大通公園(おおどおりこうえん)は、札幌市中央区にある公園。「日本の道100選」「日本の都市公園100選」「都市景観100選」「日本の歴史公園100選」選定。札幌市中心部に位置し、東西約1.5 km、面積約7.8 haの特殊公園であり、幅105 m、6車線の都市計画道路3・1・2「大通」の一部になっているほか、札幌市の「風致地区」「景観計画重点区域」に指定されている。芝生や花壇を整備しており、ライラック、ハルニレ、ケヤキをはじめとした92種、約4,700本の樹木がある。また、各種イベント(『さっぽろ雪まつり』『さっぽろライラックまつり』『YOSAKOIソーラン祭り』『さっぽろ夏まつり』『さっぽろオータムフェスト』『さっぽろホワイトイルミネーション』など)が開催されている。1869年(明治2年)、開拓使は判官の島義勇に札幌本府建設を命じ、島は現在の南1条通と江戸時代に大友亀太郎が掘削した大友堀(現在の創成川)が交差する地点をまちづくりの基点(現在の創成橋付近)にした。ところが、本府建設には多額の費用が必要であり、経費の追加を求めた島は開拓長官の東久世通禧によって罷免されてしまい、本府建設も一時中止となる。1871年(明治4年)、岩村通俊が開拓判官になると島の構想をもとに街の東西に幅60間(実際は58間、105 m)の火防線を設けてそれより北を官地、南を民地として格子状の区画整理を行っていった。1872年(明治5年)に北海道内の国郡名を札幌本府の道路に付けて火防線は後志通、現在の北1条通は浜益通、現在の南1条通は渡島通となったが、煩雑であったため1881年(明治14年)に現在の条丁目に変更されて後志通は大通となった。1876年(明治9年)頃に現在の西3・4丁目に札幌官園で育てた花卉を植えた大通花草園を設置しており、大通の多目的利用が始まっている。また、西10丁目に屯田兵第一大隊本部を設け、以西を練兵場とした。なお、西9丁目辺りは森として残され、遠くから見ると高く盛り上がった部分と低くなっている部分がクジラのように見えたことから鯨森(鯨ヶ森、鯨の森)と呼ばれるようになった。1878年(明治11年)には『第1回農業仮博覧会』を開催、以後隔年で開いていたが手狭になっていったため1887年(明治20年)に会場を中島遊園地(現在の中島公園)へ移した。1880年(明治13年)に現在の札幌市民ホールやNHK札幌放送局のある一角に西洋館の豊平館を建設し、皇族や貴族、政府高官の宿泊施設や各種集会や宴会の場として利用した。当時、西4丁目以西は荒地になっていたが、1888年(明治21年)に近辺学校の連合運動会を行ったことをきっかけに運動場として利用するようになった。1899年(明治32年)には偕楽園にあった開拓記念碑を大通西6丁目に移設し、小公園にしている。1907年(明治40年)、札幌興農園の小川二郎が札幌農学校で得た知識と技術を活かし、西2丁目から西4丁目にかけてを自費で花壇を造成した。1908年(明治41年)、鯨森や練兵場跡地を含む西9・10丁目を逍遥地(散策する場所)として整備した。1909年(明治42年)に造園技師の長岡安平を招き3ヵ年計画で本格的な公園整備を行い、西3丁目から西7丁目までが逍遥地となった。1915年(大正4年)から札幌洋翠園の戸部佶が自費で花壇づくりを行い、1918年(大正7年)に札幌区が引き継いだ。1923年(大正12年)には宮部金吾達の指導により練兵場跡地の西10丁目から12丁目にかけても植栽と芝生を整備した。1926年(大正15年)には西13丁目に札幌控訴院(現在の札幌市資料館)の建物が完成している。戦時中の大通は空襲に備えた避難広場として重視され、1944年(昭和19年)になると食糧不足から10,000坪が畑に転用され、ゴミ捨て場や雪捨て場となって荒廃した。戦後は進駐軍に接収されて西3丁目に教会、西4丁目に野球場、西5丁目にテニスコートが造られ、市民の手によって西6丁目にバレーボールコート、西7丁目に野球場、西8丁目に児童遊戯場を設けて運動場と化した。1950年(昭和25年)から5ヵ年計画で芝生や花壇のある公園への復旧を始め、翌年に北海タイムス社(現在の北海道新聞社)が北大植物園の石田文三郎の助言をもとに園芸店などの協力を得て西3丁目に花壇を復活させた。公園の復旧は進駐軍の真駒内(キャンプ・クロフォード)移転後に本格化していく。1952年(昭和27年)から市内の花卉園芸業者がボランティアによる花壇造成を行い、1954年(昭和29年)に札幌市花壇推進組合を結成して『大通花壇コンクール』が始まった。1957年(昭和32年)には豊平館を中島公園へ移築し、さっぽろテレビ塔が完成。1968年(昭和43年)に西1・2丁目のバスターミナルを移転して芝生や花壇を整備して西4・7・11丁目に噴水を設置するなど、現在へと続く大通公園になっていく。1980年(昭和55年)に「都市公園法」に基づく公園として告示され、名実ともに大通公園となった。1989年(平成元年)からは6ヵ年かけて大通地区の再整備事業の一環として大通公園全体の連続性と数丁目単位での連携性や丁目毎の個性化を図るとともに、植物の生育環境改善や園路や広場のデザイン化とバリアフリー化などを進め、1993年(平成5年)には西8・9丁目が連続化した。2011年(平成23年)に本格的な公園整備から100周年を迎えた。1988年(昭和63年)の「第3次札幌市長期総合計画」策定に伴い、大通整備関連三事業の1つとして大通公園リフレッシュ事業を実施し、公園全体を5つのゾーン(国際交流ゾーン、水と光のゾーン、遊び・イベントゾーン、歴史・文化ゾーン、サンクガーデンゾーン)に分けて再整備している。大通公園の範囲は西1丁目の西半分から西12丁目までであり、さっぽろテレビ塔や西13丁目の札幌市資料館は含まれていない(資料館の区域は札幌市教育委員会の管轄)。
出典:wikipedia
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