石坂 啓(いしざか けい、1956年3月28日 - )は、日本の漫画家、作家。愛知県名古屋市出身。女性。雑誌『週刊金曜日』の編集委員や、ピースボート水先案内人を務めるほか、テレビにコメンテーターとして出演している。既婚で一児の母。本名、立川啓子。旧姓、福田。愛知県名古屋市生まれ。華僑を母に持つ。1976年、父の経営する会社が倒産。名古屋芸術大学卒業。1978年に上京、手塚プロダクションにて手塚治虫に1年ほど師事。ブラック・ジャックの作画などを担当した。デビュー作は第2回マンガ少年新人賞佳作入選の『とろりんなんぼく』(1979年)。青年漫画作品を中心に執筆し、『ビッグコミックスピリッツ』で連載した『キスより簡単』はテレビドラマ化・映画化もされた。1988年にはTBSラジオの深夜放送『スーパーギャング』のパーソナリティをつとめるなど多彩な活動を行っていたが、出産を機に漫画家を休業し、以降はエッセイストやコメンテーターとしての活動が主となる。第3回文化庁メディア芸術祭大賞を受賞。育児体験を著したエッセイ「赤ちゃんが来た」を発表後は、育児や教育に関する発言や講演活動も積極的に行う。『週刊金曜日』の編集委員や『マガジン9条』発起人、「九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人などを務める。湾岸戦争時には都内の寺で抗議のパフォーマンスとしてハンガーストライキ(白米とパンと肉を抜いた食生活)を行った。2003年6月8日、小田実・姜尚中・和田春樹らと「東北アジアの平和を求める日韓市民共同声明」を発表し、「日本政府は、核危機の克服のためにも、また、日本の植民地支配の清算と拉致問題の解決のためにも、北朝鮮政府との中断した国交交渉をただちに、無条件で再開しなければなりません」と訴えた。また、戦時における性暴力に関する一部陣営の取扱いに強い危惧を持っており、戦時における従軍慰安婦の問題や戦時における強姦に関するテーマを『安穏族』などの作品中に取り上げている。2006年9月、加藤紘一宅放火事件に対し、「民主主義にとってテロは敵だ。言論封じのあらゆるテロを許さない」と非難する共同宣言を上原公子らと共に発表した。2009年10月、フリーター全般労働組合などが主催した「リアリティツアー 62億ってどんなんだよ。麻生首相のお宅拝見」で、無許可デモ及び公務執行妨害の容疑で3人が逮捕されると、これを不法逮捕とする糾弾運動に上原公子らと参加した。政治家の辻元清美とは個人的にも親交が深く、お互いの著書に推薦文や後書きを寄せあったりしている。辻元の秘書給与詐欺事件に際しては灰谷健次郎と共に、「裁判を支える会」の呼びかけ人を務めた。また、狛江市の市長選挙では河西信美、2007年東京都知事戦では、浅野史郎を応援するため「アサノと勝とう!女性勝手連」の呼びかけ人となるなどの活動をしたが、両名とも落選している。日本漫画家協会会長のやなせたかしや里中満智子が「劣化が進む貴重なマンガ原画を保存・修復する拠点」として政府に働きかけていた国立メディア芸術総合センターについて、「国費で額縁に原画を飾っても、ありがたがって見に来るマンガ好きはいない。恥ずかしいから私の作品は並べないで」「大家の先生方はマンガが不遇だった時代の人が多いから、国が歩み寄ってくるとうれしく思う人がいるだろう。しかし、お上にほめられて喜ぶ漫画家はいない。むしろ、お上をちゃかすのがマンガの精神。」と批判した。民主党が開催した2009年度補正予算案を検証する勉強会では「世界の若者に我が国のメディア芸術の魅力を発信する拠点となる」と説明する文化庁職員に対して、「お上に『よろしい』と言われて喜ぶより、そういうものをちゃかしたり風刺した作品を見せるのがマンガの精神」と述べ、「漫画家の仲間で好意的な反応をした人はいない」「ものすごくつまらないものになる」と計画の撤廃を訴えた。
出典:wikipedia
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