間に奇妙な友情が芽生える。平家打倒を目指して以仁王と源頼政が挙兵、この二人は間もなく敗死するが、これをきっかけに諸国源氏に向けて平家追討が令せられる。先に初めての子・大姫が生まれ、政子と幸せな日々を送っていた頼朝ではあったが、ついに北条の後ろ盾を恃みに決起、山木兼隆への襲撃は成功するものの、大庭景親と戦った石橋山の合戦では敗北、三浦へ援軍要請に出た宗時は復讐に燃える祐之に殺される。頼朝や時政は、退却し物陰に潜んでいるところを大庭軍に加わっていた梶原景時に発見されるが、景時はわざと見逃し、その命を救う。再起を図った頼朝は安房で、先着していた北条時政・義時父子と合流する。宗時の討ち死により、北条の総領息子にならねばならないと、義時は父に諭される。やがて頼朝のもとには有力な坂東武者軍団が続々と参集、歴史の大きな転換が始まった。頼朝は総州・武蔵を経て鎌倉に入り、富士川で平家と対戦、これを敗る。黄瀬川で奥州から駆けつけてきた義経との「兄弟対面」を演出した頼朝は、直ちに都に進撃することなく東国経営に着手する。頼朝の下に参じた東国武士たちの結束を密にし、頼朝の御家人とすべく、鎌倉では婚礼の議が続くが、直ちに京都に出陣することを主張する義経は不満を露にし、御家人の中で疎まれる存在となっていく。この間、頼朝の浮気に怒った政子が、その相手の家を焼き討ちする事件が発生する。北条一門が鎌倉を去る中、ただ一人残った義時を頼朝はいたく信頼するのであった。義時は、心ならずも一族同士が殺し合わなければならなかった茜と、身を寄せ合うように暮らしていた。政子は頼朝の跡継ぎとなる男子万寿(後の源頼家)を出産するが、その妊娠途中にまたも頼朝は浮気に走る。今回言い寄ったのは、義時の妻である茜であった。やがて茜の妊娠が判明するが、義時の子供なのか、頼朝の子供なのか、本人にも判断がつかなかった。茜はこれを恥じ、義時に真相を語らないまま鎌倉を去り、京の平家に身を寄せ、やがて男子を出産した。頼朝軍に敗れ零落した祐之もまた、京で苔丸ら盗賊団の一味となっていた。信濃で決起した木曽義仲は、頼朝との和睦の証に嫡子・義高を鎌倉へ送ってきた。表向きは頼朝・政子夫妻の長女・大姫の婿ということであり、まだ幼い大姫はこの婿殿と戯れるのであった。京都へ入った義仲は、後白河法皇を武力で幽閉、法皇からの救援要請に応えた頼朝は、義経を派遣してこれを討たしめ、勢いに乗った義経はさらに、義仲によって都落ちし、その後一の谷まで戻ってきていた平家を攻撃、これを西海に走らせた。その功によって義経は法皇から官位を授かるが、このことが頼朝との亀裂を生むことになる。鎌倉では、政子の努力も虚しく義高は殺され、このことで大姫は父・頼朝に心を閉ざす。京都の義経は静という白拍子に魅かれ、やがて恋に落ちていく。源範頼の指揮下、滞っていた平家討伐に業を煮やした頼朝は、再び義経を起用する。義経はこれに応え、屋島の戦いで瀬戸内の制海権を握り、壇ノ浦の戦いに臨み、遂に平家を滅亡に追い込んだ。この戦いに従軍していた義時の目の前で、茜は海へ飛び込む。そのとき鎌倉には、既に茜が生んだ男の子が届けられていた。後の北条泰時である。京都へ華やかに凱旋した義経だったが、御家人としての立場をわきまえない勝手な振る舞いに、頼朝の心証は悪くなる一方だった。それを知る由もない義経は、意気揚々と鎌倉へ赴くが、思いがけず腰越で追い返され、兄との対決を決意する。叔父・源行家とともに法皇に迫って頼朝追討の院宣を受けるが、兵は集まらず挙兵に失敗、西国で再起を図るため京都を退去する。頼朝はこの機に乗じて朝廷に対し強硬に迫り、守護・地頭の設置を認めさせる。義経の探索は続き、間もなく愛妾の静が捕らわれ、鎌倉へ護送される。静は身重ながら義経を恋い慕う舞を披露し、頼朝を激怒させる。政子は静をかつての自分と重ね合わせて助命を嘆願するが、頼朝は腹の子供までは約束できないと突き放す。大姫は静に逃亡をすすめるが、静は生まれてくる赤ん坊が女の子であるよう祈ってほしいと哀願する。しかし生まれたのは男の子であったため、由比ヶ浜の砂に埋められる。大姫は父の非情ぶりを激しく詰った。間もなく義経は奥州で戦死する。これを口実に、頼朝は奥州を平定する。平泉入りした頼朝は、義経の名前が入った矢を拾い、弟の哀れな最期に涙を流す。残った唯一の難敵は後白河法皇だったが、その崩御を待って、かねてより懇意にしていた九条兼実の尽力により、ついに征夷大将軍となる。同年には、2人目の男子となる千幡(後の源実朝)が生まれた。頼朝の栄光は絶頂を極めた。義時も新しい妻・野萩を迎え、平穏な日々を過ごすこととなる。頼朝が挙行した富士の巻狩りでは、曾我兄弟の仇討ちという大事件が起こった。その黒幕は、鎌倉に戻っていた祐之であり、仇討ちにこと寄せて頼朝暗殺、三河守範頼擁立を図ったのであった。だが曾我兄弟は、親の敵である工藤祐経を討ったものの、頼朝暗殺には失敗、事件は単なる仇討ちとして処理された。祐之はまたも鎌倉から姿を消す。頼朝一家には、武家政権樹立という栄光の影で、次第に不吉な陰が忍び寄っていた。大姫の心の病は快方に向かうことなく悪化していき、後鳥羽天皇との婚儀をめぐってついに錯乱、自ら髪を切り、小さな女の子に戻って「義高さま」と言いながら、その短い生涯を閉じる。順風満帆だった頼朝・政子夫婦に最初の影が差したのだった。大姫の入内に連動した朝廷内の暗闘の結果、兼実は失脚、反頼朝勢力が実権を握り、頼朝の対朝廷戦略にも狂いが生じ始めていた。頼朝は朝廷工作の失地回復を焦り、次女・三幡の入内の話が持ち上がる中、突然落馬してそのまま死去、政子は直ちに落飾する。祐之は、長年の仇敵が突然失われたことに愕然とする。二代将軍となった頼家は、その杜撰な政務と側近の重用などで御家人の信頼を失い、頼朝の分身として御家人から慕われる政子が政務に関わらざるを得なくなる。やがて頼家は将軍としての決裁権を取り上げられ、北条を中心とする評定衆が幕政を運営することとなる。その憤懣から頼家は、安達景盛の妻・瑠璃葉を略奪、政子が自ら乗り込んで叱るが聞く耳を持たず、女と関係するのだった。鎌倉が不穏な空気に包まれる中、三幡が毒殺される。揺れる鎌倉で、以前から讒訴などで御家人たちの憎しみを買っていた梶原景時が弾劾状を受けて失脚、救済を求める景時に対して頼家は「これだけの御家人がお前を嫌っている。これをどう思う」と言い放って突き放す。その結果、鎌倉を追放され京都を目指した景時の一族は、頼家の差し向けた軍勢に殺される。景時亡き後、浮上してきたのは頼家の弟・千幡を擁する北条と、頼家の乳母であり、その長子一幡を擁する比企氏との暗闘であった。やがて北条方にあった頼家の叔父・阿野全成が一幡を調伏した謀反の廉で斬られる。その影には、双方共倒れを狙う三浦義村の策謀も絡んでいた。間もなく頼家が発病、人事不省に陥った時、ついに北条は決起、仏事にかこつけて呼んだ比企能員を暗殺、比企邸を襲撃し、一族を虐殺する。頼家と若狭局との間の子である一幡も焼死する。回復した頼家は、政子に迫って妻子の末路を知り、仁田忠常をして北条打倒の兵を挙げさせるが失敗、強制的に出家させられた上、伊豆修善寺に幽閉され、やがて義時の圧力によってやってきた三浦胤義らに斬られる。これを止められなかった政子は、三浦家に預けられていた頼家の子・善哉を「せめてこの子だけはなんとしても守り抜く」と固く誓う。この頃、祐之は久方ぶりに義時と再会する。政敵を力をもって排除する義時を祐之は諌めようとするが、それを一笑に付した義時は「反平家の旗揚げは、源氏の旗揚げではなかった。源氏は借り物で、我々坂東武者の旗揚げだったのだ。今の鎌倉を治めるのは、坂東武者の中で最も強い者がふさわしい」と語る。祐之は、かつてひ弱な青年だった義時が、老獪な政治家へ変貌しつつあることに眼を見張る。後継の将軍宣下がなされた千幡は、祖父・時政の館で元服、名を実朝と改めた。やがて実朝と音羽との婚礼が華やかに行われた。時政はその執権として実権を握る。三代将軍・実朝は、血で血を洗う武家に嫌気が差し、京都から迎えた公家娘の妻・音羽に「子はつくらぬ」と宣言し、自らは和歌に親しみ、官位の昇進のみを望む日を過ごしていた。そうした実朝の心とは裏腹に、鎌倉では創業の功臣・畠山重忠が北条によって謀殺され、これをきっかけに義時が時政を追放、二代執権に就任する。時政は息子たちの謀略に陥れられたことに無念さをにじませながらも、義時に自分を超える才があると満足の意をも示す。続いて義時は、和田義盛を挑発によって挙兵させ、自滅させることに成功する。この謀反に連座した廉で、義時は祐之を監禁するが、赦免を願い出た養女・小夜菊が最初の妻・茜に酷似していたため心を奪われ、祐之の釈放を承知する。小夜菊と夜を共にした義時は、貞淑だった茜とは対照的で妖艶な魅力を持った小夜菊こそ、今の自分に似合いだと語る。しかし、義時は釈放後の祐之の言動に立腹して眼を潰させる。小夜菊は義時を恨み、その側室になることなく父子とも鎌倉を後にし、やがて京都で後鳥羽上皇の愛妾となる。善哉は、都で僧侶としての修行を積み、公暁と名を改めて鎌倉に帰ってきた。孫の成長を政子は大いに喜ぶが、頼家の血筋を嫌う北条の下では将軍後継者になる可能性はなく、鶴岡八幡宮別当の役目を当てがわれる。公暁はこれに不満を持つが、いずれ自らを押し立てて打倒北条を果たすことを狙っていた三浦義村の薦めにより一旦同意する。公暁は仏事の勤めもそこそこに、武芸の鍛錬と、三浦氏の若君・駒若丸との同性愛にうつつを抜かす。源氏の血筋を奪い合い、権力闘争が続く鎌倉内部の動きに幻滅した実朝は、宋人・陳和卿に舟を作らせ、宋へ渡ることを夢見るが、舟は浮かばず、失望の中で朝廷から右大臣に任命される。三浦はこの拝賀の儀式を北条打倒の絶好の機会と考え、公暁に実朝と義時を親の敵と吹き込み、その首を取らせて幕府の主導権を奪おうとする。公暁が実朝の命を狙っていることは北条や実朝も知るところとなったが、既に現世に望みを失っていた実朝はそれに構わず拝賀の式を続行し、鶴岡八幡宮の石段で暗殺される。しかし、義時の暗殺には失敗したため、三浦は反北条の兵を挙げるのを諦め、公暁を裏切り、館に入れず門外で誅殺した。義時と義村は、お互い全ての事情を熟知していたが、それでも両者の宥和を演出する。その一方、またも御家人同士の争いに巻き込まれ、一夜にして子と孫を奪われた政子は悲嘆にくれる。実朝暗殺を知った後鳥羽上皇は、小夜菊、胤義らの意見により義時追討の院宣を出す。これに動揺した東国武士団を政子の演説が奮い立たせ、結束が固まった幕府軍は上皇方を一蹴、武家政権は盤石なものとなった。幕府の危機は去り、鎌倉に平穏な日々が訪れた。ある日、開かれた幕府の宴に招かれたのは、琵琶法師に姿を変えた祐之であった。法師が平家哀歌の物語を奏でる中、政子は次々に血縁者に先立たれ、虚しい気持ちで自分の人生を振り返る。本作より前に放送された歴代大河ドラマのうち『風と雲と虹と』(1976年)及び、『黄金の日日』(1978年)は全放送回が現存しており、総集編だけでなく全放送回収録の完全版ソフトも市販されているが、本作の映像のうち放送用ビデオテープのままNHKに残されていたのは総集編のみであり、通常放送回は1本も残されていなかった。このため、現在のところ映像ソフトとして市販されているのは総集編だけである。これは当時の放送用VTRテープは高価だった為、本作を収録した全話のマスターテープは他者の番組制作に使いまわされたためである。だが、本作のディレクターであった大原誠・伊豫田静弘、および一般の視聴者らが家庭用VTRで録画した映像が提供されたため、2009年11月現在のNHKアーカイブスでは総集編の他、全51話のうち33話分の保管が明らかにされていた。さらに、NHKでは残る18話分の録画テープの提供をサイト上で呼びかけたところ視聴者から全51話中50話分の映像提供があったこと、その寄贈分にはこれまで欠落していた18話分のすべてが含まれていたことが明らかにされ、現在では全51回の映像が保管されている。2009年12月よりNHKの番組公開ライブラリーで公開・視聴が可能となった。しかし、新たにアーカイブ化された18話分には画像の乱れやノイズの混入が多数あり、引き続き本作の録画テープ寄贈を呼びかけることも明らかにしている。

出典:wikipedia

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