マンドリン(、独・、)は、イタリア発祥の撥弦楽器。現在、もっとも一般的にみられるのは17世紀中頃に登場したナポリ型マンドリンから発展したもので弦はスチール製の8弦4コース、調弦はヴァイオリンと同じく低い方からG-D-A-E。ただしヴァイオリンと違って指板にはフレットがあり、弓ではなくピックを使って演奏する。撥弦楽器であるマンドリンはギターと同じく持続音が出せない楽器である。この問題は高音においてギターより大きな問題となり、その結果、持続音を模したトレモロ奏法が使われる。その他の奏法には、アルペジオ、ピッツィカート、ハーモニクスなどがある。19世紀末にアメリカ合衆国で派生したフラットマンドリンは、ブルーグラス、カントリーなどの音楽ジャンルで、フィドルやバンジョーなどとともに使用されることが多い。マンドリンには、イチジクの縦割りに例えられるボールバックのナポリ型や、フラットバックのポルトガル型、バンジョーの半分のサイズのバンジョー型等がある。また、南米には10弦(ペルー)・12弦(ボリビア)などのマンドリンも存在する。ナポリ型マンドリンは糸巻軸の金属棒が外に飛び出ているタイプのマンドリンを指し、ローマ型マンドリンはギターと同じ方式の糸巻軸をしているものを指す。イタリア起源の、リュートから派生したものは「マンドリン」、スペイン・ポルトガル起源の、ギター(ヴィエラ)から派生したフラットタイプのものは(南米でもよく使用される)「バンドリン」と呼ばれるが、奏法は同じで、音もよく似ている。マンドリン属の弦楽器には他にマンドラ、マンドロンチェロ、マンドローネなどがある。マンドリンの直接の起源はリュートから派生した楽器「マンドーラ」といわれている(マンドリンはマンドーラに縮小辞の付いた語)。初期のマンドリンは6コースのガット弦を持ついわゆるバロックマンドリン(マンドリーノ)で、アントニオ・ヴィヴァルディが書いたマンドリン協奏曲はこの型のためのものである。近代マンドリンの歴史は19世紀のパクスワーレ・ヴィナッチャの楽器改良に始まる。ヴィナッチャは4コースのナポリ型マンドリンの改良に取り組み、一定の成果を収めた。これ以後ナポリ型が主流となる。19~20世紀にかけてウンベルト1世妃マルゲリータがマンドリンを愛好し、マンドリン演奏はイタリア中で大流行となる。カルロ・ムニエル、ラファエレ・カラーチェ、シルヴィオ・ラニエリらが奏者・作曲家として活躍した。しかしイタリアが第二次世界大戦で敗北し、王政が廃止されるとイタリアでのマンドリン音楽は一時的に衰退した。日本では、1894年四竈訥治がイギリス人から贈られたマンドリンを演奏した記録が残っている。1901年には比留間賢八が留学先のイタリアからマンドリンを持って帰国し、指導者となる。比留間の門人には萩原朔太郎や藤田嗣治や里見弴らがいる。また娘の比留間きぬ子もマンドリン奏者で、数多くの門弟を育てた。日本で本格的にマンドリンが流行するきっかけとなったのは1924年のラファエレ・カラーチェの来日である。彼は摂政宮(のちの昭和天皇)のために御前演奏するなど、各地で演奏会を開いている。彼の来日に影響を受けたマンドリン奏者の中に後に作曲家として活躍する鈴木静一・中野二郎・服部正がいる。1968年から2年に1回、日本マンドリン連盟主催独奏コンクールが開かれ、多くの奏者を輩出している。(本稿では日本のマンドリン独奏の歴史について述べており、日本のマンドリンオーケストラの歴史についてはマンドリンオーケストラの日本における事情の項目を参照のこと)
出典:wikipedia
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