トレント自治県()は、イタリア共和国トレンティーノ=アルト・アディジェ特別自治州に属する県。県都のトレント(ドイツ語名: トリエント)は、同州の州都でもある。この地方はトレンティーノ()とも呼ばれる。この県は一般にトレンティーノ()の名で知られている。この名は県都であるトレントから来ているが、もともとは都市トレントとその郊外のみを指す語であった。19世紀にはじまったオーストリアの支配下において、この地方を指すドイツ語の地名としては、チロル伯国の南部という地理的位置から「南チロル」を意味する や、「ヴェルシュ(イタリア人)のチロル」 あるいは「ヴェルシュの南チロル」 といった語が用いられた 。チロル伯国南部を指すイタリア語の広域地名としては、歴史的に があり、特に現在のトレンティーノ(トレント自治県)の領域を指し、現在の南チロル(ボルツァーノ自治県)の領域を含めることもあった。また とも呼ばれた。トレンティーノ()という語が広域地名として使われたのは1848年ころ、フランクフルト国民議会の議員によって用いられたのが最初であり、やがてオーストリアの急進的な知識人の間でよく使われる用語となった。1972年に新たに自治権が確立されて以降、この県の行政上の公式名称は「トレント自治県」 (, ).Official Journals of the Provincia autonoma di Trento/Autonome Provinz Trient: No. 1 (2002), No. 17 (2003), No. 23 (2003), No. 39 (2003), No. 45 (2006) No. 20 (2007) and No. 25 (2007)である。ドイツ語で歴史的に用いられてきた「南チロル」 の語は、ボルツァーノ自治県を指す語にあてられた。トレンティーノ=アルト・アディジェ特別自治州に属する2つの県のうち、南側にある県である。東にヴェネト州、西にロンバルディア州と境を接する。県都トレントは、東西に長い県域のほぼ中央部に位置し、ボルツァーノから東南東へ約51km、ヴェローナから北へ約71km、ヴェネツィアから北西へ約116km、ミラノから東北東へ約165kmの距離にある。隣接する県は以下の通り。トレンティーノは、アルプス山中に位置する山国であり、県域中央を北から南へアディジェ川が流れる。県域東部は、ボルツァーノ自治県およびベッルーノ県にまたがるドロミーティと呼ばれる山地に含まれる。県域南東部はガルダ湖に面する。アディジェ川は、トレンティーノの中央部、その名にちなむヴァッレ・デッラディジェの谷筋を流れ下る。ヴァッレ・デッラディジェは、北ヨーロッパとイタリアを結ぶ歴史的な交通路であり、トレンティーノの主要な都市はこの谷筋に沿って位置している。谷筋は、広域行政の単位ともなっている(#Comunità di valle参照)。主要な谷筋として、県域北西部にはリンゴの生産で知られるや、がある。県域南西部のは、ブレシアとトレントを結ぶ交通路であった。県域北東部には、ヴァル・ディ・フィエンメ、などの谷がある。また、県域南部になどの谷が挙げられる。県域南東部には、とから東へ流れるブレンタ川が形作るがある。県域は全域がアルプス山脈(東アルプス山脈)に含まれる。アルプス山脈の山系を分類する国際標準であるによれば、県域はアディジェ川河畔のトレントを中心とする形で4つの山域に区分されている。すなわち、県域北東部はドロミーティ、県域南東部はヴェネツィアン・プレアルプス、県域南西部はプレシア・ガルダ・プレアルプス、県域北西部は南ラエティア・アルプスである。県の最高峰は、県の北西端(ブレシア県・ボルツァーノ自治県との境界)にある(3769 m)である。県の北東部にある(3343m)はドロミーティの最高峰であり、マルモラーダの氷河もランドマークとなっている。マルモラーダをはじめとする県内のいくつかの山塊は、ユネスコの世界遺産(自然遺産)「ドロミーティ」の構成資産に指定されている。その他の山としては、、、、、、、、、、、が挙げられる。2001年の国勢調査に基づく居住地区()別人口統計によれば、人口6000人以上の都市・集落は以下の通り。トレンティーノの歴史は石器時代の半ばにさかのぼる。現在のトレンティーノ地方にある多くの谷筋には人々の定住がはじまったが、特に主要な居住地は穏やかな気候に恵まれたアディジェ川流域の谷筋であった。中世初期には、この地方はイタリア王国とヴェローナ辺境伯領に含まれた。1027年、皇帝コンラート2世によって、神聖ローマ帝国の領邦としてトリエント(トレント)司教領が成立した。これはトリエントの司教 (Prince-Bishop) が統治する教会の領国(司教領)であり、現在のトレンティーノの領域とおおむね一致する。1545年から1563年まで開催されたトリエント公会議は、トリエントにおいて第一回の会議が招集された。トリエント公会議はカトリック教会の歴史の中で重要な公会議であり、プロテスタントの改革に対抗してカトリックの教義を明確にし、救済、秘跡、および正典についての決議が行われた。19世紀初頭のナポレオン戦争以後、トリエント司教領は世俗化されてオーストリアのチロル伯領に吸収され、ハプスブルク=ロートリンゲン家によって支配された。第一次世界大戦においては、オーストリア=ハンガリー帝国とイタリア王国の前線となり、激しい戦いの舞台となった(アジアーゴの戦い参照) 。1919年の戦争終結後までトレンティーノはオーストリアの一部として残ったが、サン=ジェルマン条約でイタリアがトレンティーノを併合した。第二次世界大戦後、イタリアのアルチーデ・デ・ガスペリ首相とオーストリアの外相の間でグルーバー=デ・ガスペリ協定が結ばれ、トレンティーノと南チロルに相当の自治が認められた。これ以後トレンティーノは、ローマのイタリア中央政府からかなりの自治権を認められており、独自の政府と議会を有している。1996年には、ユーロリージョン「チロル=南チロル=トレンティーノ」が、オーストリアのチロル州、イタリアのボルツァーノ自治県(南チロル)、トレント自治県(トレンティーノ)の間で形成された。ユーロリージョンの境界は、かつてのチロル伯国の境界とほぼ一致している。ユーロリージョンは一体の地域として共同の会議が開催され、ブリュッセルの欧州連合(EU)には共同の連絡事務所を設置している。トレント県には、県とコムーネの中間に という行政区画が置かれている。その名の通り、ヴァッレ(、谷筋)ごとに行政機能を集めた広域行政組織で、イタリアの他の県にあると同様であるが、一定の条件により条例を制定・施行することができる。トレント県は以下の16の に区画されている。( )内は事務所所在地(Capoluogo)。番号は右図と対応している。は、2006年に自治県条例によって設置された。それまでは、トレンティーノ=アルト・アディジェ特別自治州の自治州法によって設けられた という広域区画があり、 はこれに代わるものである。 の数は11個で、 ではトレント周辺など県中央部が細分化された。トレント県には178のコムーネが属する(2016年5月現在)。主要なコムーネ(人口5000人以上)は下表の通り。左端の数字はISTATコードを示す。人口は2012年1月1日現在。2001年の国勢調査時点では223のコムーネがあり、これは2009年末まで変わらなかった。2010年1月、コムーネ統廃合によりレードロ、コマーノ・テルメの2コムーネが発足。以後、コムーネの統廃合が進められた。2016年1月1日付で複数のコムーネ統廃合が行われ、コムーネの数は210から178に減少した。2006年の国立統計研究所(ISTAT)の統計によれば、6歳以上の住民の家庭内での会話における言語状況は以下の通り。イタリア語()、地方言語()、他の言語()についてのデータで、左列が全国平均、右列がトレント自治県の数値である。2013年には県内で冬季ユニバーシアードが開催された(2013年冬季ユニバーシアード)。開催地は(都市名ではなく)「トレンティーノ」とされている。
出典:wikipedia
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