ダウン症候群(ダウンしょうこうぐん、)は、体細胞の21番染色体が1本余分に存在し、計3本(トリソミー症)となることで発症する、先天性疾患群。新生児に最も多い遺伝子疾患である。多くは第1減数分裂時の不分離によって生じる他、第2減数分裂時に起こる。かつては蒙古症(もうこしょう)と呼ばれた。1866年にイギリスの眼科医ジョン・ラングドン・ハイドン・ダウンが論文『白痴の民族学的分類に関する考察』(Observations on the Ethnic Classification of Idiots)でその存在を発表(学会発表は1862年)。最初は「目尻が上がっていてまぶたの肉が厚い、鼻が低い、頬がまるい、あごが未発達、体は小柄、髪の毛はウェーブではなくて直毛で薄い」という特徴を捉えて「Mongolism(蒙古人症)」または「mongolian idiocy(蒙古痴呆症)」と称され、発生時障害により人種的に劣ったアジア人のレベルで発育が止まったために生じると説明されていた。しかしダウンによるこの人種差別的な理論は、アジア人にもダウン症がみられることからすぐに破綻をきたした。1959年、フランス人のによって、21番染色体がトリソミーを形成していることが発見された。1961年に19名の著名な遺伝学者が、「Langdon-Down anomaly」, 「Down's syndrome anomaly」, 「congenital acromicria」, 又は 「trisomy 21 anomaly」 の用語を用いるべきとの声明を発出したことを契機に、蒙古症の語は次第に使われなくなった。1965年頃には、モンゴル人民共和国の代表がWHOの事務局長に対して非公式に、病名としての「mongolism」が不快であるとして将来的に使用しないように要請している。1965年、WHOは、発見者のダウン医師に因んで「Down syndrome(ダウン症候群)」を正式な名称とすることが決定した。2012年、3月21日を国際連合が世界ダウン症の日に認定。21番染色体トリソミーにちなむ。1961年から2011年までの医学論文では、使われた用語の数は次の結果のとおりだった(歴史について記述した論文を除く)。用語使用の変化を示した図からも、1961年頃はほぼ100%の使用率であった「mongolism」は、1980年代半ばには全く使われなくなったことが分かる。2010年時点では、「Down症候群」が約85%、「Trisomy 21」が約15%の使用率である。知的障害、先天性心疾患(50%)、低身長、肥満、筋力の弱さ、頸椎の不安定性、閉塞性睡眠時無呼吸(50-75%)、耳の感染症(50-75%)、眼科的問題(先天性白内障、眼振、斜視、屈折異常、60%ほど)、難聴(75%ほど)がある。新生児期に哺乳不良やフロッピーインファントのような症状を示し、特異的顔貌、翼状頚、良く伸展するやわらかい皮膚などから疑われることもある。青年期以降にはストレスから来るうつ症状・早期退行を示す者もいる。男性の場合モザイク型を除き全て不妊となる一方、女性の場合多くは妊娠が可能であるが、多くは自然流産となる。また、母親(または父親)がダウン症候群患者の場合、胎児のダウン症候群発症率は50%であるため、高確率で遺伝する。一般的に、肉体的成長の遅延、特徴的な顔つき、軽中度の知的障害に特徴づけられる。ダウン症の青年の平均知能指数は50であり、これは8-9歳の精神年齢と等しいが、これにはばらつきがある。40歳以降にアルツハイマー病が高確率でおきる。しかし同時に。21番染色体のトリソミーが原因である。トリソミーとなった理由は3タイプに分けられ、生殖細胞の減数分裂時の失敗(染色体の不分離と転座)である。標準型は精子、卵子形成時の減数分裂における染色体不分離が原因である。転座型は親の片方が均衡転座保因者であり、適切な遺伝カウンセリングを受ける必要がある。モザイク型は受精後の卵分裂の過程での不分離に基づく。細胞の一部はトリソミーというように混在する。そのため、重度な障害は無い。染色体トリソミーは21番染色体以外にも起こるが、性染色体以外の常染色体には生命活動に必須の遺伝情報が含まれるため、トリソミーは死産となるか、出産できたとしても長くは生きられない。しかし21番染色体のトリソミーだけは障害を残すものの致命的とならない場合がある。ただし、その21トリソミーでも、80%は流産や死産に終わり、出生出来るのは20%に過ぎない。妊娠11週頃に絨毛検査で確定的に診断できるが、日本では絨毛検査を実施している医療機関は少ない。妊娠15 - 16週頃に、母体血清マーカー検査や新型出生前診断(NIPT)により確率的に診断することが可能となり、羊水検査で確定的に診断される。検査結果が出るまでに2 - 3週間を要する。「妊婦検診等でこういった出生前検査を勧められなかった」としても医療側の落ち度は無いとされる(裁判事例:京都地裁平成9年1月24日判決)。そのため妊婦は自ら医療側に進言(結婚している妊婦の場合夫婦の同意に基づく)しないと検査は実施されない。また検査の結果も、正式には「妊婦側が聞くことを希望して初めて通知出来る」とされている。イギリスでは国策として2004年以降は全妊婦に出生前診断を推進している。2002年の人工妊娠中絶率の文献レビューでは、イギリスとヨーロッパでダウン症候群と診断された妊婦のうち、91-93%が妊娠を中断した。イギリスの"国家ダウン症候群細胞遺伝学登録簿" (NDSCR)のデータによれば、登録が始まった1989年から2006年における、ダウン症候群の診断を受けた後に中絶を選んだ女性の割合は、継続的に約92%である。アメリカでもダウン症胎児の中絶率調査が実施され、3つの研究では、それぞれ、95%、98%、87%となっている。医療倫理学者のロナルド・グリーンは、両親は自分の子孫に「遺伝的な害」が及ぶのを避ける義務があると主張している。イギリスのジャーナリスト、ドミニク・ローソンは、ダウン症の娘が生まれた際、彼女に対する無償の愛と、彼女が存在することの喜びと同時に、妻が検査を受けていれば中絶できたという外部の声に怒りを表明した。これに対し、長い期間、ダウン症協会の支援者であったクレア・レイナーは、ローソンの、娘への態度を絶賛すると共に、ローソンが障害検査と発見時に中絶をすすめる医師や助産師を酷評することには賛成できず、障害検査と中絶を次のように擁護した。「辛い事実としては、障害を持った個人の面倒をみるということは、人力、哀れみ、エネルギー、そして有限の資源であるお金がとても掛かると言う事だ・・・。まだ親になっていない人は、自分に問いかけてみるべきだ。自分が他人(社会)にその重荷を背負わせる権利があるのか、もちろん、その重荷の自分の持分をすすんで引き受ける前提としてだが。」。ダウン症と診断された胎児の高い中絶率を、倫理的に憂慮する医師や倫理学者もいる 。ピューリッツァー賞を受賞した保守的な評論家で、息子の一人がダウン症候群であるジョージ・ウィルはそれを「中絶による優生学」と呼んでいる。ダウン症候群は染色体異常であるため、実用化に至っている根本的な治療方法は無い。心疾患等の合併症に対しては外科的な対応も含めて治療が行われている。また、思春期以降の生活能力低下(“急激退行”)に対して、アルツハイマー治療薬「アリセプト」(ドネペジル塩酸塩:アセチルコリンエステラーゼ阻害剤)のダウン症候群に対する有効性の検証や、抗酸化剤や神経活動過剰抑制拮抗剤などの治験が行われている。ノンコーディングRNAを用いてダウン症の1本多い染色体の機能を停止させ、出生後にダウン症の治療を行おうとする基礎的研究が行われている。性別を決める染色体で働いているノンコーディングRNAの「Xist」は、X染色体の不活性化という各細胞の不要なX染色体の活動を止めて問題を避ける仕組みを持っていることが分かっていた。2016年7月に「Nature」に掲載されたマサチューセッツ大学の研究では、この原理を応用しダウン症患者のiPS細胞の21番染色体の1本にXist遺伝子を遺伝子の発現を誘導する薬と共に組み込んだところ、約3週間後に全10個の遺伝子が発現しなくなり、ゲノム全体の遺伝子発現量でも3本の21番染色体全体の発現量を平均で15-20%程度低下させ、トリソミーではない2本の21番染色体の総発現量とほぼ同程度にまで抑制できたした。さらに、Xistがダウン症によって低下した細胞を増殖する機能を回復し、神経細胞に分化する機能も正常細胞並みに戻すことも確認された。この方法の長所は、一度Xistを組み込んでしまえばあとは発現させるだけで100%に近い抑制効果が得られ、13番や18番の染色体異常等にも応用できうる点だとされる。ノンコーディングRNAが遺伝子発現を制御する仕組みは今後の治療に繋がるものとされ、この仕組みが応用出来れば、ダウン症の問題は解決の糸口をつかむとされる。また培養細胞での基礎研究段階であるが臨床試験の開始が望まれている。遺伝子疾患及び染色体異常の中では最も発生頻度が高い。日本での患者数はおよそ5万人。イギリスがおよそ5万人、アメリカがおよそ34万人年間6000人の出生がダウン症であった。日本人は全障害児におけるダウン症の割合が他国に比べて低く、その代わりに自閉症出現率が高めであるとされる。母親の出産年齢が高いほど発生頻度は増加し、25歳未満で1/2000、35歳で1/300、40歳で1/100となる。アメリカにおける統計では、20 - 24歳の母親による出産ではおよそ1/1562なのに対し、35 - 39歳でおよそ1/214、45歳以上の場合はおよそ1/19となっている。イギリスでは2000年の年間約600人の出生数が2006年には15%増え746人となった。
出典:wikipedia
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