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松島遊廓

松島遊廓(まつしまゆうかく)は、かつて大阪府大阪市西区にあった遊廓、赤線。松島新地とも呼ばれる。現在もちょんの間が存在する。戦前と戦後で場所が異なる。戦前は現在の千代崎1・2丁目にあったが大阪大空襲で焼失。戦後は現在の本田2丁目・九条1丁目に場所を移して赤線として復活。1958年(昭和33年)の売春防止法施行以降、届出上は「料理店」となっているが、「仲居と客との自由恋愛」と称する行為が行なわれている。料金は30分15000円から、1日平均7人の客で、10万円ほどの売り上げが平均的。2013年時点で、約8万平方メートルの敷地内に104店舗の「料理店」が存在。旧広島藩士の有田徳一、新町遊廓の大垣屋、船場淀屋小路の侠客堤仁三郎が、木津川と尻無川 に挟まれた寺島の北部(現在の千代崎1・2丁目)への遊廓の開設を願い出て、大阪府知事渡辺昇より1868年(明治元年)2月に振興策として設置が許可された。寺島の北端(現在の松島公園の北端あたり)に樹齢300年とも言われる松の大木があったことから、寺島の北端は「松が鼻」と呼ばれていた。「松島」の地名は、松が鼻と寺島の一字を取ったと言われている(『松島新地誌』松島新地組合・1958年)。寺島の木津川沿いは江戸時代から市街化され、木津川町、九条村町、寺島町が成立し、船大工の多い地域だった。その他は西成郡九条村字寺島の田地が広がっていた。翌1869年(明治2年)には上記の場所を統合して松島町が成立し、南隣の岩崎新田との境には堀川が開削され、松島遊廓が誕生した。遊廓の中心となる仲之町の目抜き通りには桜が植えられ、桜筋とも通称された。また、南端の花園町に遷座された大阪天満宮行宮の境内にも桜が植えられ、松島は遊廓の他に花見の名所としても知られていた。このころの料金は、美醜に応じて、上等8銭、中等6銭、下等4銭に分けられていた。松島遊廓の誕生により、江戸時代から続いた新町遊廓は衰退の一途を辿ることとなり、1890年(明治23年)の大火で大半を焼失。一方、大阪市電第1期線の築港線(1903年開通)と第2期線の東西線(1908年開通)が松島経由で結ばれるなど、交通の便にも恵まれた松島遊廓は活況を呈した。花園橋西詰から西へ伸びる九条通(いわゆる九条新道)には商店街が発達し、昭和初期には心斎橋筋商店街に比肩するほどの賑わいを見せていた。

出典:wikipedia

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