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特別急行列車

特別急行列車(とくべつきゅうこうれっしゃ)は、鉄道における急行系統の列車であり、急行列車の上位に位置する列車種別である。略して特急列車(とっきゅうれっしゃ)、または単に特急という。鉄道会社や鉄道路線ごとに多少の違いはあるものの、概ねその路線で最も早く目的地に到達する列車に与えられる呼称である。本項では、特急料金が必要な優等列車(長距離列車)としての特急列車のほか、以下についても取り扱うこととする。列車種別の分類は国や鉄道事業者によってまちまちであるが、そのうち他の列車より速い、専用車両を用いる、特別料金を必要とするなど、日本の特急に近い性格を持つもののことを、日本語で「特急」と表記することがある。ただし正確を期する必要のある場合には原語表記やその直訳、仮名転写などが用いられる。また TGV や ICE などの高速鉄道の列車は「超特急」と訳されることもある。韓国国鉄には1984年までトゥックプ(特急)という種別が存在した。なお、現在の韓国鉄道公社(KORAIL)の長距離座席指定列車であるKTX、ITX-セマウルなどの列車では、特急という表現が使われることがあるものの、愛称が列車種別を兼ねているため、「特急」の名称は使用していない。米国には、豪華な列車に、特別料金を支払って乗車する上等客のみを扱う "LIMITED" と呼ばれる列車が1910年代から運転されたが、「特急」に該当する列車種別は無い。欧州では、古くから日本の特急に相当する列車の運転が盛んである。イタリアでは1936年から電車による特急列車が運転された。1957年にはヨーロッパ各地を日帰りで行き来できるビジネスライクな TEE 列車網が整備され、これらの列車には特別急行券を必要とした。その後はインターシティ "InterCity (IC)" 列車に変更された。これは都市間連絡を主たる目的とする在来線優等列車であり、かつ21世紀において欧州では TGV や ICE などのいわゆる新幹線タイプの特急列車が中心だが、かつては「ラインゴルト」、「ミストラル」、「ゴールデンアロー」、「セッテベロ」などの著名な特急列車が運転され、速度だけでなくその走行区間において、最も豪華な列車として運転されていた。これらの特急列車はほとんどが一等(三等級時代は一、二等)のみで編成され、パーラーカーや食堂車やバー、ブチックやラウンジを備えていた。これらの列車には他の列車より高額であり、特別急行券を必要としていた。通常英訳には、かつての米国の例に倣い「"Limited Express"」が当てられるが、米国では鉄道旅客輸送の衰退に伴いほとんど死語になっている。ただし、"Sunset Limited" のようにアムトラックが引き継いだ列車愛称の一部にその名残が見られる。事業者によってはこれを“Limited Exp.”, “Ltd. Express”, “LTD. EXP.” などと略すが、京王電鉄では"Special Express" となっている。またJR九州の特急列車には、車体に "Intercity" のロゴを表記しているものがある。フランス国鉄 (SNCF) では、かつて在来線特急列車の種別名に「"Rapid"」を用いていた。ちなみに Rapid は、日本では快速列車の訳語となっている。特別急行(特急)列車が設定される前、急行列車より速い列車には「最急行」という種別をつけることがあった。その中でも1906年(明治39年)4月16日に、国有鉄道の新橋駅-神戸駅間で設定された「最急行 1・2 列車」は、運賃以外に初めて速達サービスのための料金を徴収する列車となるなど、現在の有料特急・急行の元祖と位置づけられるものであった。「特別急行」の種別を初めて用いたのは、1912年(明治45年)6月に前述した「最急行 1・2 列車」を区間延長する形により、関釜連絡船を介して中国・欧州などへの国際連絡運輸の一翼を担う「大陸連絡列車」として、新橋駅-下関駅間で運転を開始した 1・2 列車である。編成内容も一等車・二等車のみで展望車が最後尾に連結されるなど、「日本の国威」を対外宣伝するためのような存在であった。1914年(大正3年)12月に東京駅が開業すると、1・2 列車も東京駅始発となった。1923年(大正12年)7月、同区間に三等車のみで構成された 3・4 列車が運転開始される。そこからも分かるように、この列車はどちらかと言えば大衆向けの設定であった。昭和に入ると特急列車に「列車愛称」が付けられるようになり、新しい列車の設定も見られたが、間も無く戦争に突入したため、結局戦前の特急列車は下記の 4 種のみにとどまった。また戦前の特急列車は、東京以西の路線(東海道本線、山陽本線、鹿児島本線、長崎本線)のみで設定されていた。そして太平洋戦争の激化により、1944年(昭和19年)4月を以て「富士」を最後にそれらは全て廃止され、日本の特急列車は一旦消滅した。終戦直後は、石炭・車両・整備の状況が戦時中以上に悪化したこともあって、特急列車どころか普通の列車すらまともに運転できない状態となり、1947年(昭和22年)の1月から4月に掛けては急行列車まで全廃された。その後、それらの状況がやっと好転して来た1949年(昭和24年)9月、東京駅-大阪駅間に「へいわ」が運転開始される。同区間を9時間で結び、速度こそ戦前の水準に及ばなかったが、この時1944年(昭和19年)以来 5 年振りに展望車・食堂車が復活するなど、見るべきことは多かった。その後、特急列車は次第に各線で設定・増発され、特徴ある物も増えた。戦後の特急列車史に残る列車としては、下記の列車などが挙げられる。(新幹線は除く)特急列車が普及したダイヤ改正として著名なものには、1961年(昭和36年)10月1日の改正(通称「サン・ロク・トオ」ダイヤ改正)と、1968年(昭和43年)10月1日の改正(通称「ヨン・サン・トオ」ダイヤ改正)がある。1961年(昭和36年)の改正ではそれまで東北・東海道・山陽・鹿児島・長崎の各本線と常磐線でしか運転されていなかった特急列車が全国の幹線を走り始め、1968年(昭和43年)の改正では、それまではその名の通り「特別」な列車であった特急列車が、需要の多い線区では1964年(昭和39年)10月に開業した東海道新幹線と同様ネットダイヤ化が進み、大衆化をも推し進めることになった。1972年(昭和47年)10月より一部の昼行特急には、「エル特急」と言う愛称が与えられた。後に従来の急行列車を昇格して特急列車とした際にもこの扱いを行うことが多かった。しかしJR東日本が2002年(平成14年)12月にエル特急を名称上全廃するなど、その数は次第に減少しつつある。その一方でJR北海道においては、案内掲示や放送において「エル特急」と明記・明言し、エル特急、寝台特急、臨時特急を除く特急は「特別急行」と放送されている。1972年(昭和47年)- 1985年(昭和60年)に掛けて、山陽新幹線・東北新幹線・上越新幹線といった新幹線が次々と開通するにつれ、長距離を走る特急列車は新幹線に取って代わられる形で次第に減少し、それと引き換えに新幹線の沿線から離れた都市と、新幹線との連絡・接続を図る、中-短距離の列車が増えていった。1985年(昭和60年)3月 - 2002年(平成14年)12月までの間、東北本線(宇都宮線)・高崎線などでは同線内相互間の輸送を目的とした一部のエル特急を「新特急」と称していた。元々は、短・中距離の急行列車を増収のためほとんど停車駅は変えず特急列車に格上げした物で、定期券でも乗車できることとし、料金も 50 km 以下の区間は急行料金と同額とするなど、特急と急行の中間的な設定にされた。しかし前述のような理由で設定された特急であり、使われていた185系電車はそれまでの特急列車の車両より設備が劣り、関西では快速列車に使うような車両にデッキを付けただけのような物であったが、後に座席は通常の特急用と同じものに交換された。2001年(平成13年)12月にそれ以外の列車と特急料金が同額になり、「新特急」を列車名に冠する必要が無くなったためか翌年消滅した。因みにその頃までには東北本線の新特急は朝夕の時間帯を除いて一般車使用の快速に格下げされ、高崎線の新特急もアコモデーションのリニューアルや日中時間帯の停車駅の大幅な削減などの改善策が行われた。また、湘南新宿ラインの開通後は東北・高崎線の快速・普通列車においてもグリーン車の連結が行われるようになったため、旧「新特急」が担当していた高崎線内相互間の着席輸送においては、快速・普通列車のグリーン車の拡充を重視する傾向になっている。2004年(平成16年)3月に九州新幹線が開通して以来、JR九州は「きりしま」のうち霧島神宮・国分発着のものや、「はやとの風」、また2009年10月10日から運転の「海幸山幸」といった臨時特急列車などが存在するが、これらの列車は停車駅こそ限定されてはいるもの、いずれも同区間を走る普通列車と同等か、それより遅い便も存在する。これは速達性を意味する「特別な急行列車」の意味ではなく、新幹線との接続性を重視しているものや、また車内設備のサービスに対して料金を取るか取らないかどうかや、観光に特化したサービスの提供などといったサービスの違いで「快速列車」・「普通列車」などと区分するために、「特急列車」を名乗らせているものである。このような観光に特化した特急列車のことをJR九州では便宜的に「観光特急」などと呼ぶことが多い。1950年代までは客車による長大編成が組まれた。しかし、1960年代以降、速達化を計る観点から、昼行列車から使用車種を電車・気動車へ変更してゆく事となった。この初例としては、運用の効率化を図った登場時の151系電車を用いた「こだま号」の編成がある。詳細はこちらを参照されたいが、これは、簡易食堂「ビュフェ」付き三等車と二等車を編成中央に組み込んで8両編成で運用するものであったが、速達化・快適性の向上がなされたため、在来特急列車の電車化を行う際には、運用の効率化よりも在来編成との摺り合わせがなされたため、10 - 12両で運用された。しかし、利用者が少ないとされた線区での使用が予想されたキハ82系気動車では食堂車と一等車(→グリーン車)を各1両備えた 6 両編成を基本とした編成が基本とされた。電車でも二等車(→普通車)の両数の差があるものの、編成が短くなり、おおむね8 - 12両程度で運用される従来のものから大きく変容するようになる。その初例として、1976年(昭和51年)に設定された佐世保線エル特急「みどり」では485系電車新製車両では最も短い4両編成で運用される事例がみられるようになった。ただし、「みどり」の事例は「かもめ」と併結運転を行う多層建て列車として運行する関係もあり、線路容量が小さい路線での措置として異例とされた。本格的な短編成化として知られるようになったのは、高速バスとの競争が激しくなった鹿児島本線エル特急「有明」である。この列車群では、車種統一を図った1984年(昭和59年)以降改造車両を用い、1本あたりの編成組成を短くする代わりに本数を増発する手法を採ったため、1986年(昭和61年)には「3両編成を組んだ特急」が運行されるようになった。ただし、電車による短編成化には運用上の限界があり、2両編成の電車特急列車は1990年(平成2年)登場の札幌駅 → 旭川駅間運行の臨時特急「モーニングエクスプレス」があったものの、1994年(平成4年)には使用車両であるJR北海道785系電車所定の4両編成に戻され、以降電車での短編成運行は485系・183系・JR東日本253系電車・JR東海373系電車による3両編成が最小になったが、2010年に8000系電車の付属編成を2両に減じたため、2両編成電車特急が復活。後継となるJR四国8600系電車では、2両編成で試作車は制作、運用されている。しかし、気動車ではキハ82系気動車の編成を元に設計したキハ181系気動車・キハ183系気動車では「大出力エンジンを積む」や(後者のみであるが)「寒冷地仕様のため先頭車両は非貫通」とした事もあり、例えばキハ181系気動車は2両で運行することは可能であるが、「トイレがない」・「座席数が少ない」という問題もあった。そこで、1986年に運用を開始したキハ185系気動車は2両編成で運用可能とした設計とし、実際にJR四国は高徳線のエル特急「うずしお」の運用開始時に運用を実施した。なお、同車両は2016年現在2 - 3両の短編成で運用される事が多く、当初よりの所有会社である JR 四国では主に徳島県内の特急列車群で、一部は JR 九州が購入し久大本線・豊肥本線を運行する特急列車群で運用されている。また、西日本旅客鉄道(JR西日本)では「急行形気動車の置き換え」ないしは「地域輸送の高速化」という観点から、キハ185系気動車以降にて2両固定編成での運用を前提としたJR西日本キハ187系気動車を新製した。また、キハ181系気動車を最後まで使用していた「はまかぜ」ではグリーン車連結の4両編成であったが、JR西日本キハ189系気動車では普通車のみの3両編成で置き換えた。客車については定員が少ない寝台車を中心にして運行されたこともあるため、A寝台・食堂車・電源車を込みで10 - 15両程度の長大編成を組んでいたが、14系客車ではサービス電力を高出力ながら乗客を乗せない専用の電源車ではなく、編成の端に連結する緩急車より供給する関係で6両程度で組成をすることとなり、その編成単位の組み合わせで運行されるようになった。しかし、1980年代以降、長期的な夜行列車・寝台列車の凋落傾向から必ずしも10両程度の需要がないことから、短編成化された列車も存在した。中には廃止直前の「彗星」の様に開放式B寝台車のみの4両編成で運行された列車もあった。また、「富士」・「はやぶさ」は、運行末期である2005年より2009年の廃止までは門司駅以降のJR九州管内においては6両編成、東京駅 - 門司駅間ではそれを2編成組み合わせた12両で運行されていた。なお、末期の寝台列車で運用されたものの編成は以下の通りであった。なお、2016年3月26日現在で最長編成の列車は以下の通りとなる。新幹線で運行される列車も特急列車として分類される。1975年(昭和50年)3月まで速達タイプの「ひかり」と各駅停車タイプの「こだま」は料金に区別があった。また、1972年(昭和47年)3月までは「ひかり」は超特急、「こだま」は特急として区別していた。1992年(平成4年)3月に登場した「のぞみ」も「ひかり」・「こだま」とは料金に格差が設けられている。ただし、2003年(平成15年)10月1日に「のぞみ」にも自由席を設定したが、これについては「ひかり」・「こだま」と同一料金である。在来線と直通する列車も特別急行列車と定義されている。このため、博多南線運行列車や「つばさ」・「こまち」も特別急行列車である。沿革にある通り、JR の場合特急列車を利用する場合、乗車券のほかに特別急行券(特急券)が必要である。料金などの詳細については、「特別急行券」の項を参照されたい。特急列車への定期乗車券での乗車は原則として認められていないが、近年は特例として一部の列車・路線で定期乗車券に自由席特急券ないしは立席特急券を追加すれば乗車が認められるようになってきている。現在では、自由席については昼行列車の全列車が定期乗車券との組み合わせで乗れるようになった。しかし、指定席は認めていない場合も多い。普通列車が一切ないなどの理由で、特急列車に乗車しても特急料金がかからない区間がある(ただし、新幹線車両使用区間を除く)。詳細は「特別急行券#特急料金不要の特例区間」を参照のこと。他の種別の列車の車両と異なる特急形車両を使っており、高速性能や、座席などの車内設備が他の種別の列車用より優れている。原則として特急列車に専用されるが、利用客の少ない末端区間で普通列車になる場合や、運用の関係で全区間普通列車として運転される場合もある。国鉄時代の特急の特色として、綺麗なデザインが施されたヘッドマークがある。丸い金属製のもので、客車端部に設置したものである。戦前にすでに運行されていた「富士」「さくら」の列車愛称命名時に取り付けを行ったのが端緒である。戦後、1950年に復活した特急「へいわ」号以降、特急列車のシンボルとして牽引機関車と最後尾客車に取り付けられるようになった。以降、特急列車である「つばめ」・「はと」・「さくら」・「かもめ」・「あさかぜ」・「はつかり]」・「さちかぜ」・「平和」・「はやぶさ」まではスハ44系・ナハ10形を含む在来形客車による列車のみであったため、半ば必然的にトレインマークとしてのヘッドマーク・テールマークが用意された。しかし、"ビジネス特急「こだま」"用として1958年に登場したモハ20系→151系電車(のちの181系電車)には、「特急マーク」と称される「T」をモチーフにしたエンブレムマークや日本国有鉄道の英略である「JNR」をモチーフにしたロゴを制定したものの、ヘッドマーク自体は、列車ごとに制作されたイラスト付きのヘッドマークは制定されず列車名のみのものとなった。以降、新設の特急列車では、気動車初の特急形車両であるキハ81系気動車では151系電車の特急マーク・国鉄ロゴ・ボンネットデザインを踏襲し、ヘッドマークについては列車名のみとなった。客車列車は寝台車の電車化が1967年登場の581系電車であることから、それ以前の設定列車は客車列車のみとなり、牽引機関車にこそイラスト付きのヘッドマークが用意された。しかし、20系客車では、電源車・緩急車ついては当初地色を列車ごとに変えたが、のちに列車名のみを表示する形とした。また、後継であった14系・24系といったブルートレインでも当初は列車名のみの表記となっていた。そのため、機関車取り付けのヘッドマークは寝台特急のシンボルとなり好評を博した。その一方で、取り外しが面倒、費用が嵩む、あるいは盗難などの理由で1975年には東京 - 西日本・九州方面のブルートレイン7列車以外はすべて撤去されてしまった。しかし、このトレインマークは軒並み鉄道ファンや子供たちの間で評判で、ブルートレインブームを巻き起こした。加えて漫画『銀河鉄道999』のヒットなどにより、鉄道による長距離旅行が大流行した。それを受け、自動車、航空機など交通の多様化にともなう旅客減少により、採算が悪化、事業再興の機を窺っていた国鉄は千載一遇のチャンスとばかり、1978年10月にはすべての電車特急にイラストを施した絵付きトレインマークを採用することになる。このトレインマークは子供達だけでなく、鉄道ファンやその他一般人にも大きく受け入れられ、ブルートレインと並んで旅客特急にブームを呼び寄せ、トレインマークをデザインしたグッズや特急を掲載した図鑑や絵本が人気を呼び、鉄道写真に興味を持つ人も多く誕生した。高山本線の「ひだ」を除いて、絵入りのトレインマークは採用されていなかったが、1985年1月には全路線の気動車特急にも絵入りトレインマークが採用されるようになった。しかし、1987年4月1日に国鉄が民営化され、JR が発足すると各社はこぞって脱国鉄色を目指すようになり、加えて鉄道車両の老朽化、陳腐化などに伴い、高速性、居住性の改善など性能に優れた近未来的な新型車両を採用していく中で、JR東日本を中心に LED を利用したマークが採用されたり、トレインマークを掲げないものも増加していったりした。一方で、車両を特徴付けるサインやロゴマークは重視された。JR四国のキハ185系気動車のように図案をより簡略化したり、JR西日本の北近畿ビッグXネットワークの各特急列車のように、図案を統一化したものも増えてきた。また、そのブームの旗手となった寝台特急が次々と廃止に追い込まれていく中で、多くの鉄道ファンや子供たちが魅せられたイラスト付きのトレインマークは過去を回想させるものとなりつつある。急行列車に対する「急行電車」と同様に、特別急行列車とは別に「特急電車(とっきゅうでんしゃ)」と呼ばれる普通列車が、昭和初期より阪和電気鉄道 で運行されていた。阪和間の都市間列車であり、特急料金不要の転換クロスシート車を用いたなど、列車としての性格は現在の特別快速列車に相当する。なお、同鉄道には超特急なる列車種別も存在した。戦時中にいったん廃止されるが、1944年5月に国有化され阪和線となったあと、1950年10月に流電こと52系電車を投入して復活する。その後、1958年10月の称号改正で快速・直行となる(直行は、1969年4月より「区間快速」に改称)。この列車は現在の紀州路快速に相当する。現在は私鉄のみが料金不要の「特急」を運行しているが、これについては次項「私鉄の特別急行列車」を参照のこと。私鉄では南海鉄道(現・南海電鉄)が1926年(大正15年)12月3日に、初めてこの名前の列車を運転したといわれている。また、料金を別途必要とする有料制の特急列車については、近畿日本鉄道が1947年(昭和22年)に名古屋 - 上本町間において運転を開始した のが最初である。利用するためには、鉄道会社によってJRと同様に乗車券のほかに特急料金(またはそれに類した追加料金)が必要なものと、乗車券だけで利用できるもの、および座席指定車と料金不要の自由席車の両方を連結したものの3種類がある。また、私鉄にはオリジナルの列車種別が設定されていることも多く、用途や行先を冠することで、複数の「特急」(例:名鉄の場合ミュースカイ・快速特急・特急)が設定されているケースも少なくはない。また、近年では、ラッシュ時に「通勤ライナー」的な性格の列車が運転されているケースも多い。種別としての性格は、東武鉄道など特別急行料金を徴収する JR の特急列車と同等のものと、名古屋鉄道や京浜急行電鉄など本来特別急行料金は設定していなかったが、座席指定料として運賃とは別に料金を徴収するようになったものとがある。JR と同様に、高速性、車内設備などが他の種別に使用している車両に比べて優れている特急用の専用車両が使用されており、差別化を図っている。一部の私鉄や第三セクター鉄道には、JR線から特急列車が乗り入れている(一部は相互直通運転を実施)。なお、事業者によっては指定席車と自由席車の両方を連結する列車も運行されているが、これについては次項「#指定席・自由席連結列車」を参照。名古屋鉄道(「ミュースカイ」を除く)と南海電気鉄道では、指定席車と自由席車の両方を連結する列車が運転されている。この場合、自由席については一般車両が使用され、かつ普通乗車券のみで乗車できる。他の列車種別より停車駅が少ないもの、いわゆる最速達列車として「特急」を運行している事業者も存在する。そのため、他種別の列車と同じく通勤形車両を用いるのが一般的である。ゆえに、このタイプの「特急」は JR における「特別快速」または「新快速」(いわゆる普通列車の一種)と同義の種別であると考えることができる(「急行列車#料金不要の「急行」」も参照)が、一部の私鉄には快速に相当する種別を「特急」として、その上に「快特(快速特急)」といった、さらに上位の種別を設定している事業者もある。しかし、競合する他事業者の鉄道路線がある場合には、料金不要の列車といえども車内設備や性能の優れた専用車両を充当することがある。こうした例は、東海道線や横須賀・総武快速線と競合する京浜急行電鉄と京成電鉄、中央線快速と競合する京王電鉄、中京地区で東海道本線と競合する名古屋鉄道、JR京都線・JR神戸線と競合する阪急電鉄・京阪電気鉄道・阪神電気鉄道・山陽電気鉄道、鹿児島本線と競合する西日本鉄道に見られる。ここでは「特急」を冠する派生種別、並びに「特急」を名乗らないが「特急」に比肩する列車種別の名称を記する(ただし、「快速急行」は除く)。なお、「」内の事業者では過去に運行をしていたとされる。鉄道事業者によっては、特急列車に専用乗務員を充て、かつ特急乗務員専用行路を与えていることもある。特に運転士にいたっては、運転技術で選抜された者や、特別な研修・実地訓練を受けた者に対してその任務が充てられることがある。バスにおいても、特に停車する停留所を限定している系統が「特急」を名乗る場合がある(例:特急仙台・山形線、山陰特急バス)。ただしその中でも高速道路を主として走行する物は「高速バス」と呼ばれることが多い。「高速バス」「急行バス」の項目も参照のこと。ちなみに阪急バスでは、高速バスの方向幕表示を通常「高速 高知」「高速 長野」などと表示しているが(LED 幕車では行き先のみ表示)、スーパーノンストップ便に関しては「特急 福岡」「特急 有馬温泉」と標示し、「特急」を「高速」よりも格上の存在と位置づけている。フェリーに関しては1971年から2005年まで、「特急」と冠した「大阪高知特急フェリー」が存在した。

出典:wikipedia

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