ダイハード打線(ダイハードだせん)は、オフから使用された、福岡ダイエーホークスの打線を指す愛称である。1999年に福岡移転後最初のパ・リーグ優勝・日本一、に福岡移転後初のパ・リーグV2を達成したダイエー打線の愛称として、当時球団社長であった高塚猛が付けた名前である。ダイハードには「不死身」という意味があることから「何点取られても決して諦めない」という意味が込められ、また英語でダイハードの綴り(Die Hard)とダイエーホークスの綴り(Daiei Hawks)が似ていることから、「ダイハード打線」と命名した。この「ダイハード打線」の愛称は地元福岡のマスメディアを中心に使われたが、地元ですら浸透度が高くはない。優勝時には、親会社とかけた「スーパー打線」や「一の市打線」という名称も用いられていた。以降、この愛称は使用されていない。理由は地元マスコミ含め一般的に浸透しなかったことと、チーム名が「ダイエーホークス」で「ダイハード」に似ているから用いられた愛称であって、「ソフトバンクホークス」では使えなくなったということが挙げられる。打撃成績は日本プロ野球機構オフィシャルサイト、日本プロ野球RCAA&PitchingRunまとめblog、BASEBALL-REFERENCE.COMを参照した。2001年頃から飛ぶボールが導入されたとされ、事実パ・リーグ総本塁打数が前年から大幅増の1021本塁打と1986年以来となる1000本以上の本塁打を記録するなど、パ・リーグが極端に投低打高化した年。ダイエーも例に漏れず打ちまくり、大阪近鉄バファローズとともにチーム総本塁打200本以上、30本塁打以上を記録したパ・リーグの打者が12人いたが、その中の4人がダイエー勢だった。特に小久保はダイエー球団としては歴代最多の44本塁打を記録した(リーグ4位)。ペナントレースは千葉ロッテマリーンズと西武ライオンズに負け越したこともあり、19勝9敗と大きく勝ち越した近鉄にリーグ3連覇を阻止された。新ストライクゾーンが導入され、前年から一転してセ・パ両リーグともに投手成績が上昇し、打撃成績が下降。パ・リーグでは以来となる全球団チーム防御率3点台以下を記録。パ・リーグ平均打率は00年代最低となる.255に落ち込み、リーグ総本塁打数も152本減となる869本に落ち込んだ。チーム打率が上昇したのは優勝した西武ライオンズのみであり、本塁打はパ・リーグ全球団減少した。前年はパ・リーグ計12人の打者が本塁打30本以上を記録したが、この年は7人に減少し、ダイエー勢では小久保のみだった。ダイエーのチーム打率はリーグ2位(.267)と順位を維持したが、本塁打数はリーグ3位(160本)と順位を落とした。ペナントレースの順位は前年同様2位。また、この年で秋山幸二が引退した。前年の新ストライクゾーンが廃止され、パ・リーグが大幅に投低打高化した年。パ・リーグ6球団のチーム打率は前年優勝の西武を除く5球団が上昇し、日本ハムを除く5球団がチーム打率.270以上、リーグ平均打率が.276を記録。更にパ・リーグ総本塁打数も1000本と歴代屈指の打高年となった。一方ダイエーは本塁打数が前年に比べ6本下回る154本(リーグ4位)とパ・リーグで唯一前年の本塁打数を上回ることができなかったが、チーム打率は.297を記録し、パ・リーグの3割打者19人中6人をダイエー勢で占め、ダイエー勢4人が100打点以上を記録。更に盗塁数トップ3をダイエー勢で独占した(井口、村松、川崎)。7月13日の西武戦では松坂大輔を1回途中で降板させ勝利するなど、西武に以来22年ぶりに勝ち越してのリーグ完全優勝を果たし、さらに4年ぶりに日本一を奪回した。オフには村松がFAでオリックス・ブルーウェーブへ、この年右膝靭帯を断裂した小久保も無償トレードという形で読売ジャイアンツへ移籍した。1999年シーズンは城島がリーグ3位となる.306を記録。パ・リーグ平均打率が.259、パ・リーグ3割打者が4人(イチロー、松井稼頭央、城島、タフィ・ローズ)しかいない打低年にもかかわらず結果を残した。一方で小久保、浜名、井口のダイエー勢で打率ワースト3を独占する形となった。また、松中は初めての規定打席到達。打率はリーグ19位を記録し、本塁打はリーグ7位、更にOPSはパ・リーグ規定打席到達者中4番目の好記録を叩き出した。2000年シーズンは開幕戦のスタメンには二塁手に柳田、遊撃手に井口が起用されたが、後半戦は本間や鳥越の起用が多くなった。日本シリーズでは二塁手に鳥越、遊撃手に井口が起用された。この年のチーム打率、本塁打数はパ・リーグ2位を記録するなど好調で、本塁打、打点でリーグ3位を記録するなど好成績を収めた松中がMVPを受賞した。試合数減少の影響もあり、リーグ総本塁打数は若干減少したもののリーグ平均打率.277と前年同様打高の年となったシーズン。リーグ平均打率が上昇した一方でダイエーは打率は.292と前年を下回ったもの、本塁打数は前年を上回る183本塁打を記録。特に松中は1986年の落合博満以来となる三冠王に輝き、2度目のシーズンMVPも受賞した。ペナントレースはレギュラーシーズンは1位で通過したもののプレーオフで敗退し2位となった。また、この年のオフにバルデスが戦力外通告を受け退団。
出典:wikipedia
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