黒住教(くろずみきょう)は、岡山県岡山市今村宮の神官、黒住宗忠が江戸時代(文化11年11月11日・西暦1814年)に開いた教派神道で、神道十三派の一つである。同じ江戸時代末期に開かれた天理教、金光教と共に幕末三大新宗教の一つに数えられる。現在の教主は6代目の黒住宗晴が務める。黒住宗忠は、安永九年(1780年)、備前国御野郡上中野村(現在の岡山市)に、今村宮に仕える禰宜の家に生まれた。流行り病で父母を相次いで亡くした悲しみから、病に伏した宗忠は、文化11年(1814年)11月11日、冬至の日の出を拝む(日拝)中で天照太神と自分が一体となるとなるという体験をした。黒住教ではこれを「天命直授」と呼び、この日を立教の日としている。この宗教的体験により宗忠は、病気治しや日常の心がけを説くなどの宗教活動を始めた。以後、嘉永3年(1850年)に死ぬまで、布教活動を行った。宗忠の死後、安政3年に吉田家より、「宗忠大明神」の神号を与えられ、文久2年に京都の神楽岡に宗忠神社が創建された。宗忠神社は慶応元年(西暦1865年)、孝明天皇によって勅願所となり、従四位下の神階を宣下された。明治9年(西暦1876年)、神道事務局から神道黒住派として独立した。祭神は「天照大御神」「八百萬神」「教祖宗忠神」の3柱。教団本部は岡山県岡山市北区尾上、神道山(しんとうざん)。かつては同市同区大元の宗忠神社の隣接地に本部を構えていたが、市街地整備のために移転している。五代教主・宗和と六代教主・宗晴は川崎祐宣医師と親交が深く、川崎と共に学校法人川崎学園や社会福祉法人旭川荘の創立に関わっている。現在でも旭川荘では、黒住教の信者による奉仕活動が行われている。現当主の黒住宗晴は『日本会議』の代表会員である。塚田穂高によると、戦後一時は、黒住家から国政に候補者を立てていたことがあるという。伊勢神宮奉賛活動を通し伊勢神宮とは親しく神道山の本殿建築には遷宮時の旧内宮の古材を受け利用もしている。
出典:wikipedia
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