「ログイン」("LOGiN")は、エンターブレイン(現・KADOKAWA)から刊行されていたパソコンゲームを主に扱ったパソコン雑誌ないしゲーム雑誌。創刊当時のパソコン雑誌は、技術的な内容など技術者やマニア向け、あるいはビジネスを指向していた中で、ゲームを軸に一般的な若者をターゲットとした方向に進んだ。当初は、1982年5月から季刊で「月刊アスキー」の別冊として「ASCII 別冊ログイン」として発刊されていた。1983年4月号から月刊化し「月刊ログイン」(毎月8日発売)となる。別冊時代の誌面は技術系情報が中心だったが、月刊化以降パソコンゲーム情報を前面に押し出した路線変更を実施。創刊当初は売上もふるわず休刊が危ぶまれていたが、この路線変更により持ち直したとされる。1984年9月号から編集長に小島文隆が就任。同号の特集「コンピュータでしまいにゃ笑うぞ!!」を始めとして、以後誌面の徹底した娯楽路線が強調された。まだパソコン誌といえば技術的な内容を扱うのが主流であった時代に、あまりパソコンに詳しくなくゲームにしか使えない自分(という馬鹿のフリ)を笑いにするというスタイルを提唱した。パソコンに直接関係のないふざけた記事が掲載される事も多く、月刊期から月2回刊中期にかけてのログインの特徴として広く知られる。一方でこの時期には新ゲームジャンルのいち早い紹介や新しいアミューズメントの発掘、テクノロジーの未来予測等の記事も充実しており、パソコンゲーム文化成熟の一翼を担っていたという側面もある。また、「おたく」の語が一般に広まるより前、編集部内でパソコン、アニメ好きな少年を「お宅」と呼んでおり、本誌は「おたく」の語を一般に広めた一角であった。ただし誌上では『三宅裕司のヤングパラダイス』を起源としている。発行部数拡大とそれにともなう広告ページの増加による誌面の肥大化を受けて、1988年7月15日号からパソコン雑誌では日本初の月2回刊化(毎月第1・3金曜発売)。雑誌名から「月刊」が消え「ログイン」となる。1992年末ころの誌面リニューアルでは歴史、ファンタジー、お笑い、科学など多岐に渡るジャンルの読み物や読者投稿ページが登場し非ゲーマー層からの人気を集めるも20世紀末のパソコンゲーム人気の下落の中、断続的な誌面リニューアルが行なわれ1997年ころには紙面縮小に伴って話題の多面化・読者投稿路線は消滅した。比較的オーソドックスなパソコンゲーム雑誌のスタイルが定着し1997年10月17日号をもって月2回刊誌は終了、次の号はそこから2ヶ月ほど空いて1998年1月号として月刊誌(毎月24日発売)に戻る。2000年4月のアスキーからのエンターブレイン分社により、エンターブレインに移行。2005年12月現在の公称部数は5万部だったが、全盛期の勢いを取り戻すことは叶わず、2008年5月24日発売の同年7月号を以て休刊。同日よりニュースサイト「LOGiNウェブマガジン」がプレ創刊し、6月24日に正式オープンした。最終号において紙のログインの集大成「カミログ(仮)」が年内に発売予定とあったが、結局発売されることはなかった。また、ウェブマガジンも2009年3月31日分をもって更新終了された。初期の頃はオリジナルゲームや投稿ゲームのプログラムリストを巻末に乗せていた。『マイコンBASICマガジン』と比べて数は少ないが、一本あたりの規模は大きく打ち込む手間も大きいため『Tape LOGiN』と言うカセットテープも本屋で販売していた。のちにソフトの大容量化にあたり『Disk LOGiN』と言うフロッピーディスクに切り替わったが、こちらは通信販売のみ。月二回刊の前ごろのリニューアルでオリジナルゲームや投稿ゲームを扱わなくなったため自然消滅するが、後の『コンテストパーク』や『テックウィンDVD』の基になった。本誌の休刊後も現存する姉妹誌には、ボーイズラブ・乙女ゲーム情報誌の「B's LOG」(ビーズログ)がある。その他の現存しない姉妹誌・派生誌は関連項目を参照。有名ソフトハウスへのインタビューを行なうとともに、ソフトハウスから提供されたオリジナルのショートプログラム(主にゲーム)を公開するという特集企画。オリンピックの名を冠しているが競技性はまったく無く、各地から猛者が集うという点をもってオリンピックと名付けられたようだ。1984年10月号が初出。この年はロサンゼルスオリンピックの開催年である。その後、1985年10月号・1986年10月号・1987年10月号と毎年10月号に恒例行事として行なわれていたが、1988年10月7日号には「プログラムオリンピック特別編 新・ソフトハウス紀行」と題して企画内容が大きく変更される。特集記事から短期連載形式に変わり、ショートプログラムの提供は消失、代わって編集者の出張の道中記が掲載された。ソフトハウスの増加と月2回刊体制によりスケジュールが限界を超えてタイトになったことが路線変更の原因と思われる。以後この形式は毎年続き、「プログラムオリンピック」の名は有名無実化していった。英名World Advanced Sci-Tech Entertainment Duodecimal、略称WASTED(ウェイステッド)。1988年 - 1999年の12年間を示し、ログインが独自に提唱した。WASTEDでは最新科学技術を(軍事やビジネスユースではなく)娯楽に利用することを目的とし、ログインはその広報誌として様々な情報を掲載するという体裁をとっている。特集や不定期連載の形で書かれた記事は主にリアリティのある未来のゲームの姿の予測・希望という形で構成されており、CD-ROM・CD-Rの隆盛、CPU速度・記憶装置容量の進化、携帯型デジタルオーディオプレーヤーや液晶携帯型ゲーム、リアルな世界観の中で進行する自由度が高く明確なゴールの無いゲーム(Grand Theft Autoシリーズ等)、きわめて手軽なネットワーク・マルチプレイゲーム、トランスルーセント(スケルトン)デザインのファッショナブルなマシンの出現(iMac等)、など、現在実現されている技術をかなり近い形で予言したものも多い(例はいずれも1988年時点の予測)。1988年1月号が初出で以後月刊(初代)時代末期に強く推し進められたが、月2回刊に移行後は本誌のページ数減少のためか記事数が減り、1999年を待たず自然消滅的に終了した。「いや〜ん、バカ〜ん」と絡めた洒落で慰安旅行の意。毎年春頃に恒例行事としてログイン編集部で行なわれ、そのたび本誌で乱痴気騒ぎの様子が報告された。名目上は研修旅行だったが、実質的には観光と宴会が主であり、スタッフの増加とバブル景気の終焉にともないこういった大型の慰安(研修)旅行は催されなくなった。類似の企画として、編集部内のクリスマスパーティーの報告記事もある。1988年4月号に掲載された記事。犬戦略とは『大戦略IIエディタセット』を利用して作られた、全ユニットが犬で構成された『大戦略』のことである。単なる洒落であるが、このためだけにユニット全20機(頭)のグラフィックとパラメータ設定、犬の顔を模したマップが作られ、オールカラー4ページにわたる紹介記事が書かれた。ただしこれには1987年12月号で開催された「大戦略IIエディタセットコンテスト」に真面目すぎる作品ばかりが応募されてきたことに対して、ここまでふざけた作品があっても良いという範を示す一面もあったとされる。ログインを代表するお笑い記事のひとつ。数度にわたり連載開始と最終回を繰り返し、大きく3期に分類される。すべてのヤマログは編集者金井哲夫が中心となって編集されており、金井は桶目ララ次郎、岩鐘ピピ吉、大金盥山ピーター太郎吉田、金盥鉄五郎、ピート・大金盥山などの偽名を積極的に使用した。1985年6月号 - 1986年12月号。当時ログイン編集部が東京南青山にあったことから、屋号「ヤマログ」とされた。投稿の募集は1985年4月号から行なわれているがこの時点では具体的な企画が何も決まっておらず、具体的な活動内容が募集されている。当面の目標として世界征服が掲げられていたが実質的には読者と編集部で何事かをなす、あるいは交流を深めるといった目的が主である。内容的には各コーナーへの読者投稿が主体で一般的な雑誌の読者投稿ページに近かったが後半になると募集の無いコーナーや募集はしても掲載されないまま企画内容が変わるコーナーが増え、純粋な編集者のおふざけ記事という性格が強くなっていく。秘密情報部という体裁のため投稿者は「部員」として扱われ、掲載者全員に組(「ゆり組」「すずらん組」など)と番号が与えられた。主なコーナー・企画は以下の通り。1987年5月号 - 1988年7月号(プレ連載は1987年4月号)。本誌の月2回刊化に伴い終了した。YAMALOGと表記する事も。従来の読者コーナーである'READER'S LOG'内の全記事を併呑する形で始まった。おたよりコーナー'LETTERS'の実質的後継でもある。第1期ヤマログに見られた読者投稿に対する評価の厳しさが緩められ、読者にとって親しみやすいページとなった。一方で欄外のお知らせやリード文など細かい場所にはナンセンスなギャグがちりばめられ、全体のトーンとしては渾沌としたシュールな空間だった。読者アンケートで特集を抑え人気第4位にランクインした事もある(1987年10月号発表)。連載後期にあたる1988年2月号から、親しみやすさをなかば放棄してナンセンス思想「パカパカ」を提唱。全ページにわたりパカパカ的な表現が誌面を席巻するようになる。パカパカが具体的にどのような思想なのかは最後まで説明されなかったが、これはパカパカが非常に感覚的なものであり文脈に添った定義が困難なためであろう。パカパカとは何かを考える「パカパカ論文」の例(1998年2月号掲載)には、「世界にとってパカパカとはレレレラーメンの中にカエルが私のほほをなであっと驚くべきことなかれ、馬の背中はシュポシュポラララカメさん」とある。主筆の金井哲夫の他にメインライターに伊藤ガビンが加わっている。占術師福田有宵の易占や全編を通じて掲載された内田美智子のイラストも特徴。主なコーナー・企画は以下の通り(特に開始号の記述の無い記事は第1回からの掲載)。1989年9月15日号 - 1990年5月4日号(プレ連載は1989年8月17日号。また最終回の翌号である1990年6月1日号には特別編「ヤマログ解散記念 緊急雑談!」が掲載されている。これは最終回があまりに突然で編集部内でもページ調整ができなかったため)。タイトルは「ヤマログ+」(ヤマログプラス)だったが、'90年代最初のログインである1990年1月5日号から「ヤマログ90」に変更された。またヤマログ+は他にヤマログPluす、ヤマログプラす等表記される事もある。第1期ヤマログ末期や第2期ヤマログのパカパカ期のようなナンセンスユーモアが初回から徹底して貫かれているのが特徴で、ほとんどのコーナーは葉書の募集をしていないか、募集していても読み切りで掲載先が存在しないか、掲載されていても多くの場合編集者の捏造だった。メインライターは金井哲夫と伊藤ガビン。3期を通じてヤマログの精神的支柱だった金井のアスキー退社により、これが最後のヤマログとなった。連載されていた主なコーナーは以下の通り。1992年5月1日号〜1996年9月20日号。ヤマログと双璧をなす代表的お笑い記事。第3期ヤマログ的なナンセンスユーモアによる企画ページと、特にテーマを限定しない比較的自由な読者投稿ページの組み合わせによって成り立つ。メインライターは松本隆一(ステルス松本、松本大王)、高橋義信(高橋ピョン太)、澤村健(サワノフ)、増田厚(忍者増田)ら。増田はファミ通編集部への異動により中途脱退。末期には常連投稿者から編集者に採用した近藤ばけゆきが加わる。主なコーナー・企画は以下の通り。げてもの食や寄生虫、様々なタバコなど、一般に敬遠されがちなネタや極端にマイナーなテーマを真面目に考察する不定期連載。常に最後は「あなたの知らなかったほうがよかった世界はまだまだあるのです…」の言葉で締めくくられた。メインライターは三宅貴久。荒井清和による連載4コマ漫画。詳細はべーしっ君の項を参照。1985年3月号 - 1986年12月号。ファミリーコンピュータ用ゲームの紹介・攻略ページ。「ビデオゲーム通信」の姉妹ページとして開設され、連載当初はビデオゲーム通信内の1コーナーという位置付けだった。1986年6月、本連載のスタッフを中心として新雑誌『ファミコン通信』創刊。以後も連載は続くが縮小傾向となり、同年12月号で連載は終了した。なお、「ビデヲ(「ビデオ」では無い)ゲーム通信」も雑誌『ファミ通』に移籍している。メインライターは塩崎剛三(東府屋ファミ坊)、水野震治(水野店長)、上野利幸(ゲヱセン上野)ら。雑誌「ファミコン通信」2代目編集長も塩崎である(初代編集長は当時のログイン編集長でもあった小島文隆)。1986年5月号 - 1988年5月号。MSX用ゲームの紹介・攻略ページ。略称は「M通」。「ビデオゲーム通信」の姉妹ページとして開設された。攻略記事の充実の反面、ページ内にはゲームと全く無関係な冗談・イラストが異常に多く、ログイン内でも特殊な存在感を示したページだった。この編集姿勢が評価され人気は高く、当時のログイン連載記事では異例の別冊付録化された事もあった。メインライターは加川良(田中パンチ)、伊藤ガビン、アルト鈴木。加川は後にMSXマガジン編集部に異動、同誌編集長になる。イラストレーターは桜玉吉。コンピュータ用語のログインが由来。本来誌名は「ログオン」(LOG・ON)の予定だったが、出版直前になってアメリカ出張中の西和彦(当時アスキー社長)から当時の主力32bitコンピュータVAX-11ではログイン(Login)と称するとの指摘があり、急遽現在の誌名に変更された。創刊以前の有力な誌名候補には「アスキー・ジュニア」(AJ)という名も挙げられていたとされる(「ヤマログ」1987年6月号、280頁より)。なお誌名ロゴで'i'の文字のみが小文字になっているのはデザイン上の飾りで、深い意味はないとされる。そのためかログイン本誌でも英語表記は'LOGiN'以外に'LOG IN'、'Login'、'LOGIN'など一定していない。感嘆符を除いてぽげムたビゲなみょ〜ん、あるいは波線を使わずぽげムたビゲなみょーんとも。初出は1984年10月号「おたより LETTERS CORNER」に掲載された読者投稿で本来まったく意味のないナンセンスな投稿だったと思われるが、これを気に入った編集者(河野・金井ら)により一種の感嘆詞としてたびたび誌上で使われた。男性の笑顔を描いたマーク。主にふざけた様子、ナンセンスな状態を表現する際に使われた。写研の写植記号 BA-90 を原型とし、頭頂部にS字型の毛を1本生やした意匠となっている(毛のカーブの角度や方向は画像によって一定していない)。初出は1985年1月号「おたより LETTERS CORNER」の編集者の回答だが、その前月の1984年12月号「ログイン編集部の1ヵ月激公開!」でも「ぽげムたビゲなみょーん」の言葉の後に△や☆等の記号に交じって写植記号 BA-90 が使われており、この組み合わせから俗に「ぽげムたマーク」と呼ばれるようになった。他にぽげムたとも。ぽげムたビゲなみょ〜ん!!と同様のナンセンスな感嘆詞。1985年8月号「おたより LETTERS CORNER」に掲載された、ぽげムたビゲなみょ〜ん!!に替わる感嘆詞の提案が初出。ログインのライターを務めた伊藤ガビン(本名:伊藤雅敏(いとうまさとし))が由来でもある。のえのえぷうとも。ぽげムたビゲなみょ〜ん!!、がびんちょんぶーに似た意味の無い感嘆詞だが、その歴史はより古い。編集者加川良が新人時代に実行した、PC-6001mkIIの音声合成機能を使用して深夜の編集部で奇声を発させるという悪戯に端を発するとされる(「YAMALOG-プロンキトおたよりザウルスの奇跡」『ログイン』65号、アスキー、1988年、372頁より)。小島文隆による未完の文学小説の仮題「のえのえぷーに夏が来た」の語源でもある。海外産コンピュータRPG・'Ultima'を日本語表記するにあたって、「ウルティマ」とすべきか「アルティマ」とすべきかの論争。本来'ultima'の英語発音は「アルティマ」である(少なくともそれに非常に近い)が、制作者のリチャード・ギャリオット自身はラテン語の'ultima'をイメージしてラテン語風に「ウルティマ」と発音していた。ログインの編集者金井哲夫はリチャード・ギャリオットのインタビューで聞いた発音を元に「ウルティマ」と表記したが、この経緯を知らない読者や他誌からは誤謬であると非難され、経緯の説明がなされた後も論争は沈静化しなかった。1987年の株式会社ポニーによる日本語版ウルティマ『ウルティマIV』の発売にあたって、リチャード・ギャリオット本人と制作会社であるオリジン社からポニーへ「ウルティマ」を正しい発音とする進言があり、これをもって論争の決着とされた(「Garbage Collection-Ultima“ア・ウ”論争ついに決着」1987年4月号、297頁より)。以後発売された日本語版は全て「ウルティマ」で統一されている。ログインのマスコットキャラクター的存在。1988年3月号「ヤマログ」にて、イラストの発注を忘れたまま空いてしまったスペースに編集者が間に合わせで描いた「どんどん応募の若い頃の図」が原型である。まったく同様の出自を持つキャラクターに「べきであるある」がある(1988年7月号初出)。漫画家の志水アキは無名時代「三国時代」を中心にイラストを投稿、後に同記事のイラストレーターとして抜擢され商業デビューした。やはり漫画家の末弘も様々な読者投稿記事の常連で、同時期に「コンプティーク」のイラストレーターとして商業デビュー。その後現在に至っている。また成人向け漫画家のガビョ布・ヤスイリオスケらはともに「バカチン市国」「愛のモザイク劇場」等の常連投稿者出身である。ログインでは原則として編集者とライターは兼任であり、多くの記事は編集者が編集と原稿執筆を同時にこなす。1982年よりル・マン24時間レースで参戦するマツダチームに協力し、ピットのレース分析用システムを製作した。フェンダー部分に小さく「LoGin」のロゴステッカーが貼ってあった。ちなみに1991年にはマツダ・787Bで総合優勝した。
出典:wikipedia
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