東区(ひがしく)は、福岡市を構成する7区の行政区の一つである。かつては全域が福岡市の旧市内(1889年4月1日に福岡市として市制施行)からは独立した郡部であった。現在では市内都心部に対してベッドタウンとしての色合いが濃く、福岡市の行政区の中で最も人口が多い。アイランドシティや、香椎操車場跡地再開発など、プロジェクトも多く、変化が著しい。区域は地図上における方角としては福岡市の北東部および北部といえる場所だが、福岡市民は一般的に福岡市の「東側」と見なしている。博多湾沿いを区域とし、北東端部の和白地区から海の中道と呼ばれる砂州が西へ約9kmにわたって伸びている。その先には陸繋島の志賀島がある。そのため区域はちょうど博多湾を三方から囲むような形になっている。区の南側で博多区および志免町・粕屋町に、東側で久山町に、北側で新宮町に接する。区の南部を多々良川と宇美川が流れる。区の東側、新宮町・久山町との境界部には200〜300m級の山がある。古くは「古事記」や「日本書紀」などに区内各地の逸話・伝承が登場し、また「万葉集」にも度々詠み込まれている。鎌倉時代末期には豊後の大友氏の一族が立花山城を築き、この地に影響力を持ち始めた。南北朝時代の1336年(建武3年)には九州へ落ち延びた足利尊氏らと菊池氏の間で多々良浜の戦いが行われた。安土桃山時代の1587年(天正14年)に小早川隆景が区内の名島城を本拠としたが、関ヶ原の戦い後に小早川秀秋が備前岡山へ加増移封され黒田長政が福岡へ入封した際に、立花山城並びに名島城は廃城となり石垣や櫓などは福岡城に流用された。区域はもと筑紫郡堅粕町の一部(筑紫郡豊平村大字金平を編入したもの)・同千代町の一部(大字馬出)・糟屋郡箱崎町・香椎町・多々良町・和白町・志賀町にあたる。これらが福岡市に編入されたのち、1972年4月1日、福岡市が政令指定都市となると同時に発足し、現在に至る。かつては、1929年(昭和4年)から運用開始された名島飛行場と1936年(昭和11年)から運用開始された雁ノ巣飛行場(福岡第一飛行場)の2つの飛行場があった。このうち名島飛行場は水上機専用であり、1931年(昭和6年)にはリンドバーグがシリウス号にて立ち寄っている。なお、このシリウス号のレプリカが東平尾公園博多の森球技場(レベルファイブスタジアム)に展示されている。集配局: 3局無集配局: 26局簡易局: 1局出張所: 11箇所※鉄道の駅の数は福岡市内では1番多い。
出典:wikipedia
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